ソウルの空の下

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ついに出ます!

2011-03-26 15:23:31 | インポート

Photo 今朝また雪が降りました!3月も終わりだというのに、桜のつぼみもちらほらと開き始めたという便りも聞こえるというのに…。でも、必ず春は来ることはわかっているので、もう少しがまんすればいいですよね。というわけで、2年半かかって書いてきた本がようやく出版されるというお知らせを!きっかけは2008年にあった立命館大学の韓国映画フェスティバルでした。実はそのずっと前に京都にアン・ソンギさんが来られたとき、通訳を務めたという縁もあって(詳しくは本の中で)かねて、何か書いてみたいという思いはありましたが、改めてその作品の数々を見たときに、彼の長い俳優人生をたどってみたいという気持ちになりました。1957年から子役として、韓国映画に出演してきたというその足跡は、韓国の現代史とも重なって見えてきます。人物像や、その間の社会の移り変わりがちゃんと伝わるかどうか、心配なところですが、ともかく本になった!ということです。これまでご迷惑をかけたり、応援してくださった受講生の皆さんにも、感謝したいと思います。でき具合はともかく、今、この息苦しく先の見えないような思いの中で、何か新しいものが出る、始まるということが大事なことかと思いつつ、一度手にしてくださったら嬉しい限りです。発売は4月14日、岩波書店からの予定です…。


ある留学生のメッセージ

2011-03-20 17:21:09 | インポート

Photo 韓国のインターネット掲示板に、仙台に住むある留学生からの便りがのせられて話題と感動を呼んでいます。少し、長くなりますが全文を引用させていただきます。

-今、日本の仙台市です

 4年前にここに留学に来て、ようやく学校を卒業し、22日に出国する予定でしたが、今回の地震に遭遇してしまいました。死んだと思ったが、生き返ったという思い…。11日の午後からその日の夜のことは、生涯忘れられないできごとになりました。

 真っ黒に変わり果てた仙台市内と、今も続く余震、寒さ、目も当てられない家々の残骸。その日僕は、完全にパニック状態になって近くの避難所に避難しましたが、小さな小学校の体育館に、数百名が押し寄せて中は足の踏み場もないほど避難民であふれかえっていましたが、その時になってようやく夢からさめたように、実感がこみあげてきました。ところが、避難所にあった「対策本部」には年配の方たちだけが集まって奔走していましたから、何か手伝いたいという思いが…正直に言えば、それほど大勢の人たちの間に混じって、ただぼうっとしているのも居心地が悪そうで、一応自分が体育大生ということもあるし、力仕事だったら自分を使ってくださいといったら、混乱の中で黙ってあれこれ仕事を指示してくれました。

 発電機始動、毛布の分配、トイレで流す水の運搬、ストーブの薪くべ等々。そうしているうちに、様々な人たちが手伝うようになって、これまで全く面識もなかった人同士、声をかけあい、力を合わせて仕事をしてみると、年齢の違いも忘れて新しい友人というか、縁ができたというか。互いに心が結ばれているという実感に気持ちが落ち着いていくようになりました。一段落してから自分が韓国人だと紹介すると、皆驚いて、かえって僕を激励してくれました。日本人でもないのにえらいものだと…。本当は明かりの消えた部屋に1人でいるのが怖いから避難所に来たんだとは、到底口にできませんでした。そうして避難所生活ももう4日目です。風呂にも入れず、食事もまともにできず、ろくに眠ることもできないまま、いつまた来るかわからない地震や、原発事故のために皆、不安と心配でいっぱいです。はっきり言って、自分はここを離れ、国に帰ればそれまでだという思いも持ちながら、心身ともにへたばっていました。

 そのとき、対策本部のある人が、閉鎖された仙台空港以外の空港からの帰国便と、そこまでの交通手段を調べて知らせてくれました。今、一体だれのことを心配してくれているのだろう…。昨日はこの人たちのために10年ぶりで涙があふれてしまうところでした。それで、思い直したのです。たとえ、日本が映画のように沈没してしまったとしても、自分もここで死のうと決心しました。これを読んだ方たちは少しオーバーじゃないかと考えるかもしれませんが、自分がここで4年の間に知り合った人々や、一緒に学んできた友人たちをこのまま置いて知らんふりして韓国に帰ることはできません。自分がこの人たちにとって、何かなくてはならないような存在というわけではなく、大きな力にもなりませんが、自分にできることをすべてやり終えてから、安らかな気持ちで韓国に帰りたいと思っているのです…。


東日本大震災

2011-03-14 09:28:23 | インポート

金曜日の午後、韓国のサイトを見ている時に大規模地震の発生を知りました。不明の至りです。大阪でも大きく揺れを感じたという人もいましたが、京都では何も感じることはできませんでした。一夜明けて、東京にいる友人の無事も確認できましたが、当日は交通マヒで数時間かけて歩いて帰宅したとか。東北地方の惨状はこれから徐々に明らかになっていくでしょうが、1人でも多くの方が無事帰還できるよう祈るばかりです…。韓国の知り合いから心配のメールも届きました。「いったいどうしたら、いいのでしょう!これほどに辛く悲しいことがどこにあるんでしょう?被害はありませんでしたか?あまりに胸が痛く、驚きに言うべき言葉も見つかりません…」

きょうの報道の中に、韓流スターに関する記事がありました。

「現在まで韓流スターたちは日本のファンたちの拍手喝さいを受けながら、意欲的に歌をうたい、演技を続けてきた。彼らが日本の被害の知らせに、いても立ってもいられず、心を痛めているのは、これまで日本のファンたちの応援と、寄せられた愛情に深く感動を受けてきたからだ。…もっとも近い隣人である日本…彼らの痛みは私たち皆の痛みです-JYJキム・ジュンス

…激励と慰労の手紙を含め、何ができるのか悩んでいるところです-リュ・シウォン所属社…ペ・ヨンジュンを始め、私たちすべてが胸を痛めています-キーイースト・ヤン代表…悲しみを分かちあう具体的な方法を考えているところです-チェ・ジウ、イ・ビョンホン

こうした韓流スターたちの言葉を紹介しながら記事は次のように締めくくられています。

「これまで韓流スターたちは歴史教科書問題など、難しい懸案にみちた両国間の交流の幅を広げてきた。大災害に傷ついた隣国のファンたちが再び立ちあがれるよう、今や彼らが力になる時だろう」

韓国だけでなく、世界の多くの国から支援の申し出があり、救援活動のために人々が入国していると聞きます。自分のことのように胸を痛めてくれる人がいる限り、その気持ちが力となって、きっと被害を受けた人たちも、悲しみを乗り越えて立ちあがることができるのではないかと思います。


啓蟄(けいちつ)

2011-03-07 15:24:07 | インポート

Photo 昨日、3月6日は24節季の啓蟄だったとか。冬眠していた虫たちも土の中からはい出して、暖かくなった春先の大地の温もりを満喫しようと動き出すんだそうですが、韓国ではなぜか「カエル」が顔を出す頃というイメージがあるようです。カエルたちも水の中に卵を産みつけて新しい季節の活動を開始するということでしょうか。この時期にカエルの卵を食べると、一年を通じて体が丈夫になるといわれて、昔はそんな食習慣があったと言われますが、イクラではなくカエルの卵とは、ちょっと食欲がわきませんね。カエルといえば、青ガエルの童話はご存じでしょうか?母カエルの言うことに、いつも反対のことばかりしていた青ガエルの子どもが、ある日自分を救おうとしてひん死の重傷を負った母の遺言を今度こそは素直に言うとおりにしようとします。ところが母は今までの行いから、反対のことを言わなくてはならないと考え、自分の墓を水辺に作ってくれと言い残して息絶えてしまいます。本当は山に作ってほしかったのに、子どもの性格を考えて、わざと反対のことを言ったんですね。それでどうなったかというと、水辺に作られたお墓は、ちょっと雨が降って水かさが増すと、流されてしまいそうになるので、子どものカエルはそのたびに心配で「ケグル ケグル」と泣いたそうです。ケグルは韓国語でカエルの鳴き声なんです。この昔話が十何年か前に日本で本として出されたものが、韓国で逆翻訳というようにして、出版されたのが、写真の本です。絵も少し古めかしい感じがしますね。一方この日はひそかに想い合っている恋人たちが、銀杏の実を分けて食べるという話もあります。銀杏は、もともと雄木と雌木があるそうで、木ですからお互い身を寄せ合うようなことはできないわけですが、それでも見つめ合い、想いだけでも寄せ合っていると愛情が通じて実が結ばれるといいます。また実の味は苦くて、殻は固いけれど、ひとたび土に埋めて芽が出れば、再び大きな木となって育ち、代を継いでいくことから「永遠の愛」にたとえることもあるそうです。「啓蟄」という日にまつわるいろいろな話があるものですね。すっかり更新が遅れてしまいましたが、いよいよ出版予定の本も二回目の校正に入るところで、あと一カ月もすれば出版のお知らせもできそうです!長い冬眠からようやく覚めて地上に出るのも間近です…。