一会一題

地域経済・地方分権の動向を中心に ── 伊藤敏安

高福祉高負担の原資

2012-09-29 22:25:18 | 媒体

● 若田部昌澄『もうダマされないための経済学講義』を読みました。通念に惑わされることなく、経済学の基本概念に基づいて現実の経済を考えてみようという内容です。後半は、現下の日本経済についてさらに大胆な金融緩和が必要というお馴染みの主張。そのことは措くとして、社会民主主義について興味深い指摘を見つけました。以下、例によって少し外した感想です。

● 著者によれば、田中角栄の政策は社会民主主義といってよいとのこと。その日本型社会民主主義は、いまなお「どこか不完全」。なぜなら、西欧の社会民主主義のように1930年代の大不況に対する反省から生まれてきたわけではないから。さらにもう1つの関連する理由は、日本は田中政治の「縮小再生産」を続け、それができなくなったにもかかわらず、新たな構想を描けきれないでいることだとされます。

● 民主党は、社会民主主義政権をめざしたのでしょうが、いまや挫折。一方の自由民主党は、意識せざるにせよ田中政治を継承し、それを超えようとしながらも超えられない状況にあるといえるかもしれません。この夏、自由民主党は「日本経済再生プラン」を発表しました。貿易立国と産業投資立国を双発エンジンとし、有効需要創出のために国土強靱化計画を推進すること、科学技術の振興に取り組むとともに将来の成長分野を特定することとしています。これは、「人口と産業の地方分散によって過密と過疎の同時解消」(田中角栄『日本列島改造論』)を図るという40年前の考え方 ── つまりは日本型社会民主主義の発想 ── と確かに通じるところがありそうです。

● 忘れてならないのは、高福祉には高負担を伴うこと、高負担には活力ある経済を前提とすること。であれば、経済活動に政府部門は過度に介入しないこと、ときには冷淡ですらありうること(たとえば、北岡孝義『スウェーデンはなぜ強いのか』を参照)。そのことが結局は経済を逞しくする ── というのが西欧・北欧の中道左派からの教訓だったのではないでしょうか。


闇社会の影

2012-09-28 20:08:19 | 媒体

● 一橋文哉『となりの闇社会』を読みました。産業廃棄物処分、生活保護、臓器移植などにかかわる非合法活動とその担い手たちの実態をレポートしたものです。これらの犯罪や非合法活動は、日常生活のなかで展開されており、かえって目立たなくなっているかもしれません。新聞記者出身の著者は、これを「闇に光を当てれば当てるほど、闇は影に隠れてしまう」と表現しています。以下は、同書の趣旨から少し逸れた感想です。

● 産業廃棄物処分や生活保護の問題において、いわゆる反社会的勢力が暗躍・跋扈しているのは、ルールが徹底されていないがゆえに社会的損失をもたらすという意味での「政府の失敗」なのでしょうか。それとも関係者間で情報の非対称性が大きいことによる「市場の失敗」なのでしょうか。読んでいるうちに、ある種のもっともらしい「市場」が形成されているのではないかとさえ思えてきます。もちろんまずは社会的倫理と公正さの点から問われなくてはならないのですが。

● 同書のなかで、「難病の子どものために親が多数の無縁の人々から多額の寄付を募り、海外で移植手術を受けさせるのは美談。双方合意のうえ養子縁組までしているのに、国内で臓器提供を受けるのは違法」という主旨の関係者の言葉が紹介されています。これがもし真っ当な当事者による真摯で切実な慨嘆だとすれば、「なぜか」と訊かれて、理由を即座に答えることは難しいと思います。


小さき島に世界をみる

2012-09-23 00:41:55 | トピック

● 中国の反日デモは予断を許さないものの、なんとか小康状態を保っているようです。その後の報道によると、動員された参加者も少なくなかった様子。外国人記者から「釣魚諸島」の位置を訊ねられて、地図の上で正確に指し示すことのできる参加者はいませんでした。デモのプラカードのなかには、どさくさに紛れて「釣魚諸島は中国のもの、蒼井そらは世界のもの」という標語もみられたのだとか(2012年9月22日[印刷版]の the Economist)。

● そもそも尖閣諸島領有は、日清戦争とは関係ない。当時の国際ルールに基づく手続きを経て、沖縄県に編入された。当時の中国だけでなく、1970年ごろまでの中国共産党政府も、そのことを認めてきた ── というのが私たちの理解だと思います(たとえば2012年9月20日[web版]の読売新聞の解説)。現在の中国政府は、このことを十分に認識しているはずなのに、両国間の経済的依存関係や国際社会でのイメージ悪化をも犠牲にして、なぜここまで過激で強硬な行動を取るのか。

● もちろん、そうせざるをえない事情があるからだと考えられます。対内的には、さまざまな問題を抱える中国共産党政府にとって、国民の統合が最大の関心事であることは容易に理解されます。日本人にとっては難儀至極なことですが、反日キャンペーンというのは、最も利用しやすい統合手段だと思います。

■ 対外的問題については、同日付けの the Economist が中国と周辺国との関係の点から解説しています。中国は、南沙諸島や西沙諸島の占有を強引に推し進めようとしてきました。もし中国政府が尖閣問題で手を緩めてしまえば、係争中のベトナムやフィリピンからの反撃が予想されます。そうなれば、アメリカの影響力の拡大につながりかねません。そこで、とにかく大博奕に打って出た ── というものです。同記事の冒頭で引用されているウイリアム・ブレイクの詩になぞらえれば、小さな島々とはいえ、それぞれに世界が投影されているということでしょうか。


農業への絶望

2012-09-22 10:30:04 | 媒体

● 神門善久『日本農業への正しい絶望法』を読みました。農業経済学者による日本農業の現状に対する批判です。日本の自然条件に適した「技能集約型農業」の保持・継承を訴えても、むしろ「マニュアル依存型農業」に流されていく日本農業への強い危機感が「絶望」という逆説的な題目に表現されているのだと想像されます。

● 現在の問題を指摘することで、将来の農業政策に反映させてほしいという願いを込めた本書は、「非力な研究者の後世への“詫び状”」でもあるのだとか。そのせいでしょうか、内容は実に多彩です。主題である耕作技能の問題をはじめ、JA、TPP、ブランド農業、農業ブーム、農商工連携から、さらには放射能汚染問題や個人的問題に広がっています。まとめの提言は3つ。「検地」を徹底するとともに、農地利用に関する情報の整備と公開に努めるべきという主張は、少しまえに紹介した平野秀樹・安田喜憲『奪われる日本の森』にも通じるところがあります。もう1つは「人から土地への転換」。つまり、農地の利用規程を厳格化し、それを遵守すればだれが農地を利用するかは問わないという提言は、非常におもしろいと思いました。

● 私は、山間地域での勉強会などに呼ばれると、「農業は今度とも安定的に推移する。むしろ“化ける”ことが期待される。それには現在の農業従事者は多すぎるのではないか」という話をして煙たがられることがあります。中国山地では、山のひだひだごとに集落が形成されています。現在は過疎化が問題視されていますが、農業経営の点ではむしろ「過密」といえるのではないか。数十ヘクタールの農地を「起業家」がまとめて耕作すれば、より高質な農業が展開できるのではないか。残すべき農地を大事にする一方で、耕作放棄地や維持困難集落は「もののけ一族」のものに返していくべきではないか ── という趣旨です。

■ 本書によると、私の後者の考えは容認されそうですが、前者については「マニュアル依存型農業の典型ではないか」と非難されるかもしれません。


路線バスが消えるまち

2012-09-21 20:12:11 | トピック

● ある山間部で開かれた勉強会に出かけました。その地域は、2つの県庁所在地をつなぐ幹線に面しており、現在は1時間に1~2本の長距離バスを利用することができます。ところが、山ひとつ越えたあたりに新方式の高速道路(無料)が全通すると、この地域を運行する長距離バスの本数は大幅に削減されることが見込まれています。

● 帰りのバス停でのことです。路線Aは28分発で、切符は扱っていません。降車時に現金で払うか、私が持っているICカードを利用できます。路線Bは53分発で、ICカードを利用できない半面、切符を買えば10%あまり安くなるとのこと。待たなくてよいし、ICカードを利用できるので、私は路線Aのバスを利用するつもりでした。ところが、小さな切符売り場のお年寄りが盛んに路線Bのバスの利用を売り込みます。「200円以上も安い。出発時には25分の差があるが、到着時には15分くらいしか変わらない」と勧めてくれました。けれども、私は「いいですよ。早く来るほうに乗るから」と断って、路線Aのバスで帰ってきました。

● バスに乗ったあとで、ふと思い当たりました。路線Bのチケットを買えば、正規運賃との差額があのおばあさんの手数料収入になるのではないか ──。発地・着地の利用者は多くても、途中のバス停で乗降する客はわずかだと思います。1日に何枚売れるとも分からない切符売り場を手伝ってくれるひとは、そんなにはいないだろうと想像されます。にもかかわらず、朝から夕方まで静かに座って切符売り場を守り、切符を買わない客にも話しかけてきたり、「こちらに来てテレビを観ないか」と親切に声をかけてくれる、そういうお年寄りがいるのです。再訪する機会があれば、今度はそのお年寄りが勧めるバスにしなくてはと思いました。


センカクモグラ

2012-09-17 12:59:24 | トピック

● 何年かまえのことです。登山家の野口健氏らが尖閣諸島魚釣島への上陸を環境省に申請したという小さな新聞記事をみかけました。同島固有種の「センカクモグラ」の生態調査のためだそうです。ほのぼのとした話題でありながら、本人たちは意識していないにしろ政治的意味合いにつながりうるため、国際社会への訴求の仕方としてはなかなかおもしろいのではないか ── と思ったことがいまでも記憶に残っています。

● ふと思い出して、その後どうなったのかインターネットで調べてみました。すぐに専用サイトがみつかりました。それによると、申請は2010年10月。2年前でした。当時もその後も上陸許可は下りていませんが、「センカクモグラを守る会」の活動はいまなお続けられているようです。

● 東京都に対抗して日本政府が同諸島の買い上げをあたふたと決めたせいで、中国各地で示威行動・抗議活動が多発しています。一部は暴徒化しています。中国の主要施設に行くと、「不忘 9.18」という、江沢民国家主席の揮毫をよくみかけますが、あしたはその81年目。中国東南部における漁業解禁とも相まって、日本への圧力は一段と強まることが予想されます。

● で、ここはあっさり野口健氏らのNGOに尖閣諸島への上陸を認めればどうでしょう。センカクモグラの調査だけでなく、野生化した山羊の扱いに関する検討なども含めると、調査には数年かかるかもしれません。学術的な生態調査には静謐が求められます。周辺海域への船舶・航空機の接近は、国籍や目的を問わず固く制限する必要があります。その旨を国際社会にちゃんと説明しておかなくてはなりません。「モグラを調べに行っとります」という説明は、ぜひ塩川正十郎氏のような政治家にやってもらいたいのですが。


土地を守る

2012-09-15 21:45:04 | 媒体

● ある研究グループから問い合わせがありました。「市町村税務における不能欠損処理は、所有者不明の土地が増大していることに関係しているのではないか。それが外資による日本の土地買収につながっているのではないか」という趣旨です。私の以前の研究ノート「都道府県別にみた地方税の徴収・不納欠損・滞納繰越の状況」をご覧になられての照会です。

● 不能欠損処理というのは、地方自治体によるいわば債権放棄です。滞納者が破産したり、死亡したり、行方不明になったりすれば、地方税を徴収できません。そこで、当初の調定額からその額を消去することを意味します。市町村の不能欠損処理額は、このところ漸減して2010年度は1,100億円あまり。市町村税収入は20.3兆円ですので、0.5%程度になります。少し古いのですが、2009年度の浜松市のデータが公開されています。不能欠損処理の内訳をみると、件数では市民税が3分の2を占めますが、金額では固定資産税が52%を占めています。これらの土地の一部は所有者が所在不明のまま放置されると考えられます。となると、固定資産税に関する不能欠損処理額が増えたとしても、これは所有者不明の土地が増大しているということであり、土地の外資売却に直結する問題とはいえないような気がします。

● いずれにしても、調べてみないとなんともいえません。というわけでもないのですが、平野秀樹・安田喜憲『奪われる日本の森』を読みました。副題は「外資が水資源を狙っている」。2010年に発表された直後から、いろいろなメディアで取り上げられました。私は気にはなっていましたが、まだ読んでいませんでした。1ヵ月ほどまえに文庫本化されたばかりですので、それを買い求めました。

● 同書の前半では、さまざまな話題が扱われています。それらが必ずしもうまく結びついていないようなところが少し気になりましたが、興味深く読むことができました。なかでも土地取引に伴う地方自治体の権限をどこまで認めるか、地方自治体間における報告や罰則の濃淡をどこまで統一するといった主旨の指摘は、中央政府と地方政府の関係を考えるうえでも重要と思いました。同書を読んだからといって、所有者不明の土地の問題と不能欠損処理との関係について、なにかつかめたわけではないのですが。


経済波及効果

2012-09-14 21:51:40 | 媒体

● 宮本勝浩『「経済効果」ってなんだろう?』を読んでいたら、17の事例のうち1つに「たま駅長」のことが取り上げられていました。たまたまながら両備グループ関連の話題が連続します。

■ 「たま駅長」就任後の1年間について、和歌山県紀北地域における経済波及効果を計算すると、約11億円になるとのこと(この計算結果は、2008年度の『国土交通白書』第1章第3節でも紹介されています)。書によると、「ねこのおかげで11億円も儲かったのであれば、動物愛護のために寄付をしてほしい」という主旨の申し入れが和歌山電鐵に寄せられたのだとか。

● たしかに経済波及効果というのは紛らわしい用語です。同書で取り上げられている17例は、内容も年次も対象地域も異なりますので、単純に足し込んだり、比較したりすることには意味はありません。とはいいながら、日本各地で展開されるイベントや事業について、そのつど数十億円、数百億円、場合によっては1000億円を超える「経済波及効果」が生まれているのであれば、景気がもっとよくなりそうなものです。けれども、なかなかそうはならない理由として、人々の消費のシフトが考えられます。たとえば私の周囲では現下、J1リーグはトップ争い、プロ野球は久しぶりのAクラス入りがかかっており、観客が増え、関連グッズがよく売れているようです。ところが、スタジアムや球場によく出かけるひとたちは、その代わりにほかの消費を減らしたり、先延ばしにしているかもしれません。

● 経済波及効果の推計は、なんらかのイベントや事業のあとでのみおこなうのではなく、開催や実施の是非を点検するために事前におこない、もし開催された場合は事後的に実績と比較することが必要ではないでしょうか。そのようなデータを蓄積することで、新たなイベントや事業の導入に際して、その是非を判断することに有用と思われます。


知行合一

2012-09-10 22:33:11 | トピック

● 承前。小嶋光信・両備グループ代表の講演でもうひとつ印象に残ったのは、津田永忠のことです。津田は、江戸時代初期に岡山藩の財政建て直しに奮闘したほか、広大な干拓事業を完成させました。後楽園の設計・造成に参画したことでも知られています。岡山では現在、津田にかかわる事跡の世界遺産登録をめざした取り組みをしているそうです。

● 小嶋代表の講演を聞いて、私は、やはり岡山の別のことを思い出しました。文芸評論家の紀田順一郎氏による「教育の将来像と社会の価値観」に出てくる挿話です(2002年9月29日の山陽新聞掲載。私は、広井良典『持続可能な社会』2006年で知りました)。

 「明治中期に有漢村といった町は、人口約3,000の財政的に苦しい地域であったが、進取的な指導者層に富んでいた。彼らは日露戦争のさい、教員が動員されていくのを見て、たとえ戦争に勝っても子どもの教育が危ういと考え、教員養成所を設けた。中学校に行けない子弟をみな入学させ、教員免状を与えたのだ。“米百俵”の明治版である。

 その結果は想像以上のものがあり、村民が教育に目覚めてきたので、大正の末ごろには村立の女学校を建設、じつに進学率99.1%を記録した。しかも授業料はすべて村費でまかなった。教員養成所も財団法人とし、不足額は村が負担した。かくして十数年、昭和に入って高梁に移されたが、卒業者は3,500人を超え、教育界に大きく貢献した」

● 小嶋氏によれば、津田は一種の“change maker”とでも呼ぶべき存在であったとのこと。熊沢蕃山、津田永忠から山田方谷を経て、有漢村の事例に至る系譜は、陽明学の基本理念である「知行合一」の伝統を反映したものでしょうか。いまなお独特の気風が感じられます。


一国複制

2012-09-09 23:00:36 | トピック

● 9月7~8日、日本計画行政学会第35回大会(岡山大学)。私は自分自身の研究発表をおこない、大学院生の発表に付き添うとともに、座長などの役目を果たしてきました。大会の一環として公開講演会が開催されました。講師は、岡山を中心に運輸・観光、IT関連などの事業を幅広く展開している両備グループ代表の小嶋光信氏。最近では貴志駅の「たま駅長」で有名な和歌山電鐵をはじめ、地方公共交通再生の請負人としても知られています。

● 同氏の講演で印象に残ったのは、東京圏と地方圏では人口増加率と経済成長率に格差があり、今後とも縮まらない見通しであるため、単一の法律を全国一律にあてはめようとすると無理をきたすという主旨の話。これは、地方圏において公共交通を維持していくためには特別の制度が必要ということに関連して提示された話だったのですが、地方分権推進の意義としても重要だと思いました。


ベビーカー論争

2012-09-05 22:42:41 | トピック

● とりわけ東京のことなのでしょうが、電車にベビーカーを折りたたまずに持ち込むことの是非が問題になっているのだとか。帰宅して夕食を摂りながらみていたNHKの夜9時のニュース番組で知りました。たしかに乳幼児を連れた女性やお年寄りが満員電車に乗り込んでくることがあります。けれども、そのひとたちは、ラッシュ時でも移動しなくてはならない理由があるはず。ただでさえ子どもが少なくなっているうえ、それほど頻繁に出くわす光景でもなさそうなのに、なぜそこまで問題視されるのでしょうか ──。わが国のような成熟国で、いまさらこんなことでもめていると、女性が産む子どもの数がますます減りかねません。この種の問題で論争することすらやがて無用になりそうです。

● むしろ剣呑で、より不愉快なのは、ベビーカーよりキャリーバッグではないでしょうか。ベビーカーは前方に押して歩き、横幅はたいてい肩幅を少し超えるくらいの大きさです。押しているひとは、空間の広がりを自覚できます。ところが、キャリーバッグは片手で後方に引っ張って移動します。しかも引っ張っている側の肩幅からかなりはみ出しています。本人には、その空間認識が十分にできていないのではないか。

■ 私たちは、前方や左右を歩いているひととの距離には気をつけています。ところが人混みのなかでは、すぐ足下にキャリーバッグがあってもみえないことがあります。キャリーバッグを引っ張っているひとは、左右や後方に気をつかうことなく、急に方向転換したり、階段の直前でキャリーバーを下げるために急に立ち止まったりします。これが危ない。うしろを歩いていたひとは、キャリーバッグに突っかかったり、キャスターで靴を踏まれたりします。キャリーバッグを持っている本人は、そんなことが起きていることにまったく頓着せず立ち去っていきます。混雑した電車のなかでは、電車の揺れとともに、だれかのキャリーバッグが動いて、太ももの裏や靴の上にしつこく当たることもあります。

● そもそも男のキャリーバッグ姿というのは、若者であるか青壮年であるかを問わず、どうもあまり見栄えがよさそうに思えません。海外旅行などで使用する大きなスーツケースを持ち運ぶときであればともかく、ふだんのビジネスで大きなバッグが必要な場合には、少々重くてもキャスターなしのバッグやトランクを利用すればどうでしょう。適切な「空間認識」を養うことは、ビジネスにとっても有益に思えます(これは男女の別を問いませんが)。最近では、塾や習い事に通うのに小型のキャリーバッグを持ち歩いている小学生をみかけます。これは、健全な空間認識の発達を阻害するのではないでしょうか。あるいは多様な空間認識の形成に寄与しうると解釈すべきでしょうか。


賦課方式から積立方式へ

2012-09-02 23:21:58 | 媒体

● 鈴木亘『年金問題は解決できる!』を読みました。著者は、『社会保障の「不都合な真実」』『年金は本当にもらえるのか?』などで現行の年金制度の問題を指摘し、賦課方式から積立方式への移行を提案してきました。本書は、前著をふまえ、積立方式移行に向けた具体的方法をさらに分かりやすく整理したもの。積立方式にかかわる通念や疑問についても平易に解説しています。

● 著者によれば、現行の年金問題の本質の1つは、賦課方式であるがゆえに巨大な世代間格差をもたらしていること、もう1つは、すでに750兆円に及ぶ純債務を抱えていること(共済年金を含む)。これらの問題を解決して積立方式に移行しようとすれば、「現在の賦課方式の屍を乗り越えてゆかなければ」ならないけれども、現行方式にとどまったまま「座して死を待つ」のであれば、積立方式に果敢に挑戦してみるべきとしています。

● 現在の日本を覆っているのは、いいようのない閉塞感のようなもの。その背景の一部に、年金制度にかかわる不透明感、不信感があることは打ち消しがたいと思います。年金制度は、うまく機能している限り、人々が世代を超えて互いに助け合うことのできる優れた仕組みなのですが、現行制度は持続的とはいえません。本書のような提案が国会やメディアで真摯に議論され、実現への見通しがついてくれば、閉塞状況にいくらかでも風穴を開けていくことができるように思われます。