ソウルの空の下

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南道の旅②

2017-08-16 10:22:53 | 日記

セウォル号の船体が安置されている埠頭と反対側の道路沿いにはたくさんのコンテナが置かれています。一角に修学旅行に出発する前に撮った学生たちの各クラスごとの記念写真が貼ってありました。この中のほとんどの学生が亡くなったことを思うと本当に痛ましいことです。隣には各宗教の祈りの場がコンテナ別に設けてありました。写真は仏教のものですが、他にカトリック、プロテスタント、新仏教である円仏教の各コンテナがあります。さらにまだ遺骨が収拾されていない家族たちの語りの場。現在まで未収拾者9名のうち(二段になっている上段)4名の遺骨が確認され遺族のもとに返されたそうですが、残りの5名(下段の写真)は一日も早い収拾を祈りながら家族たちがこの場で待ち続けています。既に収集できた4名(といっても完全な形ではありません)も残りの人たちが無事に遺骨を取り戻せるまで、一緒にこの場から離れず待ち続けるそうです。家族たちもこのコンテナの中のどこかの部屋に生活していて、黄色いリボンを張り付けたコンテナには「セウォル号惨事の家族の部屋です-外部の人の立ち入りはご遠慮ください」と書かれていました。別のコンテナの中では木浦や光州に在住の画家たちの作品も展示されていました。私が行った時間にはまだそれほど多くの人が訪ねてきていませんでしたが、それでも車でやってきた人たちが子どもや家族を連れて50人ほどいました。午後になればもっと多くの人たちが来ることでしょう。惨事が起きてから3年と4ヵ月が過ぎ、木浦新港に引き揚げられてから4ヵ月が経っても人々は忘れることなくこの場所を訪ねてきます。子どもたちの手を引いて。決して忘れてはいないということですね。まるで自分に起きたことのように思うからこうしてこの場所で手を合わせて祈るんだと思います。先日のブログで映画「タクシードライバー」の死線を共に超えたドイツ人記者が再会を願ったのに、運転士(ソン・ガンホ)がどうして会おうとしなかったのかわからないと書きました。その後、俳優アン・ソンギさんのマネージャーの人に質問したところ「それだけ彼の悲しみが深く、ドイツ人記者に会えば、あの日のことを思い出してしまうから会おうとしなかったのでは?」と答えてくれました。映画の場面の中で、ソウルから来た彼が見知らぬ光州の街で知り合った同業の運転手や、ドイツ人の通訳をしてくれた大学生たちが皆悲劇的な最後を迎えたことを思い出すのが辛かったということですね。そんな気持ちを想像できなかったのは自分が当事者でない外国人だからということをつくづく思い知らされたような気がしました。セウォル号遺族の方たちの思いをどこまで想像できるのかと、そんなことを思いながら木浦新港を後にしました…。ところが行きと違って帰りはバスがいつ来るのか全く見当がつきません。10分くらい待っても来そうもないのでやむを得ず、タクシーに乗って木浦市内へ。乗ってみたら後ろの席に他のお客さんが。久しぶりの相乗りタクシーになったわけですね!次は市内にある「近代歴史博物館」です。ここはかつて「東洋拓殖会社」が使っていた建物で、そのまま文化財として建物を保存し、当時の様子を知ることのできる写真などの資料を展示する博物館となっている所です。