恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

注目の人

2016年09月10日 | 日記
 現天皇が即位した年、私は5年目の修行僧でした。某テレビ局が前年末に「時節柄正月番組に賑やかなものはマズいから、永平寺のお坊さん撮らせて下さいよ」と、安直な依頼をしてきたことを覚えています。その正月の7日に昭和天皇は亡くなり、直ちに現天皇が即位したのです。

 私はこの人物の折々の発言にずっと注目してきました。

 最初に驚いたのは、即位直後に「憲法を守り」と言明したことです。

 たしか中学か高校で憲法全文を初めて読んだとき、まず疑問に思ったのは天皇の「象徴」としての地位が「国民の総意に基づく」として、その総意をどうやって確かめるのか、ということでした。

 明治憲法は天皇が天皇である根拠を「万世一系」に求めている以上、民意なぞ無関係だが、「国民の総意」となればそうもいくまい。しかし、現憲法には「総意」を確かめる規定は何もない。これは問題ではないのか。ある意味、危うくないか。

 問題を解消するには、現憲法が機能しているのは国民の支持があるからであり、これを守ると宣言することで憲法の内部に自己の地位を位置づけ、それによって「総意」を得たことにする、という方法がある。現天皇はそう考えたのではないか。つまりこの人物はその最初から、「戦後民主主義」における自らの立場をそれまでのものとは全く別なものだと極めて鋭く意識して、である以上は新たな根拠づけの必要があることを痛感し、それを独力で始めたのではないか。

 1991年、雲仙普賢岳災害地の「慰問」以来、被災者の前に膝まづくという型破りな方法に出たのも、この「総意」を強化することの重要さを十分すぎるほどわきまえていたからでしょう。
 
 次に驚いたのは、2001年に「桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫だと続日本紀に記されている」とコメントしたことです。

 私は新聞でこの発言を見た瞬間、現天皇は、近い将来日本は相当規模の移民の受け入れを余儀なくされ、本格的な多民族国家(現在も「単一民族国家」ではないが)になるだろうと予見しているのかと思いました。そうなった時の皇室と天皇制の在り方さえ考えているのか。人種や民族が異なる両親を持つ天皇が誕生する可能性を見ているのだろうか。つまり、多民族国家時代を「象徴」する天皇です。

 これは要するに、血縁・地縁を共同体の編成原理(その基軸が「万世一系」)として近代国家を作りだすという離れ技を演じて、「家族国家」を自認しつつ「和をもって尊し」とし、「一致団結ガンバレ、ガンバレ」と、人口・経済「右肩上がり」の時代を突っ走ってきた日本社会の終わりを、明確に意識しての発言ではないだろうかと、当時の私は思いました。

 それはすなわち、アニメ「サザエさん」の視聴率がヒトケタ半ばに落ち、檀家制度が機能しなくなり、「○○家先祖代々之墓」が廃れ、同期入社の3割程度が「外国人」であることが普通になって、「英語」ができるかできないかが就職と収入の格差になる、我が国において前代未聞の社会の到来をも意味するでしょう。

 そして今年、「生前退位」を強く示唆する「お言葉」です。

 自らの意志で退位できるとなれば、当然今度は即位にも意志が問われるべきだろうとなるでしょう。このことはすなわち、天皇の「地位」が「任務」や「職業」になることを意味します。

 世襲で終身として制度化された「地位」ならば、それは事実上選択の余地ない、ほとんど「存在性格」そのものです。だからこそ今なお天皇には「神格」が保持されているとみるべきでしょう。

 これが選択可能な「任務」「職業」になるとすれば、そこには「任務」「職業」に就いたり辞めたりする「人間」が立ち現れてきます(このことは、天皇のみならず皇族という「地位」についても同様でしょう)。その人物が「日本人」ならば、原理的・最終的に(必然的に、とは言えないかもしれません)現憲法において規定される「基本的人権」の保証対象になるはずでしょう。

 「お言葉」が表明されてから、何人かの識者から「これは人権宣言だ」というコメントが出たのは、まさにこの点に核心があるのです。

 私はこれら一連の発言に、現天皇の深刻な思慮と根源的な思想を感じます。発言は、戦後我が国が漠然と言祝いできた「人権」と「民主主義」、そして「日本国民」というアイデンティティーの意味を、まさに現在の社会において根底から問い直すものに他なりません。

 本来我々主権者が問うべき決定的問いであるにもかかわらず、それが、「基本的人権」をお話にならないほど制約され、政治的発言もできない立場の人物によって発せられたことに、私は忸怩たる思いと負い目、そしてある種の恥ずかしさを禁じえません。