前回の続き&私的雑感。
高校時代、僕より成績の良かった人間で、広島や大阪の医学部に進んだヤツが
何人かいた(僕は高校時代は理系だった)。
そういう意味では、医学部シフトは90年代前半から徐々に進んでいたような気がする。
仲の良かったヤツに、両親とも医者という男が一人いて、そんなに優秀でもなかったが
「とにかく何年かかっても医学部に行く。21世紀の日本は医者の時代だ」
と愚直なまでに両親を信頼しきっていた。
彼は結局、2浪して地方の公立大医学部に行ったらしい。
現在は地元で勤務医をしているそうだが、思い描いたとおりの人生かどうかは
分からない。
彼らを見ていて、ものすごく単純というかディフェンシブな生き方だなと思ったものの
あまり偉そうなことは言えない。
というのも、「じゃあおまえは大学行って何がしたいんだ」
と言い返されると、多分、当時の僕は何も考えていなかったから。
僕だけではなくて、周囲もみなそうだった。
「とりあえず東京に行く」「六大学がいいらしい」くらいのイメージは持っているが、
その先がまったくぼけていた。
もちろん、医者の息子たちも五十歩百歩だ。
彼らも「じゃあ専門は何にするの?」と聞かれると「え?」って感じだったから。
ここに、日本の教育システムの問題の根源がある。
実社会との断絶、何をやるか、どう貢献するかではなく、レールの格がモノを言う社会だ。
ちなみに、僕が高校時代の担任にされたアドバイスは
「とりあえず行ける大学に行っておけ。何をやるかは4年間で考えろ」というものだ。
残念ながら、今でもこのアドバイスは多くの人に有効だろう。
理想を言えば高校時代~教養課程で進路を定め、
その後の2~4年間は「悩む」のではなく、専門性を磨くことに
使うべきなのだが。
といって、教育から変えるのは無理だろう。
教育の側から変えようとして、結果的にフリーター博士を量産してしまった大学院改革は
記憶に新しい。
まずは企業内の仕組みを変え、大卒が総合職というわけのわからない身分にスカウト
されるシステムにメスを入れない限り、この壮大な学問ごっこは終わらない。
高校時代、僕より成績の良かった人間で、広島や大阪の医学部に進んだヤツが
何人かいた(僕は高校時代は理系だった)。
そういう意味では、医学部シフトは90年代前半から徐々に進んでいたような気がする。
仲の良かったヤツに、両親とも医者という男が一人いて、そんなに優秀でもなかったが
「とにかく何年かかっても医学部に行く。21世紀の日本は医者の時代だ」
と愚直なまでに両親を信頼しきっていた。
彼は結局、2浪して地方の公立大医学部に行ったらしい。
現在は地元で勤務医をしているそうだが、思い描いたとおりの人生かどうかは
分からない。
彼らを見ていて、ものすごく単純というかディフェンシブな生き方だなと思ったものの
あまり偉そうなことは言えない。
というのも、「じゃあおまえは大学行って何がしたいんだ」
と言い返されると、多分、当時の僕は何も考えていなかったから。
僕だけではなくて、周囲もみなそうだった。
「とりあえず東京に行く」「六大学がいいらしい」くらいのイメージは持っているが、
その先がまったくぼけていた。
もちろん、医者の息子たちも五十歩百歩だ。
彼らも「じゃあ専門は何にするの?」と聞かれると「え?」って感じだったから。
ここに、日本の教育システムの問題の根源がある。
実社会との断絶、何をやるか、どう貢献するかではなく、レールの格がモノを言う社会だ。
ちなみに、僕が高校時代の担任にされたアドバイスは
「とりあえず行ける大学に行っておけ。何をやるかは4年間で考えろ」というものだ。
残念ながら、今でもこのアドバイスは多くの人に有効だろう。
理想を言えば高校時代~教養課程で進路を定め、
その後の2~4年間は「悩む」のではなく、専門性を磨くことに
使うべきなのだが。
といって、教育から変えるのは無理だろう。
教育の側から変えようとして、結果的にフリーター博士を量産してしまった大学院改革は
記憶に新しい。
まずは企業内の仕組みを変え、大卒が総合職というわけのわからない身分にスカウト
されるシステムにメスを入れない限り、この壮大な学問ごっこは終わらない。
雇用流動化のためには、
大学には、実務家養成のための教育機関、および、
景気循環による人的資本の毀損を防ぐための調整弁
としての役割を与える必要があります。
順序としては、おっしゃるとおり産業界主導であるべきで、
まず企業側は、どんな人材が必要なのか、ということを
もっと具体的に発信する必要があると思います。
現在の日本の伝統的大企業では
マネジメントがしっかりしていないがために
全ての正社員にマネージャーとしてのセンスが求められ、
その結果、「ポテンシャル採用」という便利な言葉を使った
採用になっていると感じます。
ベトナム人の友人に聞いたのですが、
大卒が専攻分野を問わず総合職としてスカウトされるのは
ベトナムでも同じようです。
大学を経済システムの一部とみなした場合、
日本のシステムは発展途上国並なのでしょう。
されるシステムにメスを入れない限り、この壮大な学問ごっこは終わらない。
あと何十年かかるんでしょうか(笑)。
日本人に強烈なリーダーシップによる内からの改革を望むのは無駄な気がします。
よくも、悪くも、外圧によって最悪の事態を迎えないかぎり、抜本的に変わることはできない国なのでしょう。
黒船しかり、先の敗戦しかり。
教育もかなり規制に守れてますから、自分たちから既得権を手放すことはないでしょうね。
国が変わることを期待していたら、年を食うばかりです。
本当にやる気があるなら、教育の質が高い(と思われる)アメリカなんかにさっさと留学すべきだと思います。
グローバル化の時代、英語はますます世界の共通語としてその存在感を増してくるでしょう。
アメリカに行けば、最先端の学問を学びながら、これからのビジネスの必須ツールである英語も学ぶことができるので一石二鳥です。あと、国際的な人脈も築けるでしょう。
やる気のある人間は年功序列、終身雇用の日本企業には見向きもせず最初から外資を目指すだろうから、日本の名門大学の学閥なんかも気にする必要はないだろうし。
げんに東大をスルーしてハーバードみたいなアメリカの名門大学に直接入学しようとする動きも最近では出てきているみたいです。
http://media.yucasee.jp/posts/index/779
日本の経済的な地盤沈下が止まらなければ、この動きはますます加速することでしょう。
優秀な人間が海外にどんどん流出する「人材の空洞化」が深刻になって初めて、産業界、教育界もその重い腰を上げざるを得なくなるんじゃないですか。
一種の外圧です。
それでも既得権を死守しようとして、改革に断固反対するジジイがいるかもしれませんが(笑)。
とにかく、日本の社会が変わることを期待しても時間の無駄です。変わるにしてもこの先何年もかかるだろうし。
グローバル化の時代、日本にこだわる必要なんてまったくない。さっさとアメリカに行くなり、ヨーロッパに行くなり、中国に行くなりして、自分の市場価値を高める努力をすればいいんです。
あ、もちろん、「そんなにしゃかりきに頑張りたくない。低所得でもぬるい人生を歩みたい」人は日本の大学に行って、地方公務員を目指す。というのもありだと思いますよ(笑)。
要は、周りの人間に流されるのではなく、自分はどんな人生を歩みたいのかをしっかり考えることが大事だということなんですけどね。
医療についていえば、経験をつんだ優秀な看護師はバカ医者よりよほどまともです。看護師だから給料はこれでできる処置はこれだけっていうのではなく、看護師でも独自の判断でできることを経験とスキルに応じて与えていけば良いと思います。
逆に医師免許を持っているってだけで、何でもやってもらっては困る。学会がやってる「認定医」制度もなんの指標にもなりません。医師免許も9割くらい合格、認定医も9割くらい合格、だれもドロップアウトしない業界のお手盛りなわけですね。ダイビングの業界団体PADIですら、コースディレクターなんてインストラクターのうちの1%もいないわけですよ。スキルに応じた、多くの人が納得する権限を付与しているわけです。上の階級に上がるには、相当、厳しい関門を設けているわけで、プロとしてのスキルの指標として、一定の信頼はできるわけです。しかし、医学系の学会が与える資格は、そんな指標にはなりません。
医者の息子たちは、医者になりたがりますが、どうやら開業医っていうのは、お勉強をさぼりたくてしかたない高校生のドラ息子、ドラ娘からみて、「ああ、なりたい」憧れになりうるんでしょうね。つまり、そんなにめちゃくちゃ大変そうには見えないけれども、お金は儲かってて良い暮らしをしているんでしょう。
ともかくそれなりに厳しいトレーニングを経て、余人をもって代え難いプロフェッショナルになったら、それなりに優遇する。その関門が越えられなかったらそれなりの賃金と権限に甘んじるようにしないといけないのでしょう。
前のエントリーに対するコメントを見る限り、医者が偉いと思っているのは本人だけであるということが分かったので(笑)、信頼を取り戻せるようにするためには、学会も少しは考えたほうがいいと思います。金で買う博士号、お手盛りの認定医とかいい加減なことばっかりやった結果がこれなんだから。
まず教育改革は先生の認識からでしょ。大手企業の管理職に低偏差値大学卒や高卒の比率が驚くほど多い現実を教えてあげなきゃ。
そうすりゃ優秀じゃない人間でもチャレンジするじゃないですか
アメリカやイギリスに行かれた人はやはりお金を持たれている方が多い印象が...
そうだとしても、大学で学んだ内容関係なく就職が決まる現在のシステムは非常に無駄が多いですよね。
そして日本の高等教育は家計負担が韓国に並んで先進国トップレベルだから、機会の不平等を作り上げている。
アメリカのように奨学金が充実しそうにもないし、かといって財政はまったくの余裕がないから、大学進学率を減らすしかないと思います。大半の大学は行かないほうがましという皮肉な事態にも陥っていますし。
で、僕が悪いと思うのは高校です。ほとんどが完成型教育になっている。上位高校は進学を目指すからそれでいいとしても、中位高校はアカデミックを薄めたような無駄なことをやっている。それを、もっと就職に直結するようなカリキュラムに買えればよい。日本の工業高校や商業高校は減らされていますが、進学を目的としなかったり、三流大学への進学しかできないような高校を選んでしまった何も知らない中学生はその後の一生が決められてしまいます。
実際、中学時代の同級生にもぼちぼちニートが出てきています。これは完全にシステムの問題です。彼らは自己責任などと責められる筋合いはないです。勉強苦手だからって仕事ができないとも限らない。中学時代タバコ吸ってたような人が、めちゃくちゃ作業が早いなんていうこともかなりあると思います。
大学受験のころ「何も考えていなくて」結果が東大法・・というのは素晴らしくて何も申し上げることはございません。いや、自分も真似できたらしてみたいですね。
大学に行っていきなり「考えなさい」っていっても無理じゃないかと思うわけです。
あながち間違ってはいないとは思うのですが、ただ医者(いくらバカであっても)よりよほどまともな優秀な看護師がそういるわけでないのも事実です。あと、「看護師でも独自の判断でできることを経験とスキルに応じて与えていけば良い」とおっしゃりますが、誰がそれを与えるかということが問題になります。それに、本来看護師という人達は、自分の判断で何かをするということを極度に嫌います。なので、新たな資格を作るのも難しいです。その点を御理解下さい。
しかし、働かない医者よりも社会や病院経営に貢献していると思われる看護師、臨床検査技師、臨床工学技師、放射線技師といった人達が数多く存在するのもまた事実です。そういった人達のために医療業界にも職務給制を導入していただきたいとは思います。