中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

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時事散歩Ⅳ第19回

2015年02月25日 | ブログ
震災復興を登記制度が阻害する

 今回の表題は、日経ビジネス2015.2.23号からのパクリである。論者は東京財団研究員兼政策プロデューサーの吉原祥子(よしはら・しょうこ)氏。日本の土地制度の研究者。要約として冒頭に、『「3・11」からもう4年。しかし住宅はじめ、被災地の復興は意外なほど進展していない。大きな原因の一つは、登記の仕組みのゆがみだ。』とある。

 復興には新たな土地の入手が必要であるが、権利者不明の土地が相当にあるらしい。復興のためとはいえ、国や県は不明のまま権利者を無視して勝手には使えない。なぜ不明になっているかといえば、土地登記が任意になっているため、所有者死亡後、親族が名義変更せずに放置した場合、登記簿には死者の名前が載り続ける。何代も時代が経過すると相続権を持つ法定相続人がネズミ算的に増えている。その土地を取得しようとすると、これら法定相続人すべてを特定し、同意を取り付ける必要がある。この手間だけで、膨大な時間と労力と経費が必要となっているのだ。

 『地方、特に山林は地価が安いので、登記を行って土地の権利を保全する手間とコストの方が、その土地を売るよりも高くなるからだ。・・・地方では、登記しなくても不便もリスクもあまりなかった。地域共同体が機能していた間は「誰の土地か」はお互いが分かっていたからだ。しかし、子供は都会へ去り、共同体が崩壊していくと、「土地の所有者=在村地主=管理者」という図式が成り立たなくなってきた。地価が安く、納税額も微々たるもので、税務当局もその正常化に力を割けない。』

 この問題は、震災復興だけでなく、現政権がもっとも力を注いでいるものの一つと思われる「地方創生」にも大きく関連する。本稿でも第14回「限界集落」(平成27年2月10日)で農地の所有権やその税制の問題に触れた。また、一時期騒がれた外国人による水源地帯の山林や軍事基地周辺の土地の購入対策にも関連する。

 『世界一強い日本の所有権、財産権の修正につながるので大変な難事だ。しかし災害などが起こらない限り問題が見えないので、平時に取り組む主体が存在しない。だがこのままでは、権利者不在の土地を悪意を持った第三者が占有した場合、対応できる法的な根拠が乏しいなど、別の問題も生じる。根本的には不動産登記法の見直しが必要と思う。』

 中学で日本史を学んだ折、先生から「荘園」という土地を軸に考察すると理解が深まるように聞いた。品質管理の改善活動では、「なぜ、なぜ、なぜ」で根本原因に対策を打つことを学んだ。震災復興もそうだけれど、問題が起これば、まずは応急処置としての対策があることは当然であるが、地方創生や外国人(悪意を持った第三者となる恐れがある)による山林等の取得対策などの問題には、その根幹に手を打つことが求められる。吉原氏の言われる「不動産登記法」の見直しに加え、この国の「世界一強い所有権」、「農地などの優遇税制」の見直しが早急に必要と考える。



本稿は、日経ビジネス2015.2.23号「震災復興を登記制度が阻害する」を参考に構成し『 』内は直接引用させていただいています。
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時事散歩Ⅳ第18回

2015年02月22日 | ブログ
アベノミクス

 安倍政権となって2年と数カ月、自身の第一次内閣以来約6年間、福田さん、麻生さん、鳩山さん、菅さん、野田さんと続きほぼ一年交代であった政権が、昨年末の総選挙も経て、今回は本格的な長期政権となる気配である。

 現在の安倍政権が支持されている理由は、政権交代直後から取り組んだ経済政策、所謂「アベノミクス」が効を奏し、まずは円安誘導による輸出型産業への梃入れ、伴って株価上昇、雇用増大などが見られたことによる。加えて積極的な外遊による首脳外交も評価される要因であろう。安倍首相が、まさに身を粉にしてこの国の復活に力を注いでいることを、多くの国民も認めているためと思う。

 そうは言って、どんなものにもケチは付けられる。世に完璧なものはない。光が射せば影が生じる。民主党政権時からの5割の円安は、円建て給料で暮らす海外の商社マンや駐在員などの生活を直撃する。まさに彼らは5割貧しくなる。また円建てのGDPをドル換算すれば中国の半分、ドイツにも抜かれそうだという。個人所得も1980年代頃はドル建てで世界の2位くらいまでいったことがあるように記憶するが、現在は27位程度という。

 もっともわが国のGDP(当時はGNP)がドイツを抜いて世界第2位になった昭和43年(1968年)頃は、まだ円は1ドル360円の固定相場だったから、個人所得の国際比較では現在とあまり変わらない位置に居たように記憶する。しかし、国民生活は今の方がずっと豊かだ。またバブルの頃には1985年のプラザ合意による急激な円高が進行、120円くらいまで高騰し、バブルが弾けた後の1995年に、当時の最高値で80円を切った時期があったけれど、それらは世界の国々と比べて数値的にお金持ちになっただけで、多くの庶民の生活はそれほどの豊かさの実感はなかった。地価の高騰やその後遺症にも苦しんだ。一部の人間が踊り狂っただけだった。

 時々の為替相場やGDPで庶民の生活を測ることはできない。タイムラグも考えられるし、庶民の日々の生活における幸せ感は、お金だけで測れるものでもない。この国の文化や風習、清潔な暮らしぶりは世界から注目され、称賛されるようになっているように、国家や民族には積み上げたお金に換算出来ない資産もある。

 この国は戦後一貫して道路、橋、堤防、港湾、空港、新幹線、地下鉄、都会のビル群などの建設を進めた結果、人々の生活の基盤整備が進み、産業・流通、庶民生活の利便性、娯楽の多様性に貢献している。一時的なドル建て給料の相対的な目減りなどが、国民生活全体に与える影響は軽微で、円安誘導を批判する論拠には成り難い。

 現在の金融政策や財政政策は、デフレ脱却のための一時的な方策である。成長戦略を進めることで、本来の民間活力による経済成長を軌道に乗せ、経済の面でも輝きを放ち続けることで、わが国は文化面でさらに世界に良い影響を与えてゆくであろう。アベノミクスの成長戦略に期待している。



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時事散歩Ⅳ第17回

2015年02月19日 | ブログ
花燃ゆ

 NHKの第54作目となる大河ドラマ「花燃ゆ」が低視聴率に喘いでいるそうな。私は初回から漏らさず観ている。確かにチョット見では良さが分かり難いと思うけれど、良くできたドラマで、わが国の明治維新を改めて知る意味からも価値のあるものと思う。主人公がマイナーなことが低視聴率の原因として挙げられているが、ここまでの流れは、主人公の兄である吉田松陰が主役である。

 吉田松陰のことは、司馬遼太郎の「世に棲む日日」*5)で知ったくらいだけれど、今回の大河も松陰のことは、この小説をなぞっていると思える。もっとも歴史上の事実は書き手が変わっても変えられるものではない。

 青春時代の17年間を山口県で暮らした私は、とは言って広島県との県境で萩までは結構遠かったのだけれど、松下村塾も2度ほど訪れた。しかし、これまで松陰の偉大さについて明確に理解していたとは言えない。今回の大河で、松陰役の伊勢谷友介さんの熱演もあって、少し理解が深まった感じがしている。それは、彼は杉家の次男坊であったことから、毛利藩山鹿流兵学師範をつとめる吉田家に養子となっており、彼の行動が、当時のアジア情勢から、この国の国防に対して強烈な危機意識によるものと理解できたからである。

 中国東北部やロシアに隣接する奥羽地方視察のため、唐突に脱藩して旅に出る。ペリーが来れば彼ら西洋の技術を知りたいと、国禁を犯して米国船に乗り込み密航を企てる。その行動は突飛であるが、彼のはち切れる国家を思う心が促した行動であった。

 吉田松陰はこの国の明治維新の思想の根幹を成した人物である。その想いは明治以降のわが国の富国強兵政策につながり、アジアで唯一西欧列強の魔の手に抗して、独立を維持し得たことにつながる。

 革命が成立する過程は、まず思想家があり、次に実行部隊があり、最終的に新たな治世をまとめ上げる政治家が必要であるといわれる。司馬遼太郎の「世に棲む日日」の一節には、『松陰は革命のなにものかを知っていたにちがいない。革命の初動期は詩人的な予言者があらわれ「偏癖」の言動をとって世から追いつめられ、かならず非業に死ぬ。松陰がそれにあたるであろう。革命の中期には卓抜な行動家があらわれ、奇策縦横の行動をもって雷電風雨のような行動をとる、高杉晋作、坂本竜馬らがそれに相当し、この危険な事業家もまた多くは死ぬ。これらの果実を採って先駆者の理想を容赦なくすて、処理可能なかたちで革命の世をつくり、大いに栄達するのが、処理家たちの仕事である。伊藤博文がそれにあたる。松陰の松下村塾は世界史的な例からみてもきわめてまれなことに、その三種類の人間群をそなえることができた。・・・』とある。

 現代のわが国の政治家は、軽々しく「維新」という言葉を使うけれど、明治維新は己を犠牲にした多くの憂国の志士達の屍の上に成った。それらの歴史を顧みず、信念さえ無く、特に先の民主党への政権交代前、「平成維新」などと唱え、当時の麻生首相を最期の将軍などと揶揄していた連中が、未だ議員バッチを付けて政権の粗さがしに汲々としている様は喜劇的でさえある。誰が松陰で、どなたが晋作や竜馬だと言うのであろうか。

 繰り返すけれど、「花燃ゆ」は確かにパット見で面白いドラマではないかも知れないが、日本の夜明け前、維新前夜からのこの国の歴史を復習するには良い番組と思う。今後の視聴率の向上に期待したい。



*5)全3巻、昭和46年初版、文藝春秋。吉田松陰、高杉晋作の短くも熱く燃えた生涯を描いている。
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時事散歩Ⅳ第16回

2015年02月16日 | ブログ
組織の責任

 一年前、エプロン姿でリケジョ(理系女子)のヒーローとなった小保方氏は、一年後の今すでに理研を追われ、追い打ちを掛けるようにこの度、理研からの「懲戒解雇相当」という処分が発表された。彼女の不正が事実どの程度であったかなど、全くの外部の人間のしかもその筋の専門知識の乏しい私などに解かろうはずもないのだけれど、今回の処分は、どうも個人の責任で決着させ組織を守る、謂わばトカゲのしっぽ切りのように思えてしまう。

 群馬大学病院の不祥事*4)も同様で、担当医師個人の手術技倆や医師としての倫理観が問題にもされるけれど、確かにその通りなのだろうけれど、こちらも組織に病根があるもので、組織こそがもっとも糾弾されなくてはならないだろう。

 科学研究所とか病院とかは、どうも「経営」ということが分かっていない。経営とはお金儲けのことや予算獲得と理解しているのではないか。確かに利益を出すことは非常に重要で、一般の企業にあっても利益を出してこそ、雇用の確保につながり税金も払える。社会貢献につながるのである。しかし問題はその利益の出し方である。まずお金ありきでは、その方策に対するリスク管理が甘くなる。リスク管理が不十分では、組織の継続が困難となる。目先の利益を確保できる方策であれば、兎も角進めて、問題が生じればその時考える、うやむやにすれば済むと思っていた節はないか。

 一年前のSTAP細胞の出現報道には、誰もが喝采した。だって世界的な権威のある科学雑誌に論文が載ったのである。花火を打ち上げることで、予算を確保し、さらに次の研究ステップへ駒を進めるやり方はないわけではなかろうが、このような外部への論文発表を、個人や一部の研究者だけの裁量でやらせていたところに、理研のリスク管理の甘さがあり、要は経営が分かっていないということではないかと思う。きちんとしたルールづくりによる発表論文に対するチェック機能が組織になければならなかった。

 群馬大学病院の問題は人命が関わっている分より重大である。こちらはすでに病院側が手術前後の検討が不十分なまま手術が繰り返された点など、組織的な問題があったことを認めているが、周囲は分かっていながら見て見ぬふりを続けていたのではないか。声が大きく態度がデカイ人物に遠慮して、上司が引き下がっている光景は一般の民間企業にもあるように思うが、そのような場合も問題を起こせば、上司は勿論組織の責任である。

 複数の人間が寄り集まって組織を作り共通の目的で、この社会で協働する場合、当然に当該組織側からだけの論理でなく、社会的責任がついてまわる。問題が起こってから、「リスク管理が不十分でした」では済まない。あらゆる組織は、組織の責任としての「経営」ということの意味を今一度確認する必要があるのではないか。




*4)群馬大学付属病院(前橋市)の40代の男性医師が、院内の審査を経ずに腹腔鏡を使った高難度の肝臓手術(2010~14年)を重ね、術後100日以内に患者8人が死亡した事件。
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時事散歩Ⅳ第15回

2015年02月13日 | ブログ
正常性バイアス

 大きな津波が川を遡っている。火山がまさに噴火している。身近に大きな火災が発生している。そのような状況で多くの人は避難を始めるかと思えば逆で、携帯電話で写真撮影を始めたりする。人は兎角自分にとって都合の悪い状況を無視したり、過小評価したりする性癖があるという。

 隣国中国は、5年前にわが国のGDPを抜いて世界第2位の経済大国になったが、現在すでにその額は、わが国の2倍以上に達しているという。それだけなら隣国の発展に祝意と敬意を表してもいいのだけれど、大気汚染や人権問題を抱えながら軍事費は、公表されている部分だけでわが国の防衛予算の3倍に達していると聞けば、その脅威を感じぜずにはいられない。

 ただでさえ南シナ海や東シナ海における横暴は数知れず、中国漁船は遥か小笠原近海まで大挙し、貴重なサンゴを荒らしまわった。サンゴ泥棒など、漁師個人が高い燃料費を使い、遭難または捕縛されるリスクを冒して取った行動とも思えぬものだ。思えば2010年東シナ海に大規模な漁船団が現れ、70隻以上が日本の領海に侵入したという。そしてそのうちの1隻が海保の巡視船に体当たりしたことは記憶に新しい。中国政府が自国の海用洋権益拡大の布石として行っているとしか思えない。

 中国の海洋権益拡大計画は、従前より第一列島線、第2列島線として周辺国に断わりも無く高らかに宣告しており、わが国尖閣諸島の領有権を自国の核心的利益と主張するなど、その無法ぶりは目に余るものがある。

 しかるに沖縄では、住民の安全のための米国普天間基地の移設でさえままならぬ状態である。テレビの報道番組では、辺野古の海埋め立て反対の住民運動は伝えても、中国軍の領空領海侵犯に対応するわが国の海保や空軍の様を伝えない。また2013年に尖閣諸島周辺のわが国の領海内で、日本の漁船が中国の警備船に追いかけまわされることがあったというが、報道されたのであろうか。この付近の領海はすでに地元漁民の漁場ではなくなっているのではないか。

 にも係らず、わが国の有力な企業家や評論家は、国家の主権や日本人の尊厳よりも営利や名声を重視し、中国に阿る。片務的に友好の大切さを説き、いつ巻き上げられるかしれない投資を継続する。これも人の正常性バイアスのなせる業か。

 一時減少していた中国人観光客は増大しており、成長戦略の一環として政府は歓迎している趣があるが、彼らを友好国の国民と同様に遇しておいていいものだろうか。留学生や実習生という中国人はなおさらである。わが国が借金だらけの国家財政から彼らに援助する意義は本当にあるのだろうか。

 2013年、在中国大使館は、日本で暮らす中国人に対して居住地を確認する書類の提出を命じたという。中国で2010年に制定されたという「国防動員法」に基づくもので、日中有事における内部蜂起への備えとも取れる。

 ネットには、日本の観光旅行での日本の素晴らしさを伝える中国人のコメントの邦訳が連なる。日本人の間では下火だったスキー場に群がり、銀座でブランド品を漁る中国人は、わが国に一時的に富を落すことは確かだ。加えて国家や民族間の紛争の回避のためには、お互いが交流して知り合い理解し合うことは大切である。その意味で、観光、留学、実習と目的は異なっても交流に違いなく、外務省のビザの緩和を正当化させるものだが、わが国の人々の尺度で好意的に捉えるほど彼らは単純ではないと思うのだけれど。ネットへの書き込みも個々には本心ではあっても、その裏で相手国の油断を誘う褒め殺しとまで言えば言い過ぎだろうか。

 津波はそこに迫っている。逃げるところはない。堤防の建設が急務なのである。




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時事散歩Ⅳ第14回

2015年02月10日 | ブログ
限界集落

 限界集落とは、過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっている集落を指す。(By ウィキペディア)

 先日新聞に、昨年刊行された新書から「最高の一冊」を選んで贈られる「新書大賞2015」(中央公論新社主催)が、増田寛也編著「地方消滅」(中央新書)に決まったという記事があった。限界集落の増加の次に来るのが地方消滅であろう。

 このような全国的な傾向に歯止めを掛けるべき取り組みへのひとつの提言ともなるテレビドラマが始まった。1月末からのNHK土曜ドラマ「限界集落株式会社」(全5回)である。過疎の農村をどのように立て直してゆくのか。フィクションであったとしても夢のある話ではないか。当村出身の設定ではあるが、経営コンサルタントが絡むのも興味深い。

 まだ2回までしか放映されていないので、全容は不明であるが、第1回で谷原章介さん演じる経営コンサルタントが、「この集落を救うための方策はある。集落全体を株式会社にすることだ。」と言っていることから、題名にもある通りの結論となるように思われるけれど、見どころはその過程である。アイディアがあってもそれを実現することは難しい。具体的な方策が必要であり、強い実行力がなければならない。

 アイディア自体は、本稿第3回「少子化」(1月7日)に、私が書いた『・・・子供たちに見捨てられた年寄りを国や地方の行政府が面倒を看なければならないなら、彼らが所有する資産はすべて国家が廉価で没収して有効活用する前提がなければならないだろう。それが可能となれば、林業も農業も漁業も没収した資産を民間に払い下げて企業化できる。地方にも新たな仕事が生まれ創生する。』と重なるものだ。もっとも同様のことは多くの人が思いつく。重要なのは、その過程で住民をいかに説得し、協力を得て収益を上げるまでに組織化できるかである。

 私は、現在の日本の個人資産の所有権等が必要以上に重く認められてことを問題だと思っている。自由主義か共産主義かといえば当然に自由主義に軍配が上がる。しかし世の中、白か黒かで歴然と区分されるべきものは少なく、自由主義社会にあっても当然に共産主義的な考え方や制度は必要である。要はその塩梅である。

 国や地方行政の計画によって、住み慣れた土地を離れざるを得なくなったり、先祖伝来の田畑を手放さねばならなくなったりの話は従前からある一方で、住民の抵抗があれば計画は大幅に遅延したり、場合によっては頓挫することもあり得る現状は、行政の非効率性にも繋がっている。

 首都圏など都市部の発展の陰で、地方の集落が凋落しているのは、一つに土地の流動性の差であるように思うからである。それは都市部の商業地や宅地の固定資産税や相続税に比べ、田や畑が圧倒的に安いことによって生じているのではないか。

 都市部は謂わば弱肉強食の競争社会のため、其の時代の勝者がビルを建て、良い家を持つ、しかし、後継者が遊んで暮らせばその資産は三代で消滅すると言われているから一生懸命働く。一方農業を営む田舎では、土地資産は綿々と一族に引き継がれるから小規模農業が昔ながらのやり方で継続し、結果、収益が上がらないからと若者は村を離れてゆく。本来農地も流動化させ、農業も時代時代で適切なプレーヤーに交代させるシステムがなければならなかったのだ。戦後の食糧増産時の農政が、時代遅れとなりながらも継続したことが地方の衰退を生んだ一因であることは間違いがない。

 ようやく自民党が動き出した。統一地方選挙など気にすることなく、根本問題に手をつけて行くことが、限界集落の増加や地方消滅に歯止めを掛ける道だと思う。




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時事散歩Ⅳ第13回

2015年02月07日 | ブログ
女性の狂気

 石川さゆりさんの「天城越え」*3)では、「誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか♪・・」というフレーズが話題になったけれど、「別れるくらいならと」男性を包丁で刺し、金属バットで殴打して実際に殺してしまった女性が現れた。

 今月1日から2日にかけて、中央区の新川マンションで、男性が同居女性に殺された。容疑者女性の供述によれば、最近男性から別れ話をされており、別れるくらいならと犯行に及んだという。

 男女交際のもつれが殺人事件に発展することはよく聞く。先般も現職警察官の二股殺人というのがあった。恋の清算に男性が女性を刺した、絞めたことによる殺人はあるが、今回の事件は、刺して殴打し殺害した加害者が女性ということに驚く。

 先月末には名古屋のアパートで77歳の女性が殺害されていたが、犯人は国立大学の女子学生であった。「子供の頃から人を殺してみたかった」と話したと言う。それにしても関わりの薄い老女の頭を斧で数回殴り、マフラーで首を絞めた。本来深い怨恨でもなければ成し得ない犯行である。捜査当局は、心理状態や責任能力の有無を調べるため精神鑑定の実施を検討しているという。

 3日の読売新聞夕刊によれば、当の女子大生は、高校時代友達の男子生徒に劇物のタリウムを飲ませたらしく、男性の体内からタリウムが検出され、視力低下のため特別支援学校に転校を余儀なくされたということで、地元警察としても傷害事件として捜査をしていたという。

 異常な女性の事件は、昨年夏の佐世保女子高生殺人事件が記憶に新しいが、犯人は同級生である女子高生。彼女も継母との会話の中で、猫を殺して楽しいことや殺人願望について語っていたという。

 同様の事件というのは、一時に続く傾向にあるが、人類世界の営みの歪がイスラム国などを生み、その蛮行につながっているごとく、現代の日本社会の暗部から醸し出される負のエネルギーがこのような形で現出するものかと暗い気持ちにさせる。

 これらの事件は、人間の持っている根源的な性悪な部分が膿のようにある部分に蓄積してきた一現象のように思う。自我が確立していない幼児期からテレビは一方的に残忍な映像を家庭にばらまくし、物心がつけば、ゲームだネットだとバーチャルな世界が広がる。そこに少し複雑な家庭環境が加われば、脆い精神は正常に機能するための抵抗力を失うのかもしれない。あふれる情報を社会で制することが難しい時代となっているのだ。

 イスラム国の事件も併せて、哀しいことであり、憂鬱にさせる事件である。しかし、われわれは乗り越えてゆかねばならない。誰が悪い、政府が悪い、社会が悪いと周囲の所為にするのではなく、一人一人が当事者意識を持ち、ささやかでも身の回りでできる良きことを実行することではなかろうか。まさに一日一善でいい。そんなことを思う。


*3)作詞:吉岡治 作曲:弦哲也
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時事散歩Ⅳ第12回

2015年02月04日 | ブログ
岩盤規制改革

 現在政府は農協改革をやろうとしている。いいことではないか。小泉さんの頃から確かに自民党は変わった。

 元々自民党は農林族が大きな力を持っており、昔の衆議院議員選挙の地方はほとんど自民党議員で占められていた。社会党や共産党は東京など都市部を中心に議席を確保していたものだ。すなわち雇われの身で根なし草の勤労者が野党を支持していたのである。自民党は農地山林など地べたを持った人々を票田とする、まさに地民党であったわけだ。

 まだ円が安かった1970年代に、農協さんの団体はヨーロッパなどへ観光旅行。一部ホテルなどでそのマナーの悪さで顰蹙をかった話など伝わっていたが、当時から高度成長で潤った国家財政から潤沢な補助金を受けていたことが偲ばれる。

 2009年の民主党への政権交代は、小沢氏の昔ながらの地民党手法で、農家を抱え込んで達成した部分がある。当時自民党は農業の大規模化を図ろうと訴え、これにここぞとばかり農家への個別所得補償を民主党は打ちだしたのだ。当時の原発依存度30%を、民主党は50%にすると意気込んでいた。その東京電力福島原子力発電所を抱える福島県さえ5つの小選挙区を民主党は独占した。

 TPPにも農協団体は鉢巻き姿で大反対、威勢がいい。もっともTPPは、関税撤廃だけでなく、移民の受け入れなど問題があるようで、農業団体でなくとも一概に賛成し難いところがあるが、農作物などは、自由化しても本来やってゆけなくてはならない。国の過保護の習性が農業をひ弱に、依存症にさせたのだ。

 昔、護送船団方式という言葉があった。石油精製業界などの大手は、業界弱小企業保護のために設定される灯油やガソリン価格の恩恵で、随分と儲けたものだ。この業界はその後の価格自由化で、大手も経営がよろめき、再編が進んだ。緩んだ企業体質では自由な競争に耐えられなかったのだ。

 農協も同じ、週末農業の兼業農家の生産性に諸規制を合わせることで専業農家は潤い、国庫からの補助金等でまた潤ってきたと思われる。医師会なども同様、未だ護送船団方式だ。腕には関係なく同じ診療費が取れる。年寄りの窓口負担を大幅に軽減することで、顧客を増やして、医師免許による食いはぐれがないようにする。政権が民主党になればこれにすり寄り、自民党に戻ればここに食い込む。医師不足や緊急医療の充実を唱えれば、国民も命に代えられないので文句を言い難い。

 しかし、工業の世界で護送船団方式が解消されたように、農業も医療も俗に言われる岩盤規制とやらをしっかりと見直す時期に来ていることは確かだ。税金に群がる圧力団体は、自分達だけの事でなく、この国の国家財政、グローバル競争に晒され、敵国に包囲されているこの国の現状にもっと目を向けるべきだと思う。
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時事散歩Ⅳ第11回

2015年02月01日 | ブログ
人質事件

 イスラム国による日本人ジャーナリスト人質事件が発生し一人はすでに殺害されたといわれている。政府関係者の必死の対応も時間だけが虚しく過ぎている。

 この度のイスラム国に拉致され人質となったジャーナリストの生命を守る責務は、確かに国家または政府にある。政府レベルでなければイスラム国を名乗る組織との交渉や周辺関連国への協力要請さえできないからである。われわれはせめて国民総出で無法な拉致人質に抗議する姿勢を示すことは必要である。その意味で、連日のテレビ報道の過熱ぶりも意味のないことではない。

 確かに出来得る限りの手を尽くして救出して貰いたい気持ちに変わるものではない。ただ、相手は国際的に認知された国家機関ではなく、要は全くのテロ集団であり、謂わば単なる誘拐犯である。しかもこの度人質になられた方は、別に政府の指示でイスラム国に出向いたわけではない。この国の国内から連れ去られたわけでもない。

 テレビに登場する評論家や政治家の中には、この際こそと安倍首相の中東支援に関する批判めいた言葉や、安倍首相が特使を立ててイスラム国に明確なメッセージを発すべきだとか、いろいろ注文を付ける方もいるけれど、政府や総理大臣の責任によって起こされた事件ではなく、わが国政府にとやかく言う案件とは思い難い。イスラム国が一方的に2億ドルの人道支援をなぞったに過ぎない。

 勿論報道はわが国だけでなく、世界に配信されて世界の人々にも関心の深いニュースであることは間違いなく、日本政府の対応を世界も注視していることも確かだが、ここまで報道が加熱することは、イスラム国の思惑通りの展開というほかはない。

 人命尊重は最重要である。しかし、一歩間違えばテロ集団に貢ぐことになり、さらにテロを増殖させる恐れがある。加熱した報道はテロ集団の宣伝にしかならない。

 わが国は、北朝鮮による拉致被害者救済でさえ何十年もかかって、その一部しか実現できていない。今回のような事件への対応は政府としても、非常に難しいものであろう。

 それにしても無法な集団や国家が、兵士でもない民間人を拉致したり、自動小銃で新聞社を襲撃したりすることが許されるわけではなく、たとえわが国がイスラム国から敵視されようとも、非は非だとして発信することは必要であり、今後とも周辺国と協力し、米欧と歩調を合わせ無法な組織と闘ってゆかねばならないだろう。
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