川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

原田敏章 東京高裁裁判官

2009-11-04 17:52:30 | こどもたち 学校 教育
 昨日は11月3日で「文化の日」ということで祝日でした。祝日法によればその趣旨は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」となっています。1946年に憲法が公布された日ですから、その日を意識したものなのでしょう。
 元々は明治天皇の誕生日で明治時代は「天長節」、1927年(昭和2年)からは「明治節」とされていた日です。明治節は四大節の一つで天長節などとともに戦前戦中の国民意識(「忠君愛国」)涵養の柱をなす祝日でしたから新憲法の公布もこの日を卜したのかと思われます。

 このほかにも天皇や天皇制と関わりのある祝日はいくつかあります。元旦、建国記念の日、春分の日、昭和の日、海の日、秋分の日、勤労感謝の日、天皇誕生日などです。

 国民主権の国になったとはいえ、近代天皇制国家の伝統を祝日という形で受け継いでいることに驚きませんか?民主主義の時代になぜ?と思う人がいても不思議ではない日もあると思います。

 国歌「君が代」についても同じです。今の時代に国歌としてふさわしくないと思う人がいても不思議ではありません。民主主義を担う人材の育成を職業とする、学校の教師にそのような人が少なくないことはむしろ健全なことではないでしょうか。

 過日、こんな報道がありました。ぼくの目からすれば教育委員会はもちろんのことですが東京高裁の裁判官も常軌を逸していると思うのですが…。皆さんはどう思われますか。

  
 国歌斉唱時に不起立、再雇用不合格で元教員逆転敗訴
 

 東京都立高校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立しなかったため、定年後の再雇用選考で不合格にされたのは違法だとして、元都立高教員の申谷(さるや)雄二さん(62)が、都を相手取り、不合格処分の取り消しと損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が15日、東京高裁であった。


 原田敏章裁判長は「卒業式での不起立という職務命令違反を軽視することはできず、不合格は裁量権の乱用とはいえない」と述べ、211万円の支払いのみを命じた1審・東京地裁判決を取り消し、請求をすべて退けた。申谷さんは上告する方針。

 同種訴訟の原告団によると、国歌斉唱や起立をしなかった教職員の再雇用拒否を巡っては6件の訴訟が起こされ、高裁判決は初めて。1審段階では「適法」と「違法」とで判断が分かれている。

 判決によると、都教委は2003年10月、国歌斉唱の際の起立を義務付ける通達を出したが、申谷さんは翌年3月、都立高の卒業式で起立せず、戒告処分を受けた。申谷さんは定年退職の前年の06年10月、都教委に再雇用を申請したが、不合格になった。

 1審判決は「起立しなかったのは1回だけで、不合格は不当だ」と判断したが、この日の判決は「処分からさほど時間も経過しておらず、合理性を欠くとはいえない」と指摘。思想・良心の自由を保障した憲法に違反するとの主張についても、「個々の教諭が自己の心情や信念のみに従って行動したのでは、学校教育は成り立たない」と退けた。

        (2009年10月15日21時11分 読売新聞

 出典http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091015-OYT1T01042.htm


 一回でも起立しなかったら教員として不適格で再雇用はしなくてもよいと都教委の不合格処分にOKを出したのです。
 ぼくも2001年3月の最後のHR担任の時、卒業式の国歌斉唱時に着席しました。04年以後だったら山吹高校での教員生活はなかったことになります。
 裁判官は「自己の心情や信念のみに従って行動」したかのごとく判決していますが、それは事実に反すると思います。
 ぼくの場合は自分の行動について生徒と保護者に手紙で説明し、当日は静かに座っただけです。学校教育全体のことを考えて行動したつもりです。後日、保護者から先生の行動はよく理解できたと手紙を貰ったり、ぼくのために「謝恩会」を開いて貰ったりもしました。学校教育は成り立たないとはどういう現実を指すのでしょう。民主主義の学校はいかにあるべきか、裁判官もよく考えるべきです。

 ぼくはその後も文京高校で一年勤めた後、定年後の再雇用で5年間働きました。こどもたちが心優しいのか、「不適格」と言われたことはありません。定年退職の時に、全校生徒が歓声をもって送り出してくれました。履歴書に書く「賞罰」欄は空白ですが、ぼくの心のどこかにありがたい出来事として刻まれています。

 人間ですから、神でも仏でもありません。様々な誤りを犯します。しかし、ぼくが知る限り、再雇用を拒否された人々が学校教育を成り立たせなくしたという事例はありません。むしろ、困難な状況の中で成り立たせようと努力してきた人が多いと思われます。

 原田敏章という裁判官はまさに「自己の心情や信念のみに従って」判決文を書いたのではありませんか。ぼくのような教員が「非国民」に見えるのです。そんな教員の存在を許せないのでしょう。
 しかし、これでは司法は成り立ちません。その適格性が問われるべきです。

 なお、この問題の根底には「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」という学習指導要領の一文があります。
 
 法律でも、政令でも省令でもない、文部省の役人が書いた一文が日本の教育を支配しているのです。このこと自体の問題点について改めて議論し見直すべきです。

 学習指導要領http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906h.htm

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2 コメント

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Unknown (えまのん)
2010-03-11 17:12:46
> 国歌「君が代」についても同じです。今の時代に国歌としてふさわしくないと思う人がいても不思議ではありません。民主主義を担う人材の育成を職業とする、学校の教師にそのような人が少なくないことはむしろ健全なことではないでしょうか。

相応しくないと考えるのは、それは自由です。
しかし、法律に明文化されたものを、自身が「相応しくないから」と国旗の扱いをしないことは、誤りでしょう。

有態に言うなら、「私は消費税に反対する。故に消費税は払わない(納めない)」と主張し、実践するような人と同じです。
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Unknown (qqq)
2011-05-25 19:53:11
裁判官原田敏章には、私も泣かされています。本年3月で退職したようですね
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