中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

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5Sと見える化 第9回

2016年11月25日 | ブログ
何を見える化するのか

 見える化と言って何を見えるようにするのか、それが問題である。経営全般に見える化が必要なことは言うまでもないが、そのためにも、まずは日常管理上で発生する問題の見える化、すなわち現場レベルの見える化が必要である。

 それら問題の見える化には、「異常の見える化」、「計画進捗状況の見える化(計画と実行のギャップを可視化する)」、「真の原因の見える化」、「効果の見える化」などが上げられるが、「真の原因の見える化」では、「なぜ」「なぜ」「なぜ」を繰り返し、真の原因を突き止め、それに対する対策を打つ習慣というかルール、制度を構築しておく必要がある。通常、「トラブル解析シート」などが用いられる。トラブルの真の原因を突き止め対策を打ち、その過程を記録に残し、周知できるシステムを作っておく。また実施した対策は効果的であったかどうかまで検証し、結果を共有化するのが、「効果の見える化」となる。

 次に必要な見える化は、現在の状況の見える化。見える化とは見ようとする意志がなくとも見えるようにすることである。すなわち状況が悪化した場合に、赤いランプが点滅しながら警告音を発するなども、見える化の典型例である。状況がどうか問う時、良いか悪いかの判断には基準が必要である。すなわち「基準の見える化」が必要である。現場マンであった頃、現場の圧力計に通常値の部分に青いテープの目印を付けたりしたことを思い出す。

 ドラッカーの「企業の目的は顧客を創造すること」をあげるまでもなく、顧客あっての企業活動である。顧客が何を求め、何を必要としているか。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」、顧客を知ることは事業の成功のために必須条件だから、この見える化に工夫が必要である。

 顧客の見える化を図るひとつの手段として、ホテルに泊まれば、客室にはアンケート用紙が置いてある。バスツアーでも添乗員から本日のツアーは如何でしたかとアンケート用紙が配られる。アンケートは、ただ事務的に配って回答を寄せて貰えばいいというものではない。項目毎の質問の仕方、内容が、答えられやすく、本音を問うものでなければならないし、その結果の評価が重要である。「満足されましたか」の質問に「普通」の答えは不満と考え、改善の方途を探る必要がある。さらに、その結果にはトップから担当者までがコミットできる仕組みが見える化となる。

 見える化は、見た者がどう気づき、どう考えるかが重要である。自身の経験や知恵を標準書に盛り込むことやトラブルシューティングなども、見える化のツールである。実際に起こったトラブルとその際に取った対策を記録して、閲覧できるようにしておく。これらは、「経験や知恵の見える化」となる。

 経営の見える化には、まず「業務フロー図を描いてみて下さい」と勧める。ISO9000で描いた品質保証体系図がモデルとなる。また機に応じて経営状況を従業員にも知らしめることも重要である。今、働いている会社がどのような経営状況にあるのかを知ることで、従業員一人一人が日々の業務の中で業績向上にどう立ち向かえばいいのか考えられるようになることこそ、経営の見える化ではないかと考える。「5Sと見える化」了



本稿は、遠藤功著、「見える化」2005年10月初版、東洋経済新報社刊を一部参考にしています。
11月28日の更新は都合でお休みします。次回は12月1日、新たらしいテーマで更新します。
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5Sと見える化 第8回

2016年11月22日 | ブログ
見える化の落とし穴

 計器室に立派なモニターを設置しても、それをどのように活用するのか、誰がいつどのように監視し、何を異常と判断し、どう対応するかなど、事前に十分な準備、体制、運用のシステムが出来ていなければ、万里の長城、ピラミットや戦艦大和とまではゆかずとも無用の長物と言われて仕舞うものと化す恐れがある。モニターを設置したお陰で何がどう見える化され、安全と品質、生産性の向上にどれほど寄与出来るかの運用方法が問われる。

 ITの活用による見える化なども、落とし穴となる代表的なもので、品質情報や営業情報など、一生懸命データベースに入力し、必要な部署が見てくれていると思い込んで、紙ベースの連絡・報告を止めてみれば、実はほとんどの関係者がデータベースにアクセスしておらず、却って部門間の意思疎通が悪化したなどという事例も現実にあったという。見える化はわざわざアクセスしなくても、目に飛び込んで来るような仕掛けが必要なのである。

 電子メールなど、一度に多数の人々に連絡できるし、ファイルを添付することもできる情報の共有化のための優れたツールではあるけれど、それへのアクセスのタイミングも問題で、リアルタイム対応には便が悪い。職場の仲間が席を立ちぞろぞろどこかへ出掛け始めたので、何だと聞くと、「今から○○会議です。先ほど連絡がメールで届いたよ」という。「見てないよ、ひと声掛けてくれればいいのに」ということがあった。

 デジタル情報の数字も見える化の代表選手。経営情報システムの導入によって、現場の生産や売り上げ情報がリアルタイムで経営者に届くシステムが構築されることは素晴らしいが、数字(数値)はあくまで「事実の一部」であると言われる。併行して定性的な生情報をどこまで見える化出来るかが問われる。現場情報を数値だけで判断していると、思わぬ落とし穴に嵌る恐れがあるというのだ。

 法制化されている上場企業の決算情報でさえ、改ざんされ節税や逆に粉飾に利用されたりする事例は後を絶たない。そのような虚偽のケースを上げるまでもなく、数字はいろいろに操作できる代物である認識が必要なのである。あくまで、真実の状況を見える化する取り組みが必要である。

 仮にトップが、立派な見える化のシステムを構築し、運用したとしても現場の従業員に見える化された情報をキャッチするアンテナと、それに基づく行動力がなければ、見える化システムも業績には繋がらない。

 見える化についてもしっかりとPDCAを回して、効果の確認が必要であり、不足するものは何かを見つけ、従業員教育への新たな投資も必要である。



本稿は、遠藤功著、「見える化」2005年10月初版、東洋経済新報社刊を一部参考にしています。
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5Sと見える化 第7回

2016年11月19日 | ブログ
ISO9000と見える化

 ISO9000が我が国に急速に入って来たのは1990年代初頭であった。同時期にバブルが弾け、現場の小集団活動も改善提案活動も下火になった。従来のTQC(我が国では1996年頃からTQMへ呼称変更)活動はISO9000の取得とその維持に置き換えられていった。別に代替できるものではなかったが、両方の活動を同時に推進するには企業も余力はなかったし、小集団活動もマンネリ化していた時期でもあったように思う。

 ISO9000では、多くのことを学んだ。品質管理体制の構築と品質保証体系図、文書・記録類の管理の徹底、トレーサビリティやインターフェース(業際)管理の重要性などなど。これらはすべて換言すれば品質管理の見える化活動であった。

 しかし、その後20数年を経て、我が国の現場力は「今や、中国、タイ以下との声も」(日経ビジネス2015年5月11号「日本の現場力は強くない」)とさえ言われる状態となった。ISO9000の見える化は、あくまで外部の審査員に見せるためのものであり、企業の真の血肉になっていなかった証左である。

 中小企業にISO9000の認証を受けるための投資と見返りとしての効果を考慮すれば、採算性は薄いと思われる。勿論、官公庁向けの仕事や外国企業との取引で、ISO9000の取得を条件とされれば別ではある。認証取得に採算性はなくともISO9000自体は良いところが多い。取得はせずともそのシステムや考え方の良いところは大いに取り入れるべきである。

 行政機関によっては、中小企業向けにISO9000の取得に助成金を出すとしていたところもあったが、それを支援するとしたコンサル団体の仕事を増やすためのものでしかない。取得の支援をして中小企業から報酬を得るくらいなら、ISO9000のエキス分を提供し、その定着を支援するべきである。ISO9000はその認証取得、毎年の審査、数年ごとの更新、そのたびに審査会社に支払う経費が生じる。その投資に見合うだけの売り上げ増大が見込める中小企業は少ないように思う。

 ISO9000のエキス分とは、まさに経営の見える化であり、情報の共有化である。個人で抱え込んでいるような情報をなくすこと。担当した設計業務や営業情報はとかく担当者レベルで抱え込みやすい。業務上で得た技術ノウハウも周囲に教えたがらない者も居たりする。企業活動によって得られた知識や技能は、本来当該企業に属すものである。

 仕事を抱え込み、自身の存在価値を高めようとする輩もあり、それも分からぬでもないが、真の仕事とは、自分を必要としないようにすることである。共同化、省力化、機械化、コンピュータ化など。真の仕事ができる社員を多く抱えた企業は確実に発展する。ただ、それを評価する能力のない管理者、経営者の下ではその逆が繰り返され、真の見える化も、真の業務の効率化も達成されない。先進国の中で労働生産性が低いと言われる国から抜け出せない。
 
 仕事がし易く、業績向上に結び付き、働く人々の幸福を呼び込む、真の「見える化」活動が求められる。
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5Sと見える化 第6回

2016年11月16日 | ブログ
見える化運動のすすめ

 QCサークル活動とか小集団活動といった、テーマ設定が結構広い活動に代わって、「5S活動」とか「見える化運動」など比較的課題の明確な組織活動が、企業の特に現場力を高める活動として注目されるようになって久しい。しかし、表面的な取り組みに終わっていることが多くないか。現場の計器室に大型モニターを設置し、「見える化」を実現したと喜んでいた所長さんは、本当に見える化が分かっておられたのだろうか。今頃になってあらためて想う。

 人は精巧な目を持っているから、大抵の物は見えていると思っているけれど、実は関心のないことはほとんど見えていないものだ。いつも目にしているであろう通勤途上に見る風景やお店の看板でも、実に曖昧な記憶しか辿れないことは、その証左として関連本などによく書かれている通りである。

 「見る」とは、形あるものすなわちハードをみること。「観る」はソフト面を、「診る」は人間性についてみること。いつかどこかのセミナーで講師の先生がおっしゃっていた。だから「観る」や「診る」は一層難しい。だから敢えて企業組織においては、運営状況の「見える化運動」が必要なのだ。

 見ることに関連して、女性の「美人」とは顔の評価、「麗人」は立居振舞を加えた姿見の素晴らしい人のこと。これに行動、すなわち心が伴って「佳人」となるそうだ。最近はとんと美人にもまして麗人にも佳人にもお目にかかれないのは、実はこちらの見る目が曇っているのかも知れない、ということにしておこう。

 世間、人間、仲間、時間から「間」を取れば間抜けであり、逆に「不信」、「不安」、「不満」から「不」を取り除くことが商売の秘訣である。その為にも売り方において売り手の心を「見える化」する必要がある。これらの話も先のセミナーで聞いた。

 企業診断など「診る」ことの代表であるけれど、これはクライアント企業の経営者とのヒューマンリレーションが必須で、そのためには対話が必要である。対話の頻度、時間、中身の濃さが「診る」ことの質を高める。

 職場で、実績値や計画表をグラフやチャートにして掲示板に貼り出せば、「見える化」であり、IT化で諸々のデータを共有化して「見える化」と考えても、グラフやチャートの意味を伝え、そこから見た人が自身の行動に反映させなければ、共有データにしっかりとアクセスして活用していなければ生きた見える化とは言えない。

 企業活動には、共有化できない情報もあるが、一部の人々が故意に囲い込んだ共有化すべき情報や知られたくない失敗情報など、何もしなければ見えにくい情報ばかりとなる。「見える化」によって現場力強化に取り組み、経営の透明性を高め、不祥事のない業績の高い企業を目指すために真の「見える化活動」が必要である。


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5Sと見える化 第5回

2016年11月13日 | ブログ
整理・整頓(続)

 5Sには関係ない話だけれど、米国の大統領選挙が終わって、大方の予想を覆して、トランプ氏が大統領に選ばれた。開票段階で、トランプ票がヒラリー候補を上回ったところで、株価は下がる、円は上がるという状況となったが、トランプ氏の勝利宣言のまともなスピーチが流れると、反転株価は上がる、円は元に戻ったようだ。

 それにしても、米国では反トランプのデモがあるようだけれど、民主主義は選挙による多数決が原則で、支持した候補が選ばれなかったとデモをするのは、どうも道理が通らない。

 もっとも、誰も言わないけれど、トランプ候補の勝利の陰の立役者は韓国の女性大統領だったように思える。他国の大統領の不甲斐なさで決まる民主主義には納得がゆかない人も出るのは当然かも知れない。ヒラリーさんは女性初の米国大統領を目指したわけだけれど、韓国大統領も韓国での女性初。この度の韓国大統領を巡る騒動は、ヒラリーさんのメール問題と通じる雰囲気もあって、元々のヒラリー票がいざ投票段階になって、トランプ氏に流れたのではないか。

 整理整頓の話に戻す。企業における整理については、日常管理的には現場主導のボトムアップ的改善行動に思えるが、整理の基準については経営者、管理者判断が必要で、個人で勝手に処分することはできない。

 従って5Sを進めるには、組織として計画的に実施する必要がある。文書、記録類の整理なども、保管期限があっての整理であり、かつ処分の仕方も資源化できる場合や単なる可燃物としての廃棄ではなく、細断または焼却などが必要な場合も多い。

 整頓によるコスト削減効果なども、5S本によっては、資材の過剰購入回避によるもの、紛失回避などによるものなどと数値を上げて定量的な実績を述べているものがあるが、定着させれば長期的には大きな経済効果が期待できることは事実であろう。

 整頓のもっとも現れやすい効果は、探す時間の短縮である。他人が見れば乱雑でも、自分にとっては何処に何があるかなどすべて頭の中に入っており、この状態が自分にはベストだなどと嘯く向きもあるけれど、職場は自分一人の場合は少ない。工具類は勿論、文具までも共有すればコストは確実に下がる。保管場所を決めて、しっかりと整頓することで気分は良くなり、作業効率は上がる。

 意外な気がしないでもないが、我が国は労働生産性が低いという。近年GDPが横ばいなのもその所為だという主張もある。一番は無駄な作業、無為な残業が多いこと。残業代稼ぎの残業があったりする。ここらあたりにも、見える化が必要なのだ。残業の指示・承認権限を管理者が放棄して、遅くまで仕事することが習慣化した企業や職場が多いこと。ワークアウト(やっている仕事、作業の細目を上げ、必要ないものを止める)が必要なのである。職場環境整備のための5Sと共に、無駄な作業を仕事と偽ってやっていないか。業務の整理・整頓も必要である。


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5Sと見える化 第4回

2016年11月10日 | ブログ
整理・整頓

 企業活動において「整理」と聞くと人員整理を思い浮かべるのは哀しいことで、これは今に始まったことではないので、現代の経営者を責めるわけにもゆかない。資本主義社会の宿悪のようなもので、企業活動が順調で事業拡張が進めむときは、雇用も拡大し、社会貢献も増大する良好な循環が見られるが、一旦不況に見舞われたり、新たに進出した事業が挫折したりすると、余剰人員を抱えることになり、所謂「人員整理」に到る。

 この繰り返しに学習した経営者たちは、なるべく正社員は採用せず、普段は派遣やパート、アルバイトでやりくりすることになる。人件費の変動費化である。経営としては正しいようで、実は長期的に社会に対する影響を考慮すれば、著しい社会貢献への裏切り行為である。企業の社会貢献は、雇用の確保、納税に加えて従業員の成長を促すことにあるからである。すなわち人づくりの一翼を担う役割が、本来企業には求められているのだ。

 5S活動における「整理」には勿論人員整理は全く含まれない。もっとも要らない物を捨てるという意味では共通するが、企業の人員整理が必ずしも要らない物を捨て、有益な物を残すことにならない場合が多いこともある。退職金を上乗せして希望退職を募ると、能力がある人から希望を出すというようなことが起こる。人事部に選考を任せると、おとなしく従順な者から肩たたきを行ったりするからである。傾いた企業など、従業員をきちんと診、正当に評価していないから左前になるわけで、そんな人事部に任せておいて良いわけはない。

 前置きが長くなった。5Sはこの整理・整頓に加え清掃で3Sと言い、5Sの中核である。先に企業における5Sは、業績向上に資するものでなくてはならないとする意味のことを書いた。その点、5Sの中でも整理・整頓は、特に数値化できる改善効果が得られる。

 倉庫に要らない物が一杯あっても、自前の倉庫だから費用は掛かっていないと思うのは素人で、そもそも要らない物を保管している倉庫そのものに意味があるのか考える必要がある。他の設備に転用できないか、新たな設備導入の敷地に使えないか。もっと保管して意義ある物を保管することに活用できないか。そのような検討はすなわち在庫削減に通じるのだ。原材料や古い製品にパレットや包装容器など物流用品なども仕様が異なれば使えずに無為に保管していることがある。それらを整理する。ほとんどの場合、面倒ということで誰もやらずに放置しているのが現状だ。

 原材料や製品在庫は、貸借対照表で流動資産になっているが、本当の意味で資産なのはどれほどあるのか。不良在庫はスペースを取り、費用の固定化となり、生きた資金活用に全くなっていないことは言うまでもない。5Sは適正在庫を考慮させ、大いなる経費削減効果を生むことになるものだ。

 整理する場合の廃棄方法も問題である。「分ければ資源」とはよく言ったもので、何らかの活用方法を考え、廃棄費用を売却収益に変える方途を考慮すべきだ。 以下次号

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5Sと見える化 第3回

2016年11月07日 | ブログ
清掃・清潔

 5Sとは職場をきれいにすること。そのためには、毎日の掃除が欠かせない。そのきれいな状態を保つことが清潔なので、清掃と清潔はワンセットとなる。掃除と仕事の相関関係が証明されているという事実は聞かないけれど、昔から「掃除のきちんとできる人は仕事もできる人だ」とか、「掃除の仕方を見れば、その人の仕事の能力も見えてくる」とか言われたりしていることは確かだ。

 9月からのテレビの連ドラに「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS火曜日夜10時)があって、10時台のドラマにしては結構高い視聴率を上げているらしい。私もラブコメディーは好きなジャンルなので毎回楽しませてもらっている。ただ、題名とその内容の関連性は分からないし、他人の家に家事代行で出向き、掃除や食事の世話があれほど立派にできる、しかもかわいい女性(当世の人気若手女優が演じているから当然か)が、大学院まで出て就活ですべてアウトだったのは納得がゆかない。

 企業の求める人材の価値観が、見事に変化している現実の一端をドラマで表しているとも取れるが、それなら現代企業の面接官は何を見ているのか。その能力を疑うし、多くの企業がそのような無能な面接官、否、間違った価値観を持ってしまったというなら、この国の産業界に明日は無いことになってしまう。所詮テレビドラマだからといえ、ドラマは時代を映す鏡でもある。

 企業における「清掃」、具体的には「掃除」は、職場を見た目に綺麗にするだけでなく、「点検」という役割がある。掃除は見えないところまでやることが重要といわれ、トイレの掃除なども臭いの元を絶つためにも、見えないところまで綺麗にする必要がある。加えて機械・設備の掃除などでは、勿論稼働中の機器の手入れは、安全に十分配慮が必要なのだけれど、埃や油で汚れた奥まった所や裏側まで綺麗にする必要があるが、これはまさに機器の点検となる。

 そこで、掃除のし易い事務所や工場を考えると、事務机や機器の配置、職場のレイアウトにも心配りが必要なことが分かる。また、ものづくりの環境が埃まみれでは、生産品の品質が保証されないことは自明である。最近、ある会社の魚の缶詰に金属片が混入していたとのことで、数千万個回収という品質トラブルがあったようだが、現場で細かいところまで設備・機器の点検清掃がされておれば、防げたかもしれない。

 5Sを企業が謳うとき、それは直接間接を問わず、短期、長期に関わらず、業績につながるものでなければならないが、品質トラブルは一挙に費用を増大させ、信用を落とすから、それを防げれば効果は大きいことになる。5Sが行き届いた職場は訪問者にも好印象で、百の営業トークにも優る見える化でもある。

 加えて清潔には、作業服に作業靴、各種保護具などの適切な着用とそれを清潔に保つこともある。汚い作業服で品質管理は出来ない。5Sと軽んじべからず、少ない投資で、業績向上に確実に結びつく活動でもある。その一歩が日々の清掃・清潔である。



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5Sと見える化 第2回

2016年11月04日 | ブログ
躾(しつけ)

 5Sでは最後にくるこの躾(しつけ)は、実は5Sの基盤である。躾というと最近はペットの犬や猫の躾を考える方も多かろうが、実はこの人間社会の家庭というものにあって、わが子の躾ほど重要な役割はない。

 世の中の科学技術が進み、複雑化した社会では、本能でカバーできる範囲は限定的である。まず、身の回りの安全。熱いもの、口に入れてはいけない物、そして幼稚園に行くようになると、「横断歩道を手上げて渡りましょう」となるごとくである。

 次に衛生。朝起きれば顔を洗い、歯を磨き、トイレに行った後や外出先から帰れば必ず手を洗う。床や地面に落ちた食べ物は廃棄することを原則とする。下着は毎日取り換え、風呂には肩まで浸かりましょう、などなどである。

 このような基本的な習慣が身についている人々が働く職場においては、品質管理の基本的な教育の一部は履修済といえる。しかし、開発途上国にアウトソーシングした場合に国内同様の気分で管理を手抜くと大変なことになる。マクドナルド*1)の委託先工場で起こった事例は、恐らく氷山の一角ではないか。顧客はマクドナルドに限らないけれど、食品加工を海外工場に依存していれば、そのブランドを信じて能天気に不潔な食品を口に入れ続けているかも知れないと思ってしまう。

 5Sにおける躾は、「ルールを守る」ということだが、そのルールも当たり前と思われることは条文化しない恐れがあって、「ルールを守っています」だけでは不足なことがあるのだ。本来海外工場へのアウトソーシングは相当慎重に行わねばならないが、円高とか、国内のコスト高を指摘されて、誰もが海外へ走った。海外進出は経営トップの判断があったと思うが、その後のフォローはどのような視点で行って来たかが問われる。

 1流メーカーの電機製品を購入したが、メイドインチャイナとかマレーシアであったため、過去のメイドインジャパンでは起こりえないような不良品に遭遇した経験があるし、企業勤務時代には、電機製品ではないが、取引先メーカーの海外生産品でも思わぬ不具合で要らぬ手間を取らされた。勿論其処らあたりの管理は、経営トップの仕事ではないが、電機メーカーはその後、海外企業に身売りするような羽目となり、また経営陣が絡む不正会計が大問題となったりした。現場の仕事とトップの仕事は離れているようで繋がっているのだ。

 人体の毛細血管が脆くなるのは、その人の生活習慣や食生活に問題がある。現場に問題を生じるのは、経営トップの傲慢や経営に対する基本的な考え方への軽視に起因することが多いように思う。

 5Sと言えば、「なんだ5Sか」、「そんなこと分かっているよ」で終わっていないか。当たり前のことが出来なくて、海外展開もM&Aも上手くゆく筈はない。経営者こそが率先して5Sを大切に考える必要があるのだ。



*1)素手で鶏肉を扱ったり、床に落ちた鶏肉をそのまま使用したり、さらには、消費期限が切れて、半年から1年以上経過してしまい、気味悪く青く変色した鶏肉まで商品として扱うなど、とんでもない問題を起こしていた事実が、2014年7月に発覚した。
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5Sと見える化 第1回

2016年11月01日 | ブログ
永守流

 日本で1970年代以降に創業した製造業で、現在売上高1兆円を超えるまでに成長を遂げているのは、永守重信氏率いる日本電産1社だけで、追随する企業も見当たらないそうだ。(日経ビジネス2016.10.24号)

 その永守社長が、2005年10月25日(火)の日本経済新聞「第7回日経フォーラム世界経営者会議」で話された言葉は、これまでも何度か紹介したのだけれど、『「夢は必ず形にできる。難しいことを考えがちだが、当たり前のことを当たり前にするだけだ。・・・「整理」「作法」「躾」などの6S運動もある。工場が汚くて社員の躾もできていないのに、株価が高くて成長している企業を紹介してもらえれば1億円を差し上げてもいい。傘下に収めた20社以上を再建したが、6Sができていない会社ばかりだった」』というものだ。当時、すでに日本電産は現在の半分、5000億円余りの売上高を上げていた。

 日本電産は1990年代に買収した業績不振企業を再建することをM&Aの柱とした。今では特に海外企業とのM&Aを積極的に進めている。それは、日本電産の新規事業に必要な技術を得るためではあるが、その市場が縮小し業績の伸び悩んでいる企業をターゲットにしているようだ。日本電産に足りない技術を補いシナジーを活かして新事業を創出するとともに、提携先企業を永守流の経営哲学で、好業績企業に甦らせるのだ。

 企業連携や企業買収は高度な経営トップの判断によるものだが、普通の経営トップは、買収した企業の6S(整理・整頓・清掃・清潔・躾・作法)までを注視しないのではないか。すなわち現場は、そのレベルの監督者に任せるべきと考えるのが普通かもしれない。

 しかし、永守氏は職業訓練大学校の仲間と4人で起業した創業者だからこそ、常に現場に目が行くのかも知れない。毛細血管に常に新鮮な血液が行き渡っているか注視するのだ。そこが、プロの経営者などと言われながら、挫折する経営者とは異なるところだ。今も3Q6S(良い会社、良い社員、良い製品、+6S)をモットーとしている。その流儀が綻びない限り、日本電産はまだまだ伸びるであろう。

 5Sは、勿論6Sから「作法」を除いたものの呼称であり、実は5Sに「節約」と「創意工夫」または「しくみ」と「しかけ」を加えて7Sなどというのもあるらしいけれど、ここでは6Sも7Sも包含して5Sと考える。

 要は、経営というと難しく考えがちだけれど、勿論自社に世界に誇れるような固有技術は必要だけれど、その固有技術を生かすも殺すも、現場の日常管理、品質管理と言ってもいい、その基本中の基本である5Sを徹底する必要がある。そして加えて「見える化」がある。

 既得権を握った少数者が敢えて見えなくして、組織を危うくさせる事例に事欠かない。大企業にも行政議会にも数多あることは周知であろう。経営においてはあらゆる工程で見える化が必要なのである。


 
本稿は、日経ビジネス2016.10.24号「日本電産」(世界の果てまで永守流)を参考にしています。


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