独り合点(ひとりがてん)

きもの業界をステージとした、ビジネスと生活スタイル、および近況。

備前焼(6)

2009-04-26 | 月刊アレコレ

備前焼(6) 石はぜ

備前焼にはヒヨセという田土(たつち)を使いますが、作家によってはこのヒヨセに山土や黒土などをブレンドして、独自の土質を作るそうです。しかし焼き物に使う土は、自然のものなので中に小石などが混じっていますので、土をよく漉して、混じり物を丁寧に除いてゆきます。森陶岳先生は、土を昔ながらの水車を使った杵で細かく、細かくして使うそうです。そのため水車を使える場所が伊部にはないため、兵庫県竜野に水車小屋を借りて、土つくりをしているそうで、伝統技法で物を作る大変さに改めて驚きます。写真は森陶岳先生の親戚で、江戸時代から続いているお宅の水場。よく除かないと高温の炎に焼かれ、中に混じっていた小石が飛び跳ね、土肌に穴があくことがあります。これを「石はぜ」というのだそうです。


備前焼(5)

2009-04-24 | きもの

備前焼(5) ヒヨセ

備前焼の最大の魅力は、豊かな「土味」。伊賀焼や丹波焼の土は山肌を削っり取りますが、備前焼は「ヒヨセ」と呼ばれる田んぼの土を使います。ヒヨセは伊部地方にある山々から火山岩質の土が雨水に流され、平野部に堆積した粘土で、地下4メートルくらいのところに堆積している粘土て、現在でも田んぼの下から掘り出していそうです。しかしボーリングを行い粘土質を確かめ、田んぼを掘り起こして粘土を掘り出すため、持ち主には1年間の休耕保証をするなど尋常ではないお金がかかるため、土そのものがとても高価で、貴重なものなのだそうです。「ヒヨセを陶芸教室などで使うにはもったいなすぎる」とは、ご案内いただいた江田先生の言葉。写真は寒風新大窯で使うヒヨセですが、中に微生物がいるため、長い間寝かせるほど、粘土質はよくなるのだそうです。しかし備前焼の原材料がこんなにもコストがかかるとは、初めて知り、驚きです。


いつか…

2009-04-23 | 日々雑感
雑踏の中、「いつか笑い話になるさ」という声が聞こえた。思わず振り返ってみたら、思いがけない若いカップル。男性が女性を励まして発した言葉のようだ。どんな辛いことがあったのかは勿論わからないが、こんな雑踏の中でクリアに聞こえたこの言葉は、自分への励ましのようにも聞こえ、「そうだね。云うとおり、いつか笑い話になるさ」と思わずにはいられなかった。

備前焼(4)

2009-04-22 | きもの

備前焼(4) 赤松

備前焼は「土」と「炎」の芸術といわれるように変化に富む「焼き」が魅力。昔から備前焼の薪は赤松の割り木で、火にくべるとじわじわと松脂がにじみ出し、火力を強める。備前の土は火に弱いので、燃えにくい太い赤松でゆっくりと焚いてゆき、最後は細く割った薪を使うのですが、その量たるや中途半端でなく、50メートル級の大窯では山が1つ、2つなくなるくらいの量だという。個人窯でも10日以上は焼き続ける。一度火を入れたら途中でやめることはできない。窯に火を入れる、陶器を作るということはある意味驚異的な自然破壊だったわけで、そのため江戸時代は山を保護するために藩が許可した窯元しか焼けなかったという。この薪、イメージしていたものと違い、太く、長く、重い。両手でがっしり抱え、腰を入れて踏み込んでも持たないとあっという間に腰を痛めてしまう。実際、この作業で腰を痛め、作家を諦めた人も多いという。寒風新大窯は約3ヶ月燃やし続ける。その薪の量は2千トン。石巻から船で運んでくるのだが、少しで陸送距離を短くするため、なるべくちかい港の使用交渉も行うなど、薪の搬入だけでも解決しなければならないことは多い。


Requiem

2009-04-22 | きもの
絵に描いたような空のまっ青さが、何かよけい悲しみをつのらせるような肌寒い春の1日。本日はAさんの葬儀。享年63歳。まだまだ、と思ってしまう。家族だけの密葬ということでしたので、参列せずにAさんを思い出しながら、そこらを歩き回っていました。明るく大きな心と人を魅了する悪戯小僧のような邪気のない笑顔。そして活気に満ち、いつも人に細やかな気配りをする方でした。その笑顔を見たくて何度も通い、不思議に可愛がって頂き、励まされ、和まされてきました。1週間前には満開の桜でしたが、今日は花びらが散り、一面のピンク。親しい人が逝くのはなんとも切ない、寂しい春です。

新創刊

2009-04-22 | 月刊アレコレ

創刊してから51冊目の月刊アレコレが完成。いつも以上に思いを込めて、本日読者に発送。採算を考えると継続することをためらいつつ、読者の励ましと優柔不断な性格が幸いしたのか、誌面で展開したい企画に魅せられてなのか、なんとか5年も続いています。今回は51号、新創刊と言い訳させていただき、”合併号”という苦肉の策を考え、1号休刊し、1号分24ページをレギュラー記事で、1号分20ページを特集「まるごと◎きくちいま」の44ページ。刷り上がりのずっしりした重みにニンマリ。

月刊アレコレ、小冊子といえども月刊誌を創刊するのは大変なのことで、迷いに迷っていた時、当時注目されていたきくちさんに連載を引き受けていただけたら、創刊しよう!と勝手に考えていました。ある意味この5年間は、きくちさんとともにきもののことを考え、歩んできた5年間でした。今回特集で、改めてきくちさんのこの5年間のきもの遍歴をみていると、当然のことですが、家族とともに「暮らしは変わる」ということです。ですからある年代、あるニーズだけを切り取らないで、女性のライフスタイル、ライフステージを考えて継続して「きもののある暮らしの魅力」を気付かせるきもの提案を是非呉服屋さんにはお願いしたいと改めて思います。振袖をお召しになったお嬢さんのわずか20%ほどですが、「きものの魅力を実感した」と。成人式や七五三、結婚式など「ライフステージ=通過儀礼」の時きものを着たことによって、「おやっ、きものって案外といいかも」と見直す方は結構多いはず。今回の特集のテーマは自分の趣味や好み、楽しみで着るきものがある一方、「誰かのために着るきもの」がある、ということを是非気付いてもらえたら、「誰かのために着るきものの魅力」を気付いて欲しい、そんな思いを込めた特集です。

特集取材では、何かにいたずらされているかのように編集者が行けども行けども山形にたどり着かない珍道中?で、大幅に遅れて到着した山形でしたが、それでもきくちさんのいつも以上のご協力とラッキーがあって、苦心惨憺たる取材の様子を感じさせない素晴らしい出来上がりになりました。是非ご覧になって下さい。いつもこれくらいのページ数だったら、本当にアレコレできるのになと妄想は膨らむのですが、先ずは足元を固めなきゃ、という訳で今読者拡大のために様々な手を打っています。是非この機会に購読ください。購読申込や詳しい内容は刊アレコレのホームページをご覧下さい。


備前焼(3)

2009-04-21 | きもの

備前焼(3) 寒風新大窯入り口

写真はご一緒した野田のA呉服店のSさん。この写真からも寒風新大窯の大きさがわかりますよね。Sさんは、備前焼に造詣の深い方で、教えられることばかり。古備前の魅力に近づこうと一生懸命歩んきた森陶岳さん。大窯の魅力は、当然ながら10メートルくらいの個人窯ではできない大きなものが焼けること。そして釉をかけることのない焼締めが特色の備前焼は、炎の流れや運道(うど)と呼ばれる灰の具合など様々な要素を永年の経験と工夫により計算するのですが、それでも同じ窯の状態を作り出すことは出来ず、偶然が生み出す傑作も多いという。この偶然を窯変(ようへん)と呼びますが、大きな窯ならではの複雑で、力強い炎の流れは、個人窯では想像もつかない多彩な窯変が生まれ、陶岳さんに云わせると「神様の手が触れたのではないかと思うくらい、非常に強いエネルギーのようなものが感じられる作品ができる」のだそうです。


備前焼(2)

2009-04-20 | きもの

備前焼(2)寒風新大窯の中

空焚きを終えた「寒風新大窯」の中を焚口から撮影したものですが、高さ3m、幅6mの空間、手前に置いてある脚立からその大きさが十分に想像できると思います。この空間に32段の棚を設け、高さ2mもの巨大な大壷を1段に3個、計96個を入れて焼き上げるそうです。写真の真中のブルーのシートをかぶっているのは、85メートルの登り窯の上段まで300キロの5石大甕を上げるためのトロッコ?実は、どのように大甕を窯の最上段まで上げるか悩んでいた時に、TVで自販機を地下鉄の駅の降ろすシーンを見て、これだ!と早速TV局に問い合わせ、メーカーを探し出し、特注したものだそうです。

明治期に藩の庇護を失った備前焼は、陶工たちのグループによる大窯がだんだんと家族単位で焼き物が作れる10m前後の個人窯にと縮小されるにつれ、室町、桃山、江戸時代前期の古備前といわれるもとは全く別物の備前焼になってしまったそうです。森陶岳さんは古備前に魅せられ、「この違いはナンなのか」とずっと疑問を持ち、そして行き着いた答が、窯の大きさだったそうです。そして昭和47年、江戸時代の遺跡、伊部南大窯と同じ大きさの窯を作ることを決意し、最初の巨大登り窯は、傾斜や立地、山土の耐火性や風向きなどを調べ、相生市の山中に1度だけ、という条件で地主から借り上げ、長い挑戦の第一歩を踏み出したました。


備前焼(1)

2009-04-18 | きもの

備前焼(1)寒風新大窯

写真は、岡山県瀬戸市寒風(さぶかぜ)にある備前焼の巨匠・森陶岳さんが制作した登り窯。いまだかってない大きさで、試行錯誤の上でお弟子さんたちと一緒に8年がかりで造られた全長85メートルという巨大窯。これだけ大きい窯は前代未聞で、ちゃんと機能するかどうか昨年8~9月にかけ、20日間空焚きして、窯の炊き口で1300度、窯の上で600度になることが確認でき、いよいよ5年後の本焚めざして準備が始まったばかり。以前から岡山の呉服屋さんNさんに壮大なロマンに取組んでいる森陶岳さんやご子息の一洋さんの話を聞いていたのですが、実際に巨大な登り窯を目の前にすると、その想像を超えるすごさ、迫力、それを作った人々のエネルギー、と5年後の挑戦に圧倒され、久し振りに身体が震える思いでした。これからしばらく、備前焼プロジェクトXについて書いてみたいと思います。


緊急外来

2009-04-13 | 家族
今朝、野球小僧が脂汗を流しながらお腹が痛いと「くの字」になっている。これは盲腸かと緊急外来で聖路加病院へ。中学生が小児科とは知らなかったが、緊急外来の受付もいつもながら丁寧で、しっかりしている。聖路加国際病院の理念は「キリスト教の愛の心が 人の悩みを救うために働けば 苦しみは消えて その人は生まれ変わったようになる この偉大な愛の力を 誰もがすぐわかるように計画されて出来た 生きた有機体がこの病院である」。この理念通り、患者に向き合い、「聖路加病院にいってよかった、来てよかった」というホスピタリティを久し振りに実感しました。お陰さまで野球小僧も元気に。腹痛の原因は、密かにストレスではないかと思っているのですが、結局は原因はストレスかもしれないが、未だ原因は???でした。しかし身体だけは大きく、親を超えようとする勢いですが、もしストレスに悩んでいるとしたら、何とか心強くして乗り越えて欲しいと、祈るような気持ちで、夜早めに帰宅したらすっきり、どんぶり飯でホッとしながらも、胸が熱くなるやら…、何事もなくみんなが元気でいる「普通」の毎日の有難さ、しみじみ感じます。