戸隠山は、現在では神社となっていますが、明治になって神仏分離令、修験宗廃止令などが出されるまでは、戸隠山勧修院顕光寺という修験道の寺で、戸隠十三谷三千坊として多くの寺院塔頭が建ち並び、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」といわれる程に栄えていたといいます。
その昔、天照大神が天岩戸に隠れたとき、その岩戸の扉を力自慢の天手力雄命(たぢからおのみこと)が放り投げたところ、それがこの地まで飛んで戸隠山になったという言い伝えがあります。
奥社への参道です。立派な杉並木が2km続きます。
奥社は、現在は天手力雄命を祭神とする神社ですが、仏教寺院だったころのなごりがあちこちにあります。
参道脇にある法華多宝塔です。
石塔の六面に「善哉善哉 釈迦牟尼 世尊能以 平等大慧 教菩薩法 仏所護念 妙法華経 為大衆説」と彫られています。
これは、法華経見宝塔品の一節で、説法する釈迦さまの前に、大地から金、銀、瑠璃などの七宝で造られた大きな塔が涌き出して、空中に架かります。
中から大きな声で、「すばらしい。すばらしい。釈迦牟尼よ。平等の大いなる智恵、菩薩の教え、仏に守られる教えの法華経を人々のために説いた。」と法華経を説くお釈迦さまを多宝如来がほめたたえます。
塔は仏教のシンボルとして、世界のあちこちの寺院にさまざまな形のものが建てられていますが、塔を建てるのは法華経のこの場面に基づいています。
「大乗妙典一字一石書写塔」と刻まれた大きな石。大乗妙典とは、法華経のことです。
参道脇の大きな岩の下には、古い石の仏さまが。
こちらにも古い石仏や五輪塔が。
中社です。仏教寺院だったことを思わせる建築様式です。
中社の門前には、立派な建物の数多くの宿坊があり、廃仏毀釈までは塔頭寺院でしたが、現在では多くは旅館となっています。
戸隠は、現在でもアクセスに時間のかかるところにあります。その分、俗世間から切り離されて観光地化しておらず、心洗われる雰囲気を残した場所となっています。