小幡の歴史的町並みの中央を走る、幅広い「中小路」の突き当たりに、名勝庭園「楽山園」があります。
(上: 復元工事によって往時の姿が蘇りつつある楽山園)
しかしこの庭園は、近年まで、庭園の遺構としてあったものでした。実際、24年前にここを訪れた時には、草に埋もれた大小の石と、うっすらと大地に残る池か流れの痕跡が、かろうじて、ここに庭園があったということを物語っている程度でしたから。
それが、平成12年に、県内では唯一残っている大名庭園の遺構ということで、そのうちの面積23000平方メートル余りが国の名勝に指定され、14年度から10ヵ年計画で、整備事業が始まりました。
(上: 右手の土盛りは復元工事中の石垣)
この庭園は『楽山園由来記』によれば、元和7年(1621)に織田信雄が、7年の歳月と数万両を投じて造営した池泉回遊式庭園であり、その名は「知者ハ水ヲ楽シミ、仁者は山ヲ楽シム」という、『論語』の故事に由来する、というのが一般的な説です。
(上: 中景、遠景に山々を取り込んだ庭園の滝石組)
しかし実際には、信雄自身は小幡には入らず、織田家が小幡に移ったのは、三代信昌の時代。寛永19年(1642)、小幡陣屋を構築、町の整備も行ったと記録され、その時に庭園がつくられたという説もあり、築庭年代については、少々幅があるようです。が、いずれにしても、江戸時代初期の作であることに変わりありません。
(上: 復元中の流れの様子)
ここに収録した写真は、私が平成20年初めに再訪した時のものですが、庭園はすでに往時の姿を取り戻しつつありました。
(上: たっぷりと水を湛えた昆明池。大名庭園の風格が漂う)
周囲の山々を背景に、中央を占める広い「昆明池」は、たっぷりと水を湛(たた)え、「いろは四十八石」が配され、築山には二棟の茶屋も建てられていました。
(上: 築山には二棟の茶屋)
今年は10ヵ年計画の最後の年です。完成間近の現在の「楽山園」の姿や、復元工事の詳細については、甘楽町公式ホームページをご参照ください。