FARMERS BLUES

―理想と現実と夢の間に―

距離を縮めてくれたのに、遠くへと。

2012年12月07日 02時55分31秒 | お芝居のこと。
「野田版 研辰の討たれ」を見たときの衝撃は今も忘れられません。
野田さん目当てで見に行き、一番安い4階の一幕見席から、
遠く舞台を見降ろす格好で観劇していたにもかかわらず、
ラストの、あなたが討たれ、ひとひらの葉があなたの左胸に
ひらひらと舞い落ちるあの瞬間、まるで時が止まったかのような、
でなければ恐ろしくゆっくりとしたスローモーションを見ているかのような、
舞台上ひとり倒れるあなたを、まばたきひとつせずに見ていました。

再演は、一階席から堪能させていただきました。

つづく「野田版 鼠小僧」も、期待を裏切らない作品で、
ラストのあのからくりは鳥肌ものでした。

ぼくが歌舞伎を見たのは、ほかにコクーン歌舞伎の2作品で、
結局のところ、そのすべての作品にあなたが出ていました。

ぼくに限らず、歌舞伎と様々な人との距離を縮めてくれたのは、
間違いなく、あなたです。
現在、通信制の大学で勉強しているぼくは、先月、
奇しくも歌舞伎の講座を受講しました。
しばらく歌舞伎鑑賞から離れていたので、基礎的なこと学んで
再び劇場へ足を運んでみよう。おそらくそういう気持ちが
あったのだと思います。そしてそれはおそらく、あなたの出演作品を
見ることが前提だったでしょう。

歌舞伎講座の先生が、あなたの話題に触れたときこんなことを言っていました。

歌舞伎とは、ただ昔からの伝統を受け継ぐだけの芸能ではない。
その時代時代に大衆の中に流行しているものを巧みに作品の中に取り入れ、
その時代に合った形に変えて上演されていた。
それは、江戸時代も今も変わらないのだ、と。

あなたの挑戦していたことには、おそらく批判も多かったと思います。
「これは歌舞伎ではない」「伝統を壊すつもりか」

しかし、あなたの姿勢、意識、取り組み、すべてが、
数百年続いている歌舞伎の本当の精神に則ったものだったんですね。
テレビのインタビューに答えたあなたの答えが、
それを裏打ちしていました。

「もし江戸時代にラップがあったら、歌舞伎役者は絶対歌舞伎に
取り入れてたと思うよ。歌舞伎役者ってとっても貪欲だもの」


批判を承知で言わせてもらえれば、
57歳で亡くなることがこんなに悔やまれる人もそういないと思います。

「まだまだやってみたいことがいっぱいあるんですよ」

そのひとつひとつを目の当たりにしたかったです。

だけど、歌舞伎はなくならないし、
あなたの意志を引き継ごうとする人たちも大勢いることでしょう。

勘三郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。



 歌舞伎、見に行きます。



多くの傑作があった、だからこそ惜しむらくは新作を見られないこと。

2010年04月11日 22時02分58秒 | お芝居のこと。
 とりあえず今日という日を忘れまいと、
 こんな時間ですが書き記しておきます。


ふいに報じられたそのニュースを見て、
思わず「え」と声が出てしまいました。

その方とは面識はありませんでした。
ですが、その世界を離れた今になっても、
少なからぬ影響を受けた人だったなぁと、
痛感しています。
ニュースを見たときにぼくの受けたショックが、
それを物語っているのでしょう。
いわゆる、訃報、
著名な方の訃報は時折伝えられていますが、
ここまで茫然自失としてしまったのは、
ここ数年、記憶にありません。

その方の名前を見て、観劇を決めた舞台がいくつあったでしょうか。
さらに、その演劇観に触れたくて読んだ本や戯曲は。


今日は、ただただ、そのご冥福を祈るばかりです。

幾度も幾度も、ぼくの心をとらえてやまなかったあの劇世界を、
あらためて思い返したいと思います。


井上ひさしさん、おつかれさまでした。




舌打ちとため息のあとに。

2008年05月03日 03時39分16秒 | お芝居のこと。
うまくいくことなんて、
何ひとつこの世にないんじゃないだろうか、
そう思っていた。



中央線の中野駅から歩いて8分の線路沿いにその劇場はある。
先週一週間はほとんどその劇場に通い詰めだった。

大学同期の友人が演出をする。
同じく同期の友人が舞台監督を頼まれる。
しかし彼は時期同じくして公演が重なっている。
そしてぼくに白羽の矢が立った。
「舞台監督をやってくれませんか」
「俺がサポートするから大丈夫だよ」
「そんなに大変な舞台じゃないからさ」

「わかった」

大変な舞台だった。
安易に承諾してしまった自分を呪ったときもあった。
三週間以上も日記を書いていないことからもわかってもらえると思うけど、
そんな時間も心の余裕も持ち合わせてはいなかった。
4月27日の千秋楽、それが無事に終わることだけを願い続けていた。
願いながら夜は眠りについた。
願いながら目を覚まし、願いながら電車に揺られた。
大変になる予定ではなかったので、
一週間しかバイトの休みを取らなかった。
その一週間、半分以上を友人の家に泊まり込んだ。
泊まり込んで、少しでも物事が円滑に進むように打ち合わせをした。
劇場入りしてからの責任はすべて舞台監督にある。
そのプレッシャーに押し潰されそうな毎日だった。
ろくに睡眠時間を摂らない日々が続いた。
だけどあくびをした記憶がほとんどない。
「引き受けたからには」という思いと、持って生まれた責任感とが、
広がりそうな口を抑えつけている。
サポートしてくれる友人がいるといっても、
現場を仕切り、みんなに指示を出すのはぼくの仕事だ。

4月23日、劇場にお願いをして夜のうちに搬入をさせてもらう。
4月24日、仕込み日。
4月25日、初日。
この3日間ですべてが決まるといってもいいくらいだ。
いや、すべてが決まる。

4月25日、午後10時10分。
明日の2日目の連絡事項を告げ、解散。
劇場から駅に向かって歩いている。
しきりに行き交う中央線の電車の音がうるさい。
だけどぼくは携帯電話を取り出し、リダイヤルの最初の番号に発信する。
連日泊まり込み、打ち合わせをし、親身にサポートしてくれた彼の番号に。
あいにくの留守番電話。だけど報告はしなくちゃいけない。
「無事に初日を迎え、さきほど終演しました。
 いろいろと気を使ってくれてありがとう。
 まだ明日とあさってあるけど、とりあえずほっとしてます。
 それじゃ、そちらも公演がんばってください」
本当はもっともっと報告することがあったはずなんだけど、
しゃべっているうちに声が上ずってくるのがわかった。
なんとかいつも通りを装って最低限の報告だけをして、終話ボタンを押す。
携帯を耳から離して折りたたみポケットにしまう。
鼻の奥が少しツーンとするのを感じる。
あのまましゃべっていたら危なかった。もう30になるのに。
中央線の電車がガタンゴトンと通り過ぎる。
線路沿いって本当にうるさいんだなぁと思いながら駅に向かう。
明日も早めに劇場に来ようとも思いながら。
明日の仕事を頭に思い描きながら。

2日目、3日目。
結論から言うと、無事に事故もなく大きな事件もなく
千秋楽とバラシを終えることができる。
だけど、初日を終えたばかりのぼくの頭にはまだそんなビジョンはない。
何か起きるんじゃないか、何か起きるんじゃないか、
と気が気ではないのだ。
今となっては、このときのぼくに、
「大丈夫、明日もあさっても本番はうまくいくよ」
と教えてやりたい気もするけど、
おそらくぼくは聞く耳を持ってはくれないだろうな。


うまくいくことなんて、
何ひとつこの世にないんじゃないだろうか。

それくらいの心持ちで物事に取り組んだ方が、
ぼくの場合、案外うまくいくのかもしれない。




終わりは始まらない。

2007年09月13日 01時52分51秒 | お芝居のこと。
大変お世話になった、演劇集団の解散を知る。

お世話になり始めたのは、5年前から。
活動をはじめたのは、25年前から。らしい。
ぼくはまもなく、29歳。

25年。


この世の中のほとんどすべてのことには、
間違いなく終わりがやって来る。
ことになっている。
と思う。

だけどそのほとんどのことに関して、
継続中のときは誰も終わりのことなど考えてはいない。
いつまでも今が続くと思っている。
と思う。

だから終わりがやってきたとき、ぼくらは呆然とする。
なんの準備もしてなかったんだもん。
プレビューとかプレ公演みたいに、
“プレ終わり”みたいのがあらかじめ訪れてくれてたら、
少しは準備しておけるんだけど。
そして後悔も少ないと思うんだけど。

あのお芝居のとき、もっと勉強しておけばよかったと思っても、
もう遅い。
もう一度やりたいと思っても、もうできない。

日曜日に洗濯しておけばよかったと思っても、
もう遅い。
週間天気の傘マークは減ってはくれない。

終わることで何かが始まるんだ、って
思おうと思えば思えるけど、今はまだ思いたくない。
この終わりをしっかり飲み込む。
子供の頃食べたホルモンみたいに、
飲み込むタイミングがわからなくても、
いつか必ず飲み込む。
吐き出すようなことはしない。
「飲めないよぉ」とは言わない。
「出していい?」とも聞かない。
何百回噛むことになっても、
口の中で別のモノに姿を変えても、
必ず胃の中に押し込む。

そしてゆっくり消化する。
そしてゆっくり栄養に代える。




ごちそうさまでした。


おつかれさまでした。




たかはしさん。

2007年08月18日 00時47分31秒 | お芝居のこと。
今回のお芝居、
非常に多くの方に見に来ていただきました。

お盆真っ只中にも関わらず、
これだけのお客様がいらっしゃったってことは、
新宿や渋谷は閑散としていたことでしょう。
アルタやハチ公前で待ち合わせしてた人は、
とっても見つけやすかったんじゃない?


そんな過剰な前置きはさておき、
本日のタイトルでございます。

「たかはしさん。」

本日の日記、軽い“尋ね人”でございます。

我こそは「たかはし」という方、ぜひご一報を。

なぜかというと、
11日の土曜日、昼公演、「たかはし」様が
ぼく扱いでチケットを購入し、お芝居をご覧になっているのです。
いや、ご覧になられあらせられているのです。
いや、ご覧あそばされあらせられござ候。

しかし、大変失礼な話なんですが、
ぼくには、その「たかはし」様に心当たりがないのでござ候。

携帯の電話帳をひっくり返しても、
見つけられないのです。

そういうわけですので、
「たかはし」様、ぜひともお礼を申し上げたく、
金一封をご用意してお待ち申し上げておりますので、
ぼくの連絡先をご存知でしたら、一刻も早く
ご連絡いただきたくござ候。

ご存知ないようでしたら、
この日記にコメントいただきたくござ候。

性別もわからないので、
女性であることを想定して、
とりあえず婚姻届も用意してお待ちしております。
女性でしたら結婚しましょう。
男性でしたら、、、ありがとうございましたっ。

お芝居が終わって、
またこれから日常に戻っていくことに辟易していましたが、
なんとなく、生きる希望を見出しました。

「たかはし」さん、
ぼくはあなたを探します、必ず。




総括という名の、まとまりのない長文。

2007年08月17日 00時55分05秒 | お芝居のこと。
前回の日記がいつまでもトップにあるっていうのも、
あんま気持ちいいもんではないので、
さっさと次の日記でも書こうかと。

さて。
いろいろなことを覚えているうちに、
いろいろな感情が冷めやらぬうちに、
それをうまく言葉に変えて、
今回の公演を振り返っていこうと思います。


非常に楽しかった。
それは決して揺るがない事実。
どうして楽しかったのか。
共演者が素敵な人ばかりだったから。
スタッフの女の子にかわいい子がいっぱいいたから。
あ、かわいい子はもちろん出演者の中にも。
そして、お芝居が好きだから。

うーむ、まじめな理由とふざけた理由が混在してますな。
ま、いいや。

で、反省点。
ひとりの人間が、主宰、作・演、出演までこなすっていうのは、
よほどのことだってことよね。
もちろんうまくやっている人もいるんだろうけど、
今回はうまくなかった。
ちゃんと態勢を整えてから、またやってほしいです。

今回の芝居じゃないけど、“熱さ”だけでは
やっていけない。

そして、それに付随して、スタッフワーク。
これは今回、けっこう参った。
稽古場に一度も来ない舞監、同じく照明プランナー、
ゲネぎりぎりに揃う衣裳、完成度の低いセット。
わかんないけど、こういうのってけっこうあんのかな。

もう1回言うけど、熱さだけではできないんだよ。
初日に間に合えばいいって問題ではない。
千秋楽が迎えられればいいって問題ではない。
酒が飲めればいいって問題ではない。
楽しければいいって問題ではない。

お前、何様だよっ、って思われてもいいよ。
だけど俺はそういう風に考えてます。

そして特筆すべきは、
そんな状況に甘んじていた自分。
もっとできることがあった、言えることがあった、
はずなんだ。
なのに、いろんなポジションの責任にして、
自分のやるべきことも満足にやっていなかったんじゃないのか。
嫌われたとしても、「それはお前の考えることじゃない」
って言われても、ずけずけでしゃばっていけば
よかったんじゃないのか。

毎度毎度、おんなじような反省をしているな。
まったく、学習しないサルめ。


パソコンに向かっての反省はこれくらいにして、

あとは自分と向き合っての反省にしようか。

そして必ず、その反省を次回に活かすことを誓おう。




一事が万事。

2007年08月16日 18時02分55秒 | お芝居のこと。
昨日午後7時の回で、
無事に千秋楽を終えることができました。
事故もなく、ケガもなく。

まずは、ご来場いただいた皆様、
ありがとうございました。
来場しようと努力してくれた皆様、
ありがとうございました。
公演のことを気にかけてくれた皆様、
ありがとうございました。


あらためて、今回の総括という形で、
自分なりに今回の公演を振り返ってみたいと思ってます。
でも、それは今晩あたりか、明日あたりに。


とりあえず今は、感情の赴くまま。

やっぱり今回の公演は、詰めが甘かった。甘すぎた。
そしてそれは最後の最後まで。

今回、打ち上げはバラシ後の劇場をお借りしたんだけど、
「だいじょうぶかなぁ」と思っていた不安が
見事に身を結んだ。
結んでほしくなかったのに。

案の定、朝の6時くらいには地獄絵図のような光景が
そこかしこに広がり、10時から別集団の仕込みが
あるというのに、全く埒があかない状況に。
誰かが言い出さないと収拾がつかないと思い、
「そろそろ帰りましょう」と言うと、
自分の荷物を持ち、フラフラと外に出ていく面々。

呆然。唖然。

えっ、掃除は?片付けは?後始末は?

今回、出演者の身内の人が劇場関係者だったんだけど、
そんなの関係あんの?
「もう大丈夫ですから、イノさんも帰ってください」
って、帰れるわけないじゃん。
劇場を使わせてもらうって、そういうことなの?
そんなのでいいの?

「立つ鳥跡を濁さず」
「家に帰るまでが遠足」
「あきらめたらそこで試合終了だよ」

あとのふたつは冗談としても、
みんな、どういう心積もりで劇場を借りてんの?

なんていうか、もう言葉も出なかったよ。
びっくりした。
怒りすら沸かない。
怒ってるヒマあったら自分だけでも片付けてた方がいい。

俺がおかしいのか?
おかしくないだろう。

だけど、久しぶりに小劇場の芝居に参加させてもらった今回、
「俺がおかしいのか」
と思うことが度々あった。

ま、それは、またあらためてということで。

とりあえず今日は、このことに関して、
この気持ちをどこかに記しておきたかった。

そして、とりあえずは、

おつかれさまでした。




この日に、終わる。

2007年08月15日 11時34分18秒 | お芝居のこと。
終戦記念日の今日、
ぼくらの戦いも、終わる。

7月1日に稽古に参加してから、ちょうど1ヶ月半、
例外なく初対面の人たちと作り上げてきた“2時間”と
お別れする。

東京は笹塚のビルの地下2階、
小さな小さな箱型の空間。
日本時間の本日午後7時から午後9時までの、2時間。
世界じゅうのどの“2時間”よりも
熱くて満ち足りた2時間にする。

地球上のほかの“2時間”が止まってしまうような、
世界じゅうの“2時間”たちが笹塚に集まってくるような、
いろんな神様も、この“2時間”だけは
笹塚を見守りに訪れてくれるような、
そんな、素敵な2時間。


そして、その“2時間”の中心に、

ぼくたちが、いる。

中心で、叫んでいる。
愛だとか、何だとか。



8ステ終わり、

残り1ステ。




蝉になる。

2007年08月13日 02時47分13秒 | お芝居のこと。
劇場入りしてからは毎日電車で通っている。
事故が怖いから、原付きは乗らない。
お酒も飲めるし。

駅までの徒歩15分の間に、
蝉の死骸を目にすることが多くなった。

蝉って何日で死んじゃうんだっけ。
3日?1週間?
生きている間じゅう、鳴き続けるんでしょ。
完全に死んでる死骸を見ても、
まだ足が動いている蝉を見ても、
なんだろう、「かっこいい」と思ってしまう。
彼らは全うしている。間違いなく。


この6日間、9ステの間は、

俺も、蝉になる。

終わったあとのことは、とりあえず考えない。

ただ、鳴き続ける。

うるさいと思われても。



5ステ終わって、残り4ステ。