Parc d'X

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求めてやまない存在

2021-07-18 13:47:10 | bookreview
カズオ・イシグロ『クララとお日さま』

病弱なジョジ―は賢くて明るい少女型AIロボットのクララと暮らすことになる。
クララは見るものを何でも吸収して学習して理解力も抜群。
気まぐれなジョジ―の行動にも常に寄り添って気遣う。
お日さまの恵みを浴びて生きるクララは周りを明るく照らす。

人は何のためにロボットをつくるのか、という問いは人間は何のために
生きるのかという問いにおそらく直結する。クララはジョジ―の友だちとして
ジョジ―の母が購入したロボット。ジョジ―にとってクララは遊び相手でありつつ
ジョジ―の母にとってのクララは病弱なジョジ―の代わりにもなりうる存在。

自分のためだけに生きることがなかなか大変なように、
誰かのためだけに生きるのもなかなか大変だ。
誰かのためだけに生きるように初期設定されたロボットは
自己犠牲の存在そのもので尊く美しく儚い。
生み出す側の人間はきっとそんな存在にはなれないから、
これからも芸術のようにAIロボットの資質を磨き続けるはず。

人間から見れば本物ではないロボットは役割が終われば
自ら分身を生むこともなくやがてその存在意義をなくす。
代わりが代わりとしての役目を必要としなくなることを
素直に受け入れて誰かのために微笑む。
自分もそうありたいと思ってもそうなれることは少ない。
そんな他者は誰にとってもそんなにいない。
おそらく人間はそんな存在をずっと求めてやまない。

わたしたちはまだ機械に噓のつき方を教える方法を知らない

2021-07-18 13:29:46 | bookreview
イアン・マキューアン『恋するアダム』

あったかもしれない1982年の英国でAIロボが人と暮らす話。
あったかもしれない英国にはアラン・チューリングが生きていて
AIロボがすでに人間と一緒に生活していて、その雄型ロボットは
人間の女性と交わったりして、人間の男と三角関係になっていたりする。
あったかもしれない世界は、今後あるかもしれない世界とも違うかもしれないが
そこに暮らす人間の在り方は、要件によって都度都度変わりうる。
この物語の中で今の現実と異なる最たる要件が人型AIの社会への浸透。

人はどうやってAIを創り出すのか。人間にとって助けにもなれば
脅威にもなりそうなAIはひとまず人が創り出すもので、初期設定は
人を補助して人の能力を拡張するもの、性別はあるかもしれないが超越している。
ロジカルな思考はAIの方がまあ得意だから、初期設定で問題になるのは
正邪善悪の判断であったり共感の範囲であったり、物理的な力の範囲であったり、
生殖の方法であったり、人間に対する基本的な態度であったり、
つまりは人間の何を代替し拡張するか。

アダムの思考は正確で従順。人を好きになるという「弱い」感性すら
持ち始めているけど、正邪の判断に適度な忖度がまだ効いたりはしない。
世間にまみれた人間は「優しいウソ」みたいな論理までものにしてしまっているけど
アダムがそんな論理を使いこなすにはまだずっと学習が必要だから、
ときに主人である人間を追い詰めてしまったりする。なぜなら
「わたしたちはまだ機械に噓のつき方を教える方法を知らない」から。

融通は利かないけれど善良な意識を保ち続けるロボットを、人間が殺めることを
どう判断したらいいのか。人間が善良なる存在であり続けたいなら、遠からぬ将来に
意識の主体としてのロボットの心と対峙する時がくる。自分の体を変形もできる
世界が当たり前になるとして、そのときに生物無生物性別を超越した存在の意識と向き合う
ことになる。自らが生み出したもの個体として認識できるのか。
優しいウソを普遍的価値に昇華できるのか。


その歴史があるからこそ

2021-07-11 11:09:05 | bookreview
エズラ・ヴォ―ゲル『日中関係史』

坂本龍馬的な立ち位置の本である。
日本では『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者として知られ、
中国では『鄧小平』の伝記作者として知られるアメリカの社会学者。
両国にとって恩人ともいえるヴォ―ゲル氏が生涯最後に手掛けた著作が
このChina and Japan:Facing History.

ヴォ―ゲル氏は、GDP世界一位のアメリカと二位の中国との関係が
世界で最も重要であるとすれば、世界で二番目に重要なのはおそらく、
中国とGDP世界第三位の日本との関係であると見ていた。
それは2010年代以降のアメリカの視点で見た場合のアジアの重要性でもあり、
世界から俯瞰した場合には太平洋が時代の中心になったということでもある。

日本と中国には遣隋使以降1500年の交流の歴史があり、それは
日本が中国に学ぶ時期が大半でありつつ日本が不服従を貫いた歴史でもある。
19世紀以降は日本の近代化とそれを礎にした大陸侵攻の歴史があり、
戦後の日本の経済成長を中国が学ぶ時期を経て、直近では
想像をはるかに上回るペースで経済規模が逆転して大差が開いた事実がある。

特にこの100年を両国が当事者として客観的に把握するのは実に難しい。
歴史には語る主体があり、主体は主観から自由にはなれず、
真実はいつも語りの向こうにぼんやりとしていて、絶対のものではない。
そこにこの著作の永遠の価値がある。両国をよく知るヴォ―ゲル氏の語りも
アメリカからの視点であるかもしれないが、そこには相互理解を促そうとする
個人の使命感、無償に近い愛情を感じる。

成り立ちと構造の違う2つの国家がどう付き合うのか、そこに答えはないが、
終章、アジアの未来に対して日中が何で協力できるのか、そこまで氏は
指し示してくれている。これまでの歴史の果てに、今の両国がある。
これまでの歴史があるからこそ、それを通過したアジアの未来ができていく。
協力できると言ってくれたヴォ―ゲル氏は世界の永遠の恩人だ。