走れ、麦公

興味のあることや、その時思ったことなどを書いています

元号が変わる

2019-04-26 10:23:17 | 俳句
来月から元号が変わるらしい。

公園の階段で性悪の杏子がさつまりこをポリポリやっていた。
こんちわと見上げていたら、
「あら麦公、食べたいの? 犬のくせに」
てのひらを上にして手を差し出して来た。
いや、お手はしないから。あんたの飼い犬じゃないし。

元号は日本の文化だからという話をきくが、元号を使うということはそれ以上に、天皇の民であることを自らに認めることである。人はその支配者の定めた年次の呼び方をすることを以て領民となってきた。
支配者がいやなら別の数え方をするほかなく、明治政府に抵抗した奥州列藩同盟は『延寿』を、五稜郭に立て籠もった榎本武揚らは『共和』を使った。

とはいえじぶんは犬だから、とくに関心はない。

上弦の月

2019-04-25 20:37:40 | 俳句
U^ω^U~”
カイトが歌う曲で『上弦の月』といういいのがある。
おすすめである。自分は『Kaito-Crescent Moon(上弦の月)』版のほうを好んで聴いている。

ところで月は地平線に近づくほど大きく見える。
どれくらい大きいかというと、中天にあるときに比べてその直径は、2.5倍(ポデナ:1909)、1.5~2.0倍(ボーリング:1942)、1.5倍(苧坂良二:1947)。観測者によって差はあるが、はっきり大きい。
たいていの人はこれを、大気による光の屈折のせいだと言って不思議がらないが、実はそれはまちがいである。いまだに原因がわかっていないふしぎな現象なのである。
おそらく、人間がまだ野生に暮らしていたころに身に付いた防衛上の知覚のしくみではなかろうか。目線にいる者は敵味方関係なく、よく注意しなければならないから大きく見えるようになったのではないか。
『でかい顔しやがって』なんてのは、あながち誇張ではなくじっさいそう見えているのかも知れない。

この街は僕等の夢を見てる

2019-04-24 22:20:12 | 俳句
 ボカロにシャルルという曲がある。
//////////////////////////////////////////
《歌詞:バルーン》
さよならはあなたから言った
それなのに頬を濡らしてしまうの
そうやって昨日の事も消してしまうなら もういいよ
笑って

花束を抱えて歩いた 意味もなくただ街を見下ろした
こうやって理想の縁に心を置き去っていく もういいか

空っぽでいよう それでいつか 深い青で満たしたのならどうだろう 
こんな風に悩めるのかな

愛を謳って謳って雲の上
濁りきっては見えないや
嫌嫌
遠く描いてた日々を
語って語って夜の群れ
いがみ合ってきりがないな
否否
笑い合ってさよなら

朝焼けとあなたの溜息 この街は僕等の夢を見てる
今日だって互いの事を忘れていくんだね ねえ そうでしょ
……
/////////////////////////////////////////////////////

 失恋した女の子の歌だとおもってきいていると、あとで『僕等』と出てきてあわてる。
 しかし、女子で自分のことを『ぼく』という子はいるものだ。
 これはそれまで幼かったからだに性差が出てくるとそれに反発して抵抗するためだそうだ。
 十二歳くらいになると女の子は急に活発になり服も男の子みたいなのを着たがるし、男の子もまた隠れてこっそり口紅をつけてみたりする。変態のようだがそれが成長期の健康な証拠である。らしい。

 とかおもいながら、歌詞をよく読んだら、途中で話し手が男の子に交替しているみたいじゃないか。なんだ。

 シャルルは原曲よりvチューバ―のYuNiさんのが聴きやすい。

 ついでだが歌詞の『この街は僕等の夢を見てる』というところは、若い自意識のすばらしくピュアな表現だとおもう。
 なにより技巧としてすぐれている。人が夢をみるのではなく街がぼくらを夢にみるのだ。人々は存在を失った幻想として街に現れている。そしてそれは、事実そうかもしれない

彼らに光を

2019-04-23 20:27:28 | 俳句
U^ω^U~”
 うす暗い部屋でボカロを聴いていたら、
「犬は外で遊ぶものだろう」
 庭に引きずり出されてしまった。
 ふてくされていると、
「壁の蔦草も新葉をひらいたぞ、きれいなものだ。お前も光合成して元気になれ」
 イジスは体操をはじめた。
 いや、犬に光合成はできないぞ。
 光合成というのは植物がやるものだ。光のエネルギーを使って二酸化炭素CO₂と水H₂Oを足して炭水化物C₆H₁₂O₆を作る。
 簡単にやるとCO+HO=CHO
 一個Oが余るが、そのため酸素が放出される。
 空気と水から米や麦と同じ栄養を作り出せるのだからこの上なく便利なしくみだが、残念ながら動物には無理だ。葉緑体をもっていない。
 しかし、たしかに初夏の明るい日差しは健康によいようである。骨が丈夫になるというのもあるが、とにかく気分が清々する。

 少年の手足が長く見えて夏           高瀬哲夫
 べたべたに田も菜の花も照りみだる       水原秋櫻子
 春泥にふりかへる子が兄らしや         中村汀女
 
 光があふれている、俳句もこう明るくのびのびとやりたいものだ。

 ふたたび家に戻ってパソコンを覗いたが、先日亡くなったボカロ作曲家のwowakaさんへの追悼コメントがまだ引っ切り無しにつづいている。
 ああ、彼らに光を

それはちがうんじゃないか

2019-04-04 22:41:45 | 俳句
あーどこかのテレビ局が新元号の出典が万葉集からということで美智子皇后の和歌を取り上げていたそうだが、それは的が外れてるぞ。
皇后の歌のお師匠さんは五島美代子だろ、だから古今和歌集の作りの歌のはずだ。古今和歌集と万葉集じゃまるで歌がちがうじゃないか。

いちいち言うのもめんどくさいんだけどさ。
短歌や俳句を世間の人たちはばかにしてるんじゃないかと、ときどき思うことがあるんだ。