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自然災害・軍国少女たちと人災・そして自然災害+人災

2013-07-10 18:59:03 | 防災

こんにちわ!!!



防災対策研究室です





遠賀川原の今朝の空。

 


鳶が一声鳴きました。

時には止まることもあるようです。

 




と云うことで、




今日も、気になっていた記事。

また、西日本新聞です。

7月3日の「春秋」欄。



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中村文子さん_______先週亡くなった。

沖縄県女子師範学校を出た中村さんは、1933(昭和8)年に教員になり、国が求めるままに教え子を軍国少年、軍国少女にした。軍国教師だった自分を終生悔い、戦争の実相を訴え続けた。


中村さんの訃報は、教え子というわけではないが、軍国少女たちのことを思い起こさせる。


女学校の分列行進でリーダー格だった

茨木のり子さんは、軍国少女だった自分と焼け跡で決別し、どんな権威にも「倚りかからず」に詩人として生きた。06年79歳で死去。


この戦争は間違いだと言って出征した婚約者を、私なら喜んで死ぬといって沖縄に送り出して死なせたのを悔いた

岡部伊都子さんは、随筆家としての筆を自分にも向け続けた。08年85歳で死去。


「戦争への道を許さない女たちの連絡会」に携わった作家で評論家の吉武輝子さんも、軍国少女の一人だった。昨年80歳で死去。



享年99歳の中村さんは「女が弱くなったら戦争が来る」と話し、06年の本誌「聞き書き」では次のように語っていた。

「平和こそ われらが遺産 子や孫に しかと手渡さん 九条守りて」。年賀字状にこう書き添えました。



戦後も戦って逝った女性たちの遺言のように思えて来る。



                            以上。

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(私の知っている91歳の彼女も軍国教師でした。

子どもたちが小学生でしたので、死なせることはなかったようでしたが、黒塗りの教科書で教えて、

“民主主義って何???”って云う毎日だったようです。

ちょっと話がそれてしまいました。)



戦争では、散らなくてもいい命が数多く散って行きました。

自然災害に比べても劣らないぐらい恐ろしいことだと思いませんか???



そして、8日に原発の新規制基準が施行されたことにより、電力会社4社の5原発10基が、再稼働へ向けての安全審査を申請したようです。

九電は、12日に佐賀県の玄海原発3,4号機も申請する予定と云うことです。




福島のことは、自然災害と一緒になった人災。

新安全審査。


とは言っても、素人考えでは、地震大国日本にあって安全って云うことはありえないと考えるのですが。

専門家が考えると、安全なんでしょうか???

原発反対の声も多数ありながら、あの戦争の時代、戦争への道を突き進んでいったように、再稼働の道を突き進むのでしょうか???



人災は避けて通れるはず。

知恵と工夫と努力と熱意を持ってさけて通りたいものです。




 

と云うことで、失礼します。







   

 








           

 

 

 


 


 

 

 


 






 


 




 


 



 


 


 


 


 






 


 


 



 




 


 



 






 

























 


 


 


 

 

 


 








 


 


    




 



 

 

 


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