日本庭園こぼれ話

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清澄庭園=岩崎家ゆかりの庭園(2)・・・東京都江東区(改編)

2021-03-27 | 日本庭園

「清澄(きよすみ)庭園」もまた、前記の「六義園」と同様、明治維新の後に、三菱の創業者・岩崎彌太郎によって購入された大名屋敷の庭園です。

歴史をひもとけば、その前身は、江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡とも伝わるところで、その後、享保年間(18世紀前半)に、下総国の城主・久世大和守の下屋敷となり、庭園のもとが形づくられたとあります。

岩崎彌太郎が購入したのは、明治11年。三菱社員の親睦や賓客の接待の場として造園を計画。明治13年に「深川親睦園」の名で開園します。

彌太郎没後は、二代目・彌之助、三代目・久彌によって引き継がれ、明治22年に迎賓館として日本館と、ジョサイア・コンドル設計による洋館が建てられた後、同24年に完成。(これらの建物は、大正12年の関東大震災で焼失)

現在の清澄庭園は、完成当時の庭園の半分以下の面積。それでも39,000平方メートルという広大な庭園で、その殆どが池で占められていると言っても過言ではないほど、広々とした大池が、まず目に飛び込んできます。

(上: その名の通り、「清く澄んだ」水をたたえる大池)

昔は近くを流れる隅田川から水を引き、東京湾の潮の干満により池の水位が変化する、いわゆる「潮入の庭」だったそうです。

清澄庭園で、もう一つ目を引くのが、大量の巨石。それは隅田川から海へと続く、この水運に便利な地の利を生かしたもので、全国各地から、巨石・銘石が船で運び込まれたのでした。

(上: 巨石による「磯渡り」の眺めは壮観)

(上: 巨石の石橋)

それらの石は、たとえば「伊豆磯石」「伊予青石」「生駒石」「佐渡赤玉石」「加茂真黒石」「讃岐御影石」「根府川石」などなど。こうした巨石・銘石が、この庭園の景を特徴的なものにしています。

(上: 銘石が点在する園路)

池の対岸に数寄屋造りの風雅な姿を見せているのは「涼亭(りょうてい)」。国賓として来日した英国のキッチャー元帥を迎えるために、明治42年に久彌により建てられたもので、往時の建物で現存するのはこの涼亭のみとあります。

 (上: 「涼亭」の名にふさわしく、涼やかな外観)

涼亭とともに、池の景を引き締めているのが島々。そして、そこに架かる橋。さらには「富士山」。「富士山」は池端に盛られた築山で、別名を「つつじ山」というように、ツツジとサツキで覆われています。

(上: 「鶴島」)

(上: 橋の意匠にも注目)

(上: 対岸に見える築山が「富士山」)

明治時代には、財閥の庭園が多くつくられましたが、清澄庭園は、京都のそれとはひと味違う、東京の財閥庭園です。

 

*新型コロナウィルス感染拡大防止のため、公開が不定期のところも多くなっています。見学の際は、公式HPなどをご参照ください。

 

 


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