メインサイトは http://mac-mac-mac.blog.so-net.ne.jp/ です。
***
こうやって、津波が押し寄せた場所を走ることもできるまでになりました。
日曜日に久慈・野田村周辺で撮影した写真を家族に見てもらう。
変わったところ、変わらないところ。疑問に思うところなど、みんなで話す。
この小さな話し合いが、我が家の復興会議。
まだまだ支援が必要なこと。足を運んで、実際にそこに行くことでしか見えないものがあること、
感じることができないものがあることを改めて確認。
子供たちが実際にそう思ってくれることが、何よりも嬉しかった。
子供たちが僕の年齢になることに、本当にフクシマの「収束」は第一段階を終えているだろうか?
仮置き場は完成するだろうか。メルトダウンした燃料の位置は確定してるだろうか?
復興住宅から、自力再建の道を選んだ人は幸せに暮らしているだろうか?
地盤のかさ上げはうまくいったんだろうか?
この目で確認できないことを、子供たちに託すのは忍びないけど・・・。
復興の先進地・阪神淡路。
二十年間の道のりは、山また山の連続だったと。
彼の地よりも、規模も傷跡も桁が一つ二つ大きく、原発というオプションも抱えているこの地は、
16年後に同じように復興ができているとは思わない。
そんなに楽観視はしていない。
すでに災害の風化は始まり、東京電力の電気を使っている人たちの間に「問題意識」はすでに薄れ、
自分たちが享受した幸福の裏に原発事故があるのにもかかわらず「だったら原発を誘致しなきゃよかったのに」
「交付金で潤ったんだから仕方ないよ」なんてヘーキで割り切っている。
日本周辺国が「日本は真摯な反省を」と70年経っても求めているのに、東電配下の人々はわずか4年で考えることをやめた。
なんて、考えても仕方のないことを考えていたら、反動で体調が極端に悪くなる。
宝くじが当たったら、家人に生活費を渡して、会社辞めて、福島・浜通のよきところを選んで引っ越ししたい。
遠くであれこれ思うより、現場に身を置く。いつもそうしてきた。そのほうが余計なことを考えずに済む。
それができれば、いいな。