ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

山折哲雄・五味太郎『砂漠と鼠とあんかけ蕎麦――神さまについての話し――』

2011-02-09 17:19:55 | ときのまにまに
先日、近くの本屋に行ったところ、『砂漠と鼠とあんかけ蕎麦――神さまについての話し――』という奇妙なタイトルの本を見つけました。宗教学者・山折哲雄氏と絵本作家・五味太郎氏との対談集です。異色の組み合わせなので興味を感じ、早速手に入れ、読み始めました。
山折哲雄氏は国際日本文化研究所の教授を経て所長になられた方で、日本の宗教を背にして世界の宗教を論じる宗教学者です。山折氏の宗教学に関する本格的な著書などは読んだことはありませんが、新聞等に発表されている細々として文章を読み、日本人の死生観等について面白いことを論じる人だと思っています。氏は多神論の立場を高く評価し、ユダヤ・イスラム・キリスト教の唯一神論に対してかなり厳しく批判しておられます。しかし立場は立場、彼が日本人の死生観等について語っている点は傾聴に値します。
一寸余談になりますが、かつて私が奈良県の王寺駅の近くの教会で牧師をしていた頃、すぐ近くに白鵬女子短期大学が新設され、その短大の初代学長に山折氏が就任されたときには、こんな「大物の学者」がこんな田舎の短大の学長になるとは、何かの間違いではないかと思ったほどでした。案の定、彼は2年ほどで学長を辞めてしまいました。
対談の相手、五味太郎氏といえば日本を代表する絵本作家で、私も幼稚園の園長をしていた頃、彼の作品をよく読んだものです。
この二人の対談なら面白くないはずがないと思いました。カバー表紙の裏に次のような文章が記されています。

<「神って一体何ですか」。還暦を迎えた男の質問ではあるまい。それに応えて、山折先生は答えに答えて下さった。決して答えの出しようがない問いに対して、答えに答えてくださった。>

ますます、面白そうです。本の内容は多岐にわたり、しかもかなり和やかな雰囲気の中で展開するので、まるで筋のないドラマを見ているような感じがいたします。従ってとうてい「まとめる」ことなどできっこありませんし、まとめたって何の意味もないでしょう。実際に手に取り、読んで損はありません。
約30時間を超える対談は、「まえがき」らしい文章から始まって、「あとがき」らしくない文章で終わります。その間に「宗教」とか「砂漠」「祟り」「風土」等々さまざまなタイトルが40、それこそ何の脈絡もなく並んでいます。
早速、読み始めますと、面白い。実に面白い。期待以上に面白く、深くて、広くて、愉快で、わくわくします。あまりにも面白いので一気に読むのはもったいないと思いましたので、夜、寝る前に床の中で2タイトルづつ読むことにいたしました。心に留まったいくつかの文章を紹介しておきましょう。
○五味「ぼんやりテレビを見ておりましたら、まさに偶然、かの司馬遼太郎さんと山折先生が対談されていた。「神道とはどういう宗教ですか」と司馬さんが質問されると、山折先生は「あれは宗教ではありませんから」と、軽く答えていらっしゃって、この人はすごい!」
○山折「あれは(神道は)礼節ですよ」。
○山折「ゲーテの内部には、一神教と多神教と汎神論が同居していた」。
○山折「一神教的な宗教というのは『信ずる宗教』。(多神教的な宗教は)『感ずる宗教』、情緒的な宗教、あえて宗教と呼ばなくてもいい宗教。(たとえ)感じなくても自然ほうが救ってくれる」。
○山折「日本人の信仰の一番ベースのところに『祟り信仰』がある」。
○山折「縦書きの文化では呼吸を大切にするが、横書きの文化では呼吸のことをほとんど意識しない」。
○山折「キルケゴールがね、『子どもは苦しみに泣き、大人は悲しみに泣く』という言葉を残している。悲しみ泣くことを覚えたとき、自立した人間になっている」。
○五味「夢のあとは『跡』でもあり「『後』でもあるわけですね。『痕』かもしれません。
○山折「五味さんの、『神は無神論者だよ、ぜったい』という絵につけたタイトルを見て、ハッと気がついた。ああ、これは活字を中心にもの考える人間には考え付かないことだなと」。


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