中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

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時事散歩Ⅲ第19回

2014年03月29日 | Weblog
右傾化

 安倍政権になって1年余り、わが国の右傾化が言われる。以前ドイツなどネオナチと呼ばれる活動が広まっているように聞いていたが、現在はどうなのであろう。要はナショナリズムで、懸念される傾向として他民族の排斥などがある。どこの国にもあることで、自国や自民族、自国の歴史や文化を愛すること自体は間違っていない。

 ナチスドイツは、ヒトラーがドイツ人から嫌われていたユダヤ系住民を排斥する言動で、国民の歓心を買い、気がつけば大きな権力を握っていたところから国家全体が大きな非難を浴びる結果となった。お隣の韓国や中国の政治家がわが国の歴史を論(あげつら)い、国民からの支持を得ようとしていることと似ていなくもない。

 翻って安倍政権はどうか。特に国内の外国人を排斥する言動はない。謂れなき隣国からの非難中傷に対して、それは真実に照らしてどうですか。と言っているに過ぎない。集団的自衛権にしても、普通の国が同盟国に対して普通にやっていることをやるようにしましょうとしているだけに見える。憲法改正だって、「時代に合わなくなった憲法は見直しましょう」と言っているのだ。ただ取り巻きに、建前を踏み外すやや勇み足もあって、マスコミや野党及び隣国の良い標的となっているだけだ。

 米国だって日本が真に普通の国になり、経済だけでなく軍事的にも真の力を付けること、すなわち米国の庇護の下から離れる事態は避けたいという考えではないか。だから韓国の言い分にも耳を貸す。日韓の仲を取り持つ形で、どちらかといえばわが国の韓国への譲歩を促す。米国の干渉で従軍慰安婦に対する河野談話の見直しはチャンスを逸した。大体わが国に2発も原子爆弾を投下し、東京他多くの都市に無差別に焼夷弾の雨を降らせて、責任はすべてわが国の軍属に擦り付けた上、戦後韓国に傀儡政権として反日代表者(李承晩)を大統領に据えた国が、歴史問題で韓国の肩を持つこと自体ナンセンスではある。

 仕方がなかったと言えばそうだろうけれど、戦後の自民党政権においても中韓が歴史問題で五月蠅く言うようになってからは、中曽根元総理だって、河野元官房長官だって、結果として自身の政権維持や保身のために国を売ったに過ぎない。靖国参拝もすぐに取り止めている。もっとも村山さん(元首相)の場合は、自身の信念に基づいた談話だったと思うけれど、真に歴史を捉えていると言えるかどうかは疑問である。

 右傾化で取り上げられる人物の真骨頂は、東京都知事選で善戦した田母神氏である。知事選挙での公約など聞いた限りでは、私にはもっとも相応しい人に思えたが、流石に安倍自民党も政党として支援するのは憚られたようだ。原発は再稼働すべきと明瞭であったし、首都防災を徹底し、東京オリンピックの成功に全力を尽くす。文教面や子育て支援だって無視していたわけでもない。ただ、過去の言動や経歴から確かに現在の日本社会の中では右寄りかも知れない。もっとも多少の勇み足はあっても、言っていることは間違っていないことは多く、公人としては建前に背いたことがマスコミの好餌となっただけだ。

 田母神氏は、航空幕僚長当時、政府見解と異なる趣旨の論文を発表したため、辞任に追い込まれた。しかし、五百旗頭真防衛大学校長が、小泉内閣当時新聞紙上で自衛隊のイラク派遣反対の意見や総理の靖国神社参拝反対の意見を公表していたことを挙げ、「防大校長も自衛隊員であるが、その発言の責任を問われる事はなかった」と言っていたそうだけれど、マスコミに受けそうな意見は政府方針に反してもお咎めなしでは、全くこの国の正義とは何であるか怪しく思えるではないか。

 「右傾化」という何でも一括りのフレーズが、言論に対する正当な評価を捻じ曲げているように思う。それは共産党一党独裁の国に見られるような言論統制に似ていなくもない。



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時事散歩Ⅲ第18回

2014年03月26日 | Weblog
国家予算

 3月20日、参議院で平成26年度予算が可決成立した。3月中に成立したことは、その執行に滞りが生ぜず結構なことだけれど、その額は95兆8823億円で過去最大規模という。相も変わらぬ国債依存の予算である。新規国債発行額は25年度当初予算に比べ3.7%減とは言うが、その額は41兆2500億円。国家予算の実に43%を占めている。

 要は、この内閣においても国家財政危機に対する抜本的対策は先送りされているのだ。もっとも国の借金が1000兆円を超えても、それを上回る国民資産があるため大丈夫という話はよく聞くが、通貨は信用で成り立っており、その信用はいつ崩壊するか分からないものでもある。プライマリーバランスの大幅赤字も解消に向かっておらず、わが国の国債が投げ売りされ、その金利が上昇すれば、国家予算の国債費はさらに増大する。

 この予算の基本方針は、平成25年12月12日に閣議決定されており、その骨子は、「Ⅰ.デフレ脱却・日本経済再生に向けた取り組みの更なる推進」、「Ⅱ.強い日本、強い経済、豊かで安全・安心な生活の実現」、この中には東日本大震災からの復興の加速なども含まれている。「Ⅲ.予算の重点化・効率化の推進」となっている。デフレ脱却・日本経済再生に向けた取り組みにおいては、公共事業なども必要で予算は膨らませざるを得ない。災害復興にもお金は掛る。

 それにしても、このような予算編成を続けておれば、いずれ国家財政が破綻することは間違いない。原発の再稼働が進まなければ、貿易収支は赤字を続け、経常収支も危ない。基本方針は、受験競争を勝ち抜いた一般に優秀と称される官僚の体裁を整えた文章力で、もっともらしく整えられてはいるが、前例踏襲で改革への知恵が薄いのだ。案はあっても、実行する際の抵抗勢力に抗するだけの丹力がないのか。

 このままでゆくと、予定通り来年消費税を10%に上げたとしても、庶民の生活を圧迫するだけで、国家財政は好転する兆しも見せないのではないか。税収が少しでも増えるとなれば、早速使う算段をする輩ばかりの政治屋集団が国会には巣くっている。国会議員一人一人がもっと国家第一に考えないといけない。

 少子化対策といいながら、経済成長には婦人の潜在力を生かすことが重要だと、103万円限度の扶養者控除をなくして目一杯働けという単なる増税施策も考えているらしい。育児や家事は放棄しろというのか。ガソリンは消費税が増えるばかりか、元々の揮発油税に加えて環境税を掛ける。災害復興税は法人からは取らなくなるが、庶民からは取り続けるらしい。成長戦略や従業員への賃上げなどの必要から法人優先税制となるようだが、庶民には理解し難い。税金を増やす方策に知恵は回るが、使い方の重点化・効率化の方には知恵はないのが財務官僚や政治屋さんであるらしい。

 このたびのネット仲介のベビーシッターの起こした事件を受けて、監視機能強化と共に浮上するのが、保育士待遇向上のための税負担。本予算で初めて30兆円台となった社会保障費のほとんどは老人に使われ、子供のためには使われていないから、こちらにももっと使えという圧力が形成されつつある。国家予算は益々膨らむ。

 中国の軍事力台頭とその横暴で防衛費は増額せざるを得ない。福祉、福祉と言うけれど、医療介護など、税負担が膨らんでいるところは個人負担を増やすべき。検査漬け医療も考えないといけない。痛くも痒くもなくとも定期的に検査に来なさいでは、老人医療費は膨らむばかりだ。年金も薄く広く減額するしかない。勿論公務員改革も必要であろう。大企業が子会社を作って社員の出向先を確保するごとく、行政機関にもやたらと行政の関連機関が多い。思い切って整理統合を進めるべきである。

 「言うは易しで批判は簡単」と切り返されそうであるが、大幅赤字の県や市の財政を黒字化させた首長は多い。江戸時代は8代将軍吉宗の改革で15代まで続いた。戦国の世に天下布武の信長があって、多くの血は流したが、秀吉、家康の天下統一に繋がった。この国でもやる人は苦しみながらも誰もが考えないようなやり方を実行してきた。先例踏襲の無難なやり方ではこの国の将来は開けないのではないか。



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時事散歩Ⅲ第17回

2014年03月23日 | Weblog
許されざる者

 ここ数日、新聞テレビでベビーシッター事件報道が続いている(20日現在)。託児所不足は聞いていたが、ネットを使い乳幼児を預かることで収入を得る仕事があることなど知らなかった。5人までなら行政への届け出も要らないという。無資格で赤(阿伽)の他人の赤ちゃんを預かり給金を貰う。預かる場所の衛生状態も、その間のシッターの幼児への対応も保障はない。預ける親こそ問題だと思うけれど、他に方策が無かったと言われればそれまでである。

 埼玉県富士見市のマンションで2歳児の遺体が見つかった事件で、このマンションに住む20歳代のベビーシッターの男が逮捕された。男はあくまで容疑者であり、何があったのか事実は今のところ不明である。ただ言えることは、大切な子供を軽々に他人に預けることは、どのような事情があったにしても預ける側の問題でもある。

 政府は相当前から少子化対策に大臣まで配して取り組んで来た筈であるが、このような抜け道の仕事や業者を把握していなかったことは問題である。政府は、あらたな事件が起きるたびに後手後手の対応となっているようにみえる。ベビーシッター仲介の別サイト運営会社によると、2008年の開設から6年で、利用登録は全国で約1万人、シッター登録も約5000人に上るという(3月18日読売新聞夕刊)。昨日今日始まった業態でもないようだ。この間放置されておれば、当然に起きるべきして起こった事件ではないか。

 だいぶん前の話だけれど、職場の部下の青年がボランティアをやっているというので、内容を聞いてみると、若いお母さんが育児で持てない趣味の時間の確保のための、子供を預かるボランティアだという。そんなボランティアは止めた方がいいと言ったものだが、その後どうしたかまでは聞いていない。預かった子供が怪我をするような事態まで考えての活動だったのかどうか。「若い母親の趣味の時間のために、自分の時間を使うことはない。そんな時間があるなら自己研鑽に努め、将来より大きな形で社会貢献をすることだ」と思ったものだが、ボランティアを募集した組織もあった筈で、個々人の問題だけでもない。

 それにしても、少子化でありながら、子供が粗末にされている。実の親から、また継父や母親の愛人から子供が虐待を受けて死亡する事件も後を絶たない。数年前か母親が幼児をアパートに放置して死なせた事件もあった。死亡するまでの虐待があるということは、死に至らない虐待が常習化しているケースは相当数あることが推測され、家庭という一種治外法権の場で躾という名目の暴力が繰り返されているのは憤怒に耐えない。学校の部活動などでも問題になるが、要は圧倒的な力と立場を持った人間が、本来庇護されるべき弱い幼児や児童・生徒に対して暴力をふるう卑劣な行為だ。ただ、確かに人が育つ過程で、痛みによってしてはいけないことを体で覚えることもあるし、手に負えない行動をする子供もいないわけではない。すべてを否定することは「過ぎたる及ばざるが如し」ではある。

 最近発覚した事件には、父親(23歳)が長女(8か月)の顔に熱湯を掛けたというのがあった。このような人間を鬼畜という。鬼や畜生も「そこまではやりません」と言うかもしれない。

 鬼、畜生よりも劣るような人間が、21世紀のこの国にあることを社会や政治の責任というつもりはない。個人の問題である。厳罰に処すべきである。しかし、卑劣な犯罪者にさえ人権を持ち出して擁護する風潮がある。いかにも人道的で進んだ社会のようだが、わがまま勝手な人間を生みだしていることも忘れてはなるまい。虐待死させた親の刑罰の多くは驚くほどに軽い。正義面した偽善者こそ許されざる者達である。




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時事散歩Ⅲ第16回

2014年03月20日 | Weblog
福祉

 大きな政府、小さな政府、また高負担・高福祉、低負担・低福祉など人それぞれに考え方があり、行政のポジショニングもなかなか難しい。現政権の福祉政策は中負担・中福祉のスタンスと見受けるが、これは高福祉・高負担の北欧モデルに対する相対的なもので、中庸と言ってこれもまた人それぞれ解釈に幅があろう。

 国民の義務と権利に照らして、まず個人で出来ることは個人で、近所付き合いで出来ることは近所の助け合いで、国家財政や専門人材に頼るしかないことは国や地方の行政機関が受け持つことになる。その部分において国民はその支払い能力に応じて税金を払う義務を負う。もっとも健康保険も介護保険もすべて個人の責任と看做し、個人が民間の保険会社に委ねる考え方もできる。一生高収入を維持できる人々にとってはそれも良かろうと思う。その分税金は安くて済むが、貧しい人は医療も受けられない恐れがあり、憲法に保証された基本的人権が侵害される恐れがある。

 わが国に介護保険制度*11)が導入されたのは、ここ20年くらい前の出来ごとで、強制的に給料から保険料を差し引かれるようになった。年金の中からもしっかりと徴収されている。国民皆保険は、前述の通り国家が税金投与しても運用する保険制度に納得性が高い。しかし、介護となると本来家族で賄ってきたことで、国の税金で補てんすべき案件ではないと思われてきた。しかし、近年の長寿化、少子化、核家族化もあって、要介護者に対して家族労働だけでは限界があると看做され、国家ぐるみの保険制度が開始されるに至ったと理解している。

 ただ、運用面や受給者側の心根によっては問題を生じる。まず、保険が適用されるとなり、その個人負担分が少なければ、必要以上に制度に依存することが考えられ、業者は商売繁盛で人手不足を嘆いていればいいが、国の負担が大きくなるばかりか、本来自分でできる日常の家事等を他人に頼ることで、自活能力を削いでゆく恐れがある。

 日本経済新聞の連載記事「やさしい経済学」の「第8章福祉の実現には①」(3月17日朝刊)に、ある女性大学教授が介護制度のある問題点を取り上げていた。老夫婦二人の家庭で、妻女が要介護2で保険の対象になるが、受給できるサービスは食事も洗濯も部屋の掃除も一人分のため、夫は自分の分だけやるのも変わらないと、サービスを受けていない。そのため、自宅に縛られることになり、能力がありながら社会的活動ができなくなっているという。

 経済産業省の中小企業支援のための補助金制度なども、大いに活用する企業もあれば、補助金を受給するまでの手続きやが煩雑で、対応できる人材もないことから、利用しない企業もある。確かに不平等となるが、手続きを緩和すれば、不正な受給が発生する恐れがある。福祉も同じである。痒い所に手の届くサービスは理想であろうが、そのような不具合解消でサービスの範囲を拡大すれば、税負担は増加の一途を辿る。経産省の中小企業支援は案件毎に補助総額枠が定められており、受給できる企業数は限定されるが、介護サービスでは国家負担枠を超えたからと打ち切るわけにもゆかない。

 健康保険も介護保険も制度そのもの存続は必要である。そのためにも運用上個人負担と税負担のバランスを適正に維持することが重要である。また、個人が可能な限り家族の介護に関わることは、マイナス面ばかりでもないような気がする。自分の時間を失っても寄り添えることを大切に思う人もいる。人生の価値観や幸せの定義も人それぞれに異なるのである。



*11)平成9年(1997年)の国会で制定され、平成12年(2000年)4月1日から施行された日本の社会保険制度。財源は、被保険者の納付する保険料と、国・都道府県・市区町村の税収からの給付である。byウキペディア
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時事散歩Ⅲ第15回

2014年03月17日 | Weblog
技術流出

 『総合電機大手「東芝」の主力製品「NAND型フラッシュメモリー」の研究データが韓国企業に不正流出していた事件で、警視庁は13日午前、東芝と業務提携していた半導体メーカーの元技術者で、不正競争防止法違反(営業秘密開示)容疑で逮捕状を取った福岡県内の男(52)の取り調べを始めた。容疑が固まり次第、逮捕する。』3月13日の読売新聞夕刊のトップ記事である。翌朝の一面トップには「東芝流出元技術者を逮捕」の白抜き見出しがあった。

 関連記事によると、日本企業の最先端技術の海外流出に捜査が及んだのは初めてとある。しかし、2012年には新日鉄住金が、同社OBに韓国ポスコが多額の報酬を支払い、特殊鋼板の製造技術を入手したとして、損害賠償訴訟を起こしている。今回の事案では、個人に対して逮捕状を取るという展開となり、そのことが初めてということなのだろう。

 似たような犯罪行為は、大小、軽重の差もあろうけれど、数え切れないほどあるのではないか。国内企業間にあっても、転職技術者は元の企業で得た知見やデータを新たな企業で役立たせることで、存在感を高めることは当然のように行われている。それが、法律に触れるほどのものかどうかの線引きは確かに難しい。個人の知見、経験は個人の財産でもあって、それを転職のパスポートとして活用すること自体違法ではなかろう。ただ、たとえ古いものであっても、図面や未公開のデータを持ち出せば犯罪となろう。

 以前より、中韓企業はわが国先端企業の人材を取り込み、競争力を付けてきたことは間違いなく、その中には違法な情報収集が数限りなくあるような疑いは個人的にも感じていた。安倍政権の経済運営が、あまりに稚拙な民主党政権時代と異なり、韓国企業には脅威となったため、この政権に必死になって揺さぶりを掛けている様は露骨でさえある。前政権下の円高容認によって、価格競争力を失ったわが国IT関連企業や家電メーカーは体力を削ぎ、已むなく人員整理を行う。不満を抱きながら落ちこぼれた技術者の中には、たとえ韓国でも中国でも自分を買ってくれるところなら出かけようという輩は増加していたであろう。

 今回の容疑者はそれ以前の時期だから、年収は2倍、高級マンションを与えられ、帰省のための航空券も準備されたというほどに優遇された。容疑者本人の責任は勿論であるが、情報を得るために好待遇で技術者を招き入れる企業も同罪で、損害賠償請求は当然であるが、当該企業や経営者に対しても刑事罰を問えないものか。

 しかし、当初は優遇を受けた情報提供者も、一生当該企業が面倒をみてくれることはないであろう。短期間に使い捨てされるのは目に見えている。従って、次々と日本企業からの技術情報提供者が必要なため、韓国企業からすれば、日本の大手家電メーカーなどの凋落を期待している。円高は韓国企業にとって目先の競争に有利なだけでなく、疲弊した日本企業から溢れた技術者確保につながるからである。繰り返しになるが、アベノミクス効果は、特に韓国にとっては癪の種であった。其処ら辺りの経済情勢の変化は米国とも共有している部分もあるかも知れない。

 その点において米韓協調して安倍政権を追い込んでいるようにも見える。そして安倍政権は現在、韓国に対して軟化協調の趣であるが、根拠のない談話を継承することはさらに子孫に負担を残す。ここは絶対に引いてはいけないのだ。外交は引けば負ける。特に菅長官など、われわれ同様戦後生まれの団塊世代。結果としてやっぱり団塊は甘かったとならないように願いたい。他国に媚びる、情報を提供するわが国の政治家や技術者も国家への裏切り行為として同罪である。「甘かった」で済む問題ではない。




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時事散歩Ⅲ第14回

2014年03月14日 | Weblog
消費税

 いよいよこの4月から消費税が8%となる。消費税増税は止む負えないと考えている向きは庶民にも多いし、私もその例外ではないが、増税を決めた内閣を称賛する風潮があることにはいいことではないと思っている。自身の内閣の命運よりも国家財政を優先したなどという後付けの言い訳を信じる能天気の人々の良識を疑う。前号でも指摘した通りである。

 今回の増税を決めたのは確かに野田内閣であったが、三党合意という質を取っており、必ずしも選挙で、増税が自党だけに不利な審判を受ける材料ではなかった。財務省に洗脳されているとの風評があり、自身の内閣の延命のために必要な官僚の支援を取り付けるための方策であったとも考えられるからである。また小沢氏グループの消費税増税はマニュフェスト違反とする造反も、前の菅政権が小沢外しで国民からの喝采を浴びたことを見ての、選挙には却って好便との読みもあったかも知れない。

 共産党などが指摘する、これまでの消費税増税分は大企業減税に回っているという批判も、増収は歳出増につながるだけで、財政の健全化には繋がらないという一部識者の指摘もその通りである。増税の代わりと、身を切る改革など政治屋がすんなりやるわけもない。税収が増えるとなれば、早速に選挙区に税を運ぶため暗躍するのが政治屋の性であり、選挙に勝つための方策でもある。

 それは、民主主義の危機である。数は力、数を得るための選挙対策に万全を期すことが、代議士の使命となれば、まさに目的と手段を取り違えた方策であり、そんなことをしていてはいずれ民主主義への不信感は限りなく増大し、国民は強力なリーダーを求めて軍事クーデータを容認するような国家となり兼ねない。さすれば国は滅ぶ。

 ところで、消費税によって物価はどうなるか、当然に物価は高くなる。2%のインフレ目標どころか、ベースとして3%は高くなる。先日1000円ヘアーカットに行ったところ、4月から料金は1080円になるとのことだった。実に8%のアップである。ところが、われわれ65歳以上の高齢者は、平日に限り1000円に据え置きとのことだった。実質免税である。自身に害が及ばないと知ると、「良し良し」となるのは凡人のさもしい性である。

 鉄道料金などは、スイカなど電子マネー使用の場合、一円単位の設定が可能で、現在の料金を消費税5%内税価格としてさらに3%分の上乗せを行うが、切符では10円単位となり、電子マネーに比べて割高となる区間も多くなるようだ。もっとも電子マネーと言って、要は料金先払い制度であり、利用者全体では常に相当額のプール金(前受金)が発生し、事業者側のキャッシュフローに有利な制度である。何らかの見返りを利用者に還元するべきであった。都度切符購入者より有利となることは当然である。

 いずれにせよ、交通機関は値上げされても利用を手控えるわけにもゆかず、支出は確実に増大する。電気やガス、郵便料金もモロに高くなる。庶民は生活を切り詰めるしかない。さらに中小企業などは、納入先から増税分の価格増を認めて貰えるか不安を抱えるところも多いようだ。大手流通企業に納入している末端価格を上げ難い商品群では、増税分を納入側が押しつけられる懸念があるような報道もある。力関係で、政府が決めた方策が一律に実施されないなら問題である。

 車や家電、住宅など駆け込み需要で今は仕事の忙しい企業も多いようだが、揺り戻しも当然にある。しばらくは景気の動向も不安定化する懸念もあるけれど、さらに来年に消費税は10%になることが予定(平成27年10月1日)されている。増税は仕方ないとも思うけれど、やっぱりその使い方には十分な配慮が必要であり、政権与党の責任は重大である。




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時事散歩Ⅲ第13回

2014年03月11日 | Weblog
戦犯

 「戦犯」と言って、先の大戦の戦争犯罪者ではない。今月号の文藝春秋の大特集「第二の敗戦/団塊こそ戦犯だ」という記事にあった「戦犯」である。

 特集の先鞭は、読売新聞特別編集員の橋本五郎氏の「哲学と覚悟がなかった鳩山、菅」という論文である。橋本五郎氏はテレビでも見かけるけれど、そのコメントを聞いていた限り、好感こそあれ問題のある方とは思っていなかった。しかし、鳩山(昭和22年生)、菅(21年生)という政治家がたまたま団塊世代だからと言って、彼らを代表選手にされたのではわれら団塊世代はたまったものではない。

 もっとも私は小学生の頃から、同世代に対して心細さを感じていたことも確かだ。この先われわれ世代が、この国を背負っていかねばならない年齢になった時、この国は大丈夫だろうかという不安が当時から確かにあった。その意味では、第二の敗戦の責任世代と言われることは、私の子供の頃の予感が当たったことにはなる。しかし、喜ばしいことではない。

 ただ、今回の文藝春秋の橋本五郎氏の論には、結構反論したい部分があって、相手がどなたでも書かずにはおれない気分となった。

 まず、民主党政権の失敗の原因について、大きく4つ述べている。ひとつはマニュフェストを実現できなかったこと、内部対立、党として総理を支える体制の欠如、そして4番目が戦後教育においてはエリート教育が欠如していた中で育ち、その平準化の波に彼ら指導者が飲まれていたこと。しかし、それらは見掛けの原因であり、真の原因ではなかろうと思う。

 まず、マニュフェストを実現できなかったことではなく、マニュフェストそのものの質が悪すぎたに過ぎない。内部対立は、民主党の成り立ちをみれば初めから分かっていたこと。支えると言って、この国を背負って立つ人材でも何でもない人間が総理になったことが、党員には当初見えてなかっただけで、命がけで支えるような側近が出るわけもない。組織としての体制があったにしても、心の通わぬ体制は無きに等しい。戦後教育は団塊の世代の責任ではないし、民主党の若手には優秀な人材がいると言うが、誰かが言っていたペラ顔の、もともと出世を早くと長老の下での修業を忌避した連中に過ぎない。要は団塊世代の修業が足りないのではなく、修業の足りない連中の集まりが民主党であっただけの話である。ゆえに民主党鳩山、菅政権の失敗によって団塊世代を戦犯扱いにするのには誤謬があるのだ。

 教養の点についても、戦前に育った大平、中曽根、宮沢喜一氏を橋本氏は評価しているけれど、角栄首相と大平外相の日中国交正常化は、今となっては大失敗であったかもしれない。わが国は、多額の富と技術を持っていかれ、現在それでもって中国は軍備を増強してわが国はじめ東アジアの国々に脅威を与えているからである。親日的な台湾政府(中華民国)を切った代償が中国の反日暴動だった。中国共産党は、自身を先の大戦の戦勝国の一員とし、敗戦国のわが国が戦後の世界秩序を逸脱しているように発言している。笑止である。

 橋本氏は論文の中で、中曽根氏が首相となった当時、最悪であった日韓関係を修復するために、自ら訪韓して韓国語でスピーチし、彼らの心を捉え関係修復がなったように評価されているが、現在の韓国大統領の言い分を聞いていると、中曽根氏は単に今に続く悪例を作ったに過ぎなく思えてくる。日本にガンガン言えば、鴨(首相)がネギを背負ってやってくると。本稿*10)で先にも書いたけれど、中曽根首相は、対韓歴史認識で普通のことを言った就任間もない藤尾文部大臣も更迭している。それらのことが後の河野談話に、そして村山談話にも繋がっている。もっとも中曽根氏には国鉄民営化などの功績もあるが、宮沢喜一氏は、英語で考えるというほど語学が達者であったそうだけれど、語学はツールに過ぎず、上手に越したことは無いが、本来政治能力とは関係が無い。従って首相としての実績を聞かない。

 橋本氏は、野田政権を評価している。消費税を上げることを決定したからである。その評価は財務省、財界、資本家からの視点であり、庶民感覚からは遠い。小沢グループが増税反対を唱えて離党したことも、衆議院選挙で民主党が大敗したことも、消費税には関係しない。政権を棒に振っても国家の将来のために消費税増税だというのは単なる見せかけ上の話に過ぎない。評価には値しないのではないか。敢えて外しているのか真の話は、橋本五郎氏の論からは見えてこない。氏も昭和21年生まれの同世代だというが、書かれたことが全てならどうも其処ら辺りの底が浅く、甘く見えるのはご自身も指摘されているように、この世代が戦後育ちの故なのであろう。




*10)時事散歩Ⅲ第4回(平成26年 2月10日)
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時事散歩Ⅲ第12回

2014年03月08日 | Weblog
朴槿恵(パク・クネ)大統領

 お父さんの朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領は比較的親日的であったように聞いていたので、李明博(イ・ミョンバク)さんよりはマシかと期待していたけれど、大きく期待外れで日韓関係は泥沼化が続いている。もっとも李明博前大統領も就任当時は親日的と見られていたが、見事に変身した。要するに国内政治をうまく統治できなかったということ。任期終盤は、反日で国民の目を反らして誤魔化していただけ。朴槿恵大統領は、大統領になったものの国家のかじ取りをどうすればいいか自信がなく、当面反日一辺倒で支持を確保しているように見えてしまう。

 彼女は、わが国の首相との首脳会談は避けながら、中国の習近平中国国家主席とは仲良くされているようで、ツーショット写真を見掛ける。中国は韓国にとっても重要な隣国だから、仲よくすることをとやかく言うことはないのだけれど、そのツーショット写真は、先のわが国の衆議院選挙で共闘した、とある女性知事と悪名高き剛腕政治家のツーショットと類似しているように見えてならない。共通項は「卒原発」ならぬ「反日」。「卒原発」は議席を大幅に減らしただけで、日本未来の党は生活の党に政党助成金を持って行かれただけに終わる。その連携は、残念ながら第三者的には初めから「女の浅知恵」にしか映らなかったものだ。

 一方中韓のお二人は、伊藤博文を暗殺した安重根(アン・ジュングン)記念館を中国ハルピン駅に開設することで友好を深めたようだけれど、朴槿恵大統領は戦前のわが国の半島統治について蒸し返すのに、戦後に行われた中国のチベット侵略や今に続くウィグル弾圧は他民族のことと無視している。その姿勢からは、単なる自己保身しか関心のない底の浅い政治家に見える。

 わが国のテレビでは、ある評論家氏が、朴槿恵大統領は英国のサッチャー首相のように、信念は曲げない政治家だから、日韓関係改善のためには、わが国政府が韓国に歩み寄るべきと譲歩を促していた。朴槿恵大統領をサッチャーさんに喩えるなど、泉下のサッチャーさんは怒っているのではないか。さらに朴槿恵大統領の告げ口外交は、わが国の国益を損なっているとも言っていたけれど、世界の外交常識を逸脱したその行動は、韓国の国益を損ないこそすれ、わが国に影響は少ない。そのような脅しにも賺しにも動じることがあってはならない。しかし、当評論家氏の発言する態度には、どこからかの圧力があったような雰囲気を感じさせていた。

 「正しい歴史認識を持たない国に未来は無い」と言うけれど、わが国が止むなく半島を併合した当時、日本に相応の力がなければ、韓国にはさらに悲惨なロシア統治が待っていたのではないか。正しい歴史認識を持っていないのは韓国なのである。

 安倍政権は、1993年の従軍慰安婦に対する河野談話の検証作業を始めたそうだけれど、すでに当時の官房副長官の発言にもあるように、談話は従軍慰安婦と名乗る16名からの証言によっただけのことで、取るべき証言の裏や証拠は示されておらず、内容について事前に韓国側とのすり合わせがあったという。単に相手国に阿った談話は、今後明確に否定する必要がある。

 スポーツの祭典にまで自国の政治的主張を持ちこんだり、オリンピックの判定にさえ多くの国民がイチャモンを付けるお国柄は、国際社会の鼻つまみであり、日本贔眉の方が圧倒的に多いと思うけれど、他国の紛争に巻き込まれたくない国々は、表立ってわが国への肩入れはしないであろう。西洋からみれば、韓国も日本も遠い東洋の僻地でしかない。しかし、それは朴槿恵大統領を盲目にさせ、韓国の発展を阻害することに繋がるような気がする。


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時事散歩Ⅲ第11回

2014年03月05日 | Weblog
集団的自衛権

 わが国には、「水と安全はただ」という神話があった。未だ野党は、同盟関係における集団的自衛権行使について、いろいろ言っているけれど、「安全はただ」の後遺症ではないか。世の中「ギブアンドテイク」が原則なのは個人の関係でも国家間でも同様のことだ。与党の一角である公明党さえも安倍政権の意向に意見しているけれど、母体が中国繋がりのためのパフォーマンスに過ぎず、彼ら個人には明確な信念も国家もない。

 テレビでチラと見ただけでコメントするのも憚られるが、元通産官僚のコメンテーター氏が、集団自衛権の容認でわが国が思わぬ紛争に巻き込まれる危険を述べて、政権の思惑で決められる問題でないように述べていた。このような案件を国民投票に委ねれば、当然に没になるであろうことを想定しての意見である。

 以前、米国のアフガン対応での自衛鑑による洋上給油に賛成か反対かの路上シール貼りに参加したが、圧倒的に「反対」ボードへのシールが多かった。「民意が低いなあ」とわざと周辺にも聞こえるように言いながら「賛成ボード」にシールを貼ったのだけれど、主催者側のおじさんが苦笑いを浮かべていたものだ。民主党への政権交代の少し前だった。

 民主党政権になり、新テロ特措法の期限切れを機に(延長せず)洋上給油は止めになったが、その後このシーレーンの情報はわが国には入らなくなったと聞いた。国民は上っ面で偏ったマスコミからの情報に流される。北朝鮮の拉致はねつ造であると公言し、日の丸に×を付けたデモにも参加するような連中の政党出身者はじめ、天の声か何かを発し、地元業者からは吸い上げ、政党助成金錬金術など黒い噂の絶えない御仁の集団や、素知らぬ顔で外国人献金を受け取っているような連中を加えた、それこそごった煮の政党に、反自民と政権交代のキャッチフレーズと税金のばらまきの甘い餌にみごとに嵌った。オレオレ詐欺にひっかかったようなものだった。

 確かに現行憲法の条文をそのまま読めば、集団的自衛権どころか自衛隊の存在さえ怪しいものになる。もっとも個人にあっても暴行を受ければ、反撃する権利は認めてられており、そこに命の危険があって相手を殺(あや)めたとしても、正当防衛が認められる公算が高い。国家も同じで、たとえ憲法の条文がどうあっても、その生存権の基幹である防衛権は国家固有の権利であり、憲法解釈以前の問題だ。其処ら辺りの認識も曖昧で、いかにも自衛隊が歴代政権の確信犯的違憲解釈で成り立っていると誰もが思っている節がある。

 だから集団的自衛権という同盟国なら当然の義務も蔑ろにされてきた。もっとも日米同盟は、米国が他国の侵略から日本を守る義務を負うが、日本の自衛隊に米国を守る義務はなく(集団的自衛権は行使しない)、その代わり、日本国内に米軍基地を置くことと思いやり予算で成立していた経緯があった。しかし、時代は変化している。中国の経済的軍事的台頭が東アジアの平和に脅威となっている。わが国のマスコミは取り敢えずわが国の平和を言うが、すでにフィリピンやベトナムは南シナ海での中国の横暴に苦しんでいる。他国の苦しみを放置してもいいのか。米国も相対的にその力を弱体化させているのだ。

 現代は、一国平和主義では成り立たないし、集団的自衛権を現内閣で閣議決定したとしても、シリア問題で英国議会が英国軍の軍事行動を拒否したように、その内容によって常に米国に追随する必要はない。過剰なリスクの吹聴に惑わされる必要はない。



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時事散歩Ⅲ第10回

2014年03月01日 | Weblog
日米隙間風の風説

 シリアの生物化学兵器使用におけるオバマ政権の軍事介入に、安倍政権が素直に賛意を表さなかったことに加え、当面靖国参拝を見合すように求めていた米国の意向を無視して、靖国参拝を決行したことなどで、オバマ政権と安倍政権の間に隙間風が吹いているという報道がある。確かにブッシュ・小泉時代のような蜜月でないことは確かなようだ。ブッシュさんは共和党で、オバマさんは民主党だ。クリントン大統領の時はあからさまだったけれど、スポンサーが中国寄りであれば政権も見掛け上そのように動く。

 シリアへの軍事介入は、英国も議会の承認が得られなかったことで米国に追随せず、無しに終わったことで、安倍さんの対応は正しかったことになるけれど、オバマさんは面子をつぶされた格好だった。どうせ軍事介入は無いなら、安倍さんは素直にオバマさんの顔を立てておいた方が良かったという考えもできる。しかし、シリアの現政権のバックにはロシアのプーチン大統領が居る。ロシアとの北方四島交渉を進展させたいわが国(安倍総理)としては、プーチンさんと対立したくない。

 それにしても、米国が中国や韓国に慮って、靖国問題に口を挟むのは異例のことだった。勿論TPP交渉への圧力も考えられる。しかし、もっと根深い思惑があるとも考えておいた方がいいように思う。

 中国のGDPがわが国を抜いて世界第2位となっているが、このまま行けばいずれ米国をも凌駕するのは時間の問題かもしれない。資源確保もあって中国の太平洋への渇望は大きく、当面沖縄や台湾を含む第一列島線までの権益を確保し、沖の鳥島を含みグァム・サイパンまでの第二列島線へとその権益確保が狙いである。中国は米国と世界の覇権を分ちあいたい思惑がある。しかし米国にとってはそれを許すわけにはいかない。米国が太平洋に日本という前線の砦を失えば、いざ米中戦う時に、米国本土が大きな戦災を被る懸念を生じるからである。米国は、中国が軍事力で米国と対等に戦えるようになる前に、すなわち第一列島線を越える前に中国を潰す必要がある。それは、米国だけの想いに留まらず、元(王朝)の一時代を除いて世界を支配してきた白人主導社会の譲れぬしきたりであろう。

 他の選択肢も模索しながら、いざとなれば中国を戦争に持ち込んででも潰す目論見があるのではないか。しかし、オバマ政権は任期中に中国と戦いたくはない。今のところ大事なスポンサーを手放したくはない。米国はもう少し時間を掛けて静かに機会を狙っている。オバマ政権はキャロライン・ケネディ氏を日本大使とした。1962年のキューバ危機にあって、当時のケネディ大統領が核戦争も辞せずの対応で、キューバからソ連製のミサイルを撤去させたことに倣い、「中国が日本に手を出せば、米国は総力で中国を攻撃するよ」とのメッセージだ。一方で表立っては中国に媚を売ることも忘れない。それがわが国への靖国参拝自粛だったのかも知れない。

 米国の中国潰しの思惑については、単なる私的な感度として以前本稿で触れたこともある*9)。ところが最近読んだ本に、やはり同じようなことが書いてあり、世界の生の情報を持つ識者にも同様のことを感じている人は居ることを知った。

 中国を潰すためには、内部からの政治体制変革を誘い、その際に生じる中国国内の混乱を利用するか、台湾やわが国尖閣などへの軍事行動に乗じて戦争を始めるかのいずれかではないか。戦争となればわが国の被害は甚大となることは免れない。石原元東京都知事が防災訓練に自衛隊を参加させていたことなど、単なる防災だけではなく、有事への備えもあるものと感じていた。米国が譲歩するか、中国が自制すれば全面戦争はないが、その場合は、わが国の少なくとも海洋権益は大幅に損なわれている懸念がある。中国の海洋進出は既成の事実であり、近い将来の米中の軍事衝突はけっして小さな確率でないことを、覚悟しておかねばならないだろう。

 現在のオバマ政権と安倍政権の隙間風など、取るに足らぬ二国間の駆け引きに過ぎない。




*9)「時事私観」その6、平成25年6月16日号
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