たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



プナンのロングハウスの通廊でプナン語を教えてもらっているときに、身近な人が死ぬと名前を変えるという習慣の話が出た。プナン人は、身近な人が死ぬと、遺族が名前を変えるのだ。別の機会に、「おまえのところ(日本社会)では、父親が死ぬとなんて名前に変えるのか」と問われたこともあった。それは、プナン人には自明の習慣であって、このことは、彼が、どこでも同じようなことをやっていると考えていることを示している。

日本では、人が死ぬと、現代でも、戒名が与えられる場合が多い。戒名は、遺族に対してではなく、死者に対して与えられるものであり、死者の生前の社会的地位や遺族の経済力によってランク付けされている。それは、日本社会に仏教が定着する過程で、社会の要請に合わせて宗教が改変して用いられたものである。

他方、プナンのそれは、死者ではなく、死者と身近な関係にあった人たちの名前が変わるというものである。ブニにはブウォという妻がいた。ブウォが死んで、ブニはアバン(aban)になった。その後、ブニはアニと再婚し、再びブニとなった。ここでは、妻を亡くした夫は、誰でもアバンと呼ばれることになる。逆に、夫を亡くした妻は、バロウ(balou)と呼ばれる。再婚した場合、本名に戻る。

クニャー社会でも見られるこの習慣は、前世紀の初めにオランダ人エルスハウトによって報告されている。プナンのそれについては、1950年代にニーダムが報告し、その機能と構造について分析している。その中で、ニーダムは、この習慣を「死の名前(death-names)」と名づけている。しかし、上で見たように、新しく妻をもらったときにも名前を変えるのであり、それがこの習慣そのもの全体を適切に表すことになっているかどうかについては、私は、疑問に思っている。プナンは、この習慣を、ンゲリワー・ンガラン(ngeliwah ngaran)、<名前を変える>と呼んでいる。

父が死んだ場合には、息子はウヤウ(uyau)、末の男子だけがパシ(pasi)となる。同様に、娘はウタン(utan)、末の娘だけがボナー(benah)となるらしい。死が遺族の名前を変え、新たな生(子どもが生まれた場合)や結婚(夫や妻をもらう)が、その遺族を本名に戻し、さらなる死がまた名前を変えていく・・・

なぜそのようなことをするのだろう。直接尋ねてみた。「人が死んだら名前を変えることになっているから」なのだ。しつこくその理由を聞いてみた。プナンがひねりだしてくれた回答は、おおむね以下の二つである。
(1)これまで自分のことを本名で呼んでいた人に対してだけ、一時期、その名前を与えることで、死の弔いとするため(プナンは、父親をお父さん(ameu)と呼ぶこともあり、本名で呼ぶこともある)。つまり、他の人に生前の通称を呼ばせないことで、その通称は、一時期、死者だけのものになる。
(2)身近な人が死んだ場合、悲哀で苦しくなったり、後を追って自死を選ぶ場合がある。熱くなった心を鎮めるために、名前を変える。

子どもがなくなった場合にも、名前を変える。第1子が死んだ場合、父母は、ウユン(uyun)、第2子が死んだ場合、サディ(sadi)、第3子はララー(larah)、第4子はウワン(uwan)・・・第12子の分まである。20人実子があるというプナン人男性がいる。その場合はどうするのだろう。尋ねてみたいと思う。


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