自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。ブレることなく自分の趣味を偏った嗜好と思考でダラダラと果てるまで書いてみるのだ(笑)

LEYTON HOUSE 自作Tシャツ

2017-07-12 00:05:00 | 自作Tシャツ
LEYTON HOUSE 自作Tシャツ

F1等のマシンに描かれていた「LEYTON HOUSE」のロゴは白のアウトラインがあったが、それを再現するには少々コストがかかりそうだったので自作Tシャツでは白のアウトラインは省略。ポイントは「LEYTON HOUSE」のロゴ下グリーンのラインを配置し。そのライン上にLEYTON HOUSEの主要スポンサーだった「BP」(ブリティッシュ・ペトロリアム)の旧ロゴを描いてみた♪

出来上がりはなんとなく球団創立直後のフロリダ・マーリンズみたい(笑)

#51 トレバー・ホフマン

ホンダ・シティのマイアミブルーを参考にしたという「レイトンブルー」は、モータースポーツ好きにはお馴染みの色。

ホンダ・シティのマイアミブルー

その「レイトンブルー」の印象が強いレイトンハウス(LEYTON HOUSE)は、1980年代後半から1990年代前半の「バブル全盛景気」期にかけてF1やF3000、スポーツカー世界選手権などの国際格式のレースで世界的に活躍した、日本の企業及びその傘下のレーシングチーム…しかし、バブル期ならではの怪しいイメージがあるのも事実で大半の人が抱く率直なイメージとしては「実態がよくわからない謎の会社」であろう。

レイトンハウスは丸晶興産という会社のブランドで、丸晶興産は赤城明という人物が1981年に立ち上げた不動産会社。丸晶興産は、折からの好景気を追い風に事業を拡大。オフィスビルやゴルフ場などを経営し、業績は好調だったらしい。当時は「土地神話」が根強く、「土地は買えば必ず値上がりする」と言われていた時代で、不動産業の基本的なビジネスモデルは、①銀行から土地を担保にお金を借りる→②そのお金で新たに土地を買う→③新たに買った土地を担保にまたお金を借りる、というもので、雪だるま式に資産を増やすサイクルになっていた。

土地が値上がりし続けるという「土地神話」と、土地を担保に差し出せばいくらでもお金を貸してくれる銀行とが合わさって、不動産の価格は需要以上に高騰。丸晶興産はその波に乗り巨万の富を築き始めていた。

そして、1984年の富士GC最終戦に「丸晶興産」のロゴを付けたマシンがデビュー。しかし、丸晶興産社内から「レーシングカーに漢字は似合わない」と指摘された赤城氏は、代わりに「LEYTON HOUSE」のロゴを用い始める。【レイトンはイギリスの小さな街の名前で、赤城氏の知人の娘がイギリス留学中に知ったらしい。丸晶興産の子会社・メーベル商会の女性社員が、それに家=HOUSEを組み合わせて「LEYTON HOUSE」のブランド名が誕生】

1985年のル・マン24時間レースに参戦するトムスのスポンサーになった時、同社社長の舘信秀氏に「レイトンハウスって何ですか」と聞かれて赤城明氏は「いや、実体はまだないんですよ。それはこれから作りますから」と答えたという。宣伝する商品が無いのにスポンサードするなんて、なんともバブルらしい逸話である。

1986年、レイトンハウスの名前を冠したレーシングチームを立ち上げ、全ての国内選手権クラスのレースへの同時参戦を開始し、それに合わせる形で子会社の「メーベル商会」の社名を「レイトンハウス」に正式に変更した。社名変更と時を同じくして「レイトンハウス」ブランドによるアパレル展開もスタートした。


1987年に、F3000やF3などのフォーミュラカーを中心として活躍していたイギリスの名門のレーシングカーコンストラクターであるマーチと提携する形で「レイトンハウス・マーチ・レーシング」としてF1に進出。1989年にはマーチを買収して「レイトンハウス・レーシング」とし、1990年からコンストラクター名称も「レイトンハウス」に変更した。

LEYTON HOUSE CG901B

#16 イヴァン・カペリ 1990年第7戦フランスGP(ポール・リカール)ではイヴァン・カペリがタイヤ交換せずにレース終盤までトップを快走し、最終的にはフェラーリのアラン・プロストにパスされたものの、その後チェッカーを受け2位表彰台を獲得


#15 マウリシオ・グージェルミン


チームの好調振りに合わせるかのようにアパレル事業も順調に発展、一時は首都圏やサーキットのみならず、全国の大都市にブティックを展開し、アパレル事業単体で年商20億円を超えるビジネスに発展した。

また、親会社の本業の不動産でも横浜市に「レイトンハウス」の名を冠した高級賃貸マンションや、釧路市で式場併設のホテルレイトン(釧路全逓会館〈ホテルユニオン〉を買収)も展開するなど、レイトンハウスブランドを積極的に展開。F1参戦前年の1986年にはレコードレーベル「レイトンハウス音楽産業」を設立。1990年にはポッカコーポレーション(現・ポッカサッポロフード&ビバレッジ)から「レイトンハウスF1ドリンク」というスポーツドリンクが発売され話題になった他、様々なグッズも販売した。

「レイトンハウスF1ドリンク」…懐かしなぁ~

しかし1991年のバブル景気の崩壊と共に資金繰りが悪化した上に、同年9月には赤城が富士銀行不正融資事件に絡み逮捕され、1987年から1990年の間に同行より2000億円に上る不正融資を受けていたことが判明し懲役10年の判決を受けたことなどが重なり、同年のシーズン終了後に赤城氏はF1チームのオーナー権を手放さざるを得なくなった…


在りし日の赤城明氏(中央)左はマウリシオ・グージェルミン、右はイヴァン・カペリ

と、まさにバブルの波に乗り上昇し、バブル崩壊とともに消え去っていった「レイトンハウス」であったが、美しい「レイトンブルー」をまとった美しいエイドリアン・ニューウェイ作のマシンは、中学生だったオレのハートを鷲掴み♪タミヤから発売されたCG901Bのプラモデルも複数購入してたぐらいだった。

F1では正直、中堅チームという位置付けだったが、美しい「レイトンブルー」のインパクトは大きく、いい塩梅の色をしたTシャツをネットで見つけたので念願の「レイトンハウス」Tシャツを自作。Tシャツは税込499円、転写シートは家にあったものだが単価はだいたい250円ぐらいのはず。総計750円ぐらいでバブルの象徴「LEYTON HOUSE Tシャツ」完成。コストはバブリーぢゃないなwww


バブリーな頃の風景(笑)

※キャップも自作したが…ものの見事に失敗しお蔵入り…

※その他グッズはこちら
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