東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

「ちよろぎ」白川晃著を読む

2012-12-22 18:38:54 | 書籍
「ちよろぎ」白川晃著帖面舎刊を読む

 以前、「東京・遠き近く」で紹介した白川晃氏の「ちよろぎ」を都立中央図書館に行く機会があったので、読むことが出来た。僅かな部数ながら大切に製作された書籍というものであって、装丁も美しく、印刷は活版印刷で、隅々まで心のこもった本であることが手に取ると伝わってくる。

 内容については、「東京・遠き近く」の際に引用して紹介しているのだが、現在の中央区湊という町名になった辺り、鉄砲洲で生まれ育った白川氏がその心に残る故郷の情景や思い出を描いてたものをまとめた形になっている。白川氏は歌人とのことで、その言葉遣いの歯切れの良さと上品なところが、これが江戸以来の下町の人の操る言葉だと思わされる。そして、関東大震災前の東京の下町の情景が、読んでいると眼前に浮かびあがってくるかのようだった。

何よりも、自意識過剰な江戸っ子ぶったところは微塵もなく、失われた鉄砲洲、居留地時代の面影を残す明石町、そして堀割が巡って水辺の都市であった東京の雰囲気が、語られている。地図を見たり、古写真を見て、かつての東京の姿を追い求めてきたが、そうやって頭の中に作り上げてきた明治の東京はモノクロームで存在していたのだが、こうしてその町に生きた人の話を読んでいると、いつしかその町が色付いていく様な気がする。

犬川という言葉が出て来た。犬の川端歩きというそうで、いくら奔走しても何も得ることのないことうぃい、金銭を持たずに店頭をうろつくことなどをそういったというのだが、転じて外出して何も食べないで帰ることをそういったという。外出したついでに、ちょっと何か食べてくると言うのは、明治の頃から当たり前の風俗であったこと、そして思惑が外れたりしたときには、犬川と表現した辺りがおかしい。

また、帆立の貝殻を使った鍋の話も出ていた。昭和一桁生まれの私の母親に聞いても余りピンと来ない様子で、見たことはあるという反応だったが、大振りな帆立貝の貝殻を使った鍋があったという。煮物に使えるわけではないが、浅く平たい、そのままの形状で、味噌を軽く焙って煮詰めたりして酒の肴にしたりなどしたという。

永代橋から吾妻橋へ行く一銭蒸汽に乗った話も出ており、その船の名前がみな第○有明丸というで会ったという。その船が両国橋の手前に差し掛かると、本所側にヤマト糊の大きな看板が出ていたという。ヤマト糊は明治32年に創業したそうで、現在は日本橋大伝馬町に本社を置くが、墨田区が創業の地であったそうだ。隅田川の誰もが知るランドマークであったそうだ。そして、一銭蒸汽は、第二次世界大戦が激化する中で運行が休止され、戦後復活することはなかったと書かれている。

この本は部数も多くはなく、古書市場では高価なものになっている様子。しかも、蔵書している図書館も都立中央図書館と国立国会図書館、中央区立京橋図書館の地域資料室にもある程度である。だが、かつての東京の町の空気を知る上では、とても素晴らしい本だと思う。白川氏の筆による文章は、読んでいて心地がよい。そして、最初に書いた様に、全ての工程を極めて丁寧に大切に行われて作り出された本であることが、これほどに伝わってくる書籍は珍しい。それだけに、こういったことに興味のある向きには、是非ともご一読をお勧めしておきたい。

ネットで版元の「帖面舎」で検索すると、やはりというべきか、私家版の少部数出版で、しかも内容の素晴らしい書籍を生みだしていることで知られているようだ。そして、当然のことながら書籍は古書市場で高額なものになっているらしい。この「ちよろぎ」をみても、それは非常に分かる様な気がする。

以前、この「ちよろぎ」について取り上げたエントリは以下の通り。

東京・遠き近くを読む(24)鉄砲洲を読む

東京・遠き近くを読む(25)佃大橋を渡るを読む


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