2年前、飲み会で「東高校が閉校になったが、青雲時報縮刷版の続編を作らないか?」の一言で始まった縮刷版作り...。30年前に青雲時報発行100号を記念して縮刷版を刊行した経験はあるものの、資金も、資料も、編集する作業場もない中で、まして集まった仲間は高齢者ぞろい、とても自費出版を行えるような体制でない。
しかし、支援を要請した同窓会からは「学校の歴史を纏めるもの、是非刊行して...」との全面協力を得、新聞局OB、学校関係者など多くの人たちに支えられて昨年春に「続・青雲時報縮刷版」が完成した。ところが、頒布がまた大変な作業を負うこととなる。個人情報とやらで卒業生の名簿が手に入らず、同窓会や同期会に参加してのお願いが主体とあって思うように捌けない状況も続いた...。
「青雲時報縮刷版刊行委員会」は発足して約2年、ほぼ完売の目処もたち先の委員会で解散の議決をした。今夜は2年間編集から販売まで付き合った10人が居酒屋に集まり心ばかりの解散式...。編集では年表の資料や写真集め、歴代新聞局員探し、販売では同期会にお願いしての名簿集めなど、これまでの苦労話も聞かれたが、何のことはない高校時代の新聞作りをした頃に戻ったような気持ちを味わうことができ、結局は縮刷版作りを通して我々が一番楽しんだのかも知れない。
そんな思い出話をしながら、「これで終わりは寂しいよなあ...。」ということから、春夏秋冬の年4回顔合わせをすることになった...。「なあに、ただの一杯のみでしょ...。」、「いや、会費を持ち寄ってだよ...。」だって...。
縮刷版は将来「青雲同窓会館」が造られたときに展示できるようにと20冊を保存用に確保、残りの数冊は10月札幌で行われる同期会で最後のお願いを...。
しかし、支援を要請した同窓会からは「学校の歴史を纏めるもの、是非刊行して...」との全面協力を得、新聞局OB、学校関係者など多くの人たちに支えられて昨年春に「続・青雲時報縮刷版」が完成した。ところが、頒布がまた大変な作業を負うこととなる。個人情報とやらで卒業生の名簿が手に入らず、同窓会や同期会に参加してのお願いが主体とあって思うように捌けない状況も続いた...。
「青雲時報縮刷版刊行委員会」は発足して約2年、ほぼ完売の目処もたち先の委員会で解散の議決をした。今夜は2年間編集から販売まで付き合った10人が居酒屋に集まり心ばかりの解散式...。編集では年表の資料や写真集め、歴代新聞局員探し、販売では同期会にお願いしての名簿集めなど、これまでの苦労話も聞かれたが、何のことはない高校時代の新聞作りをした頃に戻ったような気持ちを味わうことができ、結局は縮刷版作りを通して我々が一番楽しんだのかも知れない。
そんな思い出話をしながら、「これで終わりは寂しいよなあ...。」ということから、春夏秋冬の年4回顔合わせをすることになった...。「なあに、ただの一杯のみでしょ...。」、「いや、会費を持ち寄ってだよ...。」だって...。
縮刷版は将来「青雲同窓会館」が造られたときに展示できるようにと20冊を保存用に確保、残りの数冊は10月札幌で行われる同期会で最後のお願いを...。