「こんぴらさん」の名で親しまれている金刀比羅宮は、香川県琴平町、象頭山中腹に鎮座しています。
「こんぴら」の語源は、サンスクリット語で、インドのガンジス川に棲むワニを神格化した水神を意味するそうで、このことからも分かるように、明治元年の神仏分離令以前は、神仏習合の寺社であり、海の守護神として古来より信仰を集めてきました。
特に江戸時代中期になると、庶民の間に信仰が広がり、「こんぴら参り」は、お伊勢参りに次ぐ庶民の憧れだったとか。
JRまたは琴電の琴平駅から5分ほど歩くと、金刀比羅宮の門前町らしい雰囲気が漂ってきて、まもなく有名な石段の一段目の始まり。ここから「御本宮」まで、785段の石段を上って行きます。
(上: 琴平駅近くにある「高燈籠」。瀬戸内海を航行する船の指標として建てられたもの)
(上: 御本宮まで785段の石段が名物の「こんぴらさん」。途中で何度も上を見上げてため息)
最初は勾配も緩やかで、快調なすべりだしですが、100段目あたりにある一之坂鳥居を過ぎると、坂はかなり急になり、足取りが重くなってきます。約半分上った365段目が、神域の総門となる大門。
振り返れば、讃岐平野の眺望が開け、上って来た石段の急なことを再確認。初代高松藩主・松平頼重公寄進による大門(下の写真)は、二層入母屋造り。堂々の風格です。
門をくぐると、参道の左右に、大きな傘を広げて、5軒の露天商が飴を売っています(下の写真)。特別に大門内での営業を許された「五人百姓」と呼ばれる人々で、金刀比羅宮の境内に風情を醸し出しています。
そこから、両側に石燈籠がずらりと並ぶ参道をひたすら上っていくと、青銅の鳥居の足元に人だかりが・・・。
何だろう?と覗くと、愛くるしい犬の銅像がありました。参拝客が頭をなでるらしく、その部分がぴかぴかに光っています。台座には「こんぴら狗」の文字。
(下の写真)
その謂れはというと、江戸時代、讃岐の金毘羅大権現(現・金刀比羅宮)への参拝は、庶民の夢でしたが、当時の旅は容易ではなく、本人が行けない場合には、「代参」も盛んに行われたということ。そういえば、森の石松も清水次郎長親分の代参で、この金毘羅大権現に参拝来たのでした。
そして、この代参は「人」だけでなく、「犬」によっても行われたというのです。飼い主の変わりに、「こんぴら参り」と記した袋を首にかけた犬が代参にやって来たとか。それが「こんぴら狗」
袋には、飼い主の名前を書いた木札と、初穂料、道中の食費などが入っていて、街道を行く旅人が、代わる代わる世話をしてくれたそうです。何という良い時代だったのでしょう。
「こんぴら狗」の銅像から数10段上ったところには、書院があります。(上の写真)
表書院、白書院、奥書院からなるものですが、表書院のみ一般公開されています。表書院は入母屋造り、檜皮葺き。江戸時代初期の建築と伝わり、かつては客殿であった建物で、内部の5部屋を飾る丸山応挙の障壁画は、見応え十分。
とりわけ「上段の間」の瀑布図の構図は、部屋の右上から迫力ある滝が落ち、激しい波しぶきとともに左方に向かう渓流図が、廊下を挟んで、あたかも、外にある実際の林泉(下の写真)に注ぎ込むかのような、内と外とが連続した見事な趣向になっています。
書院では、伊藤若冲の「百花図」も拝観したいものですが、基本的に非公開のようです。特別拝観の時を待ちましょう。
書院で休憩した後は、さらに上を目指して石段にアタック。ここから百数十段を上ると、天保年間(1873)建立の「旭社」(下の写真)です。
彫刻に飾られた、二層入母屋造りの壮麗な社殿が、ドーンと鎮座していて、建物のあまりの豪華さに、代参に来た森の石松が、御本宮と間違えて参拝して帰ってしまったという逸話が伝わっています。
ここから本家本元の「御本宮」までは、あと一息です。
---つづく---