一会一題

地域経済・地方分権の動向を中心に ── 伊藤敏安

ふるさと納税で格差

2022-11-03 11:03:00 | トピック

● 総務省によると、ふるさと納税の当初の理念は、「今は都会に住んでいても、自分を育んでくれた「ふるさと」に、自分の意思で、いくらかでも納税できる制度があっても良いのではないか」とされます。

● 実際、そのような傾向はみてとれます。2018~2020年度の3ヵ年平均です。人口50万人以上の35市区町村を合計すると、ふるさと納税の受入額では95億円(1.7%)ですが、寄附額では2031億円(40.2%)に達しています。一方、人口1万人未満の519市町村を合計すると、寄附額では25億円(0.5%)にすぎないのに対し、受入額では819億円(14.9)を占めています。全般的にみれば、ふるさと納税は、より大きな都市からより小さな市町村に向けられているといえます。

● 市区町村の歳入を地方税、地方交付税、国庫支出金、ふるさと納税受入額、その他に区分して、タイル尺度という方法で市区町村間の格差を計算してみました。すると、市区町村間の格差に対するふるさと納税の寄与率は2~3%と小さいものの、符号はマイナスでした。ふるさと納税は市区町村格差の縮小に働いているといえます。ところが、人口1人当たりでみると、これとは異なる2つの点が指摘されます。

● その1つは、ふるさと納税の符号がプラスに転じて、市区町村間格差の拡大に働くことです。しかも寄与率は3ヵ年平均で4%、2018年度には10%強です。小さいとはいえません。もう1つは、ふるさと納税制度がない場合のタイル尺度に比べて、制度がある場合のタイル尺度が少し大きくなることです。つまり、ふるさと納税は市区町村間格差を是正するどころか、わずかとはいえ格差拡大に作用しているのです。


ふるさと納税の迷惑

2022-10-30 10:18:32 | トピック

● ふるさと納税による税額控除などの対象期間は1月1日から12月31日です。秋になって、ふるさと納税を勧めるテレビCMが増えてきました。ふるさと納税は非常に面白い制度です。その一方、「みんなの財布」である財政を痛めつけていることに注意が必要です。

● K県L市に住んでいるZ氏がQ県R市に3万円のふるさと納税をしたとします。Z氏は、所得税(国税)5600円と住民税2万2400円が軽減されるうえ、R市から最大1万程度の返礼品が送られてきます。Z氏はウハウハ、R市は財源が増えてハッピーです。

● ところが、K県とL市では予定していた地方税収が減ります。減収しても住民(Z氏を含む)に対して、行政サービスを提供していかなくてはなりません。それでは困りますので、減収の75%分について地方交付税で補填されます。つまり、2万2400円×75%=1万6800円の地方交付税が新規に必要になります。

● 地方交付税というのは、行政サービスを確保するために、地方団体間の財政格差を調整する仕組みです。基幹的な原資の1つが所得税です。その33.1%が地方に還流します。ということは、Z氏のふるさと納税によって5600円×33.1%=1853円だけ地方交付税の原資が失われます。

● 2020年度の場合、ふるさと納税に伴う地方交付税への影響額は、所得税の減少額499億円、市町村への補填額1511億円、道府県への補填額808億円、合計で2818億円になると見込まれます。これは札幌市の地方交付税の2.6倍に相当します。

● 地方交付税の原資は、所得税や法人税の一定割合とすることが法律で定められています。補填額が必要になったからといって、どこかから融通してもらえるわけではありません。それどころか、だれかがふるさと納税をすると、原資が損なわれるだけでなく、本来の目的とは関係ないことで地方交付税を食い潰してしまうのです。


いまさら統計?

2021-05-18 10:37:00 | トピック

● 2021年5月16日の読売新聞に興味深い記事がありました。福井県で新型コロナの感染経路を調査したところ、4月の感染者286人のうち242人(84.6%)は「マスクなし会話」であったとのこと。これをふまえ同県では、マスク会食推進店に10万円の奨励金を交付すると同時に、「Go To イート」の食事券の利用を認めているということです。

● ここまでであれば「なるほど」です。類似の調査はほかの都道府県でも実施しているはずです。驚いたのは、その先です。杉本達治福井県知事から説明をうけた菅義偉首相は、「こういうデータが出てきたのは初めてだ」という感想を述べたとのこと。

● 政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議などでのマクロ的な議論は、もちろん重要です。その一方、経済と両立した人々の行動変容にとっては、むしろ身近なミクロ的な議論のほうがはるかに実効的かもしれません。


K温泉のこと

2021-05-04 21:35:00 | トピック

● 枝廣淳子『好循環のまちづくり!』を読みました。同氏の前著『地元経済を創りなおす』についての感想でも述べたように、私は、素朴な「地域経済ダダ漏れ論」にはすぐには賛同しかねます。とはいえ、『好循環』で紹介されている実践的なノウハウや事例は、まちづくり関係者にとって大いに参考になると思います。

● 同書では、地元経済に好循環をつくり出した事例のひとつとしてK温泉が取り上げられています。いわゆる入湯手形が「起死回生の一手」になったとのことです(当事者のひとりとしていえば、そのほかにもいくつか重要な要因があったのですが)。実際、入湯手形は、リピートの誘発や間伐材の利用による高齢者の雇用などに効果をもたらしています。著者は、それを「ループ図」という要素間の関係を表現した図で分かりやすく解説してくれます。ところが入湯手形導入の経緯については、「分析した上で……起死回生の一手を考えついたわけではなく、直感的に“これだ!”と思ったのかもしれません」としています。

● まあそういう面がまったくなかったとはいえないのですが、地元の話を丹念に聞いたり、他地域の事例を調べたりしたうえで提案したものです。たんなる思いつきではありません。しかももっと大事な理由があります。K温泉というのは通称であり、正式には「K温泉郷」といいます。この名称から理解されるとおり、K温泉郷は3つの地区から構成されています。40年近く前には相互の往来が非常に限られていました(いまでも地理的制約は小さくありません)。入湯手形には、地区間の行き来を促進すると同時に、一体感をつくり出すという意図もあったのです。


痛快「雲古」の冒険

2021-04-03 21:10:10 | トピック

● 照明のせいでしょうか、それとも肌を露出していやでも目に入るせいでしょうか、自宅の便座に腰掛けていると、つくづく「黄色い人」であることを実感させられます。で、「その後」のことです。

● 神舘和典、西川清史『うんちの行方』は痛快でした。「小中学校の見学先としてゴミ処理施設と下水処理施設のどちらが多いか」、「高層マンションで全戸一斉にトイレの水を流すと下層階のトイレはどうなるか」、「富士山のトイレ利用料(任意)を払う登山者はなぜ少ないか」、「隅田川の屋形船はいつまで垂れ流しをしていたか」といった疑問について、実際に現地を訪問して解き明かしてくれます。

● そういえばもう半世紀前のことです。学部時代に私は、白馬岳、槍ヶ岳、八ヶ岳などの山々に登りました。本格シーズン前の残雪や雪渓の上で、実に晴れやかな“雉子打ち”を何度も経験しました。「その後」のことなどにまったく思いが至りませんでした。それどころかシロップをかけて食べたこともあります。最近の登山者は、トイレのない所では、どのように処理をしているのか。読後、ふと気になりました。

● 『うんちの行方』の著者たちによると、「忌むべき“ウンチ”をこれほどカラフルな手つきでバラエティに富ませながら白日のもとに晒した本はかつてなかったのでないか」としています。けれども少し前に取り上げた湯澤規子『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』も、負けず劣らず愉快でした。後者は「人糞地理学」とのこと。だとすれば前者はさしずめ「雲古(開高健)の社会科見学」でしょうか。


若者を元気にする社会参加

2021-03-17 22:10:00 | トピック

● 小塩隆士『日本人の健康を社会科学で考える』では、健康にかかわる興味深い研究成果が紹介されています。その一環として、SNSによるバーチャルな交流とリアルな社会参加活動による主観的健康感への影響が分析されています。それぞれ1週間当たりの交流頻度が1回増えたときに、主観的健康感(最大5点)はどれくらい変化するか──。

● 29歳以下の世代ではSNSで0.03点、リアルで0.10点、30~59歳の世代ではSNSで0.01点、リアルで0.11点、それぞれスコアが改善されます。SNSについては、若年層の上昇幅が中高年層のそれより少し高いことが特徴です。さらに注目すべきは、若年層も中高年層もリアルな交流による改善幅が大きいこと。若年層の場合、リアルな交流の上昇幅はSNSによる交流の上昇幅の3倍以上になっています。

● そんななか2021年3月17日の“NHKニュース7”によると、アメリカの国家非常事態宣言の長期化に伴って、若者の生活と心理に深刻な影響が出ているとのこと。これはけっして対岸のことではありません。日本の大学はまもなく新学期を迎えます。多くの大学では、原則として対面授業への復帰を予定しているようですが、予断を許しません。これからの感染抑止対策にかかっています。

● 少し前に紹介した小林哲夫『平成・令和 学生たちの社会運動』によると、日本学術会議の任命拒否問題は若者の政治意識の「カギを握るかもしれない」とされます。けれども現下の大学生にとって切実なのは、そんなことより、教育の質の保証、生活の安定、そして交流機会の確保だと思います。首都圏の緊急事態宣言が解除されても、「あれをするな」「これを控えろ」という以外に具体的な感染抑止方策を提示できないでいれば、若者の心理的な健康について明るい展望を描くのは無理です。


泉佐野市礼賛への違和感

2021-02-25 22:00:00 | トピック

● いやはや圧倒的な礼賛でした。中道達也『泉佐野市とふるさと納税の真実』のことです。総務省は、ふるさと納税寄附金制度の対象から泉佐野市を除外しました。これを違法として取り消しを求めた訴訟において、泉佐野市が最高裁で勝訴しました(2020年6月30日)。このこと自体は、泉佐野市を大いに評価すべきです。このほかにも同書で紹介されている同市の取り組みで、評価できることは多々あります。たとえば、より多くの寄附金を集めるためにマーケティングとマーチャンダイジングに取り組んでいること、そのようなノウハウを他市町村に伝授していること、他市町村の「アンテナショップ」のような役割を担ってきたこと、関西空港に拠点を置くピーチ航空の寄港地に連携を呼びかけたこと、納税者から非難されないよう地方税徴収の向上に努めていることなどです。

● とはいうものの、やはり素直には賞賛できません。ふるさと納税寄附金制度の深刻な問題点として、受益と負担の関係に歪みが生じることや高所得者優遇であることに加え、貴重な地方交付税をみんなで「食い物」にしていることがあげられます。このほか上掲書を読んでいると、次のような問題があるという思いがますます強まりました。

● 第1は情報開示です。市町村は、まちづくりなどの目標を掲げて、ふるさと納税寄附金を募集します。ところが、その使途について詳細な情報を開示している自治体は実はそれほど多くありません。これに関連して、第2は残額の問題です。泉佐野市の場合、大まかとはいえ寄附金の使途を開示しているようにみえます。しかし、これらは区分されているだけで、実際に支出されているわけではありません。寄附金の残りは特定目的基金に積み立てられ、翌年度以降に取り崩して使われます。これは多額の寄附金を集めている市町村に共通しているのですが、特定目的基金の残高が肥大化しています。最近の泉佐野市の場合、2015年度には寄付額11億円、残高33億円でしたが、2016年度に35億円に対し40億円、2017年度に135億円に対し67億円、2018年度には498億円に対し264億円に増大しています。訴訟問題が起きた2019年度には185億円に対し156億円に減少しましたが、それでも地方税収入の70%強に相当する残高を抱えています。ふるさと納税寄附金に関する同市のホームページでは、返礼品の売り込みに多くが割かれており、寄附金を使い切らずに多額の特定目的基金を累増させていることにはふれていません。

● 第3は地域経済効果です。2019年度の場合、泉佐野市は185億円の寄附金を集め、そのうち112億円(60.6%)を返礼品に使っています。総務省の通知を無視してまで返礼品割合を増やせば、雇用と生産がそれなりに増加し、地方税収入の増加につながるはずです。ところが、地方税収入は2015年度205億円、2016年度211億円、2017年度203億円、2018年度212億円、2019年度217億円であり、あまり伸びていません(これは同市に限らず、多額のふるさと納税寄附金を集めた市町村に共通しています)。第4は一般行政サービスへの寄与です。2019年度の泉佐野市の場合、歳出940億円のうち795億円は、国庫支出金などを含まない市の単独事業費です。しかし、このうち510億円は総務管理費です。これは、ふるさと納税寄附金を一般会計に計上したり、残額を特定目的基金に積み立てたりする経費であり、一般行政サービスの充実に使われているわけではありません。

● そして第5は財政規律です。都道府県・市町村の予算は、一切の歳入・歳出を予算に計上し、当該年度で完結することを原則としています(地方財政法)。ところが、ふるさと納税寄附金については、補正予算で事後的に一般会計への編入や特定目的基金からの繰入がおこなわれています。地方財政については、住民とその代表である議会が使途を厳しく監視しなくてはなりません。ところが、ふるさと納税寄附金については、上掲書のなかで泉佐野市の担当者が頻繁に吐露しているように、ずいぶんと「使い勝手」がよいようです。これは、「みんなの共通の財布」に対してガバナンスが働かないことを意味します。


生産県構想と消費県構想

2021-02-22 22:22:22 | トピック

● 宮崎雅人『地域衰退』を読みました。事例や統計が豊富であり、行政関係者や地域づくり関係者にとっては参考になると思います。気になったのは、「基盤産業」に過度に依拠していること。基盤産業とは「地域外へ生産物を移出し、地域外から所得を得る産業」であり、端的には「稼ぐ力」のことです。「稼ぐ力」は、安倍晋三内閣が打ち出した「地方創生」の政策目標の筆頭に掲げられていました。

● 基盤産業が重要であることは間違いありません。ところが、それだけにとらわれていると、実効ある地域政策につながるか疑問です(これは、その後の「地方創生」についても同様です)。そもそもすべての地域で純移出がプラスになることはありえません。「ゼロ・サム」の問題だからです。このため同書の終盤になると、歯切れのよくない循環論的記述が目立ちます。すなわち、「地域衰退は基盤産業の衰退によって生じてきた」ため、新たな産業が必要であるが、従来のような政策誘導は望ましくないし、他地域の成功事例に安易に頼るべきではない。新たな産業の育成は容易ではないが、そのなかで農山村においては小水力発電が有望であり、基盤産業になりうるとしています。

● 小水力発電の勧めについてはどうでしょう。小規模な地域において相当程度のエネルギー自給は可能でしょうが、これを基盤産業にするには相当程度の担い手と資本とノウハウが必要と考えられます。そもそも固定価格買取制度などの政策誘導がなければ成立しにくいという弱みもあります。基盤産業説にのみこだわっていると、こういう隘路からなかなか抜け出せません(ついでにいえば、枝廣淳子『地元経済を創りなおす』 も同様です。地域所得の洩れを防ぐため、「移出力」の強化にとらわれ、地域間交易による住民福利の向上という視点が弱くなっています)。

● そこで参考になるのが、1951年の広島県で導入された「生産県構想」。これは当時の大原博夫・広島県知事の提唱によるもので、のちに池田勇人内閣の「所得倍増計画」にも影響を与えたといわれています。「消費県から生産県へ」というキャッチフレーズに示唆されるように、生産県構想のねらいは、ものづくりによる「移出力」の強化です。これが予想以上の成果を挙げたことは疑うべくもないのですが、それから70年後の現在、人口減少と高齢化が進展し、経済は成熟しています。であれば、もう一度「消費県」を見直し、「生産県」との両輪を構想すべきではないか。

● 2017年度の北海道の事例です。北海道の人口は47都道府県の第8位。一方、人口1人当たり県内総生産は第33位に転落します。実際、財貨・サービスの純移出入は2兆4,307億円のマイナスであり、ただでさえ少ない地域所得がダダ漏れしているようにみえます。県内供給力(県内純生産)は15兆4,192億円ですが、県内需要は17兆8,499億円です。超過需要を補うために、財貨・サービスの純移出入は2兆4,307億円の「赤字」になります。

● ところが、全部門における人口1人当たり県民可処分所得では第31位、うち家計部門に限れば第30位に浮上します。なぜかというと、全部門合計で3兆3,7276億円にのぼる道外からの所得が県民可処分所得を押し上げているからです。その内訳は、純所得(雇用者報酬、利子・配当、賃貸料)1,751億円、純経常移転(国・地方の財政移転、税・社会保険料)3兆1,976億円です。3兆3,7276億円から超過需要の2兆4,307億円を支払っても、なお9,420億円残ります。これが経常県外収支です。財貨・サービス収支は「赤字」でも、所得移転を考慮した経常県外収支は「黒字」です。地域所得はダダ漏れするどころか、余裕があるからこそ道外の財貨・サービスを購入できていると解釈することもできます。

● さらに注意すべきは、せっかくの「黒字」の流出です。北海道民が使えるお金は経常県外収支の9,420億円だけではありません。このほかに道外との資本収支(公共投資、贈与税・相続税など)が6,538億円のプラスです。両方を合計したいわば県外債権は1兆5,958億円になります。うち家計部門は1,391億円です。県外債権は、一般的語法での「預貯金」「投資」に当たりものであり、後年度の利子・配当や賃貸料を生み出してくれます。けれども、県外債権そのものは地域経済に広く恩恵をもたらしてくれるわけではありません。

 であれば、すぐそこにある「黒字」の一部を地域で消費することが考えられます。直截にいえば、比較的余裕のある高齢者に地域でお金を使ってほしいということです。お金を地域で循環させることで、新たな雇用が生まれ、付加価値と税収をもたらします。高齢者といっても、旧来のお年寄りを想定していては新たな産業は生まれません。この数年間のうちに65歳以上人口に占める戦後生まれが戦前生まれを追い抜きます。そういう変化に対応した「ひと」と「しごと」を呼び込んで、高齢者の高度な需要に応えなくてはなりません。『地域衰退』でも言及されているとおり、そのようなサービス業にとっては「密度の経済」が鍵になります。となると、「働き方」と「まちづくり」のあり方も変えていく必要があります。


学生運動の終焉

2021-02-12 22:00:00 | トピック

● 大学入試の期間中です。以前には大きな立て看が受験生たちを迎えてくれましたが、ほとんどの大学から姿を消してしまいました。ごく稀に「立て看らしいもの」を見かけることがあっても、文字は「立て看書体」ではありません。大学から立て看が消えても、生きながらえている既成組織もあれば、新たな動きもみられます。

● 最近の学生たちの政治的・社会的活動を詳しく報告しているのが、小林哲夫『平成・令和 学生たちの社会運動』。SEALDs、民青、中核派から「カウンター」まで、当事者の学生たちを丹念に追いかけています。これを補足するため、学生の意識調査からみた経年変化をたどっています。著者は「学生運動」という言葉を使いません。「学生による社会運動」という表現が妥当としています。新書にしては大部の434ページ。読み応えがあります。

● 読後の感想の第1は、最も多くが割かれているSEALDsのことです。SEALDsについては、活動の背景を深く掘り下げて説明してほしいと思いました。部分的に言及されてはいるのですが、SNSのほか、既成組織の支援や一部のマスコミの扱いが少なからず影響したのではないでしょうか。著者のいう「15年安保」をめぐっては、一部のふつうのマスコミですら極端な前提の議論をしていたことが思い出されます。

● 第2に、広島には国際平和をテーマとした若者の活動が根付いています(長崎も同様だと思います)。党派的色彩のあるものからそうでないものまで、大学内のものから大学外のものまで、多様な広がりがみられます。しかも一過的ではありません。これらも無視しえない「社会運動」として評価してよいと思います。

● 第3に、著者によれば、地方大学において学生の政治的・社会的活動の芽を摘むことは、「地方都市の発展にプラスにならないどころかマイナスになるだけ」とのこと。なるほどそういう面もあるかもしれませんが、果たしてどうでしょう──。最近の地方大学の多くは、地域課題探求型の教育・研究と地域活動に力を入れています。政府部門と協調することもあれば、批判的に代替的な方策を提案したり、地域の人たちと独自の仕組みをつくったりといった取り組みも活発です。地方都市にとっては、こういう形の「社会運動」も無視しえないと思います。


現在の諜報活動

2021-01-17 10:20:00 | トピック

● 私は、この30年あまり、意識して小説を手にしたことがありません(子どもへの読み聞かせはしていましたし、調べ物のために城山三郎などを流し読みしたことはあるのですが)。けれども30歳くらいまで、楽しみの一つは週末に小説を読むことでした。馴染みの作家の一人がジョン・ル・カレ。2020年12月に亡くなりました。1960年代から多数の作品を発表していましたので、ずいぶん高齢かと思っていたら、1931年生まれ。私の母(故人)と同じでした。

● BBC追悼記事によると、ル・カレが描くスパイたちは、“le Carré portrayed his spies as fallible human beings, fully aware of their own shortcomings and those of the systems they served”なのだとか。あるいはCIA諜報員によれば、「最高の情報工作員とは、不道徳で冷酷な職業に生きる一流のモラリストのこと」であり、その複雑な思いを描写できるのはル・カレ以外にいないともされます。2020年12月には、「二重スパイ」のジョージ・ブレイクがロシアで死亡したとの報道がありました。ブレイクもル・カレが描いた世界の一人といえます。

● そんななか読んだのがクライブ・ハミルトン&マレイケ・オールバーグ『見えない手』。同書で紹介されているのは、主要国の政治、経済、文化、大学、シンクタンクなどに張り巡らされた情報収集と情報操作のネットワーク、これらによる顕示的あるいは韜晦的な工作活動です。ル・カレが描写した諜報活動の概念では、もはやとらえることはできません。そのような意味での「スパイ」はすぐそこにいるかもしれません。私たち自身、知らないうちに巻き込まれているかもしれないのです。