■ 消費者や企業の選択・意思決定とその帰結について分析する通常の経済学は、「人々はいつも合理的に行動する」というきわめて危うい前提のもとで組み立てられています。現実にはそうでないことは、自分自身に照らし合わせてみるまでもありません。人々の選択・意思決定をより深く分析しようとすれば、心理学や行動科学の領域に近づいていきます。
■ ニック・ポータヴィー『幸福の計算式』(阪急コミュニケーションズ)を読みました。収入の変化、失業、出産、家族との別れなどによる幸福度への影響について、分析手法を平易に解説しながら、最近の研究成果を紹介しています。こういった研究は、たとえばマーケティングに応用できそうです。その半面、地域内総生産、就業構造、地方債現在高といった「集計された結果」をふだん扱っている立場からすると、ほかにどのような政策的含意があるのだろうかと訝りながら読んでいたところ、ようやく最後に言及されていました。
■ 行動経済学から生まれたキーワードが“libertarian paternalism”と“nudge”。人々は望ましくない選択をしてしまうかもしれないからといって、政府部門が介入しすぎるのは望ましいことではありません。そこで、政府部門が人々の選択にあからさまに介入するのではなく、適切な選択肢を提示するなどして、背中を軽くつつく程度なら構わないという考えです。よく引かれる例は、確定拠出型年金 401(k) や臓器移植ドナーの登録。「意思があれば○をつけてください」という表現ではなく、「意思がなければ○をつけてください」とすれば加入率が高くなるということです。池田新介「“自滅選択”回避へ政策余地」(2012年3月26日付け日本経済新聞)でも、いくつかの応用事例が紹介されています。
■ 最も肝心なのは、人々の主体的かつ自由な選択が確保されているかどうか。ポータヴィーによれば、「自身の不幸は自制心の欠如や先送りによるものだと国民が自覚し、リバタリアン・パターナリズムを進める人たちからの提案を必要としたとき──そのときだけ──人々の幸福度を高めることを目指した行政介入が道徳的に見て正当化される」とのこと。そもそも幸福に関する研究は、人々の幸福度そのものの向上を図るためではなく、「政治の本質を改善するためだけに利用されるべき」と節度を保持しています。
● だとしても難儀なのは、そのような選択肢をだれがどのように決定するかということ。『実践 行動経済学』(日経BP社)の著者である Thaler & Sunstein によれば、費用・便益分析を援用できるし、少なくとも多数派の人々の行動を観察して決めることができるなどとしています。その決定がたとえ間違いではないとしても、さらに錯綜させるのは集合的な意思決定の問題。政治・行政プロセスを経るなかで、有権者の判断とは異なる政策に決着することは珍しくありません。