穏やかな晴れ。花粉。
いろいろあった三月が終わる。我が家的にも日常へとすすむだろうが、日常とはいいがたい暮らしを強いられている人たちのことを思うと胸ふたがれる思いがする。
『筑摩書房 それからの四十年』読み終わる。ま、わざわざ買うこともなかったな、ということだけれど、ひとつ良かったのは人名すべてに(女性も)生年没年が添えられていたこと。これけっこう大変だったんじゃないか。
これは自分にひきつけての話だけれど、年とってくると他者の年齢が気になるということはよくある。新聞等で論説など読むと、目からウロコの卓見や小賢しい言説では筆者の年齢が知りたくなる。それなりに人生経験積まないとこれだけのことは言えまい、とか、若造が何をエラそうなということはしばしばあるのであるが、最近は女性の場合筆者紹介に生年が記載されてないことが時々あるのである。個人情報か何か知らないが、その人の主張を理解するうえで、学歴なんぞより年齢がはるかに重要ということはあるのではないか。
そもそも、女性に年齢を聞いてはいけません、とかいうのはアレなんでだろう?ワシ的には、コイツ何言ってんだ、というのは女性の方が多くて、その背景を忖度するのに年齢というのはそれなり重要なファクターだと思うんだけどな。
と、まあどうでもいいっちゃいいけどな。
ともかく3月は終わるな。
難題だけは積み残して。