isorokuのこころの旅路

遊行期に生きる者のこころの旅路の記録です

ブルームバーグ社説の記事に驚く

2014-02-19 15:44:36 | Weblog
今日のyahooニュースを見たところ、ブルームバーグ社説「日本のナショナリスト的愚行、米国は強い語調で叱責を」という記事が掲載されていました。

浅学非才のため、ブルームバーグを知らなかったので調べました。・・・「内外の最新金融ニュース、マーケット情報、市場の分析や、 さまざまな世界の金融データをご提供しています。株、投資信託、世界各国の株価指数 、国債、商品先物など最新のマーケットのデータを掲載している通信社」でした。こうした通信社にこのような記事が掲載されることに驚きました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140219-00000016-bloom_cn-bus_all

最初の部分と最終の部分だけを引用しておきます。

●米政府が中国の海洋拡張主義を最近のアジアの緊張の原因と考えていることは、米当局者からの最近の一連の発言から明らかだ。一方で、アジアにおける米国の最大の同盟国である日本に対しても同様に、米国は率直に意見すべき時だ。

●日本が何十年もかけて築いてきた責任ある民主国家として受ける国際社会からの善意を、安倍首相は理由もなく損ないつつある。首相が自分でそれに気づかないのなら、米国そして日本国民が分からせてあげられるだろう。


<所感>

・安倍政権の動向に対し、アメリカの有力通信社が社説でこれほどあからさまな発言を行ったことに驚きました。

・こうした記事は、アメリカ政府に何らかの影響を与えることになるでしょう。

・歴史認識に関する安倍首相や側近者たちの考え方や行動は、中国や韓国が反発するのが当然であり、また彼らの反発の内容には日本国民からみて問題があることも事実です。

・しかしながら、アメリカ(その一部かもしれませんが有力な一部です)をここまでに刺激しているという事実を踏まえて、安倍政権側は戦後レジーム脱却を急ぐ今の姿勢を見直すべきではないでしょうか。

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「ごちそうさん」の戦時下物語を見て感じたこと

2014-02-12 11:17:53 | Weblog
あまり見ていなかったNHKの朝ドラ「ごちそうさん」が最近戦時中の物語りになってきたので、興味深く見ています。

当時の食糧事情や隣組を通じた配給制度、闇屋の跋扈、警察の取り締まり、婦人会ボスの存在、防空演習、戦意高揚のラジオ・新聞・・・窮屈な国家主義体制下の銃後の姿を私は中学生でしたから、みんな見聞したこととして思いだします。
いじめられた「めいこ」が相手に水をぶっかけ、もう「ごちそうさん」はやらないとぶち切れたシーンにはなんともいえない痛快感を抱きました。

私が抱いた戦時下の鬱屈感・嫌悪感は、敗戦後占領軍の上からの民主主義・自由化を歓迎する下地になりました。統制経済から自由経済への転換、言論の自由、やがて高度経済成長による生活文化の向上といった戦後民主主義体制は窮屈な国家主義体制からの解放であったことは間違いありません。

理性的に考えればアメリカ占領政策の成功という一面がありますが、戦後レジームには大衆を引きつけた強い吸引力があります。安倍政権は戦後レジームからの脱却を謳っていますが、その国家主義的発想は、戦時中国家主義の負の側面への反省がないかぎり支持できません。戦時中の国家主義は、銃後において「ごちそうさん」の物語で語られたようなみじめな状態を生みましたが、前線においても後半は軍部指導者の非合理的指導で連戦連敗でした。

孫文の三民主義という考え方によれば、民族主義、民生主義、民主主義の三つをバランスよく使いこなすのが大切だそうですが、安倍政権の戦後レジーム脱却の動きは、民族主義だけに偏重しているように感じます。


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都知事選結果を見て感じたこと

2014-02-10 21:26:26 | Weblog
都知事選の経過と結果をみて印象に残った事実だけを列挙しておきます。

●投票率が46%程度、戦後3番目の低投票率であった。

●舛添氏 2,112,979   宇都宮氏 982,594  細川氏 956,063 
田母神氏610,865 

●投票日の前日大雪が降り、投票日に道路を歩くのが容易でなかった。

●テレビニュースは都知事選挙を大きく取り上げなかった。取り上げてもオリンピックや景気・雇用や医療・福祉などを優先的にして編集していた。一部を除き大手の新聞も似たような編集ぶりであった。

●細川氏の街頭演説はどこでも盛況で熱気があったようだが、その事実はインターネットでは見聞することが出来たが、テレビや新聞では殆ど報道されなかった。

●重要な選挙にもかかわらず、主要候補間の政策討論会がテレビで放映されることが殆ど無かった(1回だけだったか)。

●脱原発を最優先に唱える細川氏と脱原発を掲げるが他の政策と並列で主張する宇都宮氏の間で統一候補に向けた調整活動が行われたが失敗した。そればかりか両陣営の間で罵り合いが起こった。

<所感>

・インターネット時代に入ったとはいえ、マスコミはまだまだ影響力が強く、そこで事実が見聞されなければ、事実の影響は起こらない。街頭で大勢の人が集まっても報道されなければ影響力は削減される。

・政権に批判的な活動をマスコミが報道しなければ、政権側の候補が有利になるのは当然である。日本では無党派が一番多いので、投票率が低ければ政権側が有利になるのが当然だ。

・政権に批判的な勢力が二分し、互いに足を引っ張り合うようでは、政権側は安泰だ。どうして共闘ができないのか、この問題はじっくり研究する価値がある。


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「原発問題は二者択一しかない」への異論に感銘する

2014-02-08 18:57:25 | Weblog
 前回のブログで、白井聰氏の論述をめぐり印象に残った部分を肯定的に取り上げましたが、その後2月11日号のニューズウイーク「脱原発の現在位置」を読んで、白井氏の「原発推進か止めるかの二者択一しかない」との見解に疑問を抱きました。

 運動のセクト化(=推進者の純化、先鋭化、異端化、一般人との疎遠化、脱原発陣営内の罵しりあい)という病的現象から脱却するためには、二者択一発想からの脱却が必要ではないかと考えるようになりました。


◇ニューズウイーク2月11日号「脱原発の現在地」の結論的なポイント

●日本は原発について冷静で建設的な議論を十分してこなかった。あげくの果てに運動に「セクト化」が進み、互いに罵る悪循環に陥った。

●運動が「純化」し「先鋭化」すればする程、一般市民との距離は広がり、裾野も狭まる。純化と同時に「セクト化」が進んでいる。都知事選で脱原発派が候補を一本化できなかったのが何よりの証拠だ。

●スウェーデンの国民は推進・反対という二項対立の泥沼から目覚め、廃炉の方法や代替エネルギーの可能性を含め、徹底的に議論し、国民投票を経て、結論をだしたという。

●自衛隊や憲法、日米安保、特定秘密保護法・・・何か問題が持ち上がるたびに、敵と味方に分け。相手ばかりでなく、「妥協は悪」とばかりに、自分の仲間を攻撃する「空気」に左右され、熱狂と忘却を繰り返してきたのは何も原発問題だけではない。浮き彫りになったのは「変わらない日本」なのかもしれない。


<所感>

・都知事選で脱原発の候補一本化が出来なかった事態は、まさに悪い意味で「変わらない日本」の縮図であり、この病は容易には治らないと思います。

・ニューズウイーク誌で「変わらない日本」と決めつけられた日本が良い意味で「変わり始めた日本」として一歩前進するためには、セクト化の危険が少ない人、即ち従来からの革新派ではなく、従来保守派であった人で問題に目覚めて態度を変えた人を支持することが大切だと思います。



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希望的観測の呪縛

2014-02-05 11:47:35 | Weblog
私事多く、しばらくブログご無沙汰しました。

◇2月4日の毎日新聞夕刊特集ワイドの白井聰氏の論述で、印象に残った部分を記録しておきます。

●戦中戦後の政府と原発事故収束に手をこまねく現代の政府は「敗戦」や「原発事故」という重大な現実を全力でごまかし、否認する点で全く同じだった。

●「原発事故は収束した」「被害はたいしたことない」「事故はもう起こらない」・・・そんな希望的観測に私たちは逃げていないか。

●「原発推進か脱原発かの二項対立は意味が無い」との主張がありますが、二項対立でしか答えのでないケースもある。それがまさに原発。推進か止めるかの二者択一しかない。

●都政に多くの課題があるのに原発のワンイシュウに絞っていいのかという意見もあるが、原発問題を他と同列に扱うほうがおかしい。原発は国民生活に直結するだけではなく、核兵器への転用可能性がある。まさに国家の中核に係わる大問題で、すべてのイシュウに関連している。

●怒りの声を上げる国民が少ないのはなぜか。私は「現実の否認」という日本人のメンタリティーが根底にあると考えています。しかもこれは戦時中も戦後もそうでした。

◇「2月5日の毎日新聞朝刊の漫画「アサッテ君」で、「脱原発」むずかしい問題ですなあ」「わたしはいまそれどころじゃないんです」「脱減髪で頭がいっぱい」の四駒は、世相の一面をえぐり取った秀逸な漫画で、考えさせられました。

<所感>

・日本人のメンタリティーになっていると言われるものは「現実の否認」という言葉で表現するよりも「希望的観測の呪縛」という言葉を使うほうが事態を理解しやすいのではないかと思います。

・トルーマン回顧録によれば「日本は事実上、軍をボスとする封建組織のなかの奴隷国であった。そこで一般の人は、一方のボスから他方のボス、すなわち我が占領軍のもとに切りかわったわけである。彼らの多くの者にとってこの切りかえは、新しい政権のもとで生計が保たれていければ、別にたいしたことではないのである」。
 「奴隷だからといってイコール悲惨な生活ということにはなりません。奴隷は財産であり、しっかり働いてもらわなければならないので、虐待されるとは限りません」。
(孫崎亨著「戦後史の正体」より)。

・奴隷の立場に立てば、自主的判断が出来にくいので希望的観測にすがることが多くなります。これが長い間奴隷的立場に置かれてきた日本人大衆のメンタリティといわれるものの源流ではないかと思います。

・他方日本の指導層の方も、戦時中の軍部に見られるように「自分に都合のよい、しかしありえない分析をして、自分の望む政策を押し通して開戦し、敗戦しました。まさに希望的観測の呪縛オンパレードでした。

・「原発事故は収束をした」「被害はたいしたことない」「事故はもう起こらない」・・・そんな希望的観測に囚われてはいけないと思います。

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