心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

広島に行きました。その2

2015年03月31日 | 自然の営み

広島に行きました。(きのうの続きです)

街中に赤いユニフォームを着た人が溢れて、すごい活気です。

大学生の頃も、赤ヘル旋風といわれて、カープが強かったですが、その頃とは違う華やかな活気です。

マツダスタジアム、開放的でどの席からも見やすく、いい球場でした。天然芝と土。太陽と風。心地よいです。

ナゴヤドームにもよく行きますが、ドーム球場は、天井があって圧迫観があるし、屋根を少しでも小さくするために、スタンドが垂直に重ねられていて、1階席でも後ろ半分は上の階が頭上にかぶさってくるし、上の階は、高所から覗きこむようで、気持よくないです。

広島の街は、地下鉄や地下街がなく、(掘ると水が出るかららしいです)商店や飲食店がすべて地上にあって、人々も地上を歩いて、街が活気にあふれていました。川が幾筋も流れ、両岸は緑地帯で、桜が咲き、花と緑と水と人が共存していると感じました。地上を覆い隠す都市高速もありません。

街はコンパクトで、駅から縮景園、広島城址、平和祈念公園、紙屋町、流川、マツダスタジアム全部歩いて回れました。(かなり疲れました)

こんなに歩く人は、あまりいないでしょうが、路面電車とバスが主要な交通手段になっています。地上の景色を見ながら、信号や電停、バス停で止まりながら移動するというのは、非効率ですが、人の暮らしの中にある感じがします。

地下鉄や都市高速の移動は、目をふさがれているようなもの、点と点が分断されるような感じがします。

広島は、原爆で廃墟になったあと、見事に蘇りました。大都会だけど、人が暮らしやすいいい街になったと感じました。

 

人は、太陽と風と植物とともに地面の上で生きている生き物なのでしょう。

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広島に行きました。

2015年03月30日 | 平和の祈り

広島に行きました。暖かな日ざしで、桜も一気に開き始めました。広島は私が学生時代を過ごした街です。

広島に行くと、必ずここに手を合わせにきます。平和祈念公園の原爆犠牲者慰霊碑です。

 

一瞬にして命を奪われた人、苦しみもだえながら死んでいった人、何十年も苦しみ続けた人、すべて20万以上の人々が、犠牲になりました。

人生の途中で、無残に命を奪われた人たちのことを思うと、涙がこぼれます。

 

この慰霊碑の前に初めて立ったのは、高校生の修学旅行の時でした。大学生のころも何度となく足を運びましたが、目頭が熱くなるようなことはありませんでした。原爆の悲惨さが、知識でしかなかったのかもしれません。

ありがたいことに、私は、こうして50年以上も幸せに暮らしてきました。

人生を振り返ることができる歳になって、若いころと同じ場所に立ち、同じ平和がずっと続いている。自分もこうして無事に人生を歩いて来られた。

私の子どもたちも、そろそろ手を離れて、それぞれの人生がこれから始まろうとしている。ずっとこの平和が続いてほしいと願う。

 

ここに立つことで自分を振り返り、確かめることができる、自分にとってはそんな場所でもあります。

それと同時に、ある程度、人生を歩いてきたことで、人生の途中で、無残に命を奪われた人たちの悲しみが、実感として胸を打つようになったのだと思います。

 

碑文には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と書かれています。

この文には、主語がありません。原爆投下の責任の所在が曖昧になっている、という指摘があるそうです。

戦争には、正義も悪もありません。戦争自体が最も愚かな行為です。

世界中のだれもが、ここに立って二度とこの過ちを繰り返さないという思いを持ってほしいものです。


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木蓮がもう散ってしまいます

2015年03月23日 | 心證寺

今年の木蓮は、あっという間に咲いて、満開になって、もう散っていきます。

兼好法師は、徒然草の「花は盛りに」という文の中で

「咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見所多けれ。」

(梢を見上げて、もうすぐ咲きそうだとわくわくしたり、庭に散り敷く花びらを見て、ため息を漏らしたりすることが、本当の風流なのだ。)

と書きましたが、こんなにも早く散ってしまうのは、やはり残念です。

でも、花が散ると、若葉が出て、「また、一年が始まるなあ、しっかりしなきゃ。来年も無事、花を見ることができますように。」

そんな気にさせてくれます。

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春季彼岸施餓鬼法要を厳修しました。

2015年03月21日 | 心證寺

今日は本当に暖かないい日で、境内の木蓮も真っ白に満開となりました。

春季彼岸施餓鬼法要を厳修しました。

施餓鬼法要のあと、

石黒友大上人による法話がありました。

人はだれでも、親兄弟を始め、周りの多くの人たち、そして仏さまにも見守られて生きています。

その思いに気づかず、思い上がって生きるのではなく、見守られているありがたみを感じて、謙虚に精一杯生きて行きたいものです。

そんなふうに考えさせてくださるお話でした。

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木蓮が満開になりました。明日は、春のお彼岸です。

2015年03月20日 | 自然の営み

ここ数日の暖かさで、木蓮が開花し、あっという間に満開になりました。

明日は、春のお彼岸です。午後1時から、施餓鬼法要と江南市昭蓮寺の石黒友大上人による法話があります。

どうぞお参りください。

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杉戸寄席開催のお知らせ

2015年03月18日 | 日記

当山の近所に杉戸浴場さんという銭湯があるのですが、、月一回、銭湯の脱衣場で寄席を開催されています。

若女将さん自らも落語を習って、毎回、高座に上がっています。

昨年5月にも、当心證寺で開催されましたが、今年も、

4月11日土曜日
午後2時開演
木戸銭¥900

で開催されます。チケットは、杉戸浴場番台でお求めください。

杉戸浴場女将さんのブログ

昨年5月のもようです。

 

本堂に入りきれないほどの大盛況でした。

みなさん、どうぞお越しください。

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春の足音

2015年03月16日 | 自然の営み

一雨ごとに暖かくなってきました。

当山の木蓮も蕾が少しふくらんできました。

紫陽花の芽吹きです。

なんていう花でしたっけ。

これも、何だったかな?

牡丹の蕾です。

春の訪れが待たれます。

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NHK朝の連続テレビ小説マッサン、出征した一馬(かずま)の戦死を告げる通知が届きました。

2015年03月11日 | 平和の祈り

NHK朝の連続テレビ小説マッサン、出征した一馬(かずま)の戦死を告げる通知が届きました。

一馬の父、熊さんと姉のハナが一馬の骨箱を抱えて帰ってきました。

皆が集まり「一馬おかえり」と言って開けてみると、骨壷には、名前を記した紙片が一枚入っていただけでした。

それでもエリーの提案で、お帰りなさいの会を開き、一馬の好物の芋餅をこしらえ、囲炉裏端に一馬の席をしつらえて、一馬のブレンドしたウイスキーで献杯します。

「マッサン」は出征する一馬と、彼を取り巻く人々の気持ちを3週間をかけて実に濃やかに描いています。

 

工場の従業員も含め皆で一馬の無事を祈って縫う千人針。

一馬に恋心を打ち明けるエマ。

エマに思いを寄せながらも、本心を言わずに出征していく一馬。

後継者として育てるべく、ウイスキーのブレンドを教え、続きは帰ってきたらじゃというマッサン。

ウイスキーづくりに向いた麦の品種を改良し、その種をマッサンに託していった一馬。

人前では、一馬の出征を喜びながらも、心では泣いていた熊さん。

愛する人や成すべきことを残して死地に赴かなければならない無念をマッサンに言い残す一馬。

(画像は、NHKのHPから)

 

太平洋戦争では、200万人ともいわれる兵士が戦死しました。

その一人ひとりに、このドラマの一馬のように、愛する人、成すべきこと、そして、その人の将来があったのです。

「お国のために」200万人もの将来ある若者が死んでいきました。

大切なもの、大切な人を守るために、命を投げ出すことが必要になる時があるという考えは理解できます。

しかし、200万人の若者の命は、本当に失われなければならなかったのでしょうか。

 

兵士の多くは、移送船が沈められたり、食料が届かず餓死したり、薬がなく病死したり、傷の手当ができず亡くなったり、戦い以前に亡くなったと聞きます。

戦いにおいても、塹壕や洞窟に立てこもったところを、なすすべもなく、爆撃や火炎放射で攻撃されたり、飛行機や潜水艇が敵に到達する前に攻撃されたり、戦う前に命を落とした方もあると聞きます。

”立派”に敵と戦って”討ち死に”したと言える人は、どれだけいるのでしょうか。

なんという愚かな死に方をさせてしまったのでしょう。

 

「お国のために戦った」「英霊だ」「この方たちの尊い犠牲があったからこそ、今の私たちの平和と繁栄がある」

言葉としては美しいですが、こういう言い方をしてしまうと、戦争の実像を見失ってしまいます。

戦争で命を落とされた方やご遺族の方には、大変申し訳ない言い方になってしまっていますが、この国が、二度と同じ過ちを繰り返さないために、

なぜ、こんなことになってしまったのか、どこで判断を間違えたのか、だれが、どう考えたことが間違いだったのか。

はっきりと見つめなければならないと思います。

そうすることが、無念の死を遂げた多くの人々の霊に対する、せめてもの慰めだと思います。


「マッサン」の中でエマが言います。

「ねえ、お父さん、なんでもっと早く戦争をやめられなかったの?そうすれば、一馬さんは死なずにすんだ。」

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3.11と3.10

2015年03月10日 | 平和の祈り

4年前の3月11日、東日本大震災によって、私たちは、大自然の前に人がいかに無力であるかを思い知らされました。

3.11の震災は、人々の記憶に新しく、今なお、多くの人が悲しみと苦しみの中にあります。

今朝の中日新聞の一面です。

 三月十日南無十方の火の柱

という俳句が紹介されています。

3.10

忘れてはいけない日です。

東京大空襲。

この俳句を詠まれた方は、東京大空襲の体験者なのでしょう。右も左も前も後も全てが火の海。焼夷弾の油を体に浴びて、炎を発しながら、数えきれない人が生きたまま焼け死んでいく。命からがら自分はなんとか生き延びることができたが、70年という人の一生に匹敵する時間を経た今でも、その地獄の光景は、忘れることができない。3月10日が来るたび、安らかにと祈らずにはいられない。

東京大空襲は、2時間の爆撃で、10万人以上の人が焼き殺されたといいますが、実数は不明です。詳しい犠牲者数は、数えようがないのす。

ほとんど反撃のできなくなった日本に対して、木造家屋の密集した市街地を、効率よく火の海にするために開発した油脂焼夷弾を使って、非戦闘員の老人や女性や子どもの逃げ道を断つように爆弾を落とし、生きたまま焼き殺しました。

ヒロシマ、ナガサキと並んで、人類史上、最も残虐な大量殺戮です。

東京大空襲以降、日本の都市は、米軍の作ったリスト順に、毎日3都市ずつ空襲を受け、100万人以上の民間人が焼き殺されました。

この日本焦土作戦を指揮したのが、カーチス・ルメイ将軍です。日本政府は、1964年、ルメイに、勲一等旭日大綬章を授与しています。勲一等は天皇陛下から直接手渡されるのが通例ですが、ルメイには、自衛隊基地内で、自衛隊の幕僚長から渡されました。

戦争に負けるということは、こういうことなのでしょう。

日本政府は、東京大空襲や原爆投下に対して、国際社会に正式に非人道性を訴えることはできません。

しかし、ひどいことはひどいと言わなければいけません。それ以前に、日本人が忘れてはいけない、語り継いでいかなくてはなりません。

東京都慰霊堂です。今日、ここで慰霊法要が営まれました。

(ここは東京都の施設です。慰霊のための国の施設は未だにありません)

安倍総理も出席し、あれから、70年。戦災によって命を落とされた方々の貴い犠牲の上に、今、我々が享受する平和と繁栄があります。」と挨拶したそう

です。

美しい言葉ですが、実際は、決して「尊い犠牲」と言えるものではなかったと思います。

犠牲になられた方やご遺族には申し訳ない言い方になりますが、「死ななくてもよい人までも死なせてしまった。」のではないのでしょうか。

なぜ、こんなことになってしまったのか、どこで判断を間違えたのか、だれが、どう考えたことが間違いだったのか。

そこをはっきりさせないで、尊い犠牲とか、英霊とか、国のためと言って美化してしまうと、本当のことが見えなくなってしまいます。

アメリカも日本も、二度と同じ過ちに陥ることがないよう、過ちをはっきりと見つめなければなりません。

多くの人々の無念の死に報いるために、最低限、しなくてはならないことだと思います。

 

大地震は、避けることができません。いつかまた、必ずやってきます。しかし、戦争は、起こさずにすむはずです。二度と起こしてはいけません。

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