いつまでも寒いような五月だと思っていたらようやく初夏らしい日になった、と思っていたら夜更け突然の風雨。数時間にわたってカミナリ激しく、まさに空襲のごとし。ホント空襲警報出るくらいのドガドガビッシャンで、こんな激しい雷は生まれて始めてである。室内で寝ていても耳元でバクダン破裂したような音がする。カーテン越しに瞬時闇夜が白くなるのがわかる。怖いなあ。
どうも最近おかしな気象だ、と思い続けてもはや久しい。
『岩波雄一郎の思ひ出』(私家版 昭和二十六年)
図書館へ行ったらあったので借りてきた。私家版非売品の本がなんで公立図書館の開架にあるんだと思ったが、個人による寄贈本であるが故らしい。
岩波茂雄の長男雄一郎については、小林勇「終焉の記」(本書にも収録)で名前だけは知っていたけれど、早世した彼を偲んで知己が寄せた文集である。
でもサスガというか、函入りでチャンとした造本であります。
できれば年譜を付けてもらいたかったけれど、一応収載のいくつかの中からザッと略年譜を書き出してみる。
大正5年10月4日 東京麹町に出生。女子4人男子2人の第4子、長男。
大正12年 鎌倉師範付属小学校入学
昭和4年 同校卒業し、(旧制)武蔵高校尋常科入学。
昭和11年 武蔵高校高等科卒業して、東京帝国大学理学部物理学科入学。
昭和14年 同卒業。東京芝浦電気研究所入所。テレヴィジョン研究に従事。
昭和19年6月 急性肋膜炎に倒れ、翌20年9月3日死去。享年30。
というところか。
ちなみに彼の死の翌年に父茂雄も死んでいる。
寄稿しているのは友人知人さらに家族など。編集しているのは弟雄二郎で、彼が後年岩波書店の社長となる。
野上弥生子や安部能成など知名な人物たちも寄稿しているが、性温和、まじめな学究であったらしい。口絵写真でみるかぎりスッとしたイケメンで、身長も180以上あって当時としてはノッポである。
趣味も写真やスキーや、と戦前ハイソなイメージそのまま。麹町と鎌倉の家を行き来し、夏は軽井沢冬は熱海の別荘で、登山や昆虫採集に興じる。戦争末期でも若い男女が集ってドイツ語のゼミナールを続けるような階級が確実に存在していたわけだ。
というわけで、特に知ってどうなるわけでもないが、どうなるわけでもない人生にやたら興味がある、という生来の嗜好を満足させる一冊、ということであります。