後遺症で不安だったこと

後遺症として一番不安だったことは、左声帯の麻痺で、声が出ないことでした。
通常、左右の声帯が閉じて、声が出ます。片方の声帯が閉じないで開いたままなので、小さなかすれ声しかでませんでした。
右脳の損傷が原因か、長時間の手術でパイプを口から気管にいれていたのが原因かわかりませんが、神経がどこかでつぶれてしまったようです。
手術後一週間で治ることが多いのですが、なかなか治らず焦りました。液体を飲んだ時には、声帯が閉じず肺に入ってしまうし、困りました。
結局、声帯が完治するのに2か月近くかかりました。
授業を4-5月の間、お二人の先生に代行していただいたので、なんとかなりました。いまでは、声が出るようになり、普通に授業を行えるようになりました。まだ、口の左側の筋肉がスムーズに動かないときがあり、早口言葉は苦手ですが、普通のスピードなら問題はありません。物のメージとそれに対応する言葉がでてこないこともあります。言い間違えもあります。漢字を良く間違えることもあります。ですが、マイペースで、あせらずに、直していきたいと思います。
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ある日突然入院して

今年の2月2日(土)の朝、10:10頃、空手の稽古の準備運動をしていました。
急に、自分のしゃべりがおかしいことに気が付きました。帯を締めようとしてもなかなか締めることができません。
普段は、見なくてもできるのですが。そして、何度も左に持ったものを落とします。高熱でもあるのかと思い、ゆっくり車で帰ろうと思いました。
空手の先生方が、顔の左半分が動いていないということで、すぐ、救急車を呼んで下さることに。しだいに、左手の感覚がわるくなり、口の閉まりも悪くなりました。10分後、救急隊の方が、救急車に運び入れてくださり、2つの病院に連絡をとりましたが断られ、3つ目の病院が受け入れてくれることになり、そこへ運ばれました。運が良いことに、そこは、脳外科の優秀な先生方が揃っていて、設備も新しい病院でした。到着後すぐ、MRIとCTをとって、すぐに出血を抑える点滴をしてくださいました。脳動静脈奇系形を原因とする脳内出血で、とても珍しい症例のようです。大抵は、20代30代で破裂するそうですが、50歳まで持ったのもめずらしいようです。精密検査を行い、万全の体制で、2月14日に8時間の手術を受けました。血管の出入りが複雑で非常に難しい手術でしたが、完璧に行って下さいました。手術を受けた後は、痛み、吐き気、リハビリと大変でしたが、生きていること自体がとてもありがたいです。

24時間体制で、救急隊員の方々、医師・看護師の皆さんが働いていることを、健康な時にはまったく意識していなかったのですが、今回のことで、本当にありがたく感じました。
大学の教職員の方には、一番忙しい時期にたくさん助けていただきました。この場をお借りして御礼致します。
空手の皆さんにはまだお会いしておりませんが、もう少し体が動くようになったら挨拶に伺います。

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