ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

カンタベリー大主教が長崎の爆心地で跪いた

2009-09-24 09:34:53 | ときのまにまに
今年の9月24日午後3時過ぎは全世界の聖公会、それだけではなく全キリスト教界および全世界の人々が記憶すべき日となった。その時、ローワン・ウィリアムズ 、カンタベリー大主教が長崎の爆心地で跪き、立ち上がり、全世界に向かって核兵器廃絶のメッセージが語られた。

        

当初、大主教はヒロシマ訪問を希望されたとのことであるが、今回の来日の第1の目的が日本聖公会宣教150周年記念礼拝ということであったという関係から、日本側の都合でナガサキでのイベントとなったらしい。全世界へのメッセージの発信力としては確かにヒロシマの方が大きい。しかし、核兵器の廃絶というメッセージの内容から考えると、ナガサキを「人類最後の核爆弾」としたいという意味では、長崎の方がはるかに意義深い。

        

その日は9月の下旬とはいえ、残暑はかなり厳しく、炎天下の下、大主教の白髪は汗で光っていた。数年前にお会いしたときの穏やかな主教の容貌は大司教としての激務のためか、かなりほっそりとしておられ、眼光もかなり厳しくなっておられた。
149,266人(平成21年8月9日現在)の氏名が納められている墓碑に花を献げ跪く大主教の佇まいは厳粛で、その場に居合わせた約60人のキリスト教徒や、諸宗教のリーダーたち、および報道関係者たちも大主教の祈りに心を合わせていた。
続いて大主教は立ち上がり、静かにしかし厳かに、かなり長いメッセージを語られた。「人類は自らの知恵と技術力によって究極の兵器といわれる核兵器を手にしてしまった。これからの戦争において核兵器を使用した場合には、その戦争における勝者は存在し得ない。すべてが「敗者」となる。核兵器廃絶への道は未だ見つかっていない。しかし、核兵器を手にした以上人類は核兵器のない社会を目指さざるを得ない」。

        

わたしは個人的には大主教のスピーチを聞きながら、アレオパゴスにおける使徒パウロの説教を思い出していた。あの説教はあの場に居合わせていた数十人の人たちだけに語られたものではない。全世界に向かってのキリスト教のメッセージであった。「我らは神の中に生き、動き、存在する。我らはその神の子孫である」(使徒言行録17:28)。この言葉自体は当時の異教徒の詩人の言葉であるとされるが、その言葉が使徒パウロの口を通して語られるとき、神のメッセージとなる。核廃絶についてはアメリカのオバマ大統領も語り、日本の鳩山首相も語る。しかし、ナガサキの爆心地でカンタベリーの大主教が祈りをもって語るとき、それは神からのメッセージとなる。その場で聞いていたのはせいぜい60人程度の少人数であったかも知れない。しかし、この言葉が語られたその瞬間、そこに神が語っているという思いが支配し、その場に居合わせたほとんどの人たちは「心が打たれた」。
この時の大主教のメッセージは日本聖公会九州教区の教務所に託されている。近いうちに、いろいろな形で発信されるであろう。翌日の朝日新聞(九州版)では、二段抜き横書きの記事として大主教の写真と共に「長崎爆心地から発信」という見出しで掲載された。

        

爆心地でのイベントの後、近くの浦上天主堂でカトリック教会のご厚意により、高見長崎大司教とカンタベリーの大主教との共同司式というめったに経験できない合同祈祷会がもたれた。

        

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2 コメント

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厳かに清らかに (ともみ)
2009-09-26 13:51:28
感動の二日間でした。何よりも心に残ったのは教派を超えて祈ったこと、カンタベリーの大主教が被爆の地に在ってくださったこと、きっと戦いのない世界が来ることを信じてまた頑張ります。
Unknown (平和)
2009-09-27 22:19:24
主の平和。

大主教の動向を写真つきで掲載していただきまして、ありがとうございました。