路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

画面ではひと誹るひと三月尽

2011年03月31日 | Weblog

 穏やかな晴れ。花粉。
 いろいろあった三月が終わる。我が家的にも日常へとすすむだろうが、日常とはいいがたい暮らしを強いられている人たちのことを思うと胸ふたがれる思いがする。

                      

 『筑摩書房 それからの四十年』読み終わる。ま、わざわざ買うこともなかったな、ということだけれど、ひとつ良かったのは人名すべてに(女性も)生年没年が添えられていたこと。これけっこう大変だったんじゃないか。
 これは自分にひきつけての話だけれど、年とってくると他者の年齢が気になるということはよくある。新聞等で論説など読むと、目からウロコの卓見や小賢しい言説では筆者の年齢が知りたくなる。それなりに人生経験積まないとこれだけのことは言えまい、とか、若造が何をエラそうなということはしばしばあるのであるが、最近は女性の場合筆者紹介に生年が記載されてないことが時々あるのである。個人情報か何か知らないが、その人の主張を理解するうえで、学歴なんぞより年齢がはるかに重要ということはあるのではないか。
 そもそも、女性に年齢を聞いてはいけません、とかいうのはアレなんでだろう?ワシ的には、コイツ何言ってんだ、というのは女性の方が多くて、その背景を忖度するのに年齢というのはそれなり重要なファクターだと思うんだけどな。

 と、まあどうでもいいっちゃいいけどな。

 ともかく3月は終わるな。
 難題だけは積み残して。

 


小鳥来て朝の帳を切り裂きぬ

2011年03月30日 | Weblog

 花粉がひどいけど晴れてすがすがしい日が続く。
 どうやら温かくなってきているな、というのを実感できるようになってきた。

 昨日の小林勇「一本の道」の影響すぐにあらわれて、『筑摩書房の三十年』買うことにする。和田芳恵のこの社史は買おうかどうしようか迷っていたけれど、臼井吉見の『蛙のうた』や野原一夫『含羞の人』その他にたびたび引用されていて読んだこともないのに読んだ気になっていて、もういいや、ということだったのだけれど、我ながらナントもだけれどヤッパリ読みたい、ということになってしまった。
 で、外出のついでに新刊本屋へ入る。だけど、今頃来ても、ということなのかそこには無くて、かわりに永江朗『筑摩書房それからの四十年』(筑摩選書)が一冊だけあった。こっちは買う気は全くなかったのだけれどサテどうしようか、しばしの逡巡の末結局買ってしまった。原則もう新刊は買わないという誓いがアッサリ破れてしまう。

                          

 夜に半分ほど読む。「三十年」の方が古田晃という個性が全面に強調されているだろう(おそらく)のに対して、「四十年」はやはり組織論てきな趣。どっちかというと経済書っぽいカンジだな。こうなるとヤッパリ「三十年」の方が読みたくなってくるけれど、とりあえず本屋にないのはわかったし、時間かけて購読欲の衰えるのを待つとするか。最近はすぐ衰えちゃうから。

 3月も終わろうとする。
 いい加減懸案の片付けに入らないと。

 


新しい日々の手前でぬかるみぬ

2011年03月29日 | Weblog

 なんだか気忙しかったような腑抜けたような、とらえどころなくトリトメない、よくわからない3か月だったな。あちらこちら、ソチラドチラしているうちにこの国は大変なことになっている。明日はいかにあるか我ら。

 いろいろと片付けていたら、中学時代のスクラップ帳が出てきた。新聞連載時の小林勇「一本の道」が張り付けてある。日曜日掲載で全52回だから一年間か。一年毎回切り取って張っていたとは今のワシより根性あるな。
 ほぼ毎回6段組みで文字は今よりはるかに小さい。大型連載みたいなヤツだったか。題字も本人で、毎回本人自筆の挿画が入っている。
 スクラップ帳全面の大きさで、殆どセロテープで貼ってあってそれが全部剥げている。テープのあとも汚いし、やっぱりちゃんと糊付けしとかないとダメだな。

 

                     

 アレえ画像がうまく入らんぞ。ついにワシのパソコンだめかなあ。最近とっても反応遅いし。
 ともかく、「一本の道」表題は茂吉の一本道連作「あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり」他からとられている。ワシはこの連載第一回から茂吉や芥川といった存在を知った(たぶん)のだと思う。いま読み返してみると随所に記憶に残っている箇所がある。その後になって知ることになった人名も多い。当時は印象に残らなかったけれど、なんとなく威張った田舎のオヤジみたいな文体でもある。単行本はやはり岩波から出ているのだろうか。今度F文庫で調べてみよう。(昭和50年に岩波から出てるな)

 腑抜けたままに、どうやら春にはなったらしい。

 

 


寒雨なり分かち難きを春と呼び

2011年03月21日 | Weblog

 天気がいっこうに安定しない。彼岸の入りに寒いのは毎年のハズが、彼岸の中日になっても寒い。早く温かくなってあげれば、と今年は思うな。

 片付けているとドンドン片付けモノが出てくるなあ。入ってきたものはいつか必ず出ていくということか。
 それにしても紙モノの多さよ。捨ててしまえばそれで済む書類関係はともかくとして、手紙の束はどうしたらいいか。で、これがとっても多い。昔の人は筆まめだからなあ。仔細に調べてみれば、それなりに庶民の戦後精神史みたいな論文が書けるのだろうけれど・・・。
 昔は廃品回収屋さんがいて、トイレットペーパーと交換してくれたのに、というような話をしていたら、現在でも持ち込めばそういったところはあるらしい。どうやらまたそういう時代になってきているらしい。時代が変わらぬうちに処分に励まねば。

 連休は夜半からまた雨となる。雨音に強風混じってさみしい音を立てる。
 そろそろ畑も気になるし、今週は準備に気を使わねばならないし。

 やることは、いっぱいある。

 画像ないけど。
 気が付けば更新数1000を超えてる。

 


鼻先の三寒ひとを探す声

2011年03月18日 | Weblog

 三月を半ば過ぎたというのにナンだろうこの寒さは。ひどく寒いぞ。被災地のひとは大変だろうな。
 行く先々で今度の災害の話になって、先々で様々な憶測になって、それでも例外なく皆何とかしてやりたいと思っているらしい。国際的に日本人の対処に賞賛の声があがっているという報道もみるが、たしかにこの状況で暴動ひとつ起きないのはすごいことだろう。東北の人はつつましやかで礼節見事である。

                    

 放送大学の卒業式も中止になったらしい。

 パソコンしょっちゅう危険信号みたいのがでてくるけど大丈夫かなあ。

 ホント寒い。

 


さざめいてときにとどろくものと棲み

2011年03月17日 | Weblog

 前日の夜もかなり揺れた。なにげなくテレビをつけると地震速報になって、そうするとすぐに揺れが来る、というのが数回。町の望楼でも地震速報しばしば。被災地のひとは大変だろうな。
 このところまた冬へ逆戻りである。今日も昼から雪舞いだす。たちまち曇って、湖が波高くなる。
 いつもと違うガソリンスタンドへ行ったら20リットル限定だったけれど補給することができた。

                         

 いろいろと片付け始める。できるだけ身軽にしたい。今まで開かなかった納戸の扉が今日は開いたりして、地震の影響だろうか。ついでに支援物資になるようなものはないかと探したけれどなかなかないものである。

 春が待たれる。

 


窓からの空こともなく鳥帰る

2011年03月15日 | Weblog

 ガソリン入れに行くと10リットルに制限らしい。いつもの運送屋に出荷の電話をいれるとなかなかつながらない。つながっても地方によっては引き受けられない、かつ指定日着は約束できない、ということらしい。仕方がない、けれど一時的なもので済むのかどうか。
 ちょっとテレビをつけてもつい見てしまう。だんだんとマスコミのナニサマ報道が顕著になってきたなあ。

                       

 ツバメの大学合格および誕生日プレゼントに買った本が届く。ロバート・キャンベル編『読むことの力』(講談社選書メチエ 2004)はワシ読んだことないのに書名だけで判断して送る、というシロモノ。で、本人に渡す前に読むことにする。ちょっとだけ読んだけど面白そうである。

 節電、というか車もできるだけ乗らないようにしよう。

 


暗黒や安否情報続きおり

2011年03月14日 | Weblog

 不意に春になった。ジャンバーでは暑いくらいだ。久しぶりの晴天。

 峠を越えて出かける。大学のキャンパスを見に行く。正門あたりからいきなり数人の人たちが順繰りに寄って来る。アパート案内の不動屋さんとそのバイトの人たち。ご苦労様である。
 大学というものに随分久しぶりに入った。きれいなものである。建物も学生たちも。かつてはどこのキャンパスだろうとそこらじゅうタテカンだらけだったけど、いまやところどころにしかない。それもみんなキレイなタテカンで、サークルの勧誘みたいなのばっかり。政治的主張の殆どないのには驚くばかりである。

 途中食事して、春の街道を帰ってくる。ついでに畑にも寄ってくる。土もすっかりホコホコして、鍬が入るのを待っている。モタモタしてるとたちまち草だらけになるだろうな。

                            

 

 計画停電、まずは騒いでいるテレビ局が数日順番に放送中止すればいいのに。

 

 


芽がのぞくここにこうしているふしぎ

2011年03月13日 | Weblog

 いくつか掛かってきた電話が必ず地震の話からになる。仕事しなければならないけれど、週明けにまわすことにしてしまってテレビをつけたり消したりする。CMがいっさいない画面で、あちらこちら見る。これほどの悲惨な画面というのはまさにたじろぐ思いがする。なにやら虚無的な心情に捉われる思いがする。発生時につけたテレビでは、放送大学だけは通常放送で(当たり前だ)「都市と防災」の講義、ちょうど津波についての授業の真っ最中であった。

                      

 終日細かな揺れが続く。昼過ぎより風強く、いつもならさして驚かない風の音や家の揺れにもそのたびにビクビクする。当事者の人たちは大変だろうなあ。

 


春の煙影に影差し地の震え

2011年03月12日 | Weblog

 断捨離、というかモロモロ片付けねばならないので思いついて少しだけ処分し始める。紙モノがたくさん出てくるのでボツボツと燃やそうと思うけれど、手紙とかはなかなか処分しがたい。それにやっぱりいちいち読んだりするから時間がかかる。読まずにパッパと捨てるほどの勇気もないし。

              

 まあ、ホコリと一緒にいろいろ出てくる。ともかくナンヤカヤ庭に持ち出して、簡易焼却炉の前で読みながら火中に投ずる。今はメールの時代だから手紙もだいぶ少なくなってきているはずだけれど、やはり手紙は人生の縮図だな。太宰の、手紙だけ並べた小説、なんという題名だっけ?「ナントカの春」とかいいましたっけ。内容は覚えているんだけど。
 ともかく、そんなふうにしていると、少しばかり読みふけりすぎたのか眩暈がしてきた。なんかクラクラとエレベーターの中みたいになってきたので、背を伸ばそうかとしたらどうやら様子がおかしい。眩暈ではなくて地面が揺れている。それでも地震と理解するまでにしばらくかかった。地震だとわかっても揺れはひかず、横揺れがより強くなる様子。思わずしゃがみこむ。ワシ、地震嫌いなんだよ。

 ようやく収まったので、屋内に入りテレビをつける。いきなりどこだかの海岸が映され、波が防波堤の高さまで来ました、というようなアナウンスがある。それを言い終わらないくらいのうちに画面では波が地上に押しあがり、みるみるアメーバのように拡がったと思ったら岸壁に停めてある大型トラックが波とともに動きだして、少し離れたビルにたたきつけられた。
 これは只事ではないと思ったら、その瞬間に二度目の揺れが。蛍光灯が揺れて家がガタガタ鳴る。屋内の方がこわいなあ。

 状況はどんどん悪くなるようだ。被害がなるべく小さくあればとホントに思う。

 深夜、不意に目覚めてテレビをつけたら、新たな地震速報です、とアナウンスされ、まさにその直後また激しく揺れる。起きだして着替えて、炬燵にはいったらもう一度揺れが来た。どうやら頻々と大地が揺れているらしい。どうなるんだろう。そのまま結局眠れなかった。