心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

戸隠山に行ってきました。

2016年08月28日 | 旅行

戸隠山は、現在では神社となっていますが、明治になって神仏分離令、修験宗廃止令などが出されるまでは、戸隠山勧修院顕光寺という修験道の寺で、戸隠十三谷三千坊として多くの寺院塔頭が建ち並び、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」といわれる程に栄えていたといいます。

その昔、天照大神が天岩戸に隠れたとき、その岩戸の扉を力自慢の天手力雄命(たぢからおのみこと)が放り投げたところ、それがこの地まで飛んで戸隠山になったという言い伝えがあります。

奥社への参道です。立派な杉並木が2km続きます。

奥社は、現在は天手力雄命を祭神とする神社ですが、仏教寺院だったころのなごりがあちこちにあります。

参道脇にある法華多宝塔です。

石塔の六面に「善哉善哉 釈迦牟尼 世尊能以 平等大慧 教菩薩法 仏所護念 妙法華経 為大衆説」と彫られています。

これは、法華経見宝塔品の一節で、説法する釈迦さまの前に、大地から金、銀、瑠璃などの七宝で造られた大きな塔が涌き出して、空中に架かります。

中から大きな声で、「すばらしい。すばらしい。釈迦牟尼よ。平等の大いなる智恵、菩薩の教え、仏に守られる教えの法華経を人々のために説いた。」と法華経を説くお釈迦さまを多宝如来がほめたたえます。

塔は仏教のシンボルとして、世界のあちこちの寺院にさまざまな形のものが建てられていますが、塔を建てるのは法華経のこの場面に基づいています。

「大乗妙典一字一石書写塔」と刻まれた大きな石。大乗妙典とは、法華経のことです。

参道脇の大きな岩の下には、古い石の仏さまが。

 

 こちらにも古い石仏や五輪塔が。

中社です。仏教寺院だったことを思わせる建築様式です。

中社の門前には、立派な建物の数多くの宿坊があり、廃仏毀釈までは塔頭寺院でしたが、現在では多くは旅館となっています。

戸隠は、現在でもアクセスに時間のかかるところにあります。その分、俗世間から切り離されて観光地化しておらず、心洗われる雰囲気を残した場所となっています。

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伊吹山に登りました 2

2016年08月26日 | 自然の営み

伊吹山のお花畑の紹介です。

きれいな花がたくさん咲いていましたが、名前のわかるものから紹介します。

 

ツリガネニンジン

 

ルリトラノオ

  

カワラナデシコ

 

キリンソウ

他にも名前はわからないですが、かわいい花がいっぱい。

山頂付近からの琵琶湖の眺め。彦根、長浜、竹生島が見えました。

山頂の遊歩道をぐるりと一周。1時間少々で駐車場に戻ってきました。

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伊吹山に登りました 1

2016年08月24日 | 自然の営み

伊吹山に登ってきました。

伊吹山は、濃尾平野の西端にそびえる1377mの山です。濃尾平野からはどこからでも仰ぎ見ることができ、地元では多くの小中高校の校歌に歌われています。

 

古事記では、ヤマトタケルが伊吹山の神と戦って負傷し、死んでしまいます。

山頂には、ヤマトタケルの像が立っています。

また、古くから山岳信仰の山として知られていました。
山頂には、伊吹山寺があり、薬師如来、不動明王、如意輪観音、役行者などを祀っていました。

 

 

山頂には、弥勒菩薩を祀る祠が。

少し離れたところにも、別の弥勒菩薩が。江戸時代の絵図には、頂上の弥勒仏をめざして登拝する修行者の姿が描かれているそうです。

東登山道脇に、鳥居、崩れた石の祠、玉垣のある場所がありました。山岳信仰の名残でしょうか。

 

さて、伊吹山はお花畑で知られています。

 

サラシナショウマがあちこちで花盛りでした。

青い花は、イブキトリカブト。伊吹山の名がついています。

ピンクの花は、シモツケソウ。

また、続きます。

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盂蘭盆施餓鬼法要

2016年08月07日 | 心證寺

8月6日、当山において、盂蘭盆施餓鬼法要を厳修いたしました。

盂蘭盆(うらぼん)とは古いインドの言葉、梵語のウランバンナ(Ullambana)を音訳したもので、「逆さ吊り」という意味です。

餓鬼道に落ち、供養を受けられず、逆さ吊りの責め苦にあっているさまざまな霊を救うための法会が盂蘭盆会です。

『盂蘭盆経』というお経に次のような話があります。


ある時お釈迦さまの弟子の目連尊者(もくれんそんじゃ)が、母の恩に報いようと修行で得た神通力で亡き母をさがすと、母は餓鬼道に落ち、骨と皮ばかりにやせ衰えて地獄のような苦しみを受けていました。

それを見た目連は、食べ物を鉢に盛り母に差し出しましたが、食べ物も水も口元で火に変わってしまい、食べることが出来ません。

目連は悲しみのあまり号泣し、お釈迦さまのもとへ行き、ありのままを話しました。

お釈迦さまは、「おまえの母が餓鬼道に落ちたのは、おまえがあまりにかわいくて、おまえの賢いのを自慢して他人を侮り、人に施さず、自分勝手だった過去世の罪があまりに深いからである。それを救うにはおまえの神通力ではどうすることもできない。多くの出家者の力によらなければならない。食べ物と水を用意して経を読み、餓鬼道に落ちたすべての霊に心から供養しなさい。」と示されました。

さっそく目連がその通りにすると、目連の母親は餓鬼の苦しみから救われたました。自分のこどもだけ、母親だけを救おうとするのではなく、すべての者をわけへだてなく供養することが大切だとお釈迦さまは示されたのでした。

日本では、推古天皇十四年(606)に宮中で初めて盂蘭盆会が行われ、斉明天皇三年(657)には施餓鬼法会が行われたとされています。

日本には、仏教が伝えられる以前から、ある時期に祖先の魂が戻ってきて、その魂をお迎えし、お飾り、お供え物、踊りなどで歓迎し、お帰りの際にはお送りするという風習があったようです。その風習と仏教の盂蘭盆とが結びついて今のお盆という行事になったようです。

仏教はインドで生まれた宗教ですが、伝えられた土地の神々、風習などとうまく溶け合って、信仰されています。唯一絶対の神が存在し、それ以外は全く認めないという宗教とは違います。


 心證寺では、八月の第一日曜日(今年度は第一土曜でした)に盂蘭盆会と施餓鬼会を兼ねて行っています。花、水、米、酒、野菜、海山の産物などを供え、多くの僧侶が読経し、音楽を演奏し、花びらを降らせ、香を焚き供養します。各家のご先祖さまに供養し、亡くなった人を偲び、感謝の気持ちを表すだけでなく、戦争や災害で非業の死を遂げた霊や無縁の霊にも供養し、自家の繁栄を願うだけでなく、欲を離れ、広く多くの人々に施し、世界全体の幸福を願います。ご家族皆さんでお参りください。

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羽島市の大賀ハス 2

2016年08月03日 | 自然の営み

岐阜県羽島市の大賀ハスを見に行った帰り、とてもきれいに咲いている蓮田を見つけました。

背丈が低く、花びらが小さく、枚数が多いです。

まるで牡丹の花のようです。

となりの田には、背が高く、大きな花びらの紅ハスが。

これぞハスという感じできれいに咲いていました。

レンコンを栽培している蓮田は、こんなにいっぱい花をつけません。花を育てるために栽培しているのでしょうか。

周りに案内板や説明板はなく、観光のためでもないようです。

大賀ハスを見られなかった帰り道、偶然美しいハスに出会って、とてもうれしくなりました。

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