カズTの城を行く

身近な城からちょっと遠くの城まで写真を撮りながら・・・

「豊橋南部~田原史跡巡り・・・その12」セメント徳利窯跡

2023-05-31 19:21:16 | Weblog

国道259号へ戻って豊橋方面へ走り、田原の市街地の端になる豊島北の交差点を左折して、団地の外側の道を市街地へ戻るように走り、半周する頃に左手に囲われた建造物がありました。

どんなものかよく分からないので、移動して車を停め歩いて確かめました。

セメント徳利窯。知識がないので、これでもよく分かりません。

また移動してみました。

セメント徳利窯。田原市の三河湾側に蔵王山と言う山があり、そこで石灰岩が採れるので、明治時代にセメント工場が出来て、その後、ここで徳利窯を使ったセメントの製造が始まったようです。このような徳利窯は、山口県とここの2か所しか残っていないらしいです。

・・・のようですが、それでもどんなものなのかよく分かりません。

とりあえず、これで田原市を去り、豊橋市の南部でもう一か所寄って行きます・・・。

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「豊橋南部~田原史跡巡り・・・その11」城№363・・・青津村城

2023-05-29 18:54:43 | Weblog

渥美半島の先端方面から一気に田原市街地方面へ向けて車を走らせました。国道259号を走って行くと、道の駅(めっくんはうす)が右手に現れ、その交差点を右折しました。そして二つ目の交差点を右折すると、左手が城址付近となります。その区画の南側へ回り、2軒目辺りに奥へ入る道があり、そこへ入って行きました。

そこだけ住宅や店舗にはなっていません。

お墓があります。手前の石碑に「青津村城(天正年間)土豪佐脇刀祢大夫邸跡」と書いてあるようですが、確認しませんでした。

青津村城。佐脇氏が居城。

遺構はないようですが、写真を撮ってここを出ました。

反対側を回ってみました。

クリニックの駐車場の向こうが先程の場所です。

さてここから少し、豊橋方面へ移動します・・・。

 

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「豊橋南部~田原史跡巡り・・・その10」城№362・・・松淵砦

2023-05-28 19:17:46 | Weblog

ちょこっと内海を見ながら県道421号を国道259号へ向かう途中、左手に福江中学校があり、その先の分かれ道を左へ入って行きました。

砦跡がこの周辺と言うことで、中学校の南東側を一周するような感じで車を走らせました。

中学校の東側が少し下がっているので、城跡が少し高い所にあったと言えるようです。

松淵砦。松淵城とか松淵古城とも言われ、戸田氏が城主。

中学校の東側を一周して県道へ戻り、その後国道259号へ出て、田原市街へ向かいました・・・。

 

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「豊橋南部~田原史跡巡り・・・その9」旧陸軍第一技術研究所 気象観測塔跡と無線電信所跡

2023-05-28 12:29:44 | Weblog

和名山を離れて東側へ抜けて一気に北上、国道259号も横切り渥美半島の先端の三角形の頂点の様な所にある小中山町へ向かいました。目的地の正確な位置が分からず、発電所近くも走りながら到着した所に、また戦争遺跡がありました。

道の向こうに古い建造物が見えました。

気象塔兼展望塔。

そこから先にもう一つありました。

無線電信所。

もう一度説明板を見て車へ戻りました。

こうしたものも、歴史の中の一つなんだと改めて思いました。

さあ、ここから折り返しの道のりとなります・・・。

 

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「豊橋南部~田原史跡巡り・・・その8」城№361・・・和名城

2023-05-23 18:02:11 | Weblog

国道42号を走っていると、海岸側には南国のようなソテツが真っすぐ並んでいました。もうすぐ伊良湖岬です。

そんな見晴らしの良い道から右手を見ると山があります。

この山が目標でしたが、高さを見て歩いて上る気は起らず、とりあえず全体を見ながら途中で右折して麓を目指しました。

和名城。和名の城、和名山城とも言われるようで、この山自体が城山と呼ばれているようです。

詳細不明。

どこから上るかも詳細不明で、麓の道まで迫りましたが、心は山から離れて行き、もう少し情報収集してからと言うことで、遠望の写真を撮って訪問終了。

ここからは、伊良湖岬へは向かわず、このまま山の脇を通って北上して行きました・・・。

 

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「豊橋南部~田原史跡巡り・・・その7」渥美の森

2023-05-22 18:01:03 | Weblog

海岸から国道に出て伊良湖岬方面へ向かい、すぐに右手奥に山が見るのでその麓に向かいました。

駐車場があったので車を停め、案内図を見ました。

いろいろあるようですが、ここへ来たのは、ここにも戦争遺跡があるのでそこを訪れようと思いましたが、実のところこの山(渥美の森)の情報をしっかり下調べが出来ていなかったので、どこから行けばいいのか分からず、早々と途中断念しました。

改めて訪問することにして、途中までの様子を画像だけでご紹介。

駐車場の脇の道から上がって行きました。

今だったらこのくらいの山は、ちょちょいのチョイ?だと思いますので、訪問するにちょうど良い季節に訪れたいと思います。

駐車場に戻ってまた伊良湖岬方面へ車を走らせました・・・。

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「豊橋南部~田原史跡巡り・・・その6」一色機関銃陣地跡

2023-05-21 22:02:54 | Weblog

再び国道42号へ出て伊良湖方面を少し走り、左側にハウスが並んでいる所の間の道を海岸に向かって走ると、ちょっとした駐車スペースがあり、車を停めました。

太平洋が見えました。

駐車スペースの脇に下りられる獣道のような坂道があったので、そこから海岸へ下りました。

下りながら道の脇にあった花を撮りました。

和地の一色前畑海岸と言う場所のようです。

素敵な海岸です。

そしてこんな所に・・・。

g…マップに載っていた一色機関銃陣地跡です。こんな所に戦争遺産があるとは思いませんでした。

いろいろな思いをしながら車へ戻り、再び国道42号へ出て、さらに伊良湖岬方面へ向かいました・・・。

 

 

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「豊橋南部~田原史跡巡り・・・その5」城№360・・・和地城

2023-05-20 19:36:59 | Weblog

光岩を見れなくても、気を取り直して再び南下し、赤羽港近くで国道42号に出て西進。海岸近くを走り抜け、右手の山裾を抜けた後、和地の交差点を斜め右へ進んで行きました。

その先にあった神社の手前で左折し、また国道に出る前にUターンして再び神社を前に見ました。

実際には神社の前が城跡の様です。

神社の前に駐車し、神社を見てみました。

三島神社でした。

この神社の前にはビニールハウスが並んでいますが、そこが城跡です。

和地城。城主は戸田氏。戸田氏は、初代田原藩主になったそうです。

和地城の訪問を終え、再び国道42号へ出て、伊良湖岬本面へ向かいました・・・。

 

 

 

 

 

 

 

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「豊橋南部~田原史跡巡り・・・その4」光岩

2023-05-20 18:17:36 | Weblog

再び国道42号へ出て西進。途中赤羽港の手前で右折して北進し、その途中で再び西進しました。

目指しているのはあの山です。

どんなものなのかは知りません。

山の麓にある行き先を示す看板。

駐車スペースに車を停め、説明板の前に。

光岩。県指定の天然記念物。

説明板のようにすぐ近くであれば・・・。

9月上旬、やや暑い中とりあえず向かいました。

途中の説明板。別ルートのためか?でも読みづらい。

結局・・・。

結局、その先をしばらく登って行きましたが、山のどの辺りにあるのか予想もつかず、この頃は山歩きのまだ鍛え途中?先の訪問に支障を来すといけないと思い断念、途中でUターンしました。

見なけりゃ、訪問にはならない。

また鍛えてから来ます。

車に戻って伊良湖方面へ・・・。

 

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「豊橋南部~田原史跡巡り・・・その3」百々陶器窯跡

2023-05-15 19:06:45 | Weblog

国道42号を伊良湖方面へ向かい、六連町をしばらく走って東神戸町の手前で右折、少し下がってまた上がる道を進むと畑の横に林がありました。

坂道を上がって右に折れると史跡があります。

百々陶器窯跡。国指定の史跡なんだと思いながら読んでみる。平安時代末から鎌倉時代の窯跡群の一つらしい。

へえ・・・。

こうした史跡も探してみると、古い時代のその地域の産業も分かるんだとなと思い、g…マップでまた探してみよう、と思うのでした・・・。

さあ、また国道に出て、さらに伊良湖方面へ向かおう・・・。

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