路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

屋根峰と空だけの空文化の日

2012年11月04日 | Weblog


 文化の日を久しぶりに本だけ読んで過ごす。
 窓から見える空には雲ひとつ無い。
 すべて世はこともなし的な日。


 柳田為正『父 柳田國男を想う』(1996 筑摩書房)
 筆者は柳田國男の一人息子。動物学者のお茶の水女子大名誉教授。もう十年くらい前に死亡記事を読んだ記憶がある。
 父である柳田國男の回想が十数篇。殆どが筆者晩年の回想。柳田見直しというか柳田ブームとなった昭和晩期にあわせての依頼原稿だろう。
 全編通して筆者の一人称が「不肖」であるのがおもしろい。「それは不肖6歳のときのこと」といった調子。
 筆者は東京生まれ東京育ちであるが、ときどき自身を信州人と言ったりする。集中「我が家は」とか「私の家は」というのは柳田家のこと。「我が家は代々養子の家系で女系相続」とか出てくるから、あれ、柳田國男は男5人兄弟だよなあ、とか思ったりするが、彼は播州の松岡家から柳田家へ入った婿養子。ゆえにここで語られている血脈は柳田國男のそれではなくて、柳田家のそれである。
 柳田家は信州飯田の上級士族の系。義父柳田直平(大審院判事)は、同じく飯田の家老家(安東家)からの婿養子。直平の実弟は陸軍大将安東貞美。國男の実兄弟たちが俊才ぞろいであることはよく知られているが、養家の系譜もまた著名人数多の華麗なる一族なのであります。
 ともかく、その血縁により柳田國男の自邸喜談書屋は現在飯田市に移築されている。いつか見に行ってみたいと思いながら未だに果たせずにいる。(國男が晩年暮らした隠居所は遠野に移築されているらしい。)


                      


 広津和郎『新編 同時代の作家たち』(1992 岩波文庫)
 広津和郎が描く大正から昭和にかけての文士たちの肖像。どれも比較的長いものであるが、文章がいいので面白く読める。小説としてもいいものだと思う。広津和郎の文学史的位置づけというのはよく知らないが、これを読んだだけでも再評価されてもいいような気がする。回想だけれどイメージが鮮やかで回想される人物たちがみな個性的である。
 宇野浩二が精神を病み始めた頃、新潮社へ行っていきなり女子事務員に「アイスクリームふたつ」と言う。編集者に会ってべらべらとまくしたてて、そのあと突然「ハムエッグスとトースト」と怒鳴る。そのあと届けられたアイスクリームをバリバリと食い、やがて出てきたハムエッグとトーストに対し、そんなものが食えるか、といきり立つ。そんな挿話が随所に光る「あの時代」では宇野と芥川龍之介ふたりの精神の闇が見事に叙事されている。
 正宗白鳥を評した「明快な人格、透徹した非凡」なんぞというのは、どっかで使えるな、とか思ったけれど、特に使う時もないよな、やっぱり。