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第100回看護師国家試験が今日…。外国人看護師は…!?

2011年02月20日 | フィリピン人看護師・ケアギヴァー

 今日2月20日、第100回目となる看護師国家試験が行われています。

 
経済連携協定(EPA)により、インドネシア(2008年8月~)と、フィリピン(2009年5月~)から受け入れた外国人看護師は合わせて455人、そのうち34人が、諸事情により日本で看護師を目指すことを断念し、すでに帰国したということですから、単純に考えれば、約420人が今回の国家試験に挑んでいる、ということになります。
 
一昨年2009年2月、インドネシア人看護師が初めて挑んだ日本の国家試験では、その第1期生104人の8割ほどが受験しましたが、合格者は出ませんでした。
 
昨年2010年の国家試験では、インドネシア人第1期生・第2期生と、フィリピン人第1期生の、計254人が受験し、インドネシア人2人(第1期生)とフィリピン人1人(エバー・ガレッドさん・第1期生)と、初めて3人の合格者が出ました。しかし、その合格率はわずか1.2%、同じ試験を受けた日本人受験者の合格率が約90%だったことを思うと極端に低い数字です。

演劇『バーさんに続け!』(在日フィリピン人看護師の奮闘ぶりを描いた作品)

(エバーさんは、渡日後わずか9ヶ月後の受験でパス、快挙ですね。)

(参考)
間もなく国家試験 問われる外国人看護師受け入れ制度
TOKYO MXニュース・2011年1月)

外国人看護師の現状(1年前のニュース映像)


 
一方、外国人の介護福祉士候補者については、介護福祉士国家試験を受けるのに、「介護の実務経験3年以上」という資格要件があり、インドネシア人第1期生の国家試験初挑戦は、2012年の1月(第一次試験・筆記試験)と3月(第二次試験・実技試験)ということになります。
 
2009年5月に渡日したフィリピン人介護福祉士候補者第1期生は、その翌年2013年が初受験です。
 
つまり、まだ一度も受験の機会がないわけですが、この外国人介護福祉士候補者たちにとっては、後にも先にも、受験の機会はこの一度きりで、不合格であれば祖国に帰国となります。このことが、介護の手を必要とする日本の施設でも、このEPAによる外国人の受け入れを希望する施設が減っている一要因となっています。
 
ただ、「ウィキペディア」によると、その受験資格の要件が、
「2011年(平成23年)より、厚生労働大臣が指定する養成施設を修了し名簿登録する取得方法が廃止され、国家試験のみとなる。これにより介護の実務経験3年で受験資格の取得が可能であった事項が廃止となり、600時間の研修を受講することが義務づけられる方向で検討が進んだ。しかし、2011年1月20日、当初2012年実施予定だったのを更に3年遅らせ、2015年とする決定をした。」との記述があります。どういうこと?


(当ブログの、この件に関するこれまでの記事。↓)
 フィリン人看護師・ケアギヴァー


 今日の看護師国家試験の合格発表は3月末ですが、その結果によっては、この
EPAによる外国人看護師・介護福祉士候補者の受け入れ事業、制度そのものが大きく見直される可能性も出てくるでしょう。
 個人的には、もちろんより多くの外国人看護師の誕生を期待しています。これまでの経緯やいろいろなな議論はともかく、せっかくここまで来たのですから…。
 そして、誰よりも、異国でこれまで頑張ってきた本人たち、彼らを受け入れた病院、関係者が、今日の国家試験パスを待ち望んでいることでしょう。



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2 コメント

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何がしたいの日本 (TOMさん)
2011-02-20 13:50:26
門戸を開いたかのように思わせて・・・・。

未だに鎖国状態。

介護業界、なり手が無い今の日本・・・・。

愛情が感じられません。日本人の要看護者にも

外国人介護し希望者にも・・・・・・・・。

情けない。
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莫大な時間と経費が…。 (Isshin - 編集人)
2011-02-20 22:35:54
TOMさん、僕が「日本がFTA(自由貿易協定)で、フィリピンから看護師とI.T.技術者を受け入れへ」という、こちらフィリピンの新聞記事を目にしたのは、2003年の1月頃でした。もう8年も前、小泉政権の時ですね。

ご存知のように、ヘルシンキでのアジア欧州首脳会議中、小泉元首相が、アロヨ前比大統領との首脳会談で、フィリピンから、看護師・介護福祉士候補者を「2年間で1,000人受け入れる。」とEPAで合意したのが、2006年の9月です。毎日新聞によると、その「1,000」という数字はフィンランドに向かう前日に「官邸の意向」ということでそう決まったそうです。(当初は看護師100人・介護福祉士候補者100人だった。)
http://blog.goo.ne.jp/isshin3_jph_m/e/47ec1109f21d0ee040739abaf78f25d2

が、その合意事項の中には、「日本から比国への有害廃棄物投棄…」などといった項目もあり、フィリピン側はずっとEPA合意に反対、上院で批准されたのが2年後の2008年10月でした。
そして、翌2009年5月に、フィリピンから第1期生が日本へ。

外務省の主導によって、FTA、EPAの枠内で、初めて人材の受け入れが決まったこと。しかも、それが命を預かる医療や看護、介護の現場の人材だったこと。そのあたりで、当初から、今の、とても難しい状況が生じてしまっているようです。
それにしても、莫大な時間と経費がかかってしまいましたね…。
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