▲ 『フェデリコ・フェリーニの宇宙』 1985年 芳賀書店
フェデリコ・フェリーニをめぐる本 その1
映画に夢中の時代があった。若い頃フェデリコ・フェリーニの『道』を見て映画に開眼。それ以来、イタリアのルキノ・ヴィスコンティやマルコ・フェレーリ、パゾリーニの映画まで手を伸ばしていた時代もあった。東京を離れたので、フェリーニの映画は映画館での鑑賞はできなくなったのだが、「8 1/2」、「サテリコン」、「フェリーニのアマルコルド」、「フェリーニのローマ」までは、劇場の大スクリーンでフェリーニ・ワールドを堪能した。
▲ フェデリコ・フェリーニについての本
写真左から
▲ 1 フェリーニ・岩本憲児 訳 『私は映画だ』 フィルムアート社 1978年 1700円(1985年)
▲2 根岸邦明・柳澤一博責任編集 『フェリーニの宇宙』 芳賀書店 1985 2200円
▲ 3 佐藤重臣編集 『映画評論』 1974年12月号 フェデリコ・フェリーニ特集号 新映画 450円
ビデオデッキのない時代 もう一度みたい映画は二番館・三番館と、場末の映画館を追いかけ探し回らないと見ることができないのだった。ごくノーマルな映画手法の映画しかみたことのなかった田舎映画少年には、フェリーニの8 1/2は難解極まりなく、何がわからないのかもわからないのだった。そうなるとどうしても収まりがつかず、雑誌掲載のシナリオを求めていざ古本屋へ!
今考えれば、映像作品をすべて一対一の意味作用に還元できるわけもなく、論じ尽くせるはずもないのであるが、当時はどうしても理解しようと悩みつつ必死の解釈を施そうとしていたのが懐かしい。映画をテクストとして見ることはあとでようやくわかったのだが。
このフェリーニ特集号はよかった。伝統ある『映画評論』誌も佐藤重臣の方向転換で、消えていく。いい雑誌だったんだがねえ。
この号のほかの記事には花田清輝への追悼記事がある。1974年は「ラテン語教えます」の博学者花田清輝人脈から「文化人類学的フィールドへようこそ」の山口昌男人脈へとシフトしていく頃だったんだね。1969年に『未開と文明』を編んでいた山口昌男は1974年のこの頃にはもう知の巨人としてジャンル越えの力を発揮していくのは現代歴史が記録した通り。
▲ 4 岩本憲児 編集 『フェリーニを読む』 フィルムアート社 1994 本体2800円
フェリーニが亡くなったのが1993年、この本は追悼のようなタイミングで刊行されている。フィルモグラフィーは充実していて全部収録しているか。フィルムアート社の「ブック・シネマテーク」シリーズは、書誌的記述も一貫して網羅的に収録してあり、小さな雑誌に書かれた論考もできるだけ拾っている。このメモを片手に、大規模図書館にある映画雑誌のバックナンバーを探したこともある。このシリーズはお世話になった人も多いのではないか。
▲ 5 フェリーニ/ジョバンニ・グラッツィーニ 竹山博英 訳 『フェリーニ,映画を語る』筑摩書房 1985 1800円
▲ 6 ジョン・バクスター 椋田直子 訳 『フェリーニ』 平凡社 1996 3月 本体2893円
▲ 7 コスタンツォ・コスタンティーニ編著 中条省平・中条志穂 訳 『フェリーニ・オン・フェリーニ』 1997年 12・25 キネマ旬報社 3000円+税
このほかキネマ旬報社から出ていた『世界の映画作家』 というシリーズがあって、この中の1巻にフェリーニとヴィスコンティの巻がある。随分昔に買って家のどこかにあるはずなのだがまだ見つかっていない。今『世界の映画作家』38号の巻末をめくっていたら、37号までのラインナップが掲載されているので紹介しておきます。きっといつか役にたつはず。
映画作家シリーズはこんな体裁で統一されていた。
▲『世界の映画作家』シリーズ 38号 1980年1月1日発行 キネマ旬報社
また1960年代末頃から刊行されていた、映画作家研究シリーズに松本俊夫・羽仁進・吉田喜重監修の 『現代のシネマ』10巻 三一書房がある。この中にフェデリコ・フェリーニの巻がある。
映画は見るだけのものから、考えながら見るものであり、また思考の硬直に修正を迫るものでもあることを知る。映画の深さに最初に開眼した映画は、フェリーニの「道」で、映画作家の本で最初に買ったのはこの「現代のシネマシリーズのフェデリコ・フェリーニの巻なのだった。
その上、最初にビデオデッキに録画した映画は偶然にもフェリーニの「道」なのだ。SONYのベータビデオのビデオテープが1本1500円から2000円近くもしていた時代。10本まとめて買うと、年末の私のあてにしていた図書購入費の大半が消えていくのだ。ビデオテープを買うにも一大決心が必要だったことを思い出す。映画館の入場料金よりも1本のビデオテープは高額だったのだ。
ベータ対VHSの熾烈な企業間の規格覇権争闘の中、ベータビデオ録画機の普及をねらいSONYが特別枠の深夜番組を企てたことがあった。その中で放映された世界名画シリーズの中にフェリーニの「道」があったのだ。1980年代中頃のことだが、正確な年代は思い出せない。もう30年ほど前のことだ。
▲『現代のシネマ』 1 ゴダール 1969年5月 シリーズは全 10巻 三一書房
▲ 三一書房が刊行した 『現代のシネマ』 シリーズ 全10巻の構成
1960年代後半から70年代初頭、映画に開眼した映画小僧はきっとこのシリーズを買ったり、読んだり、回し読みしているはずだ。フェリーニを皮切りにゴダール・溝口健二は手元にあるはずなのだが。今回整理中に見つかったのはゴダールの巻のみ。
フェリーニは1993年に亡くなっているので、すでに20年以上が経過している。今20歳の青年は生まれてもいないので、もちろんフェリーニの映画はリアルタイムで見ていないし、彼らの父母にしても往年の元気な時代のフェリーニは映画館では見ていないに違いない。フェリーニ晩年の頃の映画から見始めてしまった人は「なんだこの監督、エロ爺め!」で終わってしまった人も多いに違いない。古くからの映画ファンでないと食指が動かないのか、衛星放送の映画番組編成をしている編集者も若返っているのだろう。没後20年すぎた後からはBS/CSでも、マイナーな作品をUPしてくれないので、ますますベータビデオで録画していた作品が貴重になってきた。来年はなんとかベータビデオを復活して、ネオ・リアリスモ時代のフェリーニやパゾリーニ、ヴィスコンティなども紹介してみたいのだが。
大学の3回生くらいから徐々にはまりだし、1990年代初頭のころまで、映画に夢中の時代があった。若い頃フェデリコ・フェリーニの『道』を見て映画に開眼。それ以来、イタリアのルキノ・ヴィスコンティやマルコ・フェレーリ、パゾリーニの映画まで手を伸ばしていた時代もあった。
東京を離れたので、フェリーニの映画は映画館での鑑賞はできなくなったのだが、「甘い生活」「8 1/2」、「サテリコン」や、「フェリーニのアマルコルド」、「フェリーニのローマ」までは、劇場の大スクリーンでフェリーニ・ワールドを堪能したのだが。
かねてから定年退職後には関心を持っていた映画と映画関係の記事を書こうと思い、ブログをはじめようとしていたのだが、2011・3・11の東日本大震災で被災し、大幅に計画は頓挫している状況。古いSONYのベータ・ビデオ・デッキやビデオ・テープが散乱して、ビデオは段ボールの箱の中で眠りこけている。時期をみて、再度フェデリコ・フェリーニの作品を見た上で、
本来なら「フェデリコ・フェリーニの映画とフェデリコ・フェリーニをめぐる本」 と題して開始すべきなのだが、何しろ保存してある映画のほとんどすべてがベータ・ビデオテープなのである。大体ビデオ・デッキが動くのか から始めなくてはならないので、しばらく断念。一度震災後にビデオ・デッキを動かしてみた。動作は確認したものの、ベータビデオを見ると、カビが付着、テープが絡まることしきり。一度テープを巻き戻したり、走行させたり、慎重なチェックが必要のようだ。
そうこうするうち、堆積している我が家の本の山塊から見つかった本もすぐにまた埋もれていく。ので、見つかったフェリーニの本をまず紹介した上で、来年になると思うが、ベータ・ビデオをデジタル化しつつフェリーニを思い出していくことにしよう。
今こうして、東日本震災のあと、ぽつぽつとジャンル別に本棚の整序をしているのだが、気がつくと、21世紀の出版の日付のある映画の本が我が家では極端に少なくなっているのに愕然とする。
21世紀になって読んだのは、ジム・ジャームッシュについての本、エリセ監督についての評伝、『大島渚著作集』 4巻、『日本映画は生きている』 8巻などが主なところだ。
なぜだろう?
21世紀初頭、2001年にアメリカで起きた911事件から、明らかに私の本の購入趣向が変わっていたのである。
21世紀になってから14年も経つのにフェリーニについての新しい著書を1冊も読んでいないことに今、気がついたのである。
おそらく、映画のタイトルではないが、
映画よりも怪奇な「世にも不思議な物語」「世にも怪奇な物語」がそこ・かしこで演じられていることに無意識に反応していたらしい。
フェリーニはあるところで、インタビューに答えて、「私は(映画制作行為において)嘘つきだが、誠実な嘘つきだ」と語っていた。
この真意は、彼の映画のすべてと、残された言葉に向き合わなくてはならないのだが、
今私が読みたいと、また知りたいと また見たいと願っている作品とはなんだろう。
つづく