ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 02/22

2017-02-26 08:28:39 | ツイッター
お早うございます。主の平和。二人で整骨院へ。かなり寒い。昼食後、読書。カガミ『キリスト教史』。いわゆる「カノッサの屈辱事件」、これは任侠道で描かれるとよく分かる。釣川散策。70人訳とヘブライ語聖書の正典化の問題をまとめる。夕食後、「世界の村で発見」「嘘の戦争」を見て10時に就寝。5時半に起床。体温:36.1、血圧(152:80、76)、体調・快調、チュン、チュン。

25 松井 守さん、小貫 ツマさん、他23人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪寒い朝です。どうぞ、お大事になさって下さいませ。
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

井形裕子 先生おはようございます。主の平和❗

文屋 善明
2月22日 6:04 ·

お目覚めの花。「面白い形をしています。黄色の花心が前に飛び出し、白い花弁が後ろに下がっている」「バレンタインの日に、友人から頂いたときはまだ蕾でしたが、咲きました」。
画像に含まれている可能性があるもの:花、植物、自然

31 播 稔さん、小貫 ツマさん、他29人
コメント

清水 行雄 先生、この花の写真は素晴らしいです。

文屋 善明
2月22日 6:29 ·

2017 日々の聖句 2月22日(水)
見よ、わたしは(再び)驚くべき業を重ねて、この民を驚かす。賢者の知恵は滅び、聡明な者の分別は隠される。(イザヤ29:14)
天使はヨハネについていった。「イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」(ルカ1:16~17)
私の黙想:
神は「再び」民を驚かせる。その結果、「賢者」と呼ばれている連中のいわゆる「知恵」はバカみたいになり、「聡明な者」といわれている連中が威張っている「聡明さ」はなくなってしまう。一体頃は何を意味しているのであろうか。ここでは「賢者」とか「聡明な者」という言葉に惑わされてはならない。要するに民衆をバカにしている連中である。現在でいえば、政治家とかいわゆる評論家(=マスコミ)連中のことを指すのであろう。15節に彼らがやっていることが暴露されている。「災いだ、主を避けてその謀を深く隠す者は。彼らの業は闇の中にある。彼らは言う。『誰が我らを見るものか誰が我らに気づくものか』と」。要するに、彼らは重大なことを民衆から隠蔽している。彼ら自身の私的利益のために。彼ら自身の身の安全のために。そのために、民衆がおかれてい状況が8節から13節に事細かく書かれている。彼らは騙されているのだ。飢えているのに満腹だと思い、ワインを飲んで歌って楽しそうにやっている「夢、幻」を見せられているだけである。彼らは一応、レポートを書き、提出するが、それは「読めたもの」じゃない。正に「海苔巻き状態のレポート」に過ぎない。中でも、最も悲劇的なことは、13節だ「この民は、口でわたしに近づき、唇でわたしを敬うが心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても、それは人間の戒めを覚え込んだからだ」。何という悲劇だ。宗教まで彼らの陰謀に荷担している。
以上のことは、現在の日本の状況を語っているのではない。イザヤ29章を解説しているだけである。何という一致だろうか。恐ろしくなってしまう。

22 小貫 ツマさん、植村 光郎さん、他20人

文屋 善明
2月22日 6:54 ·

今日の名言:@Tolstoy_meigen
もし悪い人間が、お互いに結合して力をつくるなら、潔白な人間も、同じことをすべきである。(トルストイ)
<一言>悪い連中はすぐに群れるのに、なぜ善良な人間は群れないのだろうか。トルストイはそのことに疑問を抱いている。答えは簡単だ。悪い連中は人を信用するが、善良な人間は人を信用しないからだ。果たしてこの答えは正しいか。

33 Luke Etsuzou Nomahさん、植村 光郎さん、他31人
コメント

三浦 三千春 これは考えるべきテーマですね!

三浦 三千春 正義派を自認する人は群れなすぎ。プライドが高いからか?

西堀 俊和 善良な人間は互いに批判しあうからではないでしょうか。

文屋 善明 キリスト者を見ていれば分かるでしょう。要するに善良な人間とは偽善者何ですよ。しかも、その偽善を知っている。だから人の善意を信じられない。悪人はお互いに傷をなめ合ってしか生きられない。

水草 修治 世の中には偽善者か悪人しかいない。放蕩息子の兄と弟、ローマ書の1章後半と2章、ですか。

文屋 善明 痛いところを突くね。中にはホンモノの善人もいるでしょうね。でも、そういう人は周りが近寄りがたくて群れができない。私はそんな善人かな。ははは、誰もそう思ってくれませんがね。

楠 真理子 本当の善人は、群れを作って人に責任を擦り付けるようなことをしなくて、たった一人で責任を取るからでしょう。

文屋 善明
2月22日 7:06 ·

イミタチオ・クリスチ(404)
真に自分の無力さを知っている人間は、預言者と共に「御顔を向けて、私を憐れんでください。私は貧しく、孤独です」(詩25:16)と言い得るであろう。しかし本当に豊かな人とはそういう人のことである。全てを棄てて自分自身を最低のところにおける人ほど自由な人はいない。2:11:27~29
註;以上で「第11章 イエスと共にいること」は終わる。

19 Luke Etsuzou Nomahさん、東山 富昭さん、他17人
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コメント

Mizota Michael Satoshi 私は有力で傲慢ですからさっさと地獄に行ってしまいたくなります。。。。

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
2月22日 7:10 ·

去年の今日のローズンゲン。こんな事を考えていたんですね。たった、1年前なのに。
1年前
この日の思い出を見る

文屋 善明
2016年2月22日 ·
2016 日々の聖句 02月22日(月)
わたしたちは、わたしたちの先祖が皆そうであったように、あなたの御前では寄留民にすぎず、移住者にすぎません。この地上におけるわたしたちの人生は影のようなもので、希望はありません。(1Chr.29:15)

わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。(Heb.13:14)

私の黙想:
歴代誌上29は歴代誌上の最後の章で、ダビデが人生を振り返り、仕残した神殿建築という大事業の準備を整え、息子ソロモンに王位をゆずり、神に祈りを捧げて死ぬという厳粛な場面である。仕事を全部完成した上で思い残すことがなく死ぬよりは、仕残してそれを後継者に譲り死ぬということは聖書の理想的な死に方である。アブラハムもそうであったし、モーセもそうであった。こういう死に方がいい。今日の聖句はその最期の祈りの中の一節である。「あなたの御前では寄留民にすぎず、移住者にすぎません」という部分、口語訳では「旅びとです、寄留者です」と訳している。他のいろいろな訳と比べて、この口語訳が最もピッタリくる。それにしてもこの場面で「人生は影のようなもの」はいかがなものでしょうか。だいたい「人生」という言葉がモダンすぎて時代錯誤のような気がする。やはりここでは口語訳のように「世にある日は影のようで」はピッタリくる。新改訳のように「地上での我々の日々」では、現代の宇宙観を感じさせあの時代「地上」というような言い方をしただろうか。ここは思いっきり文学的な表現がいい。

12 中野 芳夫さん、川染 三郎さん、他10人

文屋 善明
2月22日 8:41 ·

<猫の日に因んで>
あさましや猫の額に猫の恋 善明

18 植村 光郎さん、松沢 直樹さん、他16人
コメント
糸原 由美子 あさましや猫の額に猫だまし

文屋 善明 「猫の恋い」が季語で、2月頃のは猫の発情期で、その頃は常軌を逸した行動を示すらしい。だから、この言葉は外せません。

糸原 由美子 じゃあ、川柳ということで。

文屋 善明 どうぞ、ご自由に。

糸原 由美子 はあい!

水草 修治 http://kyoko-np.net/2017022101.html

「古池や…」 ニホンザル、5年がかりで芭蕉詠む
KYOKO-NP.NET

文屋 善明 何のことか、さっぱりわかりません。私猿以下なのでしょうか?

水草 修治 まさか。これは「虚構新聞」の記事です。
ほかに、こんなすごい記事もあります。
http://kyoko-np.net/2016012701.html

文屋 善明 アッ!虚構新聞か。騙された。分かりませんと答えたのは正解だったのですね。知ったかぶりをしなくてよかった。

文屋 善明
2月22日 8:42 ·

春の風老音楽家の目に沁みる 善明

20 小貫 ツマさん、Mizota Michael Satoshiさん、他18人

文屋 善明
2月22日 9:29 ·

「昨日のFB 02/20」をブログにアップしました。

昨日のFB 02/20 - ぶんやさんち
今日の名言:@Michael_Ende_jp もろもろの事象は、我々がそれらに意味を与えることによって、初めて意味を持ちます。さまざまな事象に接触すると、我々はそれに関連して予見を持ちますが、その予見は想像力の産物だと思うのです。そして我々は、想像力によって新しい概念を創造し、...
BLOG.GOO.NE.JP

11 植村 光郎さん、中野 芳夫さん、他9人

文屋 善明さんが写真2件を追加しました。
2月22日 13:58 ·

今日の「折々のことば」、読んだときすぐに何か書きたいと思ったが、準備をしているとだんだん長くなって、もはや簡単なコラムではなくなってしまいました。書きたかったことは、サクラメントとかリタジー、あるいはお祭りにおけるアクションで、これは言語外の伝承として伝えられるところに意味があり、それを意味を明らかにしてしまったら、つまり今日の言葉で言うと、「見晴らしが良くなった瞬間」、無意味になってしまうということである。私が聖公会に移って最初に手にした文書は桑山隆さんが書かれた『祭壇奉仕』(文庫本サイズ、120頁、初版1962年、第2版1976年)で、これは、ただ聖餐式における司式者とサーバーとの細かいアクションが叙述されているマニュアルである。恐らくもう絶版になって久しいと思う。これが実に、細かく記載されている。私はこれは「名著」だと思う。(聖公会の教会の本棚に埃まみれになって積まれているかもしれない)。その意味では、私は理屈っぽい男ではあるが、こと、サクラメント等については理屈の前にアクションから入ったのは正しかったと思う。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1268988553178603&set=pcb.1268992393178219&type=3&theater

35 播 稔さん、増野 真美さん、他33人
コメント

小貫 ツマ 桑山隆先生は、退職後北海道に戻られて、私が平取聖公会を定年退職したのち、平取聖公会で働かれ、退職されてから先に出された「祭壇奉仕」に更に書き加えて「美しい献げもの」を出されました。急に亡くなられたので、その本はご逝去後に出版となりましたが、、、生涯祭壇奉仕ひとすじに生きられた方でした。

Yasuo Hirose 北海道教区聖マーガレット教会での全22回にわたる2007年の聖霊降臨節レッスンテキストがPDFで提供されていましたよ。

Mizota Michael Satoshi 始めまして。もしよろさければ、データのありかをお教えくだされば幸いです。

辻本 昌弘 私も読みました。ちなみに灰の水曜日は友達と聖アグネス教会に行きます。

Mizota Michael Satoshi これは欲しい。見たことがありません。

Yasuo Hirose メッセージに添付しましょうか?

Mizota Michael Satoshi お願いします。ありがとうございます。

小貫 ツマ 出版社は札幌の有限会社「日孔社」〒065-0010 札幌市北区北10条東2丁目 Tel 011-721-1071
たぶん本屋に頼めばとってくれると思います。
自動代替テキストはありません。

文屋 善明 早速、日孔社に連絡しましたが、印刷はしたが、販売はしていないと言うことで、札幌キリスト教会の方に連絡して下さいと言うことでした。

文屋 善明 札幌キリスト教会(011-747-7339)に電話をして申し込みました。

小貫 ツマ 簡単に手に入るものと思っていました。お手数をおかけしました。

Luke Etsuzou Nomah 是非拝読させて頂きたいと思います。満88になりますが、青年期に鍛えられたみ恵みで、今も毎主日聖餐式のサーバーをさせて頂いております。✠ 主に感謝。

文屋 善明 北海道教区の札幌キリスト教会に電話したらすぐ送ってもらえますよ。まだ、残部がかなりあるようです。

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