小島善太郎は、明治25年生まれの洋画家。不遇な少年時代に画家を志し、後に大成、昭和59年に91歳で他界するまで、日本洋画界の重鎮として、意欲的な創作活動を続けた----と案内にあります。
善太郎は、昭和46年、東京都日野市百草にアトリエを構え、最晩年を過ごしました。
ここでご紹介する「百草画荘」は、平成25年、ご遺族により、その住まい兼アトリエと、残された作品、遺品などが日野市に寄贈され、「小島善太郎記念館」として一般に公開されることになったものです。
近所でもあり、この話を知って以来、ずーっと行きたかったのですが、開館が土曜、日曜、祝日に限られているため、なかなか実現せず、先日やっと訪問できました。
交通の便はあまり良くなく、京王線百草園駅から、歩いて約20分。途中、かなり急な上り坂が続きます。
なので、この案内板を見た時には、ほっとしました。
ここから道を下って、すぐ左手に記念館の入口があります。
しかしアトリエの入口は、もう少し先。石段を上ります。
(上: 苔むした石段と周りの緑に清涼感)
(上:アトリエ=記念館の入口)
展示室は、15、6畳くらいでしょうか。一歩足を踏み入れると、
数十点の絵やオブジェや工芸品などが、
一気に目に飛び込んで、密度の濃さに圧倒されました。
この記念館は、ボランテイアの方たちによって運営されているそうですが、これらを日野市に寄贈するにあたり尽力された、小島善太郎画伯の次女の方(素敵なおばあ様です)が、善太郎の生い立ちや、画家になるに至ったいきさつ、彼を支えてくれた庇護者の方々、作品にまつわるエピソードなどを、温かい口調で説明してくださいました。
「ほら、この絵の花瓶がこれですよ」 「この絵を描いた時にはね・・・」などなど、エピソードがいっぱい。小島善太郎ワールドが広がっていきました。
展示室内が撮影OKというのも、珍しいのではないでしょうか?
(下: 展示室に付属する茶室)
玄関脇は芝庭で、建物が高台にあるため、庭木の向こうに広々とした空の広がりが望まれます。
広い庭ではありませんが、裏木戸や飛石の表情にも風情が感じられます。
庭の一角に据えられた石碑には「桃李不言下自成蹊」の文字と、小島善太郎が好んで描いた桃の絵が刻まれています。
これは「絵は人なり」をモットーにした善太郎の座右の銘で、「桃やスモモはもの言わざれど、下自ら蹊(こみち)を成す」すなわち「優れた人格を備えた人の周りには、その人を慕って自然に人が集まってくる」という意味だそうです。
美術館では味わえない、画家の温もりが感じられる空間です。
※ アクセスその他、詳しくは小島善太郎記念館公式HPなどをご参照ください。http://hino-museum.org/zentaro/
※ 問合わせは、日野市まちづくり部文化スポーツ課へ: ☎042-585-1111(内線3811)