不破の関跡に行ってきました。
古典文学作品を読んでいると、「関の藤川」「不破の関屋の板廂」がいわゆる歌枕として、しばしば登場します。登場する古典文学作品をいくつか挙げています。(前回の続きです)
『なぐさみ草』(1418年頃)
正徹作。正徹は、室町時代の歌人で僧侶。古典文学の研究者でもありました。『なぐさみ草』は、正徹が尾張の黒田(現一宮市木曽川町)や萱津(現あま市甚目寺町)に滞在して、『源氏物語』の講義などをした折の旅日記です。
関の藤川朝渡りしつつ、不破の関に着きぬ。
昔だに荒れぬと聞きし宿ながらいかで住むらむ不破の関守
正徹の肖像と和歌です。
しらさぎの雲井はるかに飛きへておのが羽こぼすゆきのあけぼの
『覧富士記』(1432年頃)
堯孝作。堯孝も室町時代の歌人で僧侶。将軍足利義教の富士見物に随行したときの記録です。
不破の関過ぎ侍りしに、守るとしもなき関の扉、苔のみ深くて、なかなか見所あり。
戸鎖しをば幾世忘れてかくばかり苔のみ閉づる不破の関屋ぞ
『野ざらし紀行』(1684年頃)
芭蕉の有名な紀行文です。江戸を発ち、伊勢神宮、故郷伊賀上野、吉野に西行の足跡を訪ね、近江路から不破関を通って、大垣に友人の木因(ぼくいん)を訪ねています。
大和より山城を経て、近江路に入て美濃に至る。今須、山中を過ぎて、いにしへ常盤の塚有り。伊勢の守武がいひける、義朝殿に似たる秋風とは、いづれの処か似たりけん。我も又、
義朝の心に似たりあきの風
不破
秋風や藪も畠も不破の関
与謝蕪村筆「野ざらし紀行図屏風」。
不破の関守跡の屋敷の庭園にさまざまな歌碑句碑があり、芭蕉のこの句もありました。
不破の関跡から3kmほど東、桃配山の麓に中山道の松並木が残っているところがありました。
1000年以上の歴史を感じることができた不破の関址。おもしろかったです。