20日の番組の音を再生したブログを紹介します。[鈴木][中川]などは発言者名で僕が入れました。
「ニュースJAPAN 2010.12.20」
「時代のカルテ」「がん医療の現場⑩レントゲン見落としの実態」
出典●テレビをみるひと http://tv.gazer.es/2010/12/20/3886/
今夜は、レントゲン検診で肺がん見落としの裏に潜んでいた二重、三重の下請けの構図。衝撃の実態です。
[鈴木] 「責任体制というか、そういうものがきわめてずさんではないか」と。
東京都内の健康診断で見落とされていた肺がん。裏切られた早期発見への期待。その実態を追跡した。
[鈴木]「歩くのは、僕は大丈夫。でも走るのは無理だね。」
都立高校の社会科教師だった鈴木啓介さん69歳。2005年、職場の健康診断で、左肺におよそ7センチのがんがあると告げられた。しかし、手術を担当することになった医師が、ある疑問を抱いたという。
[鈴木]「毎年撮ってるのに、1年でこんなにでっかくなるっていうのは、ちょっとおかしいから、前のやつを病院へ行ってもらってきてくれ」と。
3000例を超す肺がん手術を手がけている癌研有明病院の院長、中川健医師。2005年当時、主治医として、鈴木さんの2004年に撮影されたレントゲン画像を確認したところ、目を奪われたという。
[中川]「私は驚きましたよ、これ。ことしののまちがいじゃないのって、そのとき言っちゃいましたけど。」
それはどうしてですか?
[中川]「それ、だって、あんまりりっぱなものがあるのに、これがチェックされていないからです。これは見落とされた方がはっきり責任があると思います。」
鈴木さんが肺がんを告知された2005年の画像。2004年の段階でも、すでに6センチほどのがんが見えていた。さらに2003年の画像にも、がんの影があった。
[中川]「それは早い段階で見つかっていれば見つかってるほど、治る確率的には増えたと思います。少なくとも今よりは軽かったであろうということはいえます。」
鈴木さんは、手術で左肺をすべて摘出したが、リンパ節の転移があり、完治できなかった。2008年には右肺に転移。あと1年手術が早ければ、完治できたかもしれない。そんな思いがよぎる。
[鈴木]「素人目でもわかるものが、見落とされていたと、こういうことですから、どうしてだろうと。」
鈴木さんは検診を行った関東中央病院に説明を求めたところ、病院長ら関係者が、自宅を訪れたという。
[病院長]「明らかに影がある。これを見逃すってことは、ちょっとありえないことでありまして、なんらかの理由で、それを見なかったのではないかと。本当にもう、深くおわび申し上げるしかございませんが。」
実は鈴木さんの肺がんを見落としたのは、当時80代の開業医だった。関東中央病院は、都立高校教員の検診に必要な検診車を持つA事業団に委託。そこからB社を経て、開業医がレントゲン画像を読影するという二重、三重の下請けの構図が存在していた。納得がいかない鈴木さんが、詳しい説明を求めたところ、開業医からわび状が届く。ボールペンで、こんな言葉がつづられていた。
「今後、このような事態を避けるためには、読影者を複数にするしかないと思います。」
詳しい事情を聞くため、取材班が開業医の診療所を訪ねると、2年前に閉鎖していた。開業医は2005年当時、推定83歳。命を左右する読影は、高齢の開業医ただ一人に委ねられていた。レントゲン画像の読影は、見落としを防ぐため、2人の医師によるダブルチェックが基本である。しかし、コストがかかるため、必ずしも徹底されていないという。
「管理はわが国では行われていないというところがありましてですね、同じ日本国民なのに、住んでる所で、受けている検診機関によってばらつきがあるっていうのは事実なので、それをなんとか改善していかなきゃいけない」と。
取材に対し、関東中央病院は、画像のダブルチェック体制を取っており、2005年当時、A事業団に対して、契約時にダブルチェックを指示したと回答した。だが、結果として鈴木さんの肺がんは見落とされたのである。
原爆の図の作者であり、ノーベル平和賞の候補にもなった丸木夫妻の美術館。ここで、鈴木さんはボランティアでガイドをするつもりだったが、肺がんで体力が低下、断念せざるをえなかった。
[鈴木]「人の命というのは、みんなそれぞれに、大切というか、大事なもので、それはまた社会にとっても大事なもので。」
これまで知らされていなかったレントゲン検診の限界。そして、ずさんな実態。肺がんから命を守るため、今、変えるべきことがある。
「ニュースJAPAN 2010.12.20」
「時代のカルテ」「がん医療の現場⑩レントゲン見落としの実態」
出典●テレビをみるひと http://tv.gazer.es/2010/12/20/3886/
今夜は、レントゲン検診で肺がん見落としの裏に潜んでいた二重、三重の下請けの構図。衝撃の実態です。
[鈴木] 「責任体制というか、そういうものがきわめてずさんではないか」と。
東京都内の健康診断で見落とされていた肺がん。裏切られた早期発見への期待。その実態を追跡した。
[鈴木]「歩くのは、僕は大丈夫。でも走るのは無理だね。」
都立高校の社会科教師だった鈴木啓介さん69歳。2005年、職場の健康診断で、左肺におよそ7センチのがんがあると告げられた。しかし、手術を担当することになった医師が、ある疑問を抱いたという。
[鈴木]「毎年撮ってるのに、1年でこんなにでっかくなるっていうのは、ちょっとおかしいから、前のやつを病院へ行ってもらってきてくれ」と。
3000例を超す肺がん手術を手がけている癌研有明病院の院長、中川健医師。2005年当時、主治医として、鈴木さんの2004年に撮影されたレントゲン画像を確認したところ、目を奪われたという。
[中川]「私は驚きましたよ、これ。ことしののまちがいじゃないのって、そのとき言っちゃいましたけど。」
それはどうしてですか?
[中川]「それ、だって、あんまりりっぱなものがあるのに、これがチェックされていないからです。これは見落とされた方がはっきり責任があると思います。」
鈴木さんが肺がんを告知された2005年の画像。2004年の段階でも、すでに6センチほどのがんが見えていた。さらに2003年の画像にも、がんの影があった。
[中川]「それは早い段階で見つかっていれば見つかってるほど、治る確率的には増えたと思います。少なくとも今よりは軽かったであろうということはいえます。」
鈴木さんは、手術で左肺をすべて摘出したが、リンパ節の転移があり、完治できなかった。2008年には右肺に転移。あと1年手術が早ければ、完治できたかもしれない。そんな思いがよぎる。
[鈴木]「素人目でもわかるものが、見落とされていたと、こういうことですから、どうしてだろうと。」
鈴木さんは検診を行った関東中央病院に説明を求めたところ、病院長ら関係者が、自宅を訪れたという。
[病院長]「明らかに影がある。これを見逃すってことは、ちょっとありえないことでありまして、なんらかの理由で、それを見なかったのではないかと。本当にもう、深くおわび申し上げるしかございませんが。」
実は鈴木さんの肺がんを見落としたのは、当時80代の開業医だった。関東中央病院は、都立高校教員の検診に必要な検診車を持つA事業団に委託。そこからB社を経て、開業医がレントゲン画像を読影するという二重、三重の下請けの構図が存在していた。納得がいかない鈴木さんが、詳しい説明を求めたところ、開業医からわび状が届く。ボールペンで、こんな言葉がつづられていた。
「今後、このような事態を避けるためには、読影者を複数にするしかないと思います。」
詳しい事情を聞くため、取材班が開業医の診療所を訪ねると、2年前に閉鎖していた。開業医は2005年当時、推定83歳。命を左右する読影は、高齢の開業医ただ一人に委ねられていた。レントゲン画像の読影は、見落としを防ぐため、2人の医師によるダブルチェックが基本である。しかし、コストがかかるため、必ずしも徹底されていないという。
「管理はわが国では行われていないというところがありましてですね、同じ日本国民なのに、住んでる所で、受けている検診機関によってばらつきがあるっていうのは事実なので、それをなんとか改善していかなきゃいけない」と。
取材に対し、関東中央病院は、画像のダブルチェック体制を取っており、2005年当時、A事業団に対して、契約時にダブルチェックを指示したと回答した。だが、結果として鈴木さんの肺がんは見落とされたのである。
原爆の図の作者であり、ノーベル平和賞の候補にもなった丸木夫妻の美術館。ここで、鈴木さんはボランティアでガイドをするつもりだったが、肺がんで体力が低下、断念せざるをえなかった。
[鈴木]「人の命というのは、みんなそれぞれに、大切というか、大事なもので、それはまた社会にとっても大事なもので。」
これまで知らされていなかったレントゲン検診の限界。そして、ずさんな実態。肺がんから命を守るため、今、変えるべきことがある。
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