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断想:大斎節前主日の旧約聖書(2017.02.26)

2017-02-24 08:14:21 | 説教
2017AEL旧約 断想:大斎節前主日(2017.02.26)
山場  出エジプト 24:12~18

<テキスト>
12 主が、「わたしのもとに登りなさい。山に来て、そこにいなさい。わたしは、彼らを教えるために、教えと戒めを記した石の板をあなたに授ける」とモーセに言われると、
13 モーセは従者ヨシュアと共に立ち上がった。モーセは、神の山へ登って行くとき、
14 長老たちに言った。「わたしたちがあなたたちのもとに帰って来るまで、ここにとどまっていなさい。見よ、アロンとフルとがあなたたちと共にいる。何か訴えのある者は、彼らのところに行きなさい。」
15 モーセが山に登って行くと、雲は山を覆った。
16 主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日の間、山を覆っていた。七日目に、主は雲の中からモーセに呼びかけられた。
17 主の栄光はイスラエルの人々の目には、山の頂で燃える火のように見えた。
18 モーセは雲の中に入って行き、山に登った。モーセは四十日四十夜山にいた。


1. 大斎前主日
この週の水曜日から大斎節が始まる。大斎節とは、十字架と復活というクライマックスへの登坂のようなものである。具体的には普段生活から少し離れたところに立って、自分自身の生活を顧みる期間である。今日の旧約聖書のテキストはそのことを十分に意識している。今日の主題は山に登るところから始まる。
人生にはいくつかの山場がある。山場というのは英語でいうと「the turning point」とか、「クライマックス」とかと訳される言葉であるが、日本語の「山場」という言葉にはそれ以上のニュアンスが含まれている。まさに、それは「山の頂上」であり、そこまで登りきれば後は展望が開かれる場所である。ただ、そこに至るまでの道は困難を極め、極端な場合には「生きるか死ぬか」という危険な状況が「山場」である。

2. イスラエルの歴史
本日のテキストはイスラエルの歴史において最も重要な「山場」が語られている。出エジプト以来、一日も民衆から離れたことがなかったモーセが「民衆から離れて」「山に登る」。それはイスラエルの民にとっては「大事件」であった。もし、モーセの留守中に何かあったらどうしたらよいのか。彼らが置かれていた状況はいつでも何が起こっても不思議ではなかった。モーセに頼りきっていた彼らはモーセが居ないという状況に耐えられるのか。もし、ここで彼らがモーセなしに生活できたとすれば、彼らは自立することができる。実は、モーセが山に登る目的は神から「十戒」をいただくためであり、その十戒とはイスラエルの民が神の民として自立するためにほかならない。
結果としては、モーセは40日40夜山に籠もることになり、民衆はモーセの留守に耐えることができず、モーセの兄アロンをそそのかして「金の子牛」を作らせ、それを拝むこととなる。ハッキリ言って、イスラエルはこの山場を乗り越えることができなかった。このためのロスは40年間の荒野の放浪という結果となった。

3. 山に登ったモーセは
一方、山に登ったモーセはたった一人神と向かい合った。と言えば、何か神秘的なイメージが浮かぶが、事実はたった一人自分に立ち向かう厳しい修練であった。イエスの場合でも、荒野での40日40夜は「試み」であり、「誘惑」であったとされる。モーセの場合でも同じであり、あるいはそれ以上かもしれない。それはまさに自立への訓練である。もし、この訓練に耐えられなければ、山の下の人々と同じことになる。まさにそれはモーセにとっても文字通り「山場」である。同胞をエジプトの地から脱出させ、荒野に導き出したその苦労は全て水泡に帰す。モーセは耐えた。40日40夜の孤独に耐え、ついに神から十戒が記された石を2枚いただき山を下った。山から下りてきたモーセが見たイスラエルの状況はめちゃくちゃであった。思わずモーセは神から授けられた2枚の石を民衆に投げつけ、2枚の石はこなごなに砕かれてしまった(32:19)。イスラエルの栄光と悲劇はここに始まる。神の律法をいただきながら自立できていない民の矛盾、ここに律法をめぐるイスラエルの悲劇が始まる。
山から下ってきた時のモーセの顔は「ひかりかがやいて」おり、顔覆いをしなければ人々は彼の顔をまともに見ることができなかった(34:30,33)と言われる。「山場」を乗り越えた人間の顔は輝く。それ以前の彼とそれ以後の彼とは「姿変わり」をする。

4. イエスの「山場」
イエスの「山場」が変貌山の出来事である(マタイ17:1-9)。山に登る直前の出来事をマタイは次のように述べている。「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた」(マタイ16:21)。これを聞いて弟子たちは驚き、慌てた。そして弟子の代表を自負しているペトロは、「イエスをわきへお連れして、いさめ始めた。『主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません』」。このとき、イエスはペトロに何とおっしゃたか。有名な場面であるからご存じであろう。「イエスは振り向いてペトロに言われた。『サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている』」。何と強い言葉であろう。この言葉の強さにイエスの決断の強さが示されている。それはまさに、イエスの人生における大転換であった。そして、それはまた弟子たちに対する「転換」を促すことでもあった。「それから、弟子たちに言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい』」。こう言われた後、イエスはペトロとヨハネとヤコブの3人の弟子たちだけを連れて、山に登られた。そして、山の上でイエスの姿が「変わった」のである。まさにこれがイエスの人生における「山場」であった。
山を降りたイエスは、十字架への道を真っ直ぐに歩き始められた。もはや、迷いはなかった。
十字架はこの日にすでに乗り越えられている。

5. 私たちの山場
私たちもそれぞれ大きな山、小さな山、人生にはいろいろな山場がある。それを逃げないで乗り越えたとき、新しい展望が開かれる。
私にとって、人生の大きな山場は聖公会の聖職の道を選んだときである。当時、私は大学神学部の大学院を出て、日本クリスチャン・アカデミーという西ドイツのプロテスタント系の団体の主事になっていた。仕事の内容は、教育・医療・芸術・経済・労働等の社会の各分野における諸問題を取り上げて、それぞれの専門家たちを招いて話し合いをするという、必ずしも教会という枠にとらわれず、むしろ教会と社会とをつなぐ仕事で非常に興味深いものであった。しかし教会独自の仕事とは違って、具体的な牧会からは離れていた。私にとっての第1の関心事は教会にあり、聖書の言葉を語るというところにあった。確かにアカデミーの仕事も教会の仕事の延長であり、それ自体としてはやりがいのあるものであったが、ここで得た経験を教会の中でも生かしたいという気持ちと神学という分野で社会の諸問題を掘り下げたいという気持ちとがあり、アカデミーを続けるか、教会に入るかという分岐点に立って大いに悩んだ。
日本聖公会の聖職になるためには、神学校でもう一度勉強し直すこと、当時は信徒という立場であったので、聖職候補生からやり直すということには、経済的にもかなり冒険であった。しかし、家族と教会の諸先輩たちの協力により、その道に踏み切ったのである。ちょうど40歳のときであった。現在、私は80歳。ちょうど人生の真ん中だった。今考えると、それまでの40年は後の40年の準備期間であった。
もし、あの時、この決断をしていなかったら、私の人生はもっと違ったものになっていたことだけは確かである。
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