isorokuのこころの旅路

遊行期に生きる者のこころの旅路の記録です

危機管理覚え書(1)

2013-04-29 15:34:59 | Weblog
危機管理をめぐって情報サーフィンを続けています。しばらくの間、「危機管理覚え書」というテーマで記録と所感を記します。

●日本の人事部「クライシスマネジメント」より

・危機管理といってもそれがリスクマネジメントの意味なのか、クライシスマネジメントを指しているのかで、対応は当然変わってくるはずです。しかし用語としては混同して使われているケースが少なくありません。

・基本的には組織や事業に損害が及ぶ多種多様な可能性を企業のリスクといい、そのすべてがリスクマネジメントの対象になりますが、特に損害の規模や程度が企業の存続を危うくするほどのレベルである場合、そうした重大な危機への対処を通常のリスクマネジメントと区別してクライシスマネジメントと呼びます。

・対象とするリスクの”重大さ”だけでなく、それが”予測不可能”であることもクライシスマネジメント
の概念を特徴づけるポイントといわれます。

・したがって一般的なリスクマネジメントが、想定しうるリスクを顕在化させないように予防と分析を主眼とするのに対し、クライシスマネジメントにおいてはリスク発生後の対策が中心となります。とりわけ重視されるのが迅速かつ的確な初期対応。被害の拡散を最小限に抑えるとともに、二次的被害を回避し、事態の終息から速やかな復旧へとつなげる取り組みが求められます。

・危機が発生してからの対応では、具体的なリスクを対象とする活動です。いわゆるBCM(事業継続マネジメント)も同様な活動ですが、例えば「災害でフル稼働できる人員が半減した」という特定な事態を想定し、あらかじめ対応策を準備。実際にそういう状況になった場合には、準備した手順に従って対処するのがBCM。クライシスマネジメントはより広く柔軟に、BCMがカバーしないリスクまで視野に入れて取り組まなくてはいけません。

<所感>

・危機管理という概念に関する簡明な解説に啓発されました。今後はこの論述の定義に軸足を置いて、学びを進めていこうと思います。

・パックスアメリカーナの時代が終わりはじめ、世の中が危機の時代に入った模様ですので、社会も組織も
個人も、リスクマネジメントとクライシスマネジメントをしっかり学んで、智慧のある対応ができるよう準備すべきだと思います。

・クライシスマネジメントにおいては想定外事象への対応が重要課題となりますので、危機に対応する人々は、そうした事象に直面しても動じないよう、あらかじめ平常心を鍛えておく必要があります。

・平常心を鍛えるでインターネット検索したところ、次の言葉が印象に残りました。「腹式呼吸をする」
「日頃小さな成功体験を積み重ねておく」「自分より精神力の強い人と信頼関係を作る」「置かれた環境に意味をみい出す」。





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「脱官僚的思考、危機管理」をめぐる論述収集(2)

2013-04-16 20:22:37 | Weblog
引き続き[脱官僚的思考・行動と危機管理]をめぐって、印象に残った論述を収集し、所感を記録しておきます。

◇福田秀一氏(サステナブル・リサーチ代表ー戦略・危機対応・CSR)のブログから

●平時のリーダーと有事のリーダーの条件は同じである
・東日本大震災や原発事故での政府や東電の対応をもとに、平時のリーダーは、非常時には対応できず、有事のリーダーが必要だとの論が幅を利かせている。とんでもない間違いである。国であれ、企業であれ深刻な脅威が突発しない平時において優れたリーダーであれば、有事にも優れたリーダーとなる。

・平時においても大小様々な想定外の脅威が発生し、そうした脅威に対処すること、できる限り脅威を洗いだしそれに備えることは、リーダーの重要な役割である。その役割を果たせるリーダーは有事のリーダーもつとまると考える。

・民主党管政権は、平時においても社会、経済、安全保障上の脅威に対応する意志と能力に劣り、数々の脅威を深刻化させ、また野党との協調どころか、与党すら掌握できずに内部分裂させるなど、平時からリーダーシップを欠いていた。だからこそ、有事においてもリーダーシップを発揮できなかったのである。東電にしても平時にとっくにやっておくべき、原発への脅威の洗いだしと対策を放置していた。

●想定外の事態への対応の留意点
・危機管理論の多くは、不測の事態が発生すれば、「トップに直接、情報を伝達・集中し、トップが陣頭指揮をとれ」と説く。しかし、それがうまくいくのは、トップが社員の能力、性格や、仕事の状況を日常的につかんでいる数十名程度の小さな組織までであろう。

・規模が大きくなるにつれてトップの陣頭指揮は、部門の仕事の内容と実情にうといため、的外れとなる危険が増す。また状況が刻々と変化する中でトップにいちいち説明し指示を仰いでいれば、手遅れになる危険が増す。

・不測の事態には、リーダーがもつ権限や能力で対応できないものがある。 その場合はその上司のマネージャーが対応すべきだが、それでも対応できない事態=非常事態の場合はトップが陣頭指揮を執る必要がある。ただし、それには多少の時間がかかり、それまでの初期対応、初動を指揮するのはリーダーであり、その巧拙が、ダメージの代償と、回復可能性を大きく左右する。(リーダーの初期対応の仕事の中で最重要な項目の一つが、トップならびに担当役員への状況速報である・・・isorokuの追加意見)。

・トップの陣頭指揮の優劣は、つぎの要素に左右される。
1)サポートする優秀な役員やスタッフの有無
2)リーダーからの簡潔明瞭な報告・提案(観察事実・収集情報・とるべきと考える対策とその功罪)。
3)リーダーが、自分の能力や権限では対応できない、ないし、すべきではない非常事態だと直感的に判断する能力。

●経験の効用と経験不足の危険
・アンチ官僚、政治主導が成果をあげるには、官僚に優るとも劣らない、専門知識と情報をもつ、ないしそうしたスタッフを獲得する必要がある。

・アメリカ陸軍の指揮官マニュアルでは、直感的意思決定を重視している。直感的意思決定が良い結果を生むためには、リーダーが直感力に優れなければならない。裏を返せば、直観力に劣る者はリーダーになるなということである。

・アメリカ陸軍は指揮官に必要な資質を、次の通り列挙している。知識、判断力、経験、教育、知能、大胆さ、感受性。これらに優れていることにより、断片的な観察や情報に惑わされず、それらから全体の状況を推察するパターン化能力、ひいては直感力が向上するというのである。
その中でも特に経験を積み重ねることが決定的に大事とし、経験の効用をつぎのとおり強調している。
 1)現実的な行動方針を見つけ、非現実的な行動を捨てるための判断ができる。
 2)計算されたリスクと、破滅につながるギャンブルを識別する。
 3)任務を追及する不屈の決意と実りのない行動方針を追及する頑迷さを識別できる。
 4)困難と挫折を識別できる。

・直感的意志決定は大事ではあるが、経験不足な者が直感的意思決定をするのは危険きわまる行為となるのである。これは、経験の効用を否定し、経験が新たな発想を阻害することを強調する創造的破壊論の危うさを示す。素人優先主義とよぶべき論がみられるが、それは破滅をもたらす危険思想である。



<所感>
・福田秀人氏は危機管理をリスクマネジメントの視点で論述されており、その視点から見れば現実的で教育的なな卓見が多く、大いに啓発されました。

・しかし、福田氏は「平時のリーダーと有事のリーダーの条件は同じである」と述べていますが、前回紹介した東海大学の首藤信彦氏は「日本では、アメリカではほとんど保険の同意義語であるリスクマネジメントと、通常の経済的リスクを超えた部分=発生したリスクによる損害が組織の存続にとって致命的となるようなリスクを対象とする危機管理とが混同されている」と書いています。

・福田氏と首藤氏の視点は大きく異なっています。両者とも日本語では危機管理という言葉を使われていますが、英語で言えばリスクマネジメントとクライシスマネジメントの違いのように思われます。

・不測の事態が起こり組織に大きな損害を与えるような危機管理の場合を、福田氏は従来のリスク分野における巨大なリスクとして把握しておられるようですが、首藤氏の視点は異なっています。

・首藤氏は、組織に致命傷を与えること、通常の行動から派生するリスクと異なっているため、対処の方針・方策・具体的手段が用意できないことなどの質的な違いに力点を置いて把握しておられるようで、危機に対する視点が異なるため、両者が提案される対応の留意点もおのずから異なってきます。

・福田氏の想定外の事態に対応する留意点は上記の通りですが、首藤氏は「危機管理はこれまで慣れ親しんできたシステムとは別の、異系対応に迫られることになる。日本的慣行、終身雇用制のもとで育ってきた組織や命令系統に危機管理はできない。まったく違った組織とそこでの行動原理が必要になり、それを旧来の系にどのように組み込んで行くかが問題になる」と論じています。

・たとえば「危機の状況を発見した者が、その第一報を危機管理役員や最高経営者に伝えなければならない。しかし現実には難しいので、第一報が正確かつ緊急に最高経営者に伝わるメカニズムを平時から構築しておく必要がある」。

・また「アメリカでは、80年代から企業が直面するリスクに対応するため、包括的で統合的な危機管理組織」とその長としてセキュリティ・ディレクターを設置する企業が多くなっている」。

・さらに、「危機管理は官僚にはできない。危機管理には異文化や異なった見解をもつ人への理解、厳しい価値観の対立において中立的な価値観を提示できる能力などが必要である。その意味で、危機管理の担当者は、心理学・社会学の専攻、それに宗教・哲学・文化人類学・歴史などの素養が重要である」と述べています。

・私は両者のそれぞれの留意点に啓発されましたので、当面は福田氏の見解を参考にして危機管理体制を整備しながら、危険に満ちた21世紀の将来を見据え、首藤氏見解の具体化を促進することが良いのではないかと思っております。


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「脱官僚的思考、危機管理」をめぐる論述収集(1)

2013-04-12 14:58:37 | Weblog
官僚的思考・行動様式からの脱却ならびに危機的様相が強まっている現代社会の危機管理をめぐって、印象に残った論述を収集し、所感を記録しておきます。

◇首藤信彦氏(東海大学)「現代社会の危機管理」から

●変化する安全保障概念
・安全保障概念が純粋に国家間の戦争による安全への脅威を想定していたのに対し、今日はヒューマンセキュリティ概念の登場と普及のように、安全保障を国家と単位とするだけでなく、個人や家族そしてコミュニティを単位とする複雑系における安全の確保と考えるようになってきている。ひとびとは地球環境の劣化、感染症の蔓延、テロリズム、慢性的経済不振、自然災害、社会混乱など多様な要素によって安全を脅かされているのであり、他国の侵略や大陸間弾道弾の脅威だけではないのである。


●官僚には出来ない危機管理
・危機管理は、官僚にはできない。柔軟な発想や独創的な見解でなく、標準的な問題と解答をいかに正確に記憶しているかが問われている標準偏差入試の世界を勝ち抜き、大学では何十年も条文が変わらないような法律を専攻し、省内では組織防衛と省庁間微調整に明け暮れたような官僚は、危機管理の求めるのとは全く異なった人材である。

・また危機状況というものは、状況が状況だけに、危機管理には一種のカリスマ性が必要となる。そのような経験を積むことも官僚のキャリアプログラムには無い。官庁もまた本質的に危機管理とは相容れない体質と文化を持っている。予算制度、インクリメンタリズム(前年度の予算額・政策を基本とし,それに付加する形で新しい予算や政策を決定する方法)、縦型組織など、危機管理とはおよそ逆のベクテルを持ったシステムであるといわざるをえない。

●危機社会の到来
・現代社会を襲う危機は一過性のものでも、宇宙の彼方から飛んでくるものでもない。社会をとりまく外部環境が危機化し、劣化したことによっても社会は危機に見まわれるが、同時に危機の多くはサイクル的に再発し、また過去における我々の行為の結果として発生する。

・日本の全崩壊が進行している。道路やトンネル、生産工場から原子力施設のような様々なハードが老朽化し、修理もスクラップ・アンアド・ビルドも出来ないまま、質を劣化させている。

・それ以上に、社会システムや制度の崩壊は著しい。政治三流官僚一流と言われた官僚は有能でもなければ清廉潔白でもないことが次々と暴露された。同様に比類無い高い効率を持っているはずの企業、世界で最も優れていると高く評価された初等教育、最も安全と言われた都市の生活がもろくも崩壊の過程にある。日本がすばらしいと賞賛された部分、日本神話はすべて日本スキャンダルとなる運命にある。

●危機管理の組織と責任
・危機管理に最も求められるのは責任を持って危機管理を行う体制である。危機管理において特に責任が求められるのは、「危機の虚構性」と「対策費用の現実性」とのギャップがあるからである。将来の危機がいかに巨大で致命的なものであれ、現実の安全と繁栄を享受している人々にその脅威を説き、巨額の負担や多大の努力を求めることは難しい。
 
・一つの解決策は、危機の記憶を社会的に維持し、人々の間に危機へ備える文化と慣習を育て維持することである。その意味で、過去に経験した危機の社会的伝承が重要となる。過去の経験において誰も責任をとらず、逆に責任をうやむやにすれば、危機の伝承は薄れる。

・また、危機管理は基本的に超法規的・超規制的行動を必要とする。法や条例は平時において反復的な行為を規定するものであり、他方、危機管理は何年どころか何百年に一度の非反復的・非日常的な事象を対象としなければならない。それ故に、直接に利益を生み出すわけでもなく、何時襲ってくるかも知れない虚構・仮想の危機に、組織の希少資源を大量に使用する意思決定を実行出来るのは、危機管理に責任を持つ者しかできないのである。
 
・危機管理においては、何よりも初期反応、初期行動が重視されるように、危機が発生したことを知った瞬間に思い切った、しかも大規模な対応を起こさなければならない。

●危機管理における情報伝達と意思決定                    
・危機管理における緊急時情報伝達は、日本社会の組織が基本的に慣れ親しんだ情報伝達や意思決定のシステム(稟議的意思決定)とは異なる。

・危機管理上必要な体制は、現場の末端組織から発生した現状を可能な限り組織の最高意思決定者に伝え、その意思決定を対応組織に伝達していくシステムである。

・危機管理における初期対応を導くためには、第一報が正確かつ緊急に最高経営者に伝わるメカニズムを平時から構築しておく必要がある。

・現代のような情報社会では洪水のように流れ込んでくる情報に翻弄され、そのなかから危機の芽や兆候を見つけだしたり、危機の第一報を把握することが非常に難しくなってきている。それゆえに、まず何の情報をどこからどのように集めるかが重要となる。

・アメリカではすでに80年代から、企業が直面するさまざまなリスクに対応するため、包括的で統合的な危機管理組織とその長としてセキュリティ・ディレクターを設置する企業が多くなっている。

・危機管理は一種の特殊技能であり、そうした能力を欠いている者には危機管理は困難である。さらにそのような人物を育成する教育・研修プログラムや講師もいないのが現状であろう。

・危機管理の担当者は何よりも心理学・社会学の専攻、それに宗教・哲学・文化人類学・歴史などの素養が重要である

●日本的経営システムや組織運営はもはや危険
・日本的経営システムや組織運営は、危機に満ちた社会における自殺システムであると言っても過言ではない。現在の日本の意思決定メカニズムはすべて安全で安定した時代のものであり、激動する環境、未知要素の出現、対立する価値観などにおける意思決定メカニズムではないのである。

●地震のソーシャルリスクとリスクコミュニケーション
・危機や災害に際して普通の人間そしてその集団はどのように行動するか、それがリスクをもたらす条件は何かなどが十分に分析されていなければならない。リスクは際だって人との関係によって成立し、逆にどれだけ人がリスクを認知し、それを受認するかが重要となる。

・地震のみならず、いったいどのような災害が日本を襲うのか、万一そのような場合にはどれだけの被害が発生するのか、対策をどうすべきかなど社会全体を巻き込んだ対応が必要である。そのような情報が事前に伝えられ、物心両面での事前対応がなされるべきであるが、現実にはほとんどされていない

・社会そして人々に災害や危機の脅威をどのように伝え、教育し、実際に危機が発生したときにどのように行動すべきかなど、きちんとしたリスクコミュニケーションが肝要である。

●カウンターメディア
・洪水のように流される情報に対し、間違った情報に反論したり、正しい情報を多チャンネルできちんと流すようなカウンターメディアが必要となるであろう。


<所感>

・官僚的思考・行動様式が時代状況に不適合であることが、上記の総合的な叙述で十分確認できました。官庁ばかりでなく企業にも国民一般にも蔓延した官僚主義から脱却しなければ、日本の未来は危ういと思います。

・「ひとびとは地球環境の劣化、感染症の蔓延、テロリズム、慢性的経済不振、自然災害、社会混乱など多様な要素によって安全を脅かされている」というように、現代は形を換えた戦中時代に入っていると自覚する必要があります。

・危機の時代を生き抜いた歴史上の人物(勝者だけでなく敗者も)の生き様や発言を学ぶことが大切だと思います。特に敗者の痛烈な体験を学ぶ必要があります。

・たとえば、野中郁次郎氏達6名の著作「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」のなかで、「日本軍の最大の特徴は『言葉を奪った事』である。組織の末端の情報、問題提起アイデアが中枢につながることを促進する『青年の会議』が許されなかったのである」という指摘は、現代の官庁、企業においても注目されるべき論述だと思います。

・危機はまず現場で発生する異常現象(通常の対応ではコントロールできない事象)として発症します。したがって一次情報が速やかに最高責任者に届き、意思決定の結論を早急に現場におろさなければなりません。日頃の訓練や率直なコミュニケーションが育つ組織文化の醸成が重要だと思います。


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官僚的思考・行動様式に関する論述の収集(2)

2013-04-08 10:55:00 | Weblog


●「ウィキペディア 近代官僚制」から 

・近代官僚制は、以下のような特質を備えていることがヴェーバーによって指摘されている。
 権限の原則
 階層の原則  
 専門性の原則 
 文書主義

・ウェーバーは、近代官僚制のもつ合理的機能を強調し、特に機能障害については論じておらず、官僚制は優れた機械のような技術的卓越性があると主張した。ただし、官僚制支配の浸透によって個人の自由が抑圧される可能性や、官僚組織の巨大化によって統制が困難になっていくといった、近代官僚制のマイナス面について予見している点は見落としてはならない。

●「ウィキペディア 官僚制の逆機能」から

・マートンによる「官僚制の逆機能」についての指摘は有名である。
 規則万能(例:規則に無いから出来ないという杓子定規の対応)
 責任回避・自己保身(事なかれ主義) 
 秘密主義  
 前例主義による保守的傾向  
 画一的傾向  
 権威主義的傾向(例:役所窓口などでの冷淡で横柄な対応)
 繁文縟礼(はんぶんじょくれい)(例:膨大な処理済文書の保管を専門とする部署
 が存在すること)
 セクショナリズム(例:縦割り政治、専門外管轄外の業務を避けようとするなどの
 閉鎖的傾向)

・辻清明は、明治時代以来の日本における官僚機構の特質を研究し、その構造的特質の一つとして「強圧抑制の循環」という見解を表明した。

・彼は『新版・日本官僚制の研究』(1969)にて、戦前において確立された日本の官僚は特権的なエリートによる構造的な支配、すなわち支配・服従の関係が組織の中核を成しており、さらに組織外の一般国民にまでその構造が拡大されている状況を指摘した。
つまり、組織内部において部下が上司の命令に服従するのと同様に、日本社会では軍人・官僚への国民(臣民)の服従を強要する「官尊民卑」の権威主義的傾向を有していたとする説である。

●「はてなキーワード 官僚主義」から

・組織で働く職員が、個別のケースに対して独自の裁量と責任で行動するのではなく、規則や前例、建前論を根拠に、画一的、形式的な対応をすること。

・被害を受ける側からは、しばしば傲慢で独善的に見える。主に官公庁で見られる*1ためにこう呼ばれるが、組織の規模が大きいところではどこでも見られる。

・「官公庁と利用者」という図式だけではなく、「企業と消費者」「上司と部下」「使用者と被雇用者」など、様々な場面で現れる。

・これは、官僚主義が法や規制によって個人的な裁量を出来る限り制限することで専横や情実を排する一方でその背後に、規則・前例・建前論を根拠にすることで責任の所在をあいまいにし、独自の判断で行動して責任を追及されることを避けたい、という保身のための思考があるためで、結果的に、官僚主義は「~~だからできない」という後ろ向きの結論を導きがちである。

・このため、官僚主義は、官民を問わず組織を硬直化させ、効率の低下を招くが、一掃することは難しい。


●「三国通信 不確実なものと官僚的思考」から

・原発事故によって、安全神話が嘘だったとわかってからいろいろな“定説”が疑われるようになった。わからないからという理由で結論を先延ばしすることは許されない。

・今という時代を生きるのを非常に難しくしているのは、不確実なこと、科学的によくわからないことにも、何らかの決断が必要になっていることである。

・水上町の岸町長が「国が”原発の使用済み燃料棒を永久保存する施設を作れ、というなら、受け入れる」と言ったのは官僚「崇拝」の典型である。いわば「官僚無謬説」と言い換えてもいい。自分で判断することができない不確実な問題にぶつかると、官僚に判断を委ねてしまう。

・3・11の大震災は官僚は無謬でなく間違いをするし、無責任ですらあることを白日の下に晒してしまった。多くの人々が、こういう難しい問題は人任せではだめだ、東大を出た秀才でもわからないことはたくさんあり、そんな秀才に任せるのではなく、われわれ自身が自分で考えて判断をしなければいけない、とはっきり悟った。(峯崎淳)

●長谷川幸洋「日本国の正体 政治家と官僚」から

・法案が法律になるまで、論争の場は与党の部会であったり、国会であったりした。
本当は論争の陰に別の重要なプレイヤーがいた。官僚である。官僚は政策を作った真の当事者である。

・議員会館の密室で日常的に行われている官僚と議員のやりとりは、政策審議そのものといっていい。

・官僚は部屋の隅で発言こそ控えているが、自分たちが立案した政策を通すという明白な意図をもって、事前にバッジをつけた人々に「ご説明」し、自分たちの意図する一定の方向に議論を誘導しようとしているのである。

・官僚は初めから政策を決め打ちしている。これはまさに「官僚が政治家の役割を担っている」ことにほかならない。

・政治の実態は官僚がご主人様であり、政治家がポチであるかのような主従逆転した関係になっている。


<所感>

・日本では議員立法がほとんど無く、法案の大部分が閣議決定された政府提案であり、
その政府提案の立案から国会の審議にいたるまでの官僚の役割の実態を見る限り、政権与党の方向を左右するのは官僚であるといえるようです。

・その官僚の思考・行動様式について、安定期には優れた機械のような合理的機能を発揮してきたものの、前例尊重、セクショナリズム、責任回避的側面などによって、想定外事象が続発する危機の時代には環境不適合であることがわかってきました。

・強大な官僚の機能を土台とした政・財・官・学・報の指導層における官僚主義的思考・行動様式が、敗戦や原発などさまざまな悲劇を生んだのだといえるように思われます。


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官僚的思考・行動様式に関する論述の収集(1)

2013-04-04 16:27:58 | Weblog
官僚的思考・行動様式に関する論述の中から、印象に残ったものを列挙しておきます。

日本社会の宿痾である官僚的思考・行動様式から脱却するためには、まず相手を四法八方から冷静に観察しなければなりません。

●類語辞典から

・手法・姿勢などが官僚的・・・・・役所仕事の ・ しゃくし定規 ・ 形式主義・ 先例主義 ・ 前例(尊重)主義 ・ 事なかれ的 ・ 型通りに ・ マンネリの ・ 血の通わない ・ 誠意のない ・ 形骸化した ・ 「休まず遅れず働かず」

行動パターンなどが官僚的・・・・・手堅い ・ ソツがない ・ 無難を旨とする ・ 融通がきかない ・ 責任のがれ(に終始) ・ 縄張り意識の強い ・ セクショナリズムに基づく~ ・ (強烈な)自己保存本能をもつ ・ 「(あの人達は)組織防衛となると目の色が変わる」

●丸山真男「であることとすること」の註から

・日本では、近代の制度はあらかじめ出来上がったものとして上から降りて来て、我々を規制するものという実感が強い。その発想は徳川時代の考え方と全く同じである。身分社会を与えられその中で分に安んじたように、民主主義も与えられたものであり、現在の状態を維持することが基本的なモラルになっている。さらに、ものごとは一部の役人が決め、その決め方も前例を遵守するという官僚的思考様式〈註)が拍車をかける。

・官僚的思考様式とは・・・権威主義、独善性、秘密主義、形式重視。規則に対する執着、権限の墨守、新奇なものに対する抵抗、創意の欠如、傲慢、上からの命令は絶対である。お役所仕事。


●小室直樹「危機の構造」から

・エリート官僚のタイプこそ現代日本人の理想像であり、ほとんどの日本人とくにエリートと呼ばれる人々の行動様式はこのタイプに造形されつつある。ゆえにエリート官僚の行動様式の長所・短所は同時にまた、ほとんどすべての日本人の行動様式の長所・短所である。

・かれらもルーティン化した現象に対処する場合なら、結構総合的判断もできるし全体の見通しも悪くない。しかし全く新しい現象が自己の守備範囲外に生起した場合には、完全にお手上げとなって、リーダーとしての無責任を暴露するのである。

・このような人びとは、分業の部品としてみる限り最高の部品である。しかしひとたび全体のリーダーとなるや最悪のリーダーとなる。けだし、彼らは限定された分業の遂行者としての視座しか持ち合わせないため、全体的文脈においてすべてのフィードバック(所見)を総合することはできないから、リーダーとしては最悪のリーダーとなる。

・官僚的思考の致命的限界はイマジネーションの不足と視座の限定からくる、新環境の総合的把握能力の欠如である。


●ブログコメ混めお米「官僚的思考についての考察」から

・官僚は無責任です。そして官僚は自分で色々と決めているくせに、その責任をすべて政治家に取らせようとします。

・政治というのは自分の発言に責任を持たなければできない行動です。政治と責任は切っても切り離せない概念です。政治家の対極に存在するのが官僚です。

・日本でなぜ社会運動が敗北し続けるのか、私が最も注目したのは、日本の政治的無関心層の途方もない厚さです。支持政党を聞かれて支持政党なしという人たちは50%を超えています。つまり、日本の国民はみな上下の差こそあっても、本質的には官僚であり、官僚は政治的に活動してはいけない存在だからです。


●「思考停止大国ニッポン 田原総一朗×出口汪」から

・出口 官僚的な優秀さは、前例に従って事を処理する能力であって、前例のない未知のことに対しては、うまく対処できないですよね。そこが限界。

・田原 だから官僚は「できない理由」を説明する天才なんですよ。「新しいことをやれ」と言われても、「できません。なぜならば」と長々と繰り出す。これを徹底的にやられたのが、ミスター年金と言われた長妻昭さん。厚生労働大臣だった頃、彼が何かやろうとしても、官僚はできない理由を言う。早い話がサボタージュですよね。

・出口 あの頃の長妻さんはやつれていましたが、そういう背景があったんですね。だからこそ新しい時代は、前例に沿って行動するのではなく、正解のない問題に挑む力を養うための教育が必要だと思います


●榊原英資「公務員が日本を救う」から

・明治維新の「革命性」の中心的要素である学制と、客観的学力によってのみ社会的上下を決めるという仕組みは、その透明性、公平性において非常に優れたものでした。
学歴メルトクラシーとでも呼べるこのシステムが時代に活力を与え、多くの若者たちが「坂の上の雲」を目指して努力する重要な契機になっていったのです。

・日本の官僚システムの大きな特色の一つはキャリアとノンキャリアにさい然と分かれていることです。こうしたシステムの大きなメリットの一つは、大学卒業生のベスト&ブライテストを採用できるということです。(日本では外国と異なり)優秀な人材を確保するためには、給与以外の待遇面の配慮をせざるをえません。それがキャリア制度です。

・国家にとって本物のエリートは必要です。多くの官僚たちがそれぞれの専門分野の専門家になっています。専門分野を持ちながら幅広い事柄についての見識も深めていくべきでしょう。

・官庁は行政の手足であり、また中心でもあります。与党が反官僚などということはありえないことです。当然官僚をうまく使って政策を実現していかなくてはなりませんし官僚もそれにていこうするとも思えません。

・事務次官は会社で言えば社長であり、CEОです。大臣は代表権のある会長に相当しますが、執行のトップつまり執行のトップ、つまりCEОは事務次官です。

・政治家と行政官の役割ははっきり区別できますすし、またすべきです。行政官は特定分野のプロになっていくべきです。単なるビューロクラート(事務官僚)ではなく、テクノクラートになることを目指すべきです。

●高橋洋一「官愚の国」から

・行政の世界では、新しい問題について対応することはあり得ない。すべて定型的問題である。官僚には定型的な問題への対応能力が求められ、それ以外のことはまったくする必要がない。いや対応できない。したがって官僚に「未曾有の問題」についての解決策を求めても、求めるほうが間違っている。

・普通の国は「政治的な即応性のある官僚」すなわち政治任用ポストを増やすことで、仮に官僚が独走、暴走したら政権交代することともに葬り去られる仕組みを作っている。日本の場合は、政治家と官僚が完全に分離されるため、いつも行政上の責任をとるのは政治家であり、官僚は一切責任を負わない。

・多くの先進国では、官僚は地味な仕事をする職分であって、クリエイティブな分野は民間に任せる。


<所感>

・上記の論述を読みながら、官僚的思考・行動様式を考察する場合、世界に共通する官僚的思考・行動様式とは異なる、日本独特の歴史と制度という背景を勘案しなければいけないということが判りました。


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