先週、婦人科で更年期障害とうつの診察をしてもらった。ネットで 「良くなったと思っても勝手に薬をやめてはいけない」 と書いてあったと医者に話したら、「そうですね、一年間は続けないとね。」とのこと。
なるべく睡眠導入剤は飲まないようにしているのだけれど、薬を飲まないと眠れない。でも薬を飲むとお昼過ぎまで寝てしまう。こんなことしていてはいけないのだけれど。
この前息子とビデオショップへ行ったら、『24』 の 『シーズンⅠ~Ⅲ』 が半額になっていた。見始めたらやめられない。ここ1週間見っぱなし。今 『Ⅲ』 の途中。
母も 『Ⅱ』 から見ているが、内容はほとんどわかっていない様子。でも同じ話題がほしくて見ているのだろうか。昨日も 『Ⅲ』 を借りて来たら、「昨日新しいのを借りてきたんでしょ。見たいわ。」 とのこと。そういうことはよくわかっている。不思議だ。
いつまでこんなことしているのか、自分自身がいやになってしまう。
1.お嫁さんになること。
でも31で結婚、33で離婚し、子連れで実家へ戻りました。
でもとっても幸せ。
2.スチュワーデス
眼が悪かったし、英語も出来ずあきらめました。
帰ってきたら、
母「お腹が空いたので菓子パンを食べてたわ。」
私「夕飯が出来ているんだから先に食べてればいいじゃない。」
母「うん、一緒に食べようと思って。」
そして、夕飯を残した。腹立つ。
今日は珍しく息子が外で食事をしようかと言う。
私「回転寿司に行こうと思うんだけど。」
母「え~、お寿司ぃ。」 (食べたくないらしい)
私「じゃ何がいいの?」
母「何がいいって言われてもねぇ。お寿司でいいわ。」
5皿食べて帰って来てから、物足りないとまたお菓子を食べた。最近食欲があるようだ。
昨日からの男子バレー、今日はどう見ても中国に負けそうな気配なのに、「今日は勝ちそうね。」と言う。30分ぐらいの間に3回言った。「そうね。」と返事しておけばいいものを、「今日はどう見ても負けそうでしょ!!」ときつく言ってしまった私。かわいくない。
軽井沢プリンスホテルの前の通りの紅葉↑
昨日は長野県東御市へドライブ&食事に行って来た。運転代として、74の叔母がランチをごちそうしてくれ、パンと 『シードル』(微発酵林檎酒、ワインがなかったため)を買ってくれた。おいしかった。
帰りに軽井沢の紅葉を見ながら18号線を走り、『碓井軽井沢』 から高速に乗った。『甘楽』 でトイレ休憩。そして藤岡辺りを過ぎてから、すごい雷雨。『甘楽』 で休憩しておいて良かった。夜とどしゃぶりとで母は恐かったようだ。
赤羽の親戚へ着いた時もひどい雷雨で、車から降りるのが大変だった。夕飯にお寿司をごちそうになった。帰る前に母が叔母に、「(環七へ出るまでの)いつもの道は狭くて暗くて危ないから、どこか走りやすい道はないかしら?」 と偉そうに聞く。
都内は一方通行の狭い道が多く、確かに走りにくい。でも運転するのは私。大きなお世話だ。慣れた道の方がいいに決まっている。
昼間は良い天気で良い景色、さらにおいしい食事と良い事ずくめだったのに、母の一言でいらつきながら帰宅することになった。
最近、薬で眠れるようになったのはいいのだが、常に眠く、お昼まで寝てしまう。
午前中、10分おきに2度電話が鳴った。うちは回線が2本ある。母の電話(家の電話としている)を私が取ると、「誰からだったの?」 と必ず聞くので、母に取らせるようにしている。私が寝ている2階へ来て、
母「今どこから電話だった?」
私「出てないからわからない。」
母「取ったんだけど、良く聞こえないのよ。『こっちからかけ直す』 って言ったんだけど、どこからだったのかしら?」
私「・・・・・。」
じゃあ、どこへかけ直すつもりだったのだろう。着信履歴を見たら、牛久の親戚からだった。補聴器の調子が悪いのかと思ったら、『電池』 の入れ忘れ。またか・・・。
夕方、近くのガソリンスタンドへ洗車に行った。昨日、おとといと急に寒くなったかと思えば、今日は半袖でも暖かかった。帰宅すると、母が大音量でテレビを見ていた。
私「テレビの音が昨日からまた大きくなったけど、補聴器が調子悪いの?」
母「あら、そう? そんなことないわよ。大きいかしら。」
そして、母の補聴器がどこかでピーピー鳴っている。電池を入れたまま外していたり、耳にきちんと入っていないと音がするのだ。
私「補聴器がちゃんと入っていないか、また電池の入れ忘れじゃないの?」
母「うぅん、入ってるわよ。」
そして、私が台所で夕飯の支度を始めたら、母がバッグから補聴器を出している。
私「なんだ、やっぱり入れてなかったのね。」
母「さっき散歩から帰ってきてから外したのよ。」
ほんとに会話がさっぱりわからない。
明日は赤羽にいる叔母と母と3人でドライブ。叔母が長野県東御市和にあるヴィラへ食事に行きたいとのこと。おととい初雪が降ったようで寒そう。
途中、紅葉狩りでも出来ればいいけれど。
コーヒーです。レギュラーコーヒー。朝から夜までで多いときで7杯ぐらい。
もちろんブラックです。
母は緑茶。息子はダイエットコーラ。
コーヒーの飲み過ぎで歯が黄色いのでしょうか。
この頃はお酒はほとんど飲まなくなりました。
ゆっくり午後から行ったら、案の定、「朝から泣きっぱなしでしたよ。」 と先生に言われてしまった。そう言われても最近は施設へ行くと、妹と母と二人の世話で、私としても大変なのだ。
母は自分が立ち上がるだけでもふらふらして大変なのに、妹の面倒を見ようとする。二人でけがでもされたらそれこそ大変。私が見るからいいと言っても言うことを聞かない。
妹は8歳のころから 『てんかん』 が始まり、医者からは 「長くても20歳ぐらいまででしょう。」 と言われ、もうそれから30年、50歳になってしまった。
良い薬が開発されるのも善し悪しだ。
帰りが18時頃になってしまったので、家の近くのスーパーですぐ食べられるものを買って帰った。
私「あの子(私の息子)は天ぷらがいいって言ってるけど。」
母「天ぷらぁ~?」
私「じゃ、何がいい。食べたいもの言って。」
母「食べたいものって言われてもねぇ~。天ぷらでいいわ。」
私「天ぷらはいやみたいに言ったじゃない?」
母「うん、言ったわね。でもいいわ。」 (私・・・いらいら)
私「トイレは行かなくていいの?」
母「もうすぐ家だからいいわ。」
と言う会話をして母を車に残して買い物に行った。戻ってきたら母がいない。いいと言いながらトイレに行ったのだ。
母「障害者用のトイレに入ろうと思ったら、中に電気がついているのに開かないのよ。そばにいた若い店員に注意しといたけど、若いのに言ってもだめね、いいかげんな返事しかしないんだから。」
私「それって中に誰かが入っていたんじゃないの?」
母「そんなことないわよ。それなら中から叩くとかするでしょう。」
私「障害者用のトイレって中が広いから叩けないでしょ。入っているのに、開かないって言うから、店員にぼけ老人だと思われたんじゃないの?」
母「あら、私がおかしいってこと?」
たぶんそうです。だから私と一緒に行けばいいのに。
こうして忙しかった一週間が終わった。
今日は母をお茶の水の病院へ車で連れて行った。
片道40km、朝7時40分に出て、10時着。5月から先生が変わり、「ハンサムな先生だった。」 と叔母から聞いていたので楽しみにしていた。
う~ん、趣味の違い?悪くはなかったけれど。
髄膜腫の大きさも変化がなく、また半年後に検査。
MRIの検査室の前で母を待っていたら、係の人が検査が終わった女性を連れて出てきた。少し知的障害らしかった。「付き添いの方、いらっしゃいますか?」 と声をかけたら、うちの母より年らしき方が、「はい、今行きます。」 とやっとの思いで立ち上がっていた。私の妹のように施設へ入所できる人はいいが、年取った親たちが家で見ている場合は本当に大変だろう。
病院のトイレに入ったら、2歳ぐらいの子を連れたヒステリックな若い母親がいた。子供が 「自分で手を洗う」 と言ったら、「洋服が汚れちゃうからだめ!」 と言って、抱えて洗わせた。抱えた時に、子供の帽子が落ちた。そうしたら、「帽子落としたじゃないの!ちゃんと被ってなきゃだめでしょ!」 と言い、びしゃんと頭をぶった。「あなたが落としたんでしょうが。」 と言ってやりたかった。これも幼児虐待になるのかしら?
今、テレビで糖尿病のことをやっている。私もおととしから糖尿病で2回教育入院した。糖尿病は、数値が悪くなったと言われても、自覚症状がない。
ここ半年で9kg減量し、この前の検査では血糖値が正常だった。正常と聞いて安心したのか、最近また食欲が出てきた。気をつけなければ。
今日の夕飯は一年振りぐらいでシチューにした。息子はシチューならパンで食べると言う。
私「シチューなんだけど、パンとご飯とどっちがいい?」
母「う~ん、あなたたち(私と息子)はどうするの?」
私「パンにするけど。」
母「う~ん、じゃパンでいいわよ。たくさんあったみたいだから。」
私「そう、じゃ私はご飯にするわ。」
母「あら、なんで?」
私「ご飯が少し残っててもったいないから、食べちゃわないと。」
母「あら、じゃ私がご飯にするわよ。」
私「別に遠慮しなくていいのよ。好きなもの食べれば。」
母「遠慮じゃないわよ。ご飯でいいわ。」
あぁ、めんどくさい!! って、私がめんどくさくしているのか?
91歳になる母の叔母が、近くに出来た 『特別養護老人ホーム』 を見たいと言うので、車で連れて行った。
この叔母は足が少し弱く、最近ちょっと耳が遠くなった程度で、頭ははっきりしている。80の母よりずっとしっかりしている。携帯でメールのやりとりもするのだから驚いてしまう。
その叔母に母が色々と世話を焼くのだ。自分のほうがよたよたしているのだから、人の世話よりしっかり歩いてほしい。
新しい施設で全室個室なので気に入ったようだが、たぶん入れないだろう。ケアマネージャーの方が詳しく説明をしてくださった。私も母のことがあるから一生懸命聞いていたが、なかなか難しくて私の頭では理解できない。
昨日、母が弟に 「今日もクイズの応募をさせられたわ。」 と言っていたので、今日はだまっていたら、「今日も応募できるのかしら。」 と自分から電話していた。
明日は10時半までに東京医科歯科大へ行く。
母「明日は一人で電車で行ってくるわ。」
私「えっ、なんで?」
母「だってあなた何か予定があるんでしょ。カレンダーに書いてあったみたいだから。」
私「何もないから車で行くわよ。自分で病院の予定をカレンダーに書いたんでしょ。」
母「そうだったかしら。私が書いたのかしかねぇ。車で行ってくれるなら助かるわ。」
(というか、一人で行かせられるわけがない。)
半年前は私が入院中だったため、妹が一緒に行った。この時からハンサムな先生に代わったそうだ。明日が楽しみ。
6時起きなのでもう寝ましょう。
竜巻があったところもあったようだが、ちょうど良い天気だった。
9時前に出て、18時半に戻ってきた。叔母に2万円もいただいてしまった。運転は大好きなので、ドライブに連れて行くような仕事があるといいのに、と思う。
私 「いつもドライブに行くたびに2万円ももらっちゃ悪いわよね。」
母 「もらっておけばいいじゃない。」
私 「だからこっちから誘えないのよ。」
母 「あら、あなたが行こうって言ったの?」
なにぃ~! 「行きたいところがあるようだから、声かけてあげなさいよ。」 と毎日何回もうるさく言ってたのは誰なのよ!
疲れたわけではないけれど、薬を飲んで14時まで寝ていた。
母 「昨日は長時間で疲れたでしょ。」
私 「うぅん、全然。」
この会話を3回した。
夕方、母が弟に電話をして、「今日もバレーのクイズの応募をさせられたわ。」 と言っていた。あっ、そう、もう言わないわ。
おととい、母の病院へ行った際、5月の入院のとき同室だった方に、偶然お会いした。「退院後、胃ガンが見つかり8月に手術した。死ぬつもりで全部整理してしまったのでお電話できなかった。」 とのこと。私なんかとは比べものにならないくらい大変な日々を過ごされていたのだろう。
今日はかなり寒かった。風邪引かないといいけれど・・・。