どっかに行きたいのだ!

散歩程度の日帰り旅行から海外旅行の話を書いてみようと
思います

千早赤阪村

2011-11-30 00:44:00 | Weblog

自宅から原付バイクで休憩を入れながら約2時間近くで

千早赤阪村に到着。大阪唯一の村ということで一度は

訪れてみたかったものの、交通の便が悪いせいもあって

なかなか腰が持ち上がらず今回やっと行くことができた。

村というにふさわしいほど田畑に囲まれた、大阪とは思えないほど

のどかな所。ウイキペディアによると2006年の時点では

大阪府下で最も人口が少なくコンビニが無いらしい。

見所は金剛山でロープウェイがある。

村の入り口から少し行ったところに道の駅がある。

看板には「日本一かわいい道の駅」とある。ようするに

日本一小さい道の駅ということで中は売店があるだけ。

展望台があるというから上ってみたがただの二階だった。

見渡すとこんな感じ。まあ展望台には変わりないか。

土産物屋を見るとそれらしい商品があり、奈良県と隣接してるせいか

奈良漬があって僕は奈良漬は嫌いだけど両親が好きなので

たまねぎの奈良漬を買ってみた。

道の駅の隣には資料館がある。楠木正成の生誕の地として

有名で、ゆるキャラは「まさしげくん」。

とはいっても今回初めて知ったのだが。楠木正成自体よく知らない。

正成の墓でなく生誕の碑石。

資料館の前。未だこのようなものがあるのは微笑ましい。

ただ資料館が入場料必要なのと、写真撮影禁止なのは

微笑ましくない。関心がなければ入る気にもならない。

しかし休日だというのに人っ子一人いないのはなんとも寂しい。

自宅を出たのが遅かったのと疲れも出てすぐ帰ろうかと思ったが

せっかくだからもう少しだけ足を伸ばしてみる。

バイクで少し走るとまた展望台のある丘に出くわした。

「バカとなんとかは高いところに上る」という言葉に従って

上ってみると「奉建塔」というものがあった。

楠木正成の戦死600年を記念して建てた記念碑で昭和15年に完成

とかで思ったほど古いものではなかった。

付近にちょっとした展望台があったので見渡してみる。

本当に大阪かと思うほどのどかな村。

そういえば道の駅に「何もないからのんびりできる」という

コピーがあった。

また機会があればここでのんびりするか。

 

 


クロネコ、再び旅立つ

2011-11-22 22:40:56 | Weblog

先日ネギと名づけたネコがこの世を去った。二年前にニャンという

名前のネコが他界したがニャンが逝く数日前にひょっこり仔猫が

二匹現れ、その一匹がネギ。

ニャンが死んだ寂しさもあってか愛くるしい仔猫たちを放っておけず、

つい面倒をみることになってしまった。

上がネギで下はマメと名づけた。特に深い意味はなく、ネギは

シッポが普通でマメのほうはシッポがグニャグニャに曲がってて

短く見えるところからなんとなくそうした。

ニャン一匹でも手を焼いてたのにまさか二匹も飼うことになるとは。

我ながらバカだなと思う。小さいうちは仔猫特有の愛嬌があったが

大きくなるにつれそれも無くなり外に出たがる度に二度と戻って

来るなと思ったことか。そう思うほど悪さばかりしていた。

そんな願いが通じてしまったのか、去年の秋にマメが姿を消した。

狭い部屋に閉じ込めておくのも可哀想なので時々外に出して、

大抵二匹とも戻ってきたのにその日を最後にマメは行方不明。

相棒がいなくなって寂しそう鳴くネギ。僕も何度となく周囲を探したが

結局どこへやら・・・・

せめてもの救いは知り合いに聞いた話でマメは人間にも外の世界にも

慣れているので多分飢えることなく生きていけるだろうとのこと。

ひとりぼっちになったネギだが数週間もたつと寂しさも薄れたのか

あまり鳴かなくなった。それでも僕が出かけるとニャーニャー

と近所迷惑なほど鳴いていた。

ネギはすぐ戻って来るので安心して外に出していた。

僕としてもそのほうがのんびりくつろげるというもので

TVを観たり寝ている時に邪魔ばかりされてはかなわん。

そんな猫と僕の生活が普通に続いていたが9月の終わりくらいから

ネギの容態がおかしくなった。

大食いなネギがまったく食べなくなった。医師に診てもらうと

貧血をおこしているろのこと。

いつも元気だったのですっかり忘れていた。仔猫の時に診てもらったが

その時に二匹ともニャンと同じ先天性の白血病だということを。

親猫が同じだからどうしてもそうなってしまう。

治療をしてもらい、回復はしたものの一ヶ月ほど経つとまた食べなくなり

日に日にやせ衰え、何度か診てもらったが治療や看病の甲斐もなく

11月6日の早朝4時半頃にこの世とおさらばしてしまった。

不思議なほど哀しくなかった。ニャンの時は大泣きしたというのに。

おそらくニャンの時と違って具合が悪くなって死ぬまで日があったから

覚悟ができてたのだろう。

朝がくるとニャンが世話になったお寺に電話をして翌日には供養してもらった。

これでもう猫を飼うことはない。あってもまたいずれ縁があればの話。

なんだかんだと手間がかかった日々だったが猫について猫に

色々と教わった。

母猫。こいつが2008年ごろに僕の住むアパートにやってきて

子供を僕に押し付けてきた。

おそらく母猫ももうこの世にいないだろう。天国で親子幸せに

してることを祈る。