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へそ曲がりの真っ直ぐ日記

反日の韓国と中国、国内の反日マスコミを斬る

大新聞・朝日・毎日の傲慢・・・

2013年08月31日 | 日記
以前紹介した「間違いだらけの新聞報道―限りなき虚報のさまざま 南京大虐殺事件・万人坑問題」片岡正巳、田辺敏雄、板倉由著(1992年、閣文社」の中に、南京事件をめぐる誤報について、朝日、毎日新聞何度もやり取りをした板倉氏が、こんな感想を書いている。

両社に共通する傾向という。

1、自社の責任においてものを言うのを避ける。南京事件では「あった、なかった」など一切の判断は、公式にしない。

2、だが、紙面では、「大虐殺」を示唆する記事はスペースを充分にとり、回数も多く、見出しも派手にして読者に印象づける。

3、記事の裏づけ取材や資料の検証をせず、「大虐殺」とあればダボハゼのように食いつく。必要とあればコメントの「改竄」や解釈の歪曲も辞さず、都合の悪い情報は無視、あるいは小さく扱う。

4、反論や反証に対しては無視あるいは「はぐらかし」をし、名誉毀損などの脅しをかけ、どうしてもやむをえない単純ミスの場合のみ、目立たぬ訂正を出す。大きなミスはどこまでも屁理屈で誤魔化すか、頬かぶりを決め込む。

5、基本的には、南京大虐殺などの戦前の日本を悪しざまに報道することが、進歩的であり、正義・人道に叶った措置である、その為には場合によっては手段を選ばない、との価値観を持っており、それに異を唱える者を保守反動、軍国主義者と見なしている姿勢が窺われる。

板倉氏は、1971年に朝日新聞に「中国の旅」を連載し、その後、「南京への道」「南京大虐殺の現場へ」を書いた本多勝一らを相手に、論争した。しかし、相手は大部数を発行する巨大メディア。傲岸不遜な態度に何度も腹を立てたことだろう。

新聞が誤報を認めようとしないのは今も同じだろう。一市民が新聞社に抗議しても、聴いてくれず、裁判に訴えても、資金力や時間でもかなわない。この本には、元日本兵らが裁判で闘おうとするが、高齢と費用の面から断念する話も出てくる。

大新聞ばかりではなく、全国各地にある地方新聞も同じだろう。彼らは間違いなく、中央や地方の権力なのである。政治権力は選挙という手段でチェックできるが、新聞はそういう手段がない。聞く耳をもたぬ新聞社があったら、それまでである。広告主となる企業や農業・経済団体、労働組合、消費者団体など大きな組織の言い分は聞くのかもしれない。広告拒否、不買運動などの仕返しが怖いからである。

南京事件ばかりではなく、沖縄の集団自決問題、教科書問題、慰安婦問題など日本の新聞が誤報を訂正していない問題が多数ある。報道しっぱなしで、間違をおかして国益を損なっても、そ知らぬ顔をしているのである。

二言目には「報道の自由だ」「知る権利だ」と叫ぶが、その実態は権利の上にあぐらをかく、ろくでなしなのかもしれない。


原発の功罪・・・

2013年08月30日 | 日記
きのうも紹介した29日の読売新聞解説面の「論点」に、「原発拡大 世界の潮流 日本の技術 高い期待」という記事が載っていた。

筆者はIAEA(国際原子力機関)事務次長などを務めた日本原子力開発機構フェロー?という町末男氏(79)である。
要点はおおむね次の通りだ。

①世界では30カ国で計437基の原子炉が稼動しており、66基が建設中(うち46基がアジア)。福島の事故後も原発拡大の流れは変わっていない。

②その理由は、途上国で電力需要が増え続けていること、天然ガスや石油などの価格上昇と供給不安定のリスク回避のためである。後者は、エネルギー自給率5%の日本にとってはより深刻な問題である。

③地球温暖化への懸念がある。(2003年、フランスで5000人以上が熱波で死亡、2010年、日本で1700人が熱中症で死亡)。2020年に、新たな厳しい温室効果ガス削減規制の枠組みが発効の予定。

④これから原発を導入しようとする国々は、福島の事故の根源的な原因は巨大津波への備え不足であったとの教訓を踏まえ、自国の自然災害の可能性を調査し、対策を強化している。

⑤途上国の日本の原発技術への信頼は高く、期待が非常に大きい。(安倍首相はベトナム、トルコ、サウジアラビア歴訪で協力に合意した)。

⑥原子力産業の海外展開は、途上国への貢献と日本の経済再生に有効。官民協力して推進すべきである。その際は、相手国の数多くの原子力専門家の人材育成が重要になる。(ベトナムに原発を輸出するロシアは150人の大学生を受け入れている)。

⑦核燃料サイクルは原子力エネルギーの持続的利用のために不可欠である。(安倍首相はフランス大統領と核燃料サイクルや高速炉開発での協力を確認。インド、ロシア、中国などがも核燃料サイクル政策を採っている)。国際協力の枠組みの検討が必要。

⑧原発事故の影響を受けた地域の除染、廃炉の技術開発、放射線の健康への影響調査、活断層評価などについても、国際協力の活用を考えるべき。

⑨日本の原発の再稼動について、国民の合理的・現実的理解が得られることを願う。

福島の事故を受けての原発推進派の意見である。どう受け止めるかは人それぞれであろう。

私は①②については、事実だろうから言うことはない。③も、今や地球温暖化は疑いを容れるところはないのだろう。いくつかの留保や疑問はあるが(異常気象との因果関係も認められているのか?ただ、長期的に見れば氷河期に向かっているとの説もある。京都議定書は日本にかなり不利な内容だった。次は大丈夫なのか?)。

④は福島の事故は、巨大津波が直接的な原因なのか、疑問が残る。地震でどんな被害を受けたのかが究明されていない。⑤はそうだろうと思う。⑥も経済的な効果は大きいだろう。

⑦は大問題だ。高速増殖炉「もんじゅ」の経過を見て、まだ核燃料リサイクルが可能と考える人がいるのだろうか?金に糸目をつけず、無期限
で挑むという話にはならない。フランスとイギリスは撤退したはずだ。インド、ロシア、中国が挑むというが、その技術力や安全性には大きな疑問符がつく。

⑧異論はないし、⑨は筆者の期待を表したものだ。

原発再稼動に向けての原子力規制委員会の安全審査は、相当厳格なものだ。パスしたものから再稼動させてもいいのでは、と思う。

しかし、待てよ、と思う。東海、東南海、南海の3連動巨大地震が起きても、浜岡、伊方、川内などの原発は本当に大丈夫なのか?震源地の中にある浜岡原発も再稼動させるのか?福島の二の舞になるのではないか・・・。

また、核燃料リサイクルはほぼ不可能となっている中、再稼動すればプルトニウム、使用済み核燃料、核のごみは増え続ける。最終処分地は決まらず、決めようとの気配すらない。何十年も宿題となったままなのだ。さらに福島の汚染水問題を見ると、暗澹たる気分にもなる。

でも、しかし、とまた思う。エネルギー自給率がわずか5%の日本。原油高騰や円安で値上げが続く電気料金は、日本の製造業の競争力を確実に低下させるだろう。産業の空洞化が進み、下請け、孫請けの中主零細企業は消えてしまうのではないか。経済は低迷、縮小し、雇用も減少して失業者が街にあふれるのではないか。現在は4人に1人、さらに3人に1人と進む超高齢社会も重荷となる。若い人たちが気の毒になってしまう。

以前も書いたが、原発問題は難しい。専門家の冷静な徹底討論を聞きたい。疑問を質したい。そんな機会はないものか。


中韓、反日教育の果てに・・・

2013年08月29日 | 日記
きょう25日の読売新聞解説面のコラム「解」に、「江沢民氏 負の遺産」と題した記事が載っていた。中国・広州支局特派員の記事である。

テレビをつければ「日本が右傾化している」との批判を目にしないことはない、という中国での話である。中国滞在19年のビジネスマンは、一触即発の空気が社会を支配しているのを感じるという。先月の日中の共同世論調査では、相手国の印象が「よくない」とする両国民の回答がともに90%を超え、2005年の調査開始以来、最悪となった。

記事では、古希を過ぎた知日派の元大学教授の「江沢民氏が反日をあおった結果、日本でも嫌中意識が広まった。両国の蜜月の時を私が目にすることはもうないのだろうか」という嘆きの声を紹介している。中国では「理性的に日本と向き合うべきだ」と考えてる人も多いという。しかし、このような声は、「愛国者」から「売国奴」の罵声を浴びせられ、かき消されてしまう。「江氏は何と罪深いことをしたことか」。元教授はさらに嘆く・・・。

wikipediaを見ると、中国は1991年の天安門事件で世界中から人権弾圧の非難を浴び、経済制裁を受けた。東欧革命やソ連崩壊で体制への危機感も強めていた。そんな中、江沢民は経済援助を渋る日本の過去の「戦争犯罪」暴き、外交カードとするため、「抗日戦争勝利50周年」の1995年から、徹底した反日教育を推進し、反日・強硬路線を貫いたのである。この成果?は「反日無罪}叫んでたびたび繰り返される反日デモなどに表れている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%B2%A2%E6%B0%91 の「対日関係」の項参照

しかし、反日デモは、時として制御不能となる。役人の腐敗、経済格差などの不満を爆発させ、政権に刃向かう暴動ともなりかねない危険な存在ともなっている。

事情は、韓国もよく似ている。(とりわけ2005年からの盧武鉉・左翼政権の反日強硬姿勢)。長年の反日教育によって、国民は反日一色。とりわけマスコミの反日姿勢は強固で、政府も監視され尻を叩かれている有様だ。「親日派」は日韓併合時代にさかのぼって、批判・糾弾され、「売国奴」として、社会的に抹殺されている。戦時中の徴用労働をめぐって、司法が政府見解に反する判決を出し、政府を困惑させている。反日教育の薬?の効きすぎなのだ。

同じ反日でも、中国と韓国では、意味合いが大きく異なるが、それが日本の反中、反韓の世論に悪影響を及ぼしてきているのは同じだ。関係悪化の発信源、原因は中韓にある。


●きょうのお勧め
産経ネット【橋下氏慰安婦発言】「「誇張された非難に声あげる」と反日運動を批判、問題再燃リスクも」
慰安婦発言を巡る橋下徹大阪市長のその後の動き。youtubeにも市役所での記者会見動画がアップされている。「河野談話」に象徴させるように政治が招いた問題でもある。政治化が沈黙していてどうするのか。無責任ではないか。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130828/waf13082821010024-n1.htm

新聞の社説と報道姿勢・・・

2013年08月28日 | 日記
きょう28日の読売新聞社説の一つは、「潘国連事務総長 資質問われる偏向「介入」発言」だった。取り上げて当然の問題発言である。

書き出しはこうだ。

「耳を疑うような国連事務総長の発言である。
潘基文事務総長が、韓国外交省で記者会見し、「歴史をどう認識すれば未来志向的に善隣友好関係を維持できるのか、日本の政府、政治指導者には、深い省察と国際的な未来を見通すビジョンが必要だ」と述べた」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130827-OYT1T01453.htm

国連事務総長は中立・公平でなければならない。潘氏は、反日中の反日で知られる盧武鉉政権時代に外相を務め、対日強硬路線で知られた人物だ。

産経ネットの【湯浅博の世界読解】「度が過ぎる韓国びいき、馬脚現した国連事務総長発言」によると、、就任以来、「核や難民問題に関心がない」「世界中の大学で名誉学位を収集する癖がある」などと、批判されてきたという。名誉学位をほしがるというのは、何よりも外面(そとづら)を重んじる、いかにも韓国人らしい習性ではないか。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130828/kor13082808300001-n1.htm

読売の社説は、「潘氏は韓国や中国の政治家には触れなかった。日本の政治指導者だけへの言及は、あたかも北東アジア地域のあつれきの原因が日本にあるかのように、世界中で受け取られかねない。一方的で、問題ある発言と言わざるを得ない」と批判。そして、「国際機関に籍を置くなら、潘氏は、韓国の常識は世界の非常識であると韓国に伝えるべきだ」と、小気味よく指摘している。

韓国や中国の政治家に対しては何も言わず、日本の政治指導者だけを非難する、というのは、北海道新聞のいつもの「手口」ではないか。と思って、北海道新聞を見たら、社説にはまったく取り上げていない。5ページで「藩氏発言 政権内に波紋」として、政府、自民党内の反発の声を紹介し、お茶を濁しているだけだ。

国連憲章100条違反の疑いすらあるこの藩発言。北海道新聞は肯定するのか、見過ごすのか、何の論評もしないつもりか? その通りだと思うなら、肯定する社説を掲げてみてはどうか。何もしないとは、あきれた新聞、言論機関である。

ネットで社説を探ったら、産経は「潘氏の日本批判 事務総長発言とは耳疑う」と、きちんと批判していた。これに対し、案の定、朝日と毎日は取り上げずに無視。これが、反日新聞の報道姿勢なのだ。(毎日は、「ゲンはよく歌う少年だ。・・・松江の子供たちはまた、彼に学校図書館で会えることになった」と能天気で薄っぺらな社説を載せていた)

「はだしのゲン」、靖国参拝、麻生発言、橋下発言などには、過剰ともいえる反応をし、バッシングするが、米国での慰安婦像設置、鳩山由紀夫や野中弘務の尖閣発言には、知らんぷりなのだ。

偏向・反日新聞の怖いのは、過剰報道の一方で、無視したり、意図的に小さく扱うニュースが多々あることだ。世論操作である。米国グレンデール市での慰安婦像設置について、北海道新聞は一日遅れて夕刊で小さく報道しただけ。韓国系米国人の動きやこれに抗議を始めた日系人の動きなどはまったく報道していない。(北海道新聞の読者はこの一連の問題をほとんど知らないのではないか)。

新聞は、ニュース、解説、論評、読者の声など、ありとあらゆる記事の取捨選択を自由にできる。ニュースをどの程度の大きさで扱うかも意のままだ。一つの新聞だけを長年読み続けていたら、読者の頭の構造もその新聞社の仕様に変えられてしまう。「読者の声」や「Voice」がそのいい例である。愚かな政治的意見ばかりが陳列されている。用心に用心を重ね、反日・日本人にだけはなってはいけない。


親日国と反日国・・・

2013年08月27日 | 日記
昨夜、テレビ北海道=テレビ東京の番組「未来世紀ジパング~沸騰現場の経済学」で、モンゴルを特集していた。「知られざる親日国」とのタイトルだった。

国土は日本の4倍、人口は290万人。羊の数のほうがはるかに多い。社会主義国家だったが、1990年に民主化された。中国、ロシア、北朝鮮に囲まれた内陸国家である。(お気の毒な地理的環境と言えようか)

http://www.tv-tokyo.co.jp/zipangu/backnumber/20130826/
番組のうたい文句はこうだった。

「"大草原の国"というイメージを持つモンゴル。ところが今、首都ウランバートルは想像を超える発展ぶりを見せ、モンゴルのGDP成長率は2年連続で世界ベスト3入りを果たしている。さらにモンゴルは、知られざる親日国家だった。大相撲だけじゃない...なんと日本生まれの「コメ」と「銀行」も沸騰していた」

大相撲が中継され、人気なのは知っていた。だが、それだけではなかった。冬も凍らないコンクリートなど日本の技術を生かしマンション建設が盛んに行われ、ニュータウン建設も日本企業が請け負っていた。

日本のODA(政府開発援助)についても、国民がよく知っていて、感謝の言葉が多く聞かれた。「太陽橋」と、日本名が付けられた橋もあった。日本のODAを国民に知らせず、感謝もしない中国。1965年の日韓基本協定で官民合わせて8億ドルという巨額の経済援助を受けながら、国民はその事実も知らず、「謝罪と賠償」を叫び続ける韓国。これら「忘恩の国」とは大違いだ。

寒冷地で稲作や畑作ができないため、米や野菜は中国やロシア、韓国などからの輸入だ。中国米が、富士山と桜が描かれた袋に入って、スーパーで安く売られていた。いつも買っているという男性は「日本製だ」と信じ込んでいた。しかし、中国製と指摘されて、袋に小さく書かれた産地を確認、驚いた顔をして、米を棚に戻した。「中国の食品は危険です」という。市民は「日本の食品は安全で、おいしい」と口々に言う。

番組で紹介された事実は、私には知らないことばかりだった。

親日国といわれる国には、台湾(国ではなく地域とされているが)、タイ、マレーシア、トルコなどがある。しかし、われわれは、それらの国をどれほど理解しているのか。もっと大切にしなければ、と反省させられた。

などと思っていたところ、今朝の新聞を見て、また不快にさせられた。またしても「韓国」である。

「潘基文国連事務総長、異例の発言…安倍政権批」のニュースだ。
「 【ソウル=中川孝之】韓国出身の潘基文パンギムン国連事務総長は26日、ソウルの外交省で記者会見し、日本の憲法改正論議を巡り、「正しい歴史(認識)が、良き国家関係を維持する。日本の政治指導者には深い省察と、国際的な未来を見通す展望が必要だ」と述べた」
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130826-OYT1T00909.htm

韓国は、法の精神に従って厳正中立であるべき憲法裁判所など司法までもが、反日の自家中毒に陥り、「もはや末期的」と思っていたら、今度は、中立・公平・公正であるべき「国連事務総長」の発言である。

しかも、読売新聞によると、「歴史について正しい認識を持つことが必要だ。そうしてこそ、他の国々から尊敬と信頼を受けるのではないか」と語ったという。正しい歴史認識を持っていないのは、どこの国なのか?尊敬も信頼もされていないのはどこの国なのか?自分の胸に手を当ててよく考えてみたらいい。(中国よ、お前もだ)

「歴史を直視せよ」と訴える朴槿恵大統領もそうだが、「自らを顧みず他を言う」指導者?しかいないのか。天に唾しても気にもならず、鏡に映っているのが己の醜い過去の歴史であることにも気がつかない。つくづく哀れな国である。


●きょうのお勧め
産経ニュースの【正論】現代史家・秦郁彦「橋下発言の核心は誤っていない」
5月の古い記事だが、秦氏についていろいろ検索していて、見つけた。秦氏はテレビや「週刊新潮」、読売新聞などでも持論を展開していた。研究者の的確な指摘だと思う
。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130523/stt13052303220000-n1.htm



「反日日本人」の見分け方・・・

2013年08月26日 | 日記

現代史家、秦郁彦(はたいくひこ)の「歪められる日本現代史」(2006年、PHP研究所)の中に、「「反日日本人の見分け方」-「住みよい日本の中心で反日を叫ぶ」輩たち」と題した章があった。

2005年に月刊誌「SAPIO」に発表したもので、タイトルは言うまでもなく、当時流行っていた「世界の中心で愛を叫ぶ」をもじったものだ。

秦氏はまず、「日本国内の反日派」の定義から始める。それはこうだ。
「敵対的な外国勢力と陰に陽に連帯し、民主的手続きを経て形成された日本国の世論に背反する影響力を故意に行使しようとする日本人および組織」

もう一つ、確固たる反日の理念や目的のない場合もある、としてやや緩い定義も掲げる。
「政府を困らせたり、日本の対外的なイメージダウンを図ったり、利権を狙ったりする者。反日行動によって個人的トラウマを解消しようとする愉快犯も含まれる」

前者の定義は、工作員(スパイ)や圧力団体、ロビイストを想起させる。より職業的な「反日」ということか。かつての朝日新聞や社会党、朝鮮総連などは間違いなくこの部類に含まれるだろう。左翼的な学者や弁護士そうか。しかし私は「日本国の世論」自体が、反日的マスコミに操作されていると考えているので、今ひとつピンとこない。

後者の定義のほうがしっくりくるような気がするが、「個人的トラウマを解消しようとする愉快犯」というのは、具体的にはどんな連中なのか?ちょっとイメージが湧いてこない。また、「利権」とは?

秦氏は何十年にもわたって昭和史や軍事史を研究し、数々の論争も経験してきた学者であるから、きっと私がまだ知らないような深い意味があるのだろう。ここは、疑問は疑問のままにしておきたい。

さらに秦氏は反日派についての考察を続ける。
「多くの反日派は、「同志的貸借関係」のネットワークで結ばれ、主催するデモやイベントに、互いに動員し合うことで人数をそろえる例が多い」と指摘し、勢力は退潮気味という。その上で、「初中等教育界、学界、マスコミを中心に限られた拠点を固めようとしている」と結論する。そして、この傾向は日本共産党や日教組などの集会に見て取れるという。

確かに日教組の組合加入率は低くなっているが、果たして反日勢力は退潮気味だろうか。必ずしもそうと思えない。粘り強く、なかなかしぶといのではないか。マスコミと教育に拠点を持って、その思想や考えを撒き散らし続けているからだろう。

以下、秦氏が記す反日派の共通点・特徴を列挙する。反日派を見分けるリトマス試験紙のような指標という。コメントはしない。

1、匿名か、あるいは半公然と外国の力を借りて「第三者の意見」と錯覚させつつ、自らの主張を実現させようとする。(例は和田春樹・東大名誉教授
2、平然とダブルスタンダード(二重基準)を使い分ける。(例は反核運動や平和運動。中国などの核は良しとする)
3、単純な事実ミスを指摘されても決してそれを認めず、論点をすり替える。(例は作家の大江健三郎)
4、群れて行動する。(討論会などに一人では出てこない)
5、甘えの構造。(住みよい日本に安住して活動する)
6、日本の過去の歴史に怒りを示す習性。
7、自らを「知識人」と自称する差別意識。
8、「反戦平和」を戦闘的な口調で叫ぶ。
9、同じ事象に対する反省と謝罪を繰り返す。
10、反日派と呼ばれても平然としている。
11、「この道はいつか来た道」と繰り返す。

いかがでしょうか?思い当たる人物や組織・団体はありませんか。二つ以上当てはまったら、「反日派」と呼んでよいそうです。


●きょうのお勧め
産経ニュースの「“純化”まい進、みんなの党、3党会合参加2氏聴取へ 離党は否定」
以前にブログで取り上げたが、一連の流れを追うと、党首・渡辺喜美のケツの穴の小ささがよくわかる。専制君主なのか?
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130826/stt13082607470000-n1.htm

「はだしのゲン」をめぐる社説・・・

2013年08月25日 | 日記
きょう25日、読売と北海道新聞に漫画「はだしのゲン」をめぐる社説が出ていた。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130824-OYT1T01106.htm
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/487581.html打て

タイトルはそれぞれ「教育上の配慮をどう考えるか」と「覧制限は権利侵害だ」となっている。

読売の主張を支持したい。「市教委は生々しい原爆被害の場面ではなく、旧日本軍にかかわる描写の一部を、過激で不適切と判断した。アジアの人の首を面白半分に切り落とす。妊婦の腹を切り裂いて、中の赤ん坊を引っ張り出す。女性を惨殺する、といった描写についてだ」との指摘は当然だ。

しかし、残念なのはこの描写が、朝日新聞・本多勝一記者の「中国の旅」(1971年)などに掲載された、検証もされていない中国側の一方的な証言(プロパガンダ)だという指摘も必要だろう。同様の虚偽証言は南京事件(1937年12月)をめぐっても出されているが、これらの残虐行為はむしろ、中国がその歴史を通じて自民族や他民族に対して、繰り返し行ってきた行為ではないのか。日本人の婦女子を含む223人がいたぶられて惨殺された「通洲事件」(1937年7月)を見るがよい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6
http://www.youtube.com/watch?v=VCJ12zlkTnk

また、世界一残酷といわれる、中国発祥で朝鮮も真似した刑罰「凌遅刑(りょうちけい)」を見るがよい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%8C%E9%81%85%E5%88%(ショッキングな写真あり。気の弱いヒトは閲覧注意)

読売社説では、「作品の終盤では、「天皇陛下のためだという名目で日本軍は中国、朝鮮、アジアの各国で約3000万人以上の人を残酷に殺してきた」といった根拠に乏しい、特定の政治的立場にも通じる主張が出てくる」との指摘がなされている。

この「3000万人」という数字は、まったく根拠のない数字だ。中国は東京裁判のころ、中国の軍民犠牲者は250万人程度としていたが、それがやがて2000万人を超え、今は「3000万人以上」と言い放っている。何の根拠もない政治的数字であり、これもプロパガンダなのだ。漫画の作者・中沢は、この数字を鵜呑みにしたのか。

23日も書いたが、この漫画の一番の問題点は、虚偽の事実を描いていること、それが小中学校図書室という教育の場に置かれていることにある。

そこがまったく分かっていないのが、またまた北海道新聞の社説である。

「戦争の実態を知り、平和の尊さを考えるための機会を奪う行為だ。「学習権」「知る権利」の侵害は明らかである。
原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を子どもたちが自由に閲覧できなくするよう、松江市教委が小中学校に指示していた。
断じて容認できない。市教委は直ちに制限を解くべきだ」

まったくの建前だけを、「権利」を持ち出して都合よく論じている。虚偽の残虐な歴史が描かれていることには、一言も触れない(あるいは触れたくない・知らない)。読むにも値しないない薄っぺらな内容である。社説の名に値しない駄文である。


●きょうのお勧め(きょうから始めてみます)
産経ネット【正論】東京基督教大学教授・西岡力「「徴用工賠償」で日韓協議求めよ」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130823/plc13082303160001-n1.htm


続 反日・日本人はなぜ生まれるのか?

2013年08月24日 | 日記
22日のブログの続きである。

先日は反日・日本人が生まれる契機を三つ示した。
1、マルクス・レーニン主義など社会主義・共産主義によるもの。
2、敗戦後の反省・厭戦思想、軍部独裁批判、絶対平和主義によるもの。
3、在日韓国・朝鮮人らによる侵略・植民地支配や民族差別批判、恨みによるもの。

そして1についてはすでに考えを展開した。

マルクス・レーニン主義(以下、マルクス主義)は、ブルジョア国家=資本主義国家は革命によって、打倒され、葬り去られるべきものとしている。ブルジョア国家権力は悪であり、社会主義国家は善である。革命を推し進め、歴史的使命を果たそうとする者も当然、善である。そこには「理想と正義」があった。

この考えは、最後は1991年にソ連が崩壊し、「社会主義国家の敗北」が明らかになった後も生き残ったのである。相変わらず、資本主義国家は悪であり、批判し、打倒されるべきものとされてきた。日本においては、1955年以降、一時期を除いて、自民党政権がその対象とされた。

マルクス主義は戦後、学者・知識人から学生や労働者に伝えられた。学生はやがて新聞記者や文筆業者、弁護士、国会・地方議員、教師や公務員となった。そして、マスコミや教育、芸術、法廷闘争、国会・地方議会、労働運動などを通じて、この思想が広く国民の間に浸透したのである。60年安保闘争、全共闘運動の影響も見逃せない。

国家権力、政府、国に逆らうこと、秘密を暴くこと、不信感を植え付けること、悪を暴露すること、権力の横暴・腐敗を糾弾すること、などが善とされたのである。反体制知識人がもてはやされ、学生は革命と革命家に憧れ、マスコミは「反権力」「弱者の味方」「野党的立場」を標榜した。日教組はことごとく政府・文部省に反発し、国旗・国歌を否定した。

このような風潮に、2の敗戦による厭戦気分や平和主義、憲法9条信仰が結びつく。大部分はいつも「平和、平和」と唱える、穏やかな平和念仏主義にとどまったが、中には自衛隊を目の敵とし、違憲、違憲と騒ぎ立てる連中や、旧日本軍や天皇を恨む者もいた。反基地、反自衛隊、反戦運動、反安保、米軍基地撤去などの運動が続いてきた。

また、極東軍事裁判(東京裁判)の流れを受けて旧日本軍の戦争犯罪を追及する動きも1970年代以降に表れた。南京事件、三光政策、万人坑、731部隊などの問題が捏造・偽造・歪曲されて朝日新聞を筆頭とするマスコミに登場することになった。

以上のような動きに、朝鮮総連、民団を中心とする在日朝鮮・韓国人や日本人同調者らの反差別運動や、本国での日本帝国主義・植民地支配糾弾の運動が加わる。教科書問題、強制連行・強制労働、慰安婦問題などが取り上げられ、反日デモや日本製品不買運動も起きる。領土問題もこれに絡んでくる。

2、3の動きは、日本側の一部が、主に中国・韓国のお先棒を担ぎ、迎合し、ご注進を繰り返す形で行われた。マスコミやいわゆる人権派弁護士や良心的学者、進歩的文化人、旧社会党、社民党、民主党など野党、さまざまな怪しげな市民団体などの仕業である。

そして1,2,3が絡み合って、多くの反日・日本人を生みだしたと考えられる。日本の国益より、中韓の国益に奉仕しようとする輩どものである。(この2国以外の国の利益を図ろうとする反日・日本人はあまりいないのではないか?戦前はロシアの利益を図ろうとする者もいたが)。

1,2,3とも将来は、先細りになるのではないかと思う。マルクス主義は廃れる一方だし、戦争経験者も少なくなった。残るは在日だが、3世、4世、5世と日本人化が進んでいるのではないか。供給源は細っていくはずだ。しかし、意識的、無意識的な観念の世界ではまだ生き残るだろう。反日マスコミ、学者、政治家、弁護士らである。現実世界での中韓の反日政策・姿勢は当分変わりそうもない。油断はできない。監視が必要だ。

「はだしのゲン」は即撤去を

2013年08月23日 | 日記
漫画「はだしのゲン」が話題になっている。「松江市教委が市内の全小中学校に「はだしのゲン」の閉架措置を求めた」ことを巡る問題だ。

私は「はだしのゲン」を読んだことがないので、新聞やテレビの報道を受けて、閲覧制限の理由を、「首をはねたり、女性を乱暴したりするなどの描写があるからだ」と理解していたが、問題の核心はそこにあるではないようだ。「原爆の悲惨さを伝えるために必要」という理由も、額面どおりには受け取れない。

KAZUYAチャンネルが「はだしのゲンは閉架で問題なし」と取り上げていて、「日教組の考えとものすごいリンクしている」としていたので、産経ネットで調べてみた。
http://www.youtube.com/watch?v=PNUvj9et0PE&feature=c4-overview&list=UUNqbJ7zpxAxC2BxPx-xmx6g
http://kazuyahkd.com/archives/1371

すると、【阿比留瑠比の極言御免】に「はだしのゲン」はどんな本か」というタイトルで、こんなことが書かれていた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130821/lcl13082121040002-n2.htm

「3紙(朝日、毎日、東京新聞)の社説は具体的に触れていないが、「ゲン」では何ら根拠も示さず旧日本軍の「蛮行」が「これでもか」というほど語られる。
「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出したり」「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺したり」…。
特に天皇に対しては、作者の思想の反映か異様なまでの憎悪が向けられる。
「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇」「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけん奴はこの日本にはいっぱい、いっぱいおるよ。まずは最高の殺人者天皇じゃ」」

というのである。

これは単に残虐行為が描かれている、というだけの問題ではない。「腹を切り裂いて赤ん坊を・・・」などというのは、朝日新聞・本多勝一の「中国の旅」で中国側が持ち出したした虚偽であり、戦犯管理所で中国共産党の洗脳教育を受けた元日本兵が語っていた嘘っぱちの告白ではないか。以前、yはり漫画家の本宮ひろ志が「国が燃える」で、南京事件の残虐行為として描いた虚偽と同じではないか(本宮は、抗議を受けて連載を中断、嘘の部分を削除した)。

「韓国では全10巻3万セットを売り上げるベストセラーだという。さだめし、韓国の「反日」活動の論拠の一つとして利用されていることだろう」とも書かれている。

全国の小中学校の図書室に置いてある、という理由もうなずける。日教組(北海道では北教組)の差し金によるものだろう。朝日や北海道新聞などサヨク・反日新聞が熱心な理由も分かった。(公明党も熱心なようだ)。

最大の問題は、まだ批判力、判断力が十分でない子供たちに嘘の歴史を教えてはいけない、ということだ。「表現の自由」うんぬんの問題ではない。即撤去が当然である。教育に不適切なのである。

作者の中沢啓治は1939年、広島生まれの被爆者。強烈な反天皇主義者のようだが、天皇を罵倒する表現も義務教育の場には、まったくふさわしくない。

この問題への賛否の態度が、反日・日本人であるかどうかを見分ける判断基準になりそうだ。(もっともその前に、反日マスコミは問題の核心部分を報道しないから、大半の国民には正確な判断材料さえ提供されない。松江市教委はなぜ本当の理由を話さないのか?歴史事実が歪曲され、嘘が描かれているから、と)











反日・日本人はなぜ生まれるのか?

2013年08月22日 | 日記
日本を侮辱し、貶め、外国勢力と結託、呼応して責め立てる。
日本国民でありながら、日本を憎み、毛嫌いし、批判し、時には事実を捏造・偽造・歪曲して、非を鳴らし、叫びたてる。
それでいながら、日本国民であることは放棄はせず、国内にとどまって平和と民主主義、自由と人権を保障された豊かな生活を存分に謳歌する。
「そんなに嫌いなら出て行けばいいのに」との声には耳を貸さず、海外に移住する気などさらさらない、いわば獅子身中の虫・・・。

そんな反日・日本人はなぜ生まれてくるのか、私はずっと疑問を感じていた。今も疑問である。その疑問に対し、自分なりに考え、答えを探してきた。これは中間報告(というよりも初期報告?)、試行的私論というべきものである。

3つの契機が考えられると思う。
1、マルクス・レーニン主義など社会主義・共産主義によるもの。
2、敗戦後の反省・厭戦思想、軍部独裁批判、絶対平和主義によるもの。
3、在日韓国・朝鮮人らによる侵略・植民地支配や民族差別批判、恨みによるもの。

1は戦前から日本に輸入されていた思想である。1917年のロシア革命による世界初の社会主義国家・ソ連の誕生やコミンテルン(国際共産主義運動)の影響が大きかった。輸入思想だけに、共鳴者は知識人が中心で、学生、大学教授、新聞記者、文筆家、一部の労働者などが主な担い手(日本共産党も組織された)だったが、戦前・戦中に弾圧され、息を潜めていた。

これが、戦後の民主化、言論の自由の下、活動が一気に活発化し、勢いを盛り返した。
マルクス・レーニン主義の要諦は、階級闘争と革命である。ブルジョア政権は、革命によってプロレタリア独裁にとって変わられる運命なのである。ブルジョア政権は、悪であり、打倒の対象である。その代わり、社会主義国家は理想の国家であり、賞賛の対象、目指すべき目標であった。

連綿と続いてきた社会主義国家への賞賛(ソ連、毛沢東の中国、地上の楽園・北朝鮮、チェ・ゲバラとキューバ革命、北ベトナムのホーチミンなど)の数々。しかし、ソ連の言論弾圧、粛清、収容所群島、プラハの春など東欧諸国への軍事介入、中ソ論争、アフガニスタン侵攻などにより、輝きは薄れ、ついに1991年に地上から消滅した。

ソ連の次は中国・毛沢東礼賛である。しかし、大躍進政策の失敗による数千万人の餓死者、文化大革命の実態などが明らかになり、1989年の天安門事件で良識派から見放された。(一時期、中国の核実験に身震いするほど感動したと表明した知識人もいた。倒錯していた)。現在は、GDP世界2位となったものの、人権弾圧、政治腐敗、経済格差、食物・環境汚染、海洋覇権主義など、理想など薬にしたくもない。

あの拉致国家、北朝鮮も一時、「地上の楽園」と美化された。朝日新聞などマスコミはこぞって、在日朝鮮人や日本人妻の帰還運動の旗を振って、人々を地獄へと導いたのである。一方で、韓国は民主化するまで「軍事独裁国家」と批判され続けた。

社会主義国家が礼賛される一方で、目の敵にされたのがアメリカである。資本主義国=帝国主義国家、すなわち悪玉の中の悪玉、悪玉の親分とみなされたのである。反米・親ソは戦後の流れであり、アメリカが介入したベトナム戦争反対運動は国民の中に浸透した。日米安保条約(日米軍事同盟とも言われた)破棄などを訴える60年、70年の安保闘争も盛り上がった。

戦後のマルクス・レーニン主義、毛沢東思想などを担ったのは、やはり学生、大学の学者、新聞、雑誌などのマスコミ、作家、評論家などのいわゆる進歩的文化人(岩波・朝日文化人、戦後民主主義者)、いわゆる人権派弁護士、日教組などの労働組合、社会党、民主党、共産党などの勢力だった。彼らは理想を追い求める主観的には正義の人であるが、客観的には善を求めて悪を為す悪魔である。マルクス主義は麻薬であり、洗脳効果がある。彼らは自らの「正義」を信じて疑わない。中毒者である。

しかし、ベルリンの壁崩壊・東西ドイツ統一、ソ連崩壊、東欧諸国に民主化によって、社会主義の理想は地に落ちたが、彼らの心情は変化しなかった。頑なだった。「国家は悪」「権力は悪」という観念は生き残ったのである。依然として、「打倒」の対象なのだ。そして、彼らは活躍の場を革命から、人権、フェミニズム、環境、脱原発、戦争犯罪告発(南京事件、慰安婦問題など)などの広げ、彼らにとっての正義の戦い、すなわち「日本国家」との戦いを進めるのである。正義は我にありと信じて疑わず、「日本の告発」を聖なる使命と心得て、まい進するのである。 <続く>

卑怯者・大江健三郎・・・

2013年08月21日 | 日記
読んで勉強になる本、「なるほど」と思わせ、読み進められ本である。考えが近いせいなのだろうか?

boook offで買った秦郁彦「歪められる日本現代史」(2006年、PHP研究所)を読み始めた。著者が「諸君」「SAPIO」などの雑誌に寄稿した現代史関連の論考をまとめたものだ。論考はそれぞれ手ごろな長さで、堅苦しい書き方はではないので、読みやすい。関心のあるテーマが並んでいる。

秦氏は、1932年生まれ。東大法学部を出て、ハーバードやコロンビア大学に留学、プリンストン大客員教授と、なにやらすごい経歴の持ち主だ。著書は数多い。南京事件や慰安婦問題を扱った著書を読んだが、実証的・客観的な論考なので、信頼感がある。いろいろな近現代史研究の中軸になる人ではないかと思う。英語での発信力も期待できる(でも、もう83歳・・・)。

この本の最初のテーマは「反日の「語り部」・大江健三郎」である。大江は1935年生まれ、言わずと知れたノーベル賞作家で、自称「戦後民主主義者」。私は学生時代に芥川賞受賞作の「飼育」など初期の短中篇作品を興味を持って読んだが、のちその観念性や抽象性についていけず、まったく読まなくなった。「厳粛な綱渡り」などの分厚いエッセー集も肌に合わなかった。

大江がノーベル賞を受賞した後、文化勲章を辞退したのを見て、「ああ、こいつは偽善者だな」と思った。時流に乗って、左翼的な言辞を吐くポーズだけの進歩的文化人、そして権威主義者だと思った。実存主義も流行の借り物だろう。それからは、あの丸メガネで頬のぽっちゃりした顔を見るのも不快になった。

秦氏はまず、大江がよく書いたり、講演で話すお得意の「戦中、校長、教頭、女教師に殴られた話」の不自然さを指摘し、創作ではないかと推測する。「大江氏はなんらかの目的で、子ども向けに創作した「童話」を実体験として流布させている常習的「語り部」ではないか」と疑うのである。小説ならいざ知らず、現実の話を捻じ曲げて、あるいはでっち上げて伝える詐話師の素質がある。

そこで、次に取り上げられるのが、大江が現地調査もせずに書いた「沖縄ノート」(1970年、岩波新書)である。

沖縄の渡嘉敷島、慶良間、阿嘉島の集団自決は軍の命令だった、との史実?が住民の証言で覆った後も、本の記述を訂正しなかった。本では自決を命じたとされていた将校をユダヤ民族を虐殺したナチスのアイヒマンに例え、口を極めてののしっているのである。名誉毀損で裁判も起こされたが、大江は文学的な遁辞を弄し、事実に正直に向き合うことをしなかった卑怯者である。

ただ、裁判では将校の実名を書いていなかったこと、住民の証言を集めて沖縄タイムスが発行した沖縄戦記「鉄の暴風」を参考にし、事実と信ずるに足る相当の理由があったとして、2008年、最高裁で原告敗訴が確定した。この沖縄タイムスという新聞社も「集団自決は軍の命令」とする本の内容を訂正していないという。「軍の命令ではなかった」とする住民の新証言も一切報道していないらしい。左翼・反体制新聞の偏向ぶりと傲慢さがあらわである。

実は、きのう取り上げた元朝日新聞記者、本多勝一は大江が嫌いだった。本多の「貧困なる精神X集」は「大江健三郎の人生」というタイトルになっている。十数年前に読んだので、内容は忘れてしまったが、本を引っ張り出してみると、帯に「体制にも反体制にも「いい顔」をする処世術」とあった。

確かに、本多は体制にいい顔はしないだろうが、歴史を捏造・偽造・歪曲する詐話師であり、朝日を看板に威張る傲岸不遜な人間である。所詮、目くそ鼻くそ、サルの尻笑いの類だろう。反日という点では、同じ穴のムジナである。

ろくでなし・本多勝一

2013年08月20日 | 日記
元朝日新聞の名物記者、本多勝一という男が、これほどろくでなしだとは思わなかった。

amazonの古本で買った「間違いだらけの新聞報道―限りなき虚報のさまざま 南京大虐殺事件・万人坑問題 」片岡正巳、板倉由明、田辺敏雄著 (1992年、閣文社) という本を読んでいた。3人の著者が朝日、毎日新聞の捏造・偽造・歪曲報道を追及している。

本多記者は1971年、朝日新聞に、あの悪名高き「中国の旅」を連載し、中国側の言うままに、日本軍の悪逆非道ぶりを、これでもかこれでもかと書き連ね、その「吐き気を催すような」数々の殺人例?は、国民に大きなショックを与えた。本多記者はさらに「週刊朝日」や「朝日ジャーナル」と、朝日グループの媒体を動員して、「南京への道」「南京大虐殺の現場へ」と書き続けた。

この中で、本多記者は南京大虐殺、三光作戦、万人坑、天頂山事件など、捏造・偽造・歪曲された事実を書き続けてきたのである。

しかも、あきれたことに、本多記者は虚偽を指摘されるたびに、「これは中国側の言うとおりに書いたこと。文句があるなら中国に言ってくれ」と、責任を放棄し、実名で登場させられた連隊や元将兵を憤激させた、というのは有名な話である。ここまでは私も知っていたが、この本を読んでさらなる怒りが湧き上がってきたのである。

板倉由明氏は1932年生まれ。横浜国大工学部卒、鉄工所経営の傍ら、南京事件を研究していた。板倉氏は、南京事件で捕虜13500人を殺害したとされた事件で、その人数や元兵士の証言、スケッチを巡って本多記者と論争していた。論争に窮した本多記者は、月刊誌「潮」で、こんな人身攻撃を始めるのである。

「どうもこの人物(板倉氏のこと)は、日本語を読み取る基礎能力がないらしいので、文筆界・言論界は‘準禁治産者‘として相手にすべきではないのかもしれない」

この他人を見下した傲慢不遜な態度、思い上がり・・・。ふんぞり返って、俺は天下の朝日の大記者だ、とでも言いたいのか。誤りを認めたくない本多記者の卑劣な態度はこれだけではない。


田辺敏雄氏が次の「第3部」で、本多批判を受け継いでいる。田辺氏は1937年生まれ、東京理科大物理学科中退。彼も経営コンサルタント業?の傍ら、中国での日本軍・民間人の残虐行為報道に疑問を持ち、聞き取り調査などを行い、その虚偽を「追跡平頂山事件」(1988年、図書出版社)にまとめている。

万人坑(まんにんこう)は、「中国の旅」によると、戦前・戦中に満州の炭坑で、過酷な労働をしいられた中国人労働者が、過労、病気、けが、栄養失調になった際、生きたままの者も含めて、埋められたというものである。朝日では「ヒト捨て場」と報じられ、一箇所に1万人以上の白骨、それが数十箇所もあるというのである。

田辺氏は、当時まだ健在だった多くの炭鉱会社の係者と面談し、それが嘘であることを証明していくが、日本側にまだ関係者が大勢いるにもかかわらず、なんの裏づけ、確認取材もしない朝日新聞、本多記者を、「ジャーナリズムの常道を踏み外している」と批判する。当然である。ところが、本多記者は「中国側の言い分を、とくに明白な誤りにでも気付かぬかぎり、そのまま報道すること自体になぜ問題がありますか」と開き直っているのだ。

「中国の旅」は、多くの批判、反証が挙げられているにもかかわらず、訂正もされず、朝日文庫などで、今も版を重ねているという。「日本人は残虐民族」と濡れ衣を着せて、言い募る、こんなトンデモ本が書店にまだ堂々と並んでいる。本多記者・朝日新聞の罪はとてつもなく深くて、重い。

実は私はこの3人の筆者をまったく知らなかった。wikiで調べたら、板倉氏は1999年に亡くなられていた。田辺氏はご健在で、今もホームページで、歪曲、偽造された昭和史を正す作業を行っているのを見つけた。先輩たちの熱意と努力、労苦には頭が下がる。
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/








また出た怪しい市民団体・・・

2013年08月20日 | 日記
きょう20日の読売新聞を見ていたら、「北海道面」に、「戦時中 過酷労働で死亡の朝鮮人 日韓学生ら発掘調査」とい記事が載っていた。

北海道新聞では、この類のイデオロギー的に偏ったニュースには辟易していたが、読売に出るのは珍しいと思った。記事を読むと、残念ながら、ここにも「強制連行」「強制労働」の文字。偏向報道に加担していた。(「強制連行」「強制労働」が朝鮮総連が作り出したイデオロギー用語であることは、もう何度も書いた)。主催者の言うままに記事を書いたのだろう。

記事を読んだが、「過酷な労働で死亡したとされる朝鮮人」とか「地元の古老の証言に基づき1人の朝鮮人が埋められた場所」とか、なんだかよく分からない、要領を得ない記事だった。(遺骨は見つからなかった)。

そこで、北海道における偏向・反日報道の元祖である北海道新聞を見た。すると、「第4社会」というページに、「ここに眠る1人の朝鮮人 遺骨見つけたい 強制労働 美瑛で初調査 日韓130人「我々の使命」」と、思い入れたっぷりの見出しで、大きく記事が出ていた。

記事によると、これは「東アジアの平和のための共同ワークショップ」の発掘作業なのだそう。そして、主催者として、またあの怪しい市民団体「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」の名が出ていた。しかし、なぜかは知らないが、主催者名以外に、「強制連行」「強制労働」の文字は記事に見当たらなかった。なぜだろう?用語の不適切さに気付いたのだろうか?(そうならいいのだが、きっとそうではないだろう)。

、それにしてもこの団体(朝鮮総連系か旧社会党系か社民党系か共産党系か新左翼系か知らぬが)は、こうした催しや作業があるたびに、マスコミ各社に、取材を要請しているのだろうか?この類の話だと、判断力がない今のマスコミは、ホイ、ホイと取材に出かけ、大きく宣伝してくれる重宝な存在なのだろう。(逆の立場の催しだと、取材、報道してくれるかどうか分からない。少し前までは「札幌郷土を掘る会」という怪しげな団体の「タコ部屋労働」などの発表を盛んに報じていたものだ)。

北海道新聞の「第2社会」のページには、今月初めに中央大学の反日教授、吉見義明らが立ち上げた「慰安婦ホームページ」の紹介記事が出ていた。今頃なぜ、と思うが、これも逆の立場の学者のHPだと、きっと紹介などしてもらえないに違いない。これも偏向新聞、アカ新聞と言われる所以である。

「戦争」から学び、考えた8月・・・

2013年08月19日 | 日記
68年前、広島、長崎への原爆投下・ソ連軍の参戦、ポツダム宣言受諾、敗戦・・・と続いた8月は、マスコミの戦争報道があふれた。

新聞、テレビ(地上波、BS)、ネット動画(youtube,桜チャンネルなど)を見て、いろいろな事を知り、また考えさせられた。

呆れたのは、NHKの討論番組での作家半藤一利の発言だった。「日本は海岸線が長く(世界で6番目?)守りきれない。原発も海岸にあるし)」という言葉だ。何を言っているのかと思った。100%完璧に防衛できないから、防衛力・軍事力は無意味だ、とでも言いたいのだろうか。100%安全と言えないから反対、という反・脱原発派と同じ小児的な理屈ではないか。

あきれた。出席した元外交官の岡本行夫から、政治・外交と防衛力、抑止力、日米安保や在日米軍など、国際政治や軍事のいろはを説かれて、反論されていた。当然だろう。1930生まれ、「昭和史」など、数多くの近現代史の著書がある男の言うことが、これなのか、とがっかりした。

きょうのKAZUYAチャンネルに、先日、BSフジのプライムニュースで放送された「若者たちに聞く戦争観」という番組で、社会学者で東大大学院在籍の古市憲寿が、外国から侵略されたらという問いに、「逃げる」と答えた、と出ていた。KAZUYAは「どこに逃げるんだ」と、あきれているが、こういう輩は実は珍しくはない。
http://www.youtube.com/watch?v=Q3cavFVW76c&feature=c4-overview&list=UUNqbJ7zpxAxC2BxPx-xmx6g

以前、テレビで、「年収300万円時代を生き抜く経済学」で大もうけしたエコノミストの森永卓郎が「敵が攻めてきたら、手を挙げて降参すればいい」と言ったのを聞いて、絶句したのを覚えているし、社民党党首だった福島瑞穂も同じような意見を吐いていたと記憶している。平和ボケというのか、9条ボケというのか、それとも天然なのか、信じられない田分けどもである。二人とも東大出、というのがまた泣かせる。

第二次世界大戦中にアメリカの日系2世によって組織され、欧州戦線に投入された「第100歩兵大隊」の生存者の声を聞く番組もあった。逆に、日本に留学していたハワイやカリフォルニア州の日系2世が日本軍人として戦闘に参加したという、私の知らなかった事実を教えてくれた番組もあった。祖国、家族、人種、民族、国家・・苦渋に満ちた時代だった。

以前紹介した「竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記 」(ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ著)と体験が重なる記事も読んだ。11日の読売新聞に出ていた「北で墓参りやっと 日本人遺族が訪朝」の記事である。墓参を実現させた東京の男性(79)は、ヨーコ一家と同じ羅南(今の清津)に家族5人で住んでいた。ソ連軍の攻撃から一家で脱出を図ったが、ソ連軍に全員捕まり、収容所に送られ、両親が発疹チフスで死んだ、というつらい体験を語っていた。

この時期、マスコミの反日イデオロギーの衣を剥ぎ取って、素直に歴史的事実にを見れば、学ぶべきことはたくさんある。15日にピークを迎え、今はぱったり止んだが、年中報じてほしいものだ。とりわけテレビは、チャンネルがこんなにあるのに、ニュース番組などは似たり寄ったりで、中身が乏しすぎる。もっと独自性を発揮してほしいものだ。

北海道新聞のまともな記事・・・

2013年08月19日 | 日記
北海道新聞にも、たまにはまともな記事が載る、と感じた。19日の朝刊を読んで、そう思った。

最初の記事は、オピニオン面の「風」。2週間前の「風」は目に余るほどの能天気ぶりをさらしていたので、「道新論説の耐えられない軽さ」をブログに書いたのだが、きょうの加藤某の記事は出来が良かった。

最近、よく使われる「コンシェルジェ」というフランス語から話を始め、「本来、この(アパルトマンと呼ばれるフランスの集合住宅の)管理人を指す言葉だ」という。この管理人は、居住者とともに生活し、郵便物の配布やごみの収集などをしていたので、住民のことを良く知っており、ナチスドイツに支配された時代は、「ユダヤ人密告に絶大な威力を発揮した」と指摘する。多くはポルトガルからの貧しい移民労働者だったという。

そのあとは、ナチスの対独協力政権だったビシー政権の戦争責任をどう見るか、という話である。「傀儡政権だった」と、フランス国家としての戦争責任を否定する声もある。そんな中で、昨年、オランド大統領は「犯罪はフランス国家によってなされた」と演説したそうだ。

筆者が何を言いたいのかはもう明らかだろう。「政治指導者は歴史認識を曖昧にしてはならない」。欧州の人々はナチスから多くの教訓を学び、再生へと踏み出した、というのである。

と、ここまでは、誰も異論がないところだろう。今回の「風」の良い所は、ここで終わっていることだ。「それに比べて日本は・・・」と、続けると、もういけない。いつもの反日メディア・北海道新聞の愚かさを露呈してしまうことになる。

その通りだろう。「政治指導者は歴史認識を曖昧にしてはならない」。「南京大」とか「挺身隊問題」などという歴史事実の捏造・偽造・歪曲は許されない。「日帝支配」や「植民地支配」というが、日韓併合条約は、当時も今も国際法上は合法だったというのが、多数説だ。日本軍に自ら志願して入隊し、戦った朝鮮人も多数いるではないか。韓国人も少しは、自らのことを考えてみてはどうか。アジアにはナチスなどいなかったのだ。

もう一つは「読者の声」に載った「終戦直後会った母子は今どこに」。1945年8月末、満州でソ連軍の捕虜となり、ハルビンから牡丹江に向かう途中での体験をつづった89歳男性の投稿だ。

ソ連兵の威嚇射撃で、コウリャン畑に隠れていた日本人女性と4人の子供たちが出てきたという。「10歳くらいの姉の背で眠る子」「次女に手を引かれた弟の腰にはへこんだアルミの鍋がぶら下がっている」「自分は何も持たず、遅れる子をを振り向きもしない母親は、頭がうつろになったのか」と、文章が続く。そんな母子の姿が目に浮かんできて、堪らない思いになる。「「戦争は弱いものほど犠牲が多い」というが、夏が来るたびに思い出す。あの母子のその後はどうなったのだろう」と、文章は結ばれる。

この投稿も、「安倍政権が」とか「憲法改正が」とか、北海道新聞の論調に迎合して、余計なことを書いていないのがいい。読者に訴える力がある。先に紹介した「竹林はるか遠く」(朝鮮半島を縦断して日本に、命からがら逃げ帰った体験記)のヨーコ母子のことも頭に浮かんだ。

最後は、文化面の左下にあった「彫刻家たちの戦争」という囲み記事。夕張市に残っているコンクリート製の「採炭救国坑夫像」などを紹介しながら、「道内を含め全国各地に残る戦時下の作品群は、材料難に泣き、表現に制約を受けながらも制作を続けた「彫刻家たちの戦争」を物語っている」と締めくくる。この記事も、「戦争に協力した芸術家」などと、紋切り型の非難を付け加えていないのがいい。素直な筆致がいいのだ。

北海道新聞を駄目にしているのは、記事や論説にまといつく、反日・サヨク・反体制イデオロギーであることが良く分かる。いい加減に目を覚まして、日本のための日本の新聞へと脱皮してほしいものだ。