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京都二泊三日の旅、大山崎山荘美術館
【ちょっと一息】
最後の訪問地は「アサヒビール大山崎山荘美術館」。友人に「山崎に行くなら、近くに美術館があって、モネの睡蓮を観る事ができますよ」と。ということで、JR山崎駅まで一旦戻り、ちょっと坂を登って10分行くんです。天王山の南麓に位置してます。
JR山崎駅でチケット割引券(100円引き)を購入することができるので、買ってると、美術館行きの送迎バスが来たので、慌てて乗り込みました。ラッキーです。
美術館の入口まで送迎してくれるんですが、建物までは、まだ少し坂を登ります。やっとのことで建物に到着。
早速、モネの作品が展示されている新館「地中の宝石箱」へ。
安藤忠雄氏の設計によるもので、自然光のさす階段を降りていきます。地下室になっているんですね。左に曲がると入口。入ると早速、モネの「日本の橋」が展示されてます。モネ80歳の時の作品です。
さらに階段を降りていくと、モネの睡蓮の連作が数点飾ってあります。
↑館内撮影禁止なんでHPから拝借(すいません)
睡蓮はモネ晩年の作品(1914年~1917年)であり、白内障で失明の恐れと画家としての絶望感に苛まされながら制作したもので、全体的に「ぼやっと、もやっと」という感じの作品が多いです。
モネは日本ファンで浮世絵も集めていたんです。だから、1883年から1926年まで住んでいたフランス、パリ郊外のシヴェルニーのモネ邸には日本庭園を造り、睡蓮の池のほかに、日本の橋である太鼓橋や藤棚を作ったんですね。という話を館内の案内の女性の方にお伺いしました。ありがとうございました。
そこを出て、本館の2Fへ上がり、テラスへ出てみました。まさに、ここが「天下分け目の天王山」。
対岸は、八幡市、男山。この狭い地峡に、桂川、宇治川、木津川の三川が流れており(先では合流して淀川となる)、さらに、JR東海道線、新幹線、阪急電車、国道171号線、旧西国街道の5つの交通網が走っており、さらに名神高速道路が天王山を貫通(天王山トンネル)しています(対岸には、京阪電車、国道1号線が走ってます)。新幹線が「ひゅーん」と、ひっきりなしに爆音を上げて走り去っていってます。
1582年6月、秀吉と光秀が天下を賭けて争った「山崎合戦」、この山を制したほうが天下をとることとなる、合戦後、秀吉は天王山山頂に城を築き、大山崎を拠点に天下統一の足がかりとしました。
いつも新幹線でここを通っていたけれど、この地を見たのは初めて。風景に歴史を感じ、驚くばかりでありました。感慨深い地でした。
ということで、16:50分、送迎バスの時刻も近くなってきたので、去ることにしました。
JR山崎駅から京都駅に戻り、京都の夜を迎えるのでありました。続く。
前へ。
最後の訪問地は「アサヒビール大山崎山荘美術館」。友人に「山崎に行くなら、近くに美術館があって、モネの睡蓮を観る事ができますよ」と。ということで、JR山崎駅まで一旦戻り、ちょっと坂を登って10分行くんです。天王山の南麓に位置してます。
JR山崎駅でチケット割引券(100円引き)を購入することができるので、買ってると、美術館行きの送迎バスが来たので、慌てて乗り込みました。ラッキーです。
美術館の入口まで送迎してくれるんですが、建物までは、まだ少し坂を登ります。やっとのことで建物に到着。
早速、モネの作品が展示されている新館「地中の宝石箱」へ。
安藤忠雄氏の設計によるもので、自然光のさす階段を降りていきます。地下室になっているんですね。左に曲がると入口。入ると早速、モネの「日本の橋」が展示されてます。モネ80歳の時の作品です。
さらに階段を降りていくと、モネの睡蓮の連作が数点飾ってあります。
↑館内撮影禁止なんでHPから拝借(すいません)
睡蓮はモネ晩年の作品(1914年~1917年)であり、白内障で失明の恐れと画家としての絶望感に苛まされながら制作したもので、全体的に「ぼやっと、もやっと」という感じの作品が多いです。
モネは日本ファンで浮世絵も集めていたんです。だから、1883年から1926年まで住んでいたフランス、パリ郊外のシヴェルニーのモネ邸には日本庭園を造り、睡蓮の池のほかに、日本の橋である太鼓橋や藤棚を作ったんですね。という話を館内の案内の女性の方にお伺いしました。ありがとうございました。
そこを出て、本館の2Fへ上がり、テラスへ出てみました。まさに、ここが「天下分け目の天王山」。
対岸は、八幡市、男山。この狭い地峡に、桂川、宇治川、木津川の三川が流れており(先では合流して淀川となる)、さらに、JR東海道線、新幹線、阪急電車、国道171号線、旧西国街道の5つの交通網が走っており、さらに名神高速道路が天王山を貫通(天王山トンネル)しています(対岸には、京阪電車、国道1号線が走ってます)。新幹線が「ひゅーん」と、ひっきりなしに爆音を上げて走り去っていってます。
1582年6月、秀吉と光秀が天下を賭けて争った「山崎合戦」、この山を制したほうが天下をとることとなる、合戦後、秀吉は天王山山頂に城を築き、大山崎を拠点に天下統一の足がかりとしました。
いつも新幹線でここを通っていたけれど、この地を見たのは初めて。風景に歴史を感じ、驚くばかりでありました。感慨深い地でした。
ということで、16:50分、送迎バスの時刻も近くなってきたので、去ることにしました。
JR山崎駅から京都駅に戻り、京都の夜を迎えるのでありました。続く。
前へ。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメントありがとうございます。
モルツは美味しいですよね(飲めないんでしたね、すいません)。
大切な想い出の地をこのような表現ですいません、是非、是非、訪ねてみてください、もっと素晴らしい地であると思います。
時間があれば、もう少し、天王山に登ったり、水無瀬神社へ出かけたりしたかったです。
ただ観光ではなくて事前のお勉強があるとおばっちんさんのように楽しめるんですね(^^w
見習わせていただきます(^◇^)ヾ
コメントありがとうございます。
事前勉強があると楽しめる、ってそうですよね。意識してたわけではないので、むむさんに言われるまで気がつきませんでした。たまたま興味があるところしか行っていないから、自分では感じなかったのでしょうかね。事前勉強で、行った気分になって、観光に行かなくなったりして(笑)。