『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・恋を恋と呼ばねばならぬ……(短歌鑑賞)

2011年06月15日 05時30分59秒 | ■俳句・短歌・詩

 ≪恋のことなら短歌にきこう≫(NHK)から――。 
 

 君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

 雪の朝、一夜をともにした女性が帰っていく。実はこの「女性」は、夫と別居中の隣家に住む「人妻」だった。そう考えると、この歌は“ただならぬ波乱の予感”を秘めている。

 『君かへる』ではなく、『君かへす』としたところに、二人の“抜き差しならない関係” と “濃密な想い” が込められている。どうやら「かへす」という言葉には、「女性の夫」に対して “いっときだけでも返して(戻して)あげよう” とのニュアンスが感じられなくもない。それは言いかえれば、“彼女は、どのみちまた自分のもとに戻って来る” と言う勝利宣言でもあるのだろう。

 だが「彼女の夫」からみれば、これほどの “屈辱” はない。この「人妻」と「文学青年(歌人)」との「不倫関係」は、その後、白日の下に晒されることとなる。時代はほぼ百年前。作者はこの「夫」により、当時は刑法犯とされた「姦通罪」として告訴される。だがその後、和解が成立して告訴は取り下げられるものの、作家の名声に傷がついたのはいうまでもない。
 
 『雪よ林檎の香のごとくふれ』とは、また何と言う讃嘆だろう。“もう何も怖いものなどない” と、彼女の夫を前に宣言しかねない。それほどの強さと熱さに満ちている。

    完全に彼女の「夫」を “のんだ” 自信と言える。「姦通罪」さえ恐れぬ男の激しさと言ってしまえばそれまでだが、このエネルギーは何処から来るのだろうか。ちなみに、作者と彼女とは後に結婚する。しかし、北原白秋と言うこの恋多き男の本性は、その後も何人もの女性の心に忍び寄って行く……。

          ★

 

 次は女性の歌――、

 雪を雪と樹を樹と呼ばねばならぬようにおまえがわたしの名を言う朝

 『雪を雪と樹を樹と呼ばねばならぬように』という「六八六の破調」が巧みであり、実によく効いている。『雪を雪と樹を樹と……』と言う “畳みかけ” に作者の強い情念のようなものが垣間見える。

 それにしても、『呼ばねばならぬように』とは、何と “したたかな” 表現だろうか。しかも,その後に続く『おまえが』の表現に、成熟した “大人の恋” のリアリティを感じる。
 だが、実は作者は現役女子高生であり、画面で観た感じはごく普通の女の子だった。しかし、歌の内容は、とても “乙女チックな空想の産物” とは思えないものだ。

 常識的な乙女としては、『あなたが私の名を呼ぶ朝(あさ)に』となるのだろう。だが『おまえがわたしの名を言う朝(あした)』とは、明らかに男性的な強引さを感じる。しかもそこに、白秋の歌よりも激しい愛念の深さを感じるのは筆者だけだろうか。
 
 どんなことがあっても “相手の男性に自分の名前を言わせてみせる”……つまりは、何としてもそのような “特別な二人だけの世界” を築きあげたい……とでも言いたげな “恋情の強さ”。それはまた、彼を独占したい……いや、何が何でも独占しようとする “恋の強さ” でもあるのだろう。この “強さ” は、尋常一様なものではない。
  
 ところでこの二首の「雪」と言う言葉から、すぐに浮かんだ俳句がある。


 雪はげし抱かれて息のつまりしこと  橋本多佳子 

 
 三十代の後半、作者は五十そこそこの夫君を亡くしている。才色兼備の高貴で貞淑な妻と言われた作者。その妻が思い起す夫の面影。『息のつまりしこと』に、最愛の夫を喪失した〝妻の万感の想い〟 が、抑制の中にもよく伝わってくる。

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 作者それぞれの想いは異なっても、“恋するひと” を“恋するひと” として求めてやまない情感は変わらない。それとも “恋を恋と呼ばねばならぬ” 恋の魔性の底深さというものだろうか。

  畢竟するに、恋のことは誰にも判らないのかもしれない。いや、誰にでも判る……。いやいや、判るか判らないかさえ判らない……。



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 北原白秋(きたはら・はくしゅう):1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)。日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど近代の日本を代表する詩人。

 橋本多佳子(はしもと・たかこ):1899年(明治32年)1月15日 - 1963年(昭和38年)5月29日)。東京文京区本郷出身。1917年に建築家・実業家の橋本豊次郎と結婚。現・北九州市小倉北区中井浜に「櫓山荘(ろざんそう)」を建築し移り住む。高浜虚子の来遊を期に句作をはじめる。句の手ほどきは杉田久女。のち山口誓子に師事し、水原秋桜子主宰「馬酔木」の同人となる。



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