Parc d'X

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人を信じて傷つく方が、たぶんいい。

2021-08-17 10:43:57 | bookreview
『Humankind 希望の歴史』ルドガー・ブレグマン

本書はある過激な考えから始まる。
「ほとんどの人は本質的にかなり善良だ。」
マキャベリやホッブスなど政治学の泰斗が聞いたら卒倒するかもしれないが
ほとんどの人は本当はそう感じているかもしれないことを本書は主張する。

カギとなるのは二つの理論。プラセボ効果とノセボ効果。
偽の薬を飲ませたら病気が治る現象を語るプラセボ効果は有名だが、
ノセボ効果はその反対で、これを飲んだら病気になると言われて
偽の薬を飲んだら本当に病気になってしまう、というもの。
倫理的に問題があるはずで積極的には試験されてこなかったこのノセボ効果は
実は世の中に蔓延している。

利己的な個人の性悪説で埋め尽くされる政治学と経済学の世界。
悪くないと取り上げられないマスコミのニュース。露悪的な刺激が売りな
小説、映画、ゲーム。万人の万人に対する闘争を前提とした世の中では
性善説がまるで悪でさえあって、人類は悪なのだからそれを前提に
怪物としての人類を管理しないと人間社会は立ち行かない。
誰もがそう信じ込んでいる。

本当に人類は性悪なのか。
人類のルーツを遡り、ネアンデルタール人とホモサピエンスの違いをたどると
ネアンデルタール人の方が強く賢いみたいだが、ホモサピエンスの方が
フレンドリーで人懐っこく、人懐っこい方が生き残りやすいという説があるそうだ。
社会性のある種族は表情でいつも感情を表現していて、他者の模倣が得意。
天才はたまにしか現れないが、模倣が得意なら天才の所業も広がりやすい。
まず協力して生きていけることが人類の善悪の遠い彼岸にあったようだ。

『蠅の王』の現実版では少年たちは救済されるまで助け合っていたし、
戦場では兵士は目の前の敵をほとんど射撃していなかったし、
イースター島では森林伐採の末の同族殺しも起きていなかったし、
スタンフォードの監獄実験も電気ショック実験も操作されたフィクション
だったようで、これら前説をどんどん覆していくところはほとんど革命だ。

人は身近にいる人に共感する。
共感はときに偏狭な連帯を生み出し、それがナチスにつながったりもする。
顔の見えない遠くの人に爆弾も落とせたりもする。
絶え間ない共感はしんどくもある。しかし、人類は人を思いやることができて、
他者を理解しようとする心は、AIが隆盛を極めようとする今、
最も求められる人類の特徴なのかもしれず、思いやりを土台にしないと
人類にとっての新たな時代は描けないのかもしれない。

金八先生も以前言ってたみたいに、信じられぬと嘆くよりも、
人を信じて傷つく方が、たぶんいい。
信じる効用を知らないと、たぶんずっと辛い。
疑うと信じるでは今や信じる方が勇気がいる。
でも、現状を変えるにはいつだって勇気が必要だろう。
性善説を肯定するには、相当な勇気がいる。

近代はおそらく性悪説で創られた。
近代の先は性悪説のままで創れるのだろうか。
本書はこう結ばれる。
「新しい現実主義の時代が訪れた。
今こそ、人間について新しい見方をするべき時だ。」

求めてやまない存在

2021-07-18 13:47:10 | bookreview
カズオ・イシグロ『クララとお日さま』

病弱なジョジ―は賢くて明るい少女型AIロボットのクララと暮らすことになる。
クララは見るものを何でも吸収して学習して理解力も抜群。
気まぐれなジョジ―の行動にも常に寄り添って気遣う。
お日さまの恵みを浴びて生きるクララは周りを明るく照らす。

人は何のためにロボットをつくるのか、という問いは人間は何のために
生きるのかという問いにおそらく直結する。クララはジョジ―の友だちとして
ジョジ―の母が購入したロボット。ジョジ―にとってクララは遊び相手でありつつ
ジョジ―の母にとってのクララは病弱なジョジ―の代わりにもなりうる存在。

自分のためだけに生きることがなかなか大変なように、
誰かのためだけに生きるのもなかなか大変だ。
誰かのためだけに生きるように初期設定されたロボットは
自己犠牲の存在そのもので尊く美しく儚い。
生み出す側の人間はきっとそんな存在にはなれないから、
これからも芸術のようにAIロボットの資質を磨き続けるはず。

人間から見れば本物ではないロボットは役割が終われば
自ら分身を生むこともなくやがてその存在意義をなくす。
代わりが代わりとしての役目を必要としなくなることを
素直に受け入れて誰かのために微笑む。
自分もそうありたいと思ってもそうなれることは少ない。
そんな他者は誰にとってもそんなにいない。
おそらく人間はそんな存在をずっと求めてやまない。

わたしたちはまだ機械に噓のつき方を教える方法を知らない

2021-07-18 13:29:46 | bookreview
イアン・マキューアン『恋するアダム』

あったかもしれない1982年の英国でAIロボが人と暮らす話。
あったかもしれない英国にはアラン・チューリングが生きていて
AIロボがすでに人間と一緒に生活していて、その雄型ロボットは
人間の女性と交わったりして、人間の男と三角関係になっていたりする。
あったかもしれない世界は、今後あるかもしれない世界とも違うかもしれないが
そこに暮らす人間の在り方は、要件によって都度都度変わりうる。
この物語の中で今の現実と異なる最たる要件が人型AIの社会への浸透。

人はどうやってAIを創り出すのか。人間にとって助けにもなれば
脅威にもなりそうなAIはひとまず人が創り出すもので、初期設定は
人を補助して人の能力を拡張するもの、性別はあるかもしれないが超越している。
ロジカルな思考はAIの方がまあ得意だから、初期設定で問題になるのは
正邪善悪の判断であったり共感の範囲であったり、物理的な力の範囲であったり、
生殖の方法であったり、人間に対する基本的な態度であったり、
つまりは人間の何を代替し拡張するか。

アダムの思考は正確で従順。人を好きになるという「弱い」感性すら
持ち始めているけど、正邪の判断に適度な忖度がまだ効いたりはしない。
世間にまみれた人間は「優しいウソ」みたいな論理までものにしてしまっているけど
アダムがそんな論理を使いこなすにはまだずっと学習が必要だから、
ときに主人である人間を追い詰めてしまったりする。なぜなら
「わたしたちはまだ機械に噓のつき方を教える方法を知らない」から。

融通は利かないけれど善良な意識を保ち続けるロボットを、人間が殺めることを
どう判断したらいいのか。人間が善良なる存在であり続けたいなら、遠からぬ将来に
意識の主体としてのロボットの心と対峙する時がくる。自分の体を変形もできる
世界が当たり前になるとして、そのときに生物無生物性別を超越した存在の意識と向き合う
ことになる。自らが生み出したもの個体として認識できるのか。
優しいウソを普遍的価値に昇華できるのか。


その歴史があるからこそ

2021-07-11 11:09:05 | bookreview
エズラ・ヴォ―ゲル『日中関係史』

坂本龍馬的な立ち位置の本である。
日本では『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者として知られ、
中国では『鄧小平』の伝記作者として知られるアメリカの社会学者。
両国にとって恩人ともいえるヴォ―ゲル氏が生涯最後に手掛けた著作が
このChina and Japan:Facing History.

ヴォ―ゲル氏は、GDP世界一位のアメリカと二位の中国との関係が
世界で最も重要であるとすれば、世界で二番目に重要なのはおそらく、
中国とGDP世界第三位の日本との関係であると見ていた。
それは2010年代以降のアメリカの視点で見た場合のアジアの重要性でもあり、
世界から俯瞰した場合には太平洋が時代の中心になったということでもある。

日本と中国には遣隋使以降1500年の交流の歴史があり、それは
日本が中国に学ぶ時期が大半でありつつ日本が不服従を貫いた歴史でもある。
19世紀以降は日本の近代化とそれを礎にした大陸侵攻の歴史があり、
戦後の日本の経済成長を中国が学ぶ時期を経て、直近では
想像をはるかに上回るペースで経済規模が逆転して大差が開いた事実がある。

特にこの100年を両国が当事者として客観的に把握するのは実に難しい。
歴史には語る主体があり、主体は主観から自由にはなれず、
真実はいつも語りの向こうにぼんやりとしていて、絶対のものではない。
そこにこの著作の永遠の価値がある。両国をよく知るヴォ―ゲル氏の語りも
アメリカからの視点であるかもしれないが、そこには相互理解を促そうとする
個人の使命感、無償に近い愛情を感じる。

成り立ちと構造の違う2つの国家がどう付き合うのか、そこに答えはないが、
終章、アジアの未来に対して日中が何で協力できるのか、そこまで氏は
指し示してくれている。これまでの歴史の果てに、今の両国がある。
これまでの歴史があるからこそ、それを通過したアジアの未来ができていく。
協力できると言ってくれたヴォ―ゲル氏は世界の永遠の恩人だ。

代案を出そう。 『グローバリゼーション・パラドクス』

2019-05-05 15:02:17 | bookreview
自由貿易とグローバルガバナンスが行き詰った世界で
本書の価値はますます増している。

基点となるアイデアは2つ。

①市場と政府は代替的なものではなく補完的なもの
よりよく機能する市場が欲しいのであれば、より良い政府が必要となる
②経済の繁栄と安定は、労働市場、金融、企業統治、社会福祉など
様々な領域における様々な制度の組み合わせを通じて実現することが可能

ハイパーグローバリゼーションは労働基準、法人税競争、健康/安全基準、
新興国における産業政策など民主的な選択に影響し、国家主権を侵害し、
市井の人々の思いを妨げてしまう。その表出が今の欧米の政治だ。

ハイパーグローバリゼーションと民主主義と国家主権は並立しない。
選択肢は3つしかない。
国際的な取引費用を最小化する代わりに民主主義を制限するか、
グローバリゼーションを制限して民主主義的な正統性を確立するか
(第二次大戦後のブレトンウッズの妥協がそれで、しばらく非常に機能した)、
国家主権を犠牲にしてグローバル民主主義に向かうか。

著者の結論は明快で、「グローバルな規制が機能する範囲は、
望ましいグローバリゼーションの範囲に限定される」ことが望ましい。

資本主義3.0をデザインするにあたり、新しいグローバリゼーションの指針は7つ。
1.市場は統治システムに深く埋め込まれるべきだ
2.民主統治と政治共同体はほとんどが国民国家として組織されており、今後とも消えそうにない
3.繁栄に「唯一の道」はない
4.それぞれの国に独自の社会体制、規制、制度を守る権利がある
5.自国の制度を他国に押し付けるべきではない
6.国際経済制度の目的は、国によって異なる制度の間に交通ルールを制定することである
7.非民主的国家は、民主国家による国際経済秩序において同じ権利や特権を享受できない

「健全で、持続可能な世界経済を可能にするには、各国が自らの未来を決める、
民主主義のための余地を残さなければならない。」

民主国家の主権者である国民は、良き社会を自らデザインし、統治せねばならない。
それぞれの、政治が大事だ。経済学はそのためにある。

4月23日(火)のつぶやき

2019-04-24 05:17:58 | bookreview

4月22日(月)のつぶやき

2019-04-23 05:17:17 | bookreview

4月21日(日)のつぶやき

2019-04-22 05:26:16 | bookreview

4月20日(土)のつぶやき

2019-04-21 05:23:51 | bookreview