好きな俳優の1人が寺尾 聰。というよりグループサウンズ「ザ・サベージ」の時代からで、名曲「いつまでもいつまでも」は数少ない私のカラオケで歌える歌。その寺尾 聰が、大ヒットした「ルビーの指輪」が収録されているファーストアルバム「リフレクションズ」を25年ぶりに全曲再レコーディングしてリメイクして発売するというニュースを聞き、懐かしく当時を思い出した。
25年前、1981年、十日町のF商事のA専務と一緒に、何とか裕次郎のディナーショーを実現したくて、石原プロに通っていた時期でした。というのは、呉服業界は大掛かりなイベントがブームで、F商事でも森進一、五木ひろし、八代亜季など大物歌手を次々と企画してきたので、次は美空ひばりか、裕次郎しかいなくなり、裕次郎に絞って交渉していたのですが、何度目かのとき、「白紙小切手を切って、いつでも…」といわれても「ウン!」といわないのだから、もう諦めなさいと引導をわたされ、すっかりしょげてしまった。かわいそうに思ったのか、話の流れだったのか石原プロのK専務が、舘ひろしか、寺尾 聰はどうだ、と提案され、宇野重吉ファンのA専務は寺尾 聰に即決。A専務は、きっと寺尾 聰の歌なんか聴いていなかったと思うのですが、2人とも当時TV番組「西部警察」で人気でしたが、私は呉服店の50,60歳というご婦人方に合うんだろうかとの危惧もあったのですが、ニューオータニの宴会場を幾つも借りての大イベントの中の1つなので、新機軸でも大丈夫だろうと、A専務は判断したようです。当時、寺尾 聰はハードボイルドな役柄のイメージが強く、こんなアルバムを出すなんて思いもよらなかった。裕次郎はこのアルバムを聞いたとき「お経みたいな曲だな」と言ったとか言わないとか噂があったが、石原プロの中でも曲の評価は余り高くなかったようです。こちらも余り期待はしなかったのですが、出演を決めた以上面白いものにしようと、先ずアルバムをいつも持ち歩いて何百回と聞いたかな、その上で数度寺尾 聰と会ったのですが、A専務共々惚れ惚れするようなカッコよさに舞い上がってしまった。話の中味は覚えていないのですが、お母さんや宇野重吉にまつわるきものの話も面白かった記憶がある。そんな話を交えながら、ショーを進めたいと話したのですが、柔らかに、しかし断固として自分の音楽スタイルで進めたいと断られてしまった。
A専務の勘はすごく、出演を決めてからアレヨアレヨと言う間に「ルビーの指輪」が大ヒットし、連日ラジオで聞かない日はなかったくらいで、その年のレコード大賞をはじめ、各賞をそうなめ。秋口に開催したニューオータニ・鶴の間でのデイナーショーは大変話題になり、人気もすごかったのですが、なにせ着物を着た50代、60代のご婦人方には、ルビーの指輪以外アルバムのそのほかの曲にはなじみがなく、全体に盛り上がらなかった記憶があります。しかしニューオータニに、昼夜合わせて5000人も集めたビッグイベントは、私も最初で最後。スタッフ共々徹夜しても準備が間に合わず、ギリギリでオープンした記憶があります。この準備のとき、真夜中に「一竹辻が花事件」という、これも私にエポックとなった大事件があり、一層の混乱をしたのも徹夜の原因だったのですが、その話はいつか。でも今から考えても、たかだか10人にも満たない我が社にこのような仕事を任せてくれたA専務には大感謝ですが、よくできたものだと自分でも感心します。今ならできないだろうな。当時の一流を集めた多彩なイベントは、F商事のF社長から後日、主なスタッフを海外にご招待いただくほどの大成功でしたが、この年を最後に大掛かりなイベントはF商事もそうでしたが、業界からも徐々になくなっていったようです。
リメイクされた「リフレクションズ」聴いたらどんな思いがわきあがるのか、いまから楽しみです。ちなみにアルバムの中で一番好きな曲は「出航」です。