路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

懸崖をいきなり迅る愁思あり

2012年11月13日 | Weblog


 落ち葉というのはどうなっているのだろう。
 畑で耕運機まわしていたら、目の前に欅の落葉が降ってきて、見上げればいっせいに驟雨のように降りだしたのだけれど、葉っぱの根元と枝には時限的な脱着装置が仕込まれてでもいるのだろうか。


                   


 ここ数日、保阪正康『昭和史の一級史料を読む』(2008 平凡社新書) 酒井三郎『昭和研究会 ある知識人集団の軌跡』(1992 中公文庫) 中村真一郎『雲のゆき来』(2005 講談社文芸文庫)の三冊を並行して読む、というわけのワカランことをしていたら、文字通りわけのわからんままに終わってしまった。
 こういう読書はほんとにいかんなあ。ほんとにワケわからんからなあ。本はいちどに十冊くらい読め、みたいなアジ本があったが、それはやっぱり無理だなあ。少なくともフツウの人間には。


                   


 11月けっこう寒々しい。
 そのくせまだ草生えてるし。
 落ち葉の始末もせにゃならんし。